9-6 破滅


     × × ×     


 なだらかな地平線に夕日が沈んでいく。

 大空は塗料をかき混ぜたような色に染まりつつあり、やがて星々がそれぞれなりに目立ち始める。

 日本の都市部に住んでいた時はほとんど見られなかった絶景に慣れてしまったのは、一周目のいつ頃だったかな。

 今となっては恒星の光を眺めるよりも、別の光を待つために空を見上げている。


「マリーお姉様、夕食会の用意ができましたわ」


 カミルの奥さん・エリザベートが迎えに来てくれる。

 彼女の足元にはやがてヒューゲル公を継ぐことになる予定の幼児の姿もあった。


 一六七五年も半年が過ぎている。

 エリザベートがカミルたちと共に実家に帰省するというので、公女おれもご一緒させてもらっていた。

 クッヒェ家の邸宅はヘレノポリス近郊にある。

 自分たちが来ていることからもわかるとおり、このあたりは未だに北部諸侯の占領下にあった。


 数年前のアウスターカップ参戦から、ほとんど戦局が変わっていない。

 北部も南部も決め手を欠いたまま小競り合いを続けている。その帰結として「破滅」の魔法が用いられるとしたら、情報源には近いほうがいい。


「私の××。ソースが服についているわ」

「ほんとだ!」

「元気なのは良いことね、ずっと元気でいましょうね」


 邸宅の食堂に戻ると、エヴリナお母様が公女の娘にしょっぱい肉を与えていた。

 ジョフロアさんが不在なので料理の質は高くない。典型的な同盟料理だ。

 あまり食欲が沸かず、公女おれは少し口をつけてから「外の空気を吸ってきますわ」とまた邸宅の庭先に出た。

 もう夜空になっていた。


「……奥様! お手紙でございます」


 街道沿いの門のあたりから年寄りがおぼつかない足取りで近づいてくる。

 クッヒェ家の守衛さんだ。かつて先代公の馬廻衆を勤めていた方だと聞いている。


「ありがとう、こんな時間に珍しいわね」

「ミューレパスのあたりで南部の遊撃隊がでたせいで郵便が足止めを喰らっていたそうで」


 街道の方向から馬のいななきが聞こえてきた。

 急いで配り回っているらしい。お仕事熱心なのは良いことだ。


 軒先で手紙を読ませてもらう。松明の火がゆらめている。たまに火花が降ってきた。

 公女宛の手紙は一通だけ。残りは守衛さんに返しておき、周りに誰もいなくなったことを確認してから封を開ける。


 送り主はヨハンだ。

 彼はヴィラバのコンセント城からエーデルシュタット侵攻の機をうかがい続けて数年になる。たまに小競り合いに勝つたびに便りを送ってきていた。

 手紙の日付は三ヶ月前。一旦ヒューゲルを経由して南北街道で足止めされて、ずいぶんと長旅を楽しんできたようだ。


『マリーへ。

 今年の秋までに戦いは終わる。

 アウスターカップ辺境伯のおっさんが趣味の遺跡作りに飽きたらしい。宮廷の金をみんな兵営に注ぎ込みやがった。

 お前の好きなものが並ぶことになる。気になるならヴィラバまで来るがいい。連絡しろ。迎えを寄越す』


 相変わらず手紙というより命令書みたいな文章だな。


 ところで公女の好きなものって何だろう。

 ちょっと浮かんでこない。


「お金ではないですか」


 食堂の面々に訊ねてみたら、イングリッドおばさんからそんな答えが返ってきた。


「決まっているわ。私たち家族よね」

「タルトゥッフェル」

「ダース・ベーダーさんかしら」


 お母様と妹マルガレータとエリザベートの答え。

 申し訳ないけど、いまいちピンと来ない。手紙の文脈にも合わないし。ダース・ベーダー=シャルロッテに並ばれても困る。


「魔法使いでしょう」


 弟の静かな回答が、一番しっくりきた。



     × × ×     



 数日後の深夜。

 寝室の窓から眩い光が射し込んできた。

 寝間着のままで邸宅の外に出ると、天空には巨大な五芒星が浮かんでいる。

 待ちわびた破滅すくい。ずっと待ち望んでいた救済はめつ

 東の空には光の根っこのようなものが広がっていた。


「なんだあれは! 何が起きている! エーデルシュタットから何か来るのか!?」


 邸宅からクッヒェ卿が飛び出てくる。方位磁石を手に叫んでいた。


 次第に光は広がっていく。

 東から地平線が失われていき、丘と草原が飲み込まれていく。あらゆるものが白に染まる。

 ようやく終われる。

 やっと終わって、またあの子に会える。二周目から解放してもらえる。


 こんなに嬉しいことはない。


「……ねえ、まぶしいよ? お母さま?」


 女の子が近づいてきた。

 眠たそうに指で目をこすっている。まだ五歳にも満たない幼児が、よちよちと歩いてくる。

 その後ろでは立派な邸宅とクッヒェ卿が白い光に包まれていた。

 こうなったら、もう遅かれ早かれ結末は同じ。


 なのに、公女の肉体は、女の子を抱きしめていた。


「…………××エマ!」

「なあに?」


 やがて背中の感覚が失われていき、匂いだけが焼きついた。

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