8-2 ラミーヘルム包囲
× × ×
居城が包囲されていても季節は移ろう。
三月末日から我が家の玄関先を占拠している奴らは、大君同盟が夏を迎えても田舎に戻ろうとしなかった。
青空の下でコモーレン伯の梯団旗は連なり、兵士たちに支えられた緋色の旗は草原に映えている。
ロート伯は世間から『血まみれ』と呼ばれる身でありながら、昔から安易に血を流すことを好まない指揮官だったという。
「彼の戦略は王道です。戦う前から負けないことを希求している」
「余の前で敵を褒めるとは何のつもりだ」
「授業でございます」
大広間ではブッシュクリー大尉がカミルや若手将校たちに戦略の授業を行っている。
今のところラミーヘルム城の食料庫には余裕があるので、城内の上流階級は普段と変わらない日常を過ごしていた。
たまに砲弾が飛んできた時、旅行に行けないことを思い出した時、欲しいものが手に入らない時。現在が戦争中であることを思い出す。
城内町の住民たちには城内教会を通じてタルトゥッフェルが支給されているようだ。これまでに混乱があったという話は聞いていない。
株仲間の連中は「商売上がったりだ」として、廃材から小道具を作るなど副業に勤しんでいた。
平和だった。
「カミル公はご存じでしょうが、タルトゥッフェル公社のフンダートミリオン氏によると、九月には城内のパンが底をつくそうです。つまり我々はいずれ名誉ある飢え死を迎えます」
「あと二ヶ月と保たないのか!?」
「あと一月も保ちません。カミル公。相手方のロート伯はすでに勝利を収めております。ゆえに彼の戦い方は王道なのです」
「しかし相手のほうが人数が多いのだぞ、向こうの包囲継続にも限界があるだろう!」
「いいえ」
ブッシュクリー大尉は机上の地図に指揮棒を叩きつけた。
ラミーヘルム城の南北には、それぞれ約七千人からなる敵部隊が駐屯している。合わせて一万四千人。一日あたり単純計算で約五万のパンをうんこに変えることになる。
彼らの胃袋を支えているのは「徴収隊」と呼ばれる別働隊と、古くからロート伯に仕える御用商人だという。
ロート伯は血を好まない。
戦時には現地の村から力任せに
この方式により部隊の補給が安定化し、毎日のパンが保証されることから、ロート伯の陣営は傭兵業界から人気が高いらしい。
よって「我に従え!」とロート伯が号令をかけると、あっというまに大軍が出来上がってしまう。
「今では同じ方式を各国が採用しておりますが、我が兵営を含めて、あの方ほど上手には活用できていません」
「わかっていながら、なぜ余の兵営では活用が進まない。大尉の怠慢ではないか」
「お怒りはごもっともでございますが、あちらは人材も一流ですから」
大尉は周りの若手将校たちを見やってから、わざとらしくメガネを外した。
見られた側は沈黙している。騎士階級の子弟が大半を占める以上、今はまだお坊ちゃんの集まりだ。言い返す材料が手元にないのだろう。
例外的にベルゲブークとボルンのバカ息子だけは「あいつムカつくな」「だよね」と陰口を叩いていた。
ブッシュクリー大尉は咳をして、またメガネをかける。
「……冗談はさておき」
「冗談だったのですか」
脇からツッコミを入れたら、大尉に怪訝な顔をされた。
ごめんなさい。まさか冗談なんて言う人だとは思わなかったから。というか、誰が聞いても冗談には聞こえないよ。
「公女様。小官の話を聞いていただき大変光栄ではございますが、よろしければ今の話からロート伯が卓越している点を一つ挙げていただけますか」
「それは……なにやら人の心を掴むことが上手そうな方ですわね」
「ふむ。ではカミル公にも訊ねさせていただきます」
「敵を褒めたくないが、柔軟な発想の持ち主だな」
「姉弟揃って当たらずとも遠からず、ですな」
大尉はまたもや若手将校たちを見渡すと、彼らに答えがないことを確かめたつもりなのか、残念そうに白髪を掻いた。
そのふるまいがカミルの心に火を付けたらしい。
「お前はつくづく無礼な男だな!」
「カミル公の仰るとおりです。ゆえに小官にはロート伯のマネはゆめゆめできません。この性格では人がついてこない、と三十余年の兵営生活で学びました」
「わかっているなら改善しろ!」
「人間、誰しも長所と短所があります」
ブッシュクリー大尉はロート伯の長所として「組織運営の手腕」を挙げた。
おどろおどろしい渾名を持ちながら、ロート伯の本分は武人というより経営者に近いという。
彼の陣営では御用商人たちがパンの他にも様々なサービスを提供しており、例えば兵隊には付き物の遊女たちも商人側が手配している。他にも有料のレストランや診療所まで揃えているらしい。
また未熟な傭兵を鍛えるための訓練なども行われているそうだ。
その他、牧師・司祭・公証人・服飾工・郵便……枚挙に暇がないとばかりに、大尉は右手の指を握った。
「カミル公。おわかりいただけましたか。あの方は一万四千人を相手にこれほどの手配ができる男でございます。城内町の人口より多いのです。これがどれだけ凄まじい手腕であることか」
「お前、いっそロート伯の家臣になったらどうだ」
「先祖から受け継いだ領地がなければ、すでにそうしております」
「余が取り上げてやってもよいのだが」
「お戯れを」
ブッシュクリー大尉は平然としていた。少しも主君を恐れていない。
カミルのほうは二の句を継げずにいる。やがて苛立ちを示すように爪を噛み始めた。二周目での弟の悪癖だ。汚いからやめろって言ってるのに。
……ふと、もし自分がカミルならどのように大尉に言い返すか、考えてしまう。
似たようなシチュエーションを前回の終盤に経験していたことを思い出した。
あの時の大尉は。
「……戦争は専門家に任せてほしいと言いたいのね、大尉は」
「へえ」
公女の問いに対する、ほんのわずかな反応に含まれていた『明白な蔑み』に、白髪の壮年将校の全てが示されている気がした。
これまで彼がロート伯を何度となく称賛してきたのは、相手の能力に心酔しているからではなく……突き詰めれば俺たちに不安を抱かせようとしていたのでは?
その上でカミルや公女に「どうすれば勝てる?」と問わせる。
そこに至れば、あとは「小官にお任せください」と頭を下げるだけで当面は兵営の主導権を握ることができる。
当主のカミルが戻ってきてから、ヒューゲル兵営の命令系統は当主のものだった。
ブッシュクリー大尉は前回と同じく、バカなボンボン当主(代理)からの不合理な命令……破れかぶれのギャンブル的な突撃命令を防ぐために全力を尽くしているのかもしれない。
であれば、今の公女が取るべき選択は。
ブッシュクリー大尉は咳をした。
「失礼。たしかにパンはパン屋と言いますから、全面的に任せていただけると小官としてはやりやすい部分はございますが」
「……その上で問わせてもらうわ。どうすれば、わたしたちはロート伯とコモーレン伯に勝てるのかしら」
「それは……キーファー公の来援を待つしかありません。すでに我々は負けておりますから」
「やけっぱちになって突撃を仕掛けるのは?」
「そのような無謀が成功するはずありません。自殺行為です」
「なら、当面は城内で耐えるしかないのね」
「いかにも、公女様の仰るとおり」
大尉はメガネを光らせる。どことなく満足しているように見えた。……ちょっとは見返せたかな。
カミルのほうは首を傾げながらも「そういうもんかな」と呟いていた。
よしよし。丸く収まったな。
これから先、いざという時にはヒューゲルを捨てて北に逃げる必要も出てくる。先祖の領地に固執する大尉たち将校団にはその選択が期待できない以上、
前回は人質を取られていたから、城を捨てられなかった……「破滅」防止を諦めることになったけど。
今回はまだまだ可能性がある。
このピンチを乗り越えて、歴史を変えてやる。
そのためには、もう一つの『懸念』にも対処しなければならない。
ヒューゲルを陥れようとする者は城壁の外側だけではなく──城内にも存在するから。
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