9-2 仮定の話


     × × ×     


 例えば、足元のミミズに妹の仇討ちを命じるような。

 例えば、川底の小魚に虹色のドレスを仕立てさせるような。

 タルトゥッフェル専売公社代表──及び公社付属・特設南方問題研究本部長を称するシャルロッテ・スネル女史は、自身に委任された「破滅」対策を独特の表現で例えてみせた。


「要するに不可能ということです」


 彼女と部下たちが三週間かけて検討を進めたという報告書が、たった一言で要約されてしまう。

 せっかくなので読ませてもらうと、冒頭からヒューゲル公領とヒンターラント大公領(アラダソク王冠領含む)の国力差があらゆる指標で表現されていた。


 両国は人口だけでも約十二倍の差があると推定されるらしい。

 総兵力もヒューゲルの三千五百人に対して、あちらは六万人を超えるとのこと。

 とてもではないけど、単独では敵わない。

 そんなのは前からわかっている。


 これが『南北戦争』というアングルになると……北部連盟「四」に対して南部連合「六」の国力差になるようだ。

 ここでの北部連盟には超大国アウスターカップは含まれていない。南部連合にも外国勢力は含まれておらず、ルドルフ大公の同族にあたるオエステ王国の参戦は考慮されていない。

 つまりアウスターカップ辺境伯の協力がないかぎり、北部連盟に勝ち目はない……これも前回と同じでわかりきった話だ。


 自分が知りたいのは、そんな単なる現状認識ではなくて、未来これからの話になる。

 そんな公女おれの問いを先取りするかのように、報告書の後半部分では「破滅」対策の具体的な検討が行われていた。


 どうすればヒンターラントを倒せるか?


 ①ルドルフ大公を暗殺する→あれを殺してもヒンターラント政府は崩れない。遠方では実行が難しい。バレたら世界の敵になる。

 ②敵の魔法使いを暗殺する→常人では返り討ちにあう。

 ③敵の魔法使いの家族を誘拐する→第一に情報不足。第二に大人数をヒューゲルまで連れて来るのは極めて困難。

 ④南部に黒死病を流行らせる→南北街道の要衝・ヒューゲルにとって自殺行為。

 ⑤南部諸侯を仲違いさせる→彼らには北部側につくメリットがない。

 ⑥外国の力を借りる→市民から外患誘致だと非難されかねない。そもそもオエステ王国を除けば、どの国も同盟内に介入できるような政治的状況ではない。

 ⑦公社の資産を担保にお金を借り、大規模な傭兵部隊を作り上げる→数万人の兵を求めるのならば、公社の財産では足りない。焼け石に水。

 ⑧低地商人を味方につけて金を貸してもらう→公社代表がダメだと言っている。

 ⑨ポテレ市の商人から金を借りる→あそこの連中は低地よりヤバイと公社代表が言っている。


 ……井納おれには思いつかなかったものを含めて、多彩なアイデアが次々に粉砕されていく。いわば「失敗」の宝庫だ。成功は一つもない。

 自分より頭の良いスタッフたちが知恵を絞っても名案が浮かばなかったのだから、おそらくシャルロッテの言うとおりなのだろう。

 今の公女の力では、どうあがいてもルドルフ大公は倒せない。不可能。


「現状の厳しさは理解できました。しかし、あと五年あれば形勢を変えられませんか」

「お言葉ですが、マリー様。たった五年で我々に何が出来ましょう」

「対外的には、やはりアウスターカップ辺境伯を味方に引き込むことになりますわね」

「前提として外交は我々ではなく弟君カミル公の専権事項でございます。仮に公社が力添えするにしても、すでにタルトゥッフェル栽培を進めている辺境伯とは交渉材料がありません。言わずもがな、我々のお金はすっからかんですし!」


 シャルロッテは手持ちのカバンをひっくり返してみせる。報告書を運ぶために持ってきたものだから、中には何も残っていない。

 そうだった。あそこは元からタルトゥッフェル先進国だった。

 ヒューゲルにとって数少ない強みを活かせない。


「あとは……そうね。タルトゥッフェルの栽培を味方諸侯に提供することで南北の国力差を埋めていくのはどうかしら。五年かけて、四対六から五対五に持ち込めばきっと!」

「いやいやマリー様。あまり栽培法を広めすぎると儲からなくなりますからね。公社の経営が持たなくなります」

「えっ」

「思いつきで決められても困りますよ」


 シャルロッテの台詞には珍しくトゲがあった。

 我ながら対応に困って、手元のお茶を飲むなどしていると、彼女は恥ずかしそうに口を抑え始める。


「し、失礼をば! シャロはとんだ無礼者でした! ここにイングリッドさんがいたら、すでに二回は殺されています!」

「いえ。こちらこそ理解不足でしたから。タルトゥッフェルの輸出先がなくなったら、公社の収益構造が成り立たなくなるのは当然ですね」

「というか単価が下がるだけでも不味いです。故人が語るように、本来金のなる木は余所に持ち出してはなりません。長期的には次の金のなる木を探しながら──」

「シャルロッテ女史。重ねてお訊ねしますが、あと五年でわたしたちが形勢をひっくり返すことは」

「不可能でございます!」


 彼女は胸を張った。

 ここまで自信を持って言われてしまうと、それでも「破滅」対策を続けてほしいとは言い出せなくなってしまう。

 うーん。あくまで机上の話とはいえ失敗例をたくさん手に入れられたし、今回は情報収集に注力するだけにして諦めてしまおうかな……そのあたりは一人になってから考えるか。


「シャルロッテ女史、ありがとうございました。わたしの力ではルドルフを倒せないとよくわかりましたわ。公社には手間を掛けさせてしまいましたね」

「とんでもございません。マリー様の諮問を受けられて光栄でした。不肖シャロは頼られると弱いので! えへへ!」

「今後も頼らせてもらいますわ」

「あはは……正直に申し上げれば、初めからわかりきったことを確かめるために、我が公社の高度人材を三週間も拘束されたのは大変な不経済だった気が致しますが、きっと気のせいですね!」


 シャルロッテはいつもの営業スマイルで答えてくれた。

 なるほど。だから話にトゲがあったわけだ。彼女にとっては金と時間をドブに捨てたような気分だったのだろう。なんかごめんなさい。


 前触れもなしに××が泣きだした。

 いつものように乳母のモニカさんに部屋から連れ出してもらう。ベランダでお乳を飲ませると、あの子はなぜか眠るのが早くなるらしい。


「××ちゃんは可愛いですね」

「ありがとう」

「……子供が生まれると、終末論が怖くなるものですか」


 シャルロッテが小声で訊ねてくる。

 どことなく今の公女おれに対する『偏見』を感じさせた。明らかに穿った見方をされている。


「いいえ。前にも話しましたけれど、わたしはかねてから……五歳の頃から魔法使いが引き起こす大惨事を恐れていました」

「そんな頃から!?」

「そうですよ。あなたに初めて会った時にはもう」


 本当はもっと前になるけど、仮に人生二周目(三周目)だと明かしたところで狂人扱いされるだけだ。

 目の前の商人はわかりやすくビックリしていた。

 ふわふわのブラウンヘアがうなづくたびに揺れている。もう彼女も四十路だけに、以前のようなツヤは感じられない。色褪せて見える。けれども、その表面の魅力は衰えない。


「十五年前といえば、シャロはまだ船の上におりました。スネル商会の代表でございました。あの時の財力と、これまでの時間があれば……不肖シャロ、マリー様と××様の助けになれたかもしれませんね」

「ふふふ。それはありえない仮定ですわ」


 なにせ二周目の今回、公女おれはあの大商人シャルロッテを招聘しようとして失敗したわけだから。

 チューリップ・バブルの件でスネル商会がつぶれていなければ、この商人は借金取りに追われることはなく、わざわざヒューゲルまで逃げてくることもなかった。

 往年の低地有数と称された財力は非常に魅力的だけど、残念ながら自分の手元に来ることはなさそうだ。


「ありえない……そうでしょうね。もしあのままなら、シャロはきっと今も船の上におります。世界を駆け巡って、たまにアルフレッドにお土産を届けるくらいで。その時にマリー様とお会いすることもあったはずです」

「もしタオンさんが『土産なんぞよりお前が欲しい』と言っていたら、シャルロッテ女史はどうされました?」

「それこそありえない仮定ですよ、もう。未婚の女をからかわないでくださいな」


 シャルロッテはちょっとだけ赤くなっていた。

 この人は世界が終わるまで、きっとあの忠臣に想いを寄せ続ける。

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