9-4 アウスターカップ、南へ


     × × ×     


 いくつかの夜を越えて、アウスターカップ政府は正式に北部連盟に加入することになった。

 カーゲル公使は辺境伯から親書を預かっており、北部連盟代表・ウビオル大司教の承諾を得る形で合意が築かれた。

 辺境伯の手紙によれば、アウスターカップにとって「ヴィラバ反乱の鎮圧」は連盟加入に向けた手土産のつもりだったらしい。


 もちろん、そんなのは建前であり、今後の北部連盟における主導権を握るための軍事的脅迫を兼ねていた可能性は否定できません……と、兵営のメガネの将校は楽しそうに語っていたな。

 いずれにせよ、ヨハンを喜ばせることには失敗していた。


 代わりに(?)喜んでいたのは公女の弟・カミルだ。


「アウスターカップが味方になった今、余の領地は安泰だ! エリザベートも嬉しいか!」

「もちろんですわ!」


 カミルの奥さん・エリザベートも喜色満面だった。

 二人で一日中乳繰りあっていた。


 ヒューゲルは南北の境界線にあたるため、南北戦争が本格的に始まったら真っ先に狙われてしまう。

 南北の戦力差が拮抗したままなら、また不毛な攻防戦・包囲戦が起きていただろう。きっと何度も。


 ところがアウスターカップの加入により、状況は北部側に大きく傾いた。

 ヒューゲルより南の小領主たちは賢明な判断を下してくれた。元々彼らは周りの旗色を窺うことで生き延びてきたから、こういう時の情勢判断には長けているらしい。

 南北の境界線はどんどん南下していく。

 あくまで南部連合についたままなのは、もはや古来から独立心を育んできた大国の領主(と金魚のフン)のみとなる。


 総兵力五千七百名・エレトン公。

 総兵力四千五百名・トーア侯。

 総兵力四千名・ボーデン公。

 総兵力六千四百名・フロイデ侯。

 総兵力三千名・フラッハ宮中伯など。


 他に国力を示せるデータが見当たらないから兵士の数を出したけど、これらは『同盟武鑑』による家臣団・従卒の推定値であって、戦時には臨時雇用の傭兵隊や民兵が加わる。

 また南部諸侯はそれぞれ新大陸の魔法使いを保有している……たぶん。一周目の密偵シャルロッテから受けた報告では各国一人から二人程度と記されていたはずだ。

 これだけの大所帯をヒンターラントのルドルフ大公(総兵力六万名)がまとめることになる。

 さらに海上からオエステ王国軍が加わり、反アウスターカップ・旧教派という共通項からストルチェクの五大老も南部側に味方すると予想されるものの……その程度ではヨハンたち北部連盟の優位は揺るがない。やはりアウスターカップ(総兵力八万名)の参戦が大きすぎた。


 一六七一年・五月。

 ラミーヘルム城からタルトゥッフェルと日用品の供給を受けて、南北街道を南下していく『アウスターカップ第二軍団』は二万人を遥かに超えていた。

 あんな大人数が集まっている様子を見るのは、ひょっとすると日本時代の野球場以来かもしれない。

 城内の家具が揺れるほどに太鼓が打ち鳴らされ、おびただしい数の梯団旗が街道に揺れている。まるで藍色のアリがエサを運んでいるようだった。

 衛兵たちの話では、第二軍団の副司令官はアウグスト・フォン・ウンターシュタート少将だという。新年早々、ヨハンをぶちギレさせた若者だ。

 ヨハンはサーベルを研いで待っていたというのに、今回の少将は結局ラミーヘルム城に足を踏み入れなかった。


 その代わりというわけではないけれど……アウグスト少将は二ヶ月後にヘレノポリスを落とした。

 あの街は大君議会の開催地で、公女おれが何度も訪れてきた土地であり、同時に同盟南部の中心地でもある。

 街の四方八方に街道が伸びていることから、一週間もあれば、ほとんどの南部諸侯の居城に辿りつけるという。

 南部連合の有力者たちは喉元にナイフを突きつけられる形となった。もはや城に立てこもるしかない。


 七月。クレロ半島の聖都において教皇から戴冠を受けたばかりのルドルフ大公──もとい『神聖大君』ルドルフ二世は、子分たちを助けるために三万五千の兵力をロート伯に与えた。

 あの『血まみれ伯爵』の出陣に南部諸侯は沸いたという。

 さらにロート伯はヒンターラント大公のお膝元・エーデルシュタット市に集まっていた『旧教絶対主義』『大君絶対主義』の信奉者たちを部隊に加え、かねてからの部下も合わせて五万人の大兵力を率いることになった。


 彼らは初代大君ルドルフ・デア・グローセを称える歌を口ずさみながら、アウスターカップ第二軍団を倒すべく西に向かう。

 やがてロート伯がヘレノポリス近郊まで辿りついたところで──アウスターカップはヴィラバを抑えていた第一軍団を南下させた。

 この部隊にはヨハンなど北部諸侯の主力部隊が加わっており、合計兵力はなんと四万人を超えていた。

 八月。第一軍団はヒンターラント領内に入り、ルドルフの焦土作戦でボロボロの街道を突き進み、ついに帝都エーデルシュタットを取り囲んだ。

 ほとんど刃を交えていないというのに……いつのまにか敵は空前の灯火となっていた。



     × × ×     



 前線のヨハンから日々送られてくる手紙には、おそらく外には漏らさないほうがいいような情報も含まれていた。

 おかげで前回より世界の状況には明るくなれたけど、あいつの情報管理体制は大丈夫なのかな。たぶんSNSとか向いてないタイプだ。

 もちろんヨハンだって阿呆ではない。おそらく陸路では手紙が敵兵の手に渡りかねないけど、空路なら安全だと考えているのだろう。


「奥様! 毎日愛されていますね! ヒューヒュー!」


 飛行服と野外用のドレスを混ぜたような衣装に身を包んでいる少女から、公女おれは今日の手紙を受け取る。

 彼女の名はユリア・ファン・ブロック。キーファー家の空飛ぶ魔法使いだ。

 二周目では出てこないのかと思っていたけど、今回もキーファー家に売られてきたらしい。

 何でも「必ず金を用意するから待っていてくれ!」とヴェストドルフ大臣から予約されていたそうだ。当主のヨハンではなくあの人がユリアの入手を決めていたというのは、ちょっと意外だった。


 ユリアには前線偵察の仕事があるので、さっさと公女からお返しの手紙を渡しておき、南部の空に戻ってもらう。

 ヨハンの手紙には「ユリアを第一軍団の司令部で使わせてください! とアウスターカップの犬たちがうるさい」と記されていた。そりゃ軍人ならそう言うよね。

 あの子はいわば人間偵察機だから、ただでさえ圧倒的な北部連盟を情報面でも強化できる。

 井納おれとしてはあまりよろしくない。


 このままでは……ルドルフ大公が負けてしまう。

 言わずもがな「破滅」は起きなくなり、マリー・フォン・ヒューゲルの使命を終えられる。

 二度とあの子に会えぬまま、何もかも終わってしまう。

 かといって公女おれが敗北主義者になるのは自分でも解せない。そんなことをしたら、あの子に会えたとしても……合わせる顔がなくなる。


「……そもそも、今の俺にできることなんてないけどさ」

「どうされました? さっきからうわ言のようなことを……気分が優れないのなら、医者を呼んでくるわよ」

「大丈夫ですわ、おばさま」


 イングリッドおばさんには落ちついてもらう。

 彼女は年をとるたびに心配性を拗らせているような気がする。

 たしかにこの世界では病気になると死にやすいから、不安になってくるなのはわかるけど……もう二人目なんだから、ドンと構えていてほしい。


 公女のお腹は膨らんでいた。もう六ヶ月になる。この頃は見るたびに辛くなるものの、一人目の時より苦しみは少ない。

 悲しいかな、自分も慣れてしまった。

 思えば、前任者は「破滅」までに五人も産んでいた。おそらくヨハンと身体の相性が……考えてて吐きそうになるから一旦忘れよう。


 あの人もたしかルドルフ大公を居城に追い込んでいたはずだ。

 ところが大公が切り札として出してきた『魔法使い部隊』により世界は滅びを迎えた。


 今回もそうなるのかな。

 でも、まだ公女は二十五歳になっていない。


 なぜか知らないけど「破滅」は一六七五年に起きると決まっている。前任者たちはみんな二十五年目に世界と共に死んでいた。そこに大きなヒントがあるはず、という話をエマとは何度も交わしてきたな。

 逆に言えば、二十五年目までにルドルフ大公を倒してしまえば、本当に「破滅」は起きないかもしれない。


 不味いな。でも、どうしようもないな……こんな身体では。こんな状況では。

 井納おれには何もできない。


「……おばさまは無力感を覚えたりしますか?」

「話の流れが掴めないけれど、人間は神の前ではみんな無力です。私には私のできることしかできない。あなたもそう。それでいいの。今のマリー様はその子を守ることだけ気をつけていれば、大丈夫よ」

「それでは、ダメなんです。たぶん」

「神はあなたを許してくれるわ」

「エマが許してくれませんわ」


 こちらの言葉に、イングリッドおばさんはちょっと考えるような仕草を見せてから、チラリと近くで絵を描いていた××に目を向けた。

 そしてまた公女の方に向き直り、その少し焼けた声を喉から繰り出してくる。


「あなたにできないことは、他の人にやらせなさい。お茶を入れてきてあげましょうか」

「人にやらせるのはもう試しました」

「だったら……人が勝手に動き出す仕組みを作りなさいな。あなたがお願いしなくても、その方向に進んでいくように。例えば、ね」


 おばさんは室内の時計を見やる。そして四つほど手を叩いてみせる。

 すると扉の向こうから若い女中がワイングラスを持ってきた。グラスにはアプフェルヴァインがなみなみと注がれている。あらかじめ用意させていたらしい。


「ありがとうアンネ」


 おばさんはリンゴのお酒を美味そうに飲む。いいなあ。この肉体では許されないから、わりと羨ましい。

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