1-2 偽報


     × × ×     


 一六五五年の五月。

 ラミーヘルム城の城内教会で先代公の葬式が行われた。

 控え室でタオンさんが泣いていたので、好物のスパイスたっぷりグリューヴァインを持っていってあげたら頭を撫でてくれた。

 ところが味はいまいちだったらしい。


「なんだ、この苦味は……失礼ながら公女様、いったいどなたに作らせたのです?」

「イングリッドおばさまですわ」

「イングリッドめ。あのまま鼻をかまずに作りよったな」


 タオンさんの推測は正しかった。

 イングリッドおばさんもまた実父の死を悼んでいた。喪主のパウル公が終始平然としていたのとは対照的だった。おばさんのほうがパウル公より先代公と過ごした時間だけなら短いはずなのに。


 タオンさんは文句をこぼしながらもグリューヴァインを完飲してくれる。


「悲しみを忘れられそうな一杯でした。かえって良薬になったかもしれませんな。お気遣いありがとうございます、公女様」


 手の甲にキスをしてもらう。もちろん膝を折ってもらって。これまでに何度も受けてきた礼だ。

 きっとこれからも受け続けることになる。


「タオン卿、当主の座を引退なさるそうですね」

「はい。先代公が天国に旅立たれたからには、老いぼれは若い世代に未来を託すべきでしょう」

「お暇になりましたら、わたしの家庭教師を務めていただけませんか?」

「ほほう。公女様の先生ですか。大変に光栄な話ではございますが……今はまだ心に余裕を持てそうにありませんな」


 タオンさんは天井を見上げる。

 彼にとっては主君にして戦友でもあった大切な人が死んだばかりだ。さすがにいきなり勧誘するのは急ぎすぎたかもしれない。反省しよう。もし自分が家族のお通夜で参列者から仕事話を持ちかけられたら、たぶん怒っている。


「よろしければ、お求めの人材を紹介致しますぞ」


 その点でタオンさんは大人だった。

 その大人ぶりに、ついつい甘えてしまう。


「いえ……それより、もしタオン卿が余裕を持って生活できるようになりましたら、わたしと文通をしていただけませんこと?」

「手紙でございますか」

「イングリッドおばさまから文字を習っておりますの。もうすぐ手紙の練習が始まるのです。お相手をお願いできませんか。祖父の話なども教えてもらいたいですわ」

「そういうことであれば、いつでも協力させていただきますとも。若い女性と文を交わすなど、何年ぶりになりましょうかな! あの世の先代公に妬まれるかもしれません」

「ふふふ。ありがとうございます」


 互いの笑みが控え室を明るくする。

 これでタオンさんとつながりを作ることができた。自由に城から出られない五歳児にとって、めったに登城しなくなる隠居老人と接点を持つのは大変だ。手紙のやり取りを通じて早めに仲良くなっておきたい。三周目でもタオンさんには公女の守り役を務めていただくつもりだ。

 加えて、彼の手紙には利用価値がある。しっかり保存しておいて、然るべき時に使わせてもらう。


「……イングリッドから話はうかがっておりましたが、公女様は年の割にずいぶんと聡明であられますな」

「おばさまの教育の賜物ですわ」

「それは本人も言っておりました」



     × × ×     



 一六五六年の年末。

 俺は勉強部屋で文字の書き取りをしていた。

 三周目にもなって今さら共通文字アルファベートを学び直しているわけではなく……タオンさんから送られてきた手紙を模写している。何度も。

 マリーの手癖をタオンさんに近づける。筆跡と言い回しを完全に習得する。

 あの人は非常に律儀なので決して返信を絶やすことがない。おかげで勉強部屋には教材が山のようにあった。


 自分でも彼我の差がわからなくなってきたあたりで……新しい手紙の制作に入った。つまり偽造だ。

 宛先はもちろん低地の大商人シャルロッテ・スネル。低地商人の組合に送れば、彼女の元に届くはずだ。


 今回も彼女にはお世話になる。

 一周目では彼女の能力を全く活かせなかった。二周目の時はタルトゥッフェル専売公社の経営者としてヒューゲル公領の役に立ってくれたけど、彼女の不完全燃焼ぶりは常に感じていた。

 あの人は新しいものを世の中に送り出す能力・売り出す能力が極めて高い。プレゼンと宣伝が上手くて「金の匂い」にも敏感な低地商人の見本みたいな人材だ。

 三周目ではタルトゥッフェルだけでなく様々な新商品・新技術を生み出し・広めてもらい、あらゆる形で公女と公領政府の力になってもらいたい。

 そのためには何より先立つものが必要になる。

 前回だって「汎用馬車」や「馬車鉄道」の他にも色々と作ろうとしたけど、不作や出兵でたびたびお金がなくなってしまい、公社技術部門に満足な予算と人材を与えられなかった。同じてつは踏まない。


「アルフレッド・アンドレアス・フライヘル・フォン・タオン……と」


 手紙の末尾にサインを記して、花押もそっくりに描く。

 公女付き女中のフィリーネさんに仕入れてもらったタオンさん常用の香水を紙に染み込ませ、粘土で型を取って複製した「偽造印章」を封蝋に押しつける。完成。

 あとは城内町の同盟郵便ブンデスポスト支局に持っていくだけ。公女おれが出向くと目立つので、適当な衛兵に「預かりものです」と手渡してしまおう。料金は六歳児に出せるほど安くないから……シャルロッテには申し訳ないけど着払い指定にしておく。今なら余裕で払えるはずだ。


「ふふふ……」


 改めて完成した手紙を眺めてみる。手前みそながら偽造の出来が良すぎる。とても子供の工作には見えない。かの『信長の野望・革新』で偽報を作っていた武将の気分がわかる。

 仮にバレちゃったらタオンさんにどんな目で見られるのかな。さっぱり予想がつかないけど、彼のために作った部分もあるから自分が負い目を感じることはない。前途有望な若者の命を救うことにつながるわけだし。



     × × ×     



 一六五七年の四月。

 公女はヒューゲル郊外のタオン邸にお呼ばれしていた。

 二階の来客室には新大陸から持ち込まれた土産品が並べられている。机には封蝋を破られた手紙が一枚。


「聡明な公女様はイタズラも巧妙であられますな。このアルフレッドの字にそっくりです」

「わたしではありません」

「衛兵のライスフェルトが公女様から預かったと証言しておりますが」

「わたしも他の衛兵から預かったのです。お名前は存じませんが……太った方でしたわね」

「では、衛兵で肥満体の者に話を訊いてみましょう」

「そうしてくださいな」

「……イングリッドに言いつけますぞ」

「わたしがやりました」


 公女おれは両手を挙げる。

 下手に否定を続けるよりイングリッドおばさんに叱られるほうが辛いと判断した。

 くそう。こうもあっさり犯人だとバレてしまうなんて。もっと口の固い奴を使うべきだった。ティーゲル少尉が元服していたらなあ。

 タオンさんはため息をついていた。地味に辛い絵面だ。


「イタズラをなさるのはけっこうですが、節度をわきまえていただきたい。よりによって老人が死にかけているなどと……冗談になりませんぞ」

「ごめんなさい」

「よき女性を目指してくださいませ。ふう……ホルガー、来なさい」


 タオンさんの求めに応じる形で、体格の良い男が来客室に入ってくる。

 いかにもタオン家の血統を継いでそうな衆目明媚な容姿の持ち主だった。肌が焼けてさえなければ、精悍な顔立ちは若タオンと見分けがつかない。いや、どちらかといえばタオンさんのほうに似ているかな。

 そんなホルガー氏は上流階級の生まれだけに教育の行き届いた礼を見せてくれる。


「お初にお目にかかります。低地商人のホルガー・フォン・タオンと申します。この度は公女様にお招きいただき光栄です」

「あなたには迷惑をかけてしまいましたね」

「お気になさらず。伯父が元気そうで安心しました。海に出ていると、なかなか実家に顔を出せないものですから。年に一度は故郷に戻りたいのですが……」

「ホルガー! お前は勘当の身だと何度言えば伝わるのか!」

「あれ、そうだっけ?」


 タオンさんの怒声にホルガー氏はトボけた笑みを浮かべる。

 ホルガー・フォン・タオン。

 本来ならタオン家の郎党として従兄に仕えるべき身の上だったのに、七年前に惚れた女を追いかけて実家を抜け出し、低地の商人に転身した人だ。

 三周目にして初めて対面することができた。今まではどうしても会えなかったからね。


「……ホルガーさん。わたしのイタズラのせいで困ったことにはなりませんでしたか?」

「先月バルト海を回る船にひと口ほど参加していたのですが、あれは仲間に任せておきましたから大丈夫ですよ」

「そうでしたか」

「ええ。だから気に病まないでください。女の子はもっとおてんばでもよろしいくらいです。がんがん男を転がしていきましょうよ」

「あはは……ちなみに次はどちらの海に向かわれますの?」

「次はチザルピナから地中海ですねえ。よければ、公女様も船旅に出てみませんか? 心躍るほどに世界が広がりますよ!」

「ホルガー! お前という奴は、自分だけでなく公女様まで染めてくれるでない!」


 タオンさんが割り込んでくる。

 ホルガー氏のほうは「えーなんでさ?」とまともに取り合ってなくて、いまいち会話がかみ合っていないのが面白い。

 ああやって家族でケンカできるのは幸せなことだ。

 ホルガー氏は一周目・二周目ではバルト海を航行中に行方不明になっていた。どこかで船が沈んだらしい。

 その件がしこりとなって、タオンさんとあの人はずっと微妙なわだかまりを捨てられずにいた。

 今回はそれが消えたわけだ。


 タオン家の男たちがツバを飛ばし合っているのを尻目に、公女おれはこっそり来客室を抜け出した。

 一階まで階段を降りる。

 宿直室の粗末なベッドでは、ふわふわしたブラウンヘアの女性が苦しそうにうめき声をあげている。


「うう……アルフレッド……」


 シャルロッテ・スネル。

 公女の偽報を受け取った女商人は、低地からヒューゲルに来るまでの旅路でほとんど眠れずにいたらしい。生者のタオンさんに会った途端にぶっ倒れてしまい──今に至るそうだ。


 改めて申し訳ない気持ちになるけど、一応この人のためにやったことでもある。

 公女は彼女の耳元にそっと近づき、小さな声で話しかける。


「ねえ、とっておきの儲け話がありますの」

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