1-1 かげふみ


     × × ×     


 人生も三度目ともなると「模範解答」が見えてくる。

 とりあえずお母様とは仲良くなっておいた。ストルチェク語を話すだけで愛してもらえる。エヴリナさんはチョロすぎる。

 その上で束縛されないために妹が欲しいとお願いしておく。おかげで前回より一年早くカミルが生まれた。公女にとっては二つ下の弟になる。

 翌年には次男のマクシミリアン、その次の年には次女マルガレータが誕生した。四人姉弟になったのは初めてのパターンだ。


 二人目の女の子が生まれたことで、公女に注がれるお母様の愛情は半分になった。ようやく目を盗まずともラミーヘルム城内を歩き回れる。ちなみにカミルとマクシミリアンは元々愛されていない。

 もっとも自由に歩けるわけではない。四歳児の公女は足が短いのですぐに衛兵や廷臣に捕まってしまう。いくら城内の通路を知り尽くしていても大人には追いつかれた。

 それでも挑戦を繰り返して、一六五四年の七月……ようやく中庭を徘徊中のパウル公に出会うことができた。


「お父様」

「マリー? こんなところで何をしている」


 パウル公は例によって廷臣たちを引き連れており、彼らと歩きながら国政の話を進めていた。老齢のハイン宰相がぜぇぜぇと息を切らしている。

 公女おれは見知った面々に会釈をしてから、愛すべきお父様におねだりをさせてもらう。


「わたし……お父様のお父様に会いたいです!」

「大御所に?」

「まだおじいさんには会ったことがありません! 会ってみたいの!」

「そんなことを言いにわざわざ来たのか」

「おばさんには止められましたもの! やめておきなさいって!」


 先代公。

 かつて十五年戦争で同盟各地を荒らしまわり、ヒューゲル政府に空っぽの金庫を残した人物。公女の祖父にあたる。

 一周目と二周目では、マリーが五歳の時に盛大な葬式が行われていた。

 どちらもタオンさんは泣いていたな。あれで自分も引退を決めたのです……と、いつかの馬車で話してくれた気がする。


 ともあれ、一六五四年の時点では存命の人物だ。

 せっかくなので会ってみたかった。おばさんの話ではマリーが生まれた時に来てくれていたみたいだし、名将と称えられる人だけに話せば得られるものがありそう。


「イングリッドが止めた理由は知らんが……お前の祖父だからな。よし。いただきもののリンゴを持っていく時に連れていってやろう」

「わあい! お父様大好き!」

「私も愛しているぞ」


 お父様は娘を抱きあげて、ほっぺにキスをしてから、また廷臣たちと政治の話に戻っていった。

 自分も勉強部屋に戻ろうとしたら──目の前にイングリッドおばさんが仁王立ちしていた。まだ若いものだから平気で子供を追いかけてくる。


「おばさま……」

「あなたのおじいさまは私の父でもあるけれど、今かなり具合が悪いのですよ。ほとんどベッドから起き上がれないほどに」

「そうだったのですか」

「まあ……だからこそ、今のうちに会っておくべきかもしれないわね」


 おばさんはひんやりとした手で公女の頭を撫でてくれた。



     × × ×     



 ヒューゲル家は居城の他に三つの別荘を持っている。

 そのうち「丘の別荘」は引退した当主の住処として利用される。一周目・二周目のパウル公もカミルが当主になってからはあちらに生活の軸を移していた。


 訪れる時の目印としては、ほとんど起伏のないヒューゲル公領において、もっとも高いとされる丘のすそに石造りの古城を探せばいい。

 その隣に設けられた木造の別荘だ。


 先代公は広い部屋の中央に横たわっていた。ベッドからただならぬ悪臭が漂ってくる。年寄りの加齢臭ではない。排泄物だ。


「あ……おぉ……」

「父上。リンゴを持ってきました。女中にすりおろすよう命じております」

「んん……」


 ぼんやりとした言語ともつかぬ返答。

 お父様はあまりの悪臭に吐きそうになっている。さすがは嘔吐公。そして公女はその娘だ。

 こんなことになるならイングリッドおばさんの忠告を受け入れておくべきだったかな。子供には耐えがたい。

 気を利かせた使用人たちが先代公をベッドから抱き上げて、おむつとシーツを取り替えてくれるものの……状況はいたちごっこだった。

 当の先代公はリンゴのすりおろしをスプーンで「あーん」してもらい、ご満悦の様子。本当に味わえているのかな。


 女中たちの手で部屋中に『アラダソク水』と呼ばれる香水がふりかけられて、ようやく状況が落ちついてくる。ラベンダーの匂いだ。


「……モーリッツ? モーリッツが来たぞ!」


 先代公の声が大きくなる。女中のスプーンをはね除けて、やけに焦点の合った目で人を探し始めた。

 お父様が先代公を抑えにかかった。


「父上、あやつは来ておりません」

「どぉこに行った! ラミーヘルムから穀物が届かなければ、我が兵は飢えて……兵どもはどこだ?」

「ここはヒューゲルの別荘でございます」

「いーや。対岸のボーデン野郎が夜襲を仕掛けてくるはずだ。アルフレッド、モーリッツ、急ぎ備えるのだ……」


 彼自身にしか見えていない家臣たちに指示を飛ばしたあたりで、先代公は力尽きた。小柄な老人は気絶したかのように眠り始める。

 その様子をパウル公は軽蔑の眼差しで眺めていた。


「……常在戦場。お前の祖父は未だ十五年戦争を続けているらしい。落馬してから『まとも』ですらなくなった。情けない」

「まだお元気なうちにお会いできてよかったですわ」

「いつでも会いに来てやれ。このざまでは、もう長くなかろう。その時はラベンダー以外の香水を持っていくといい」

「モーリッツという方は」

「……んん。お前が生まれる前に出奔した元家臣だ。モーリッツ・フォン・ハーヴェスト。ハインの前の宰相だった」


 お父様はいつものように歩きながら話を進めてくる。

 これについていくのは大変だ。ハイン宰相、現時点で老人なのに、今から二十年以上も追走を続けられるのはすごいな。逆に歩き続けたからこそ健康でいられるのかもしれない。

 怪我で歩けなくなった老人は、ちょうど後ろで寝息を立てている。


「モーリッツ……金と武器と女を……」


 よほど信頼をおいていたらしい。先代公は何度も旧臣の名を呼んでいた。

 その名については、実のところ自分も完全に知らなかったわけじゃない。一周目・二周目の時にもタオンさんの昔話に出てきていたから。

 モーリッツ氏はタオンさんより年上の遊び仲間で、先代公が出兵する際には『軍事総監』としてラミーヘルム城で後方支援を担当していたそうだ。ヒューゲル家が先祖から受け継いできた茶道具や宝物を売り払ったのもモーリッツ氏だったはず。

 それ以上の話は知らない。

 先代公に信頼され、名門の出身でもないのに宰相を務めたほどの大物官僚となると……いずれ公女の役に立つかもしれないな。覚えておこう。廷臣にしても家臣団にしても人数が多いから名前を覚えるのが毎度大変だ。


「……父上。あやつの手紙が途絶えて久しい以上、死んだと捉えたほうがよろしいかと」


 お父様は独り言のように呟いた。

 俺は忘れることにした。

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