8-1 離愁


     × × ×     


 アルフレッド・フォン・タオンが死んだのは、彼とお父様たちがヒューゲルに戻ってきた翌日の朝だった。

 ヘレノポリスで患った風邪を旅の途中でこじらせてしまったらしい。


 前日の大広間での祝宴が彼にとって「最期の晩餐」となったことは、見方によれば幸せなことだった。

 人生の終わりにみんなと会えたわけだから。


 前夜とはうってかわって、葬礼の席は悲しみに包まれていた。


「井納は平気そう」

「いや、辛いよ」

「本当に辛かったら、ああなってるはず」


 エマはシャルロッテの姿を見つめる。

 女商人は喪服が汚れることを気にも留めず、愛すべき老人が埋められたばかりの塚に倒れ込んでいた。

 泣き声はすでにつぶれてしまっている。


「……俺は二度目だから」

「別に責めてない」

「そっか」


 俺とエマは手をつなぐ。


 葬礼を終えた立会人たちはもう街道に向かって歩き出していた。

 俺たちも戻ったほうがいいな。雪がちらついてきた。


 シャルロッテ女史、と声をかけようとしたら、他の人物が先に近づいているのが見えた。

 あれはタオンさんの息子だ。


「シャロさん」

「まだここにいさせて、ヴィル」

「……うちの馬車を残しておくよ」


 若タオンの目も赤くなっている。


 泣いていないのは自分だけ……なんてことはなくて、公女の肉体も時として涙は流していた。やっぱり死体を目にした時は悲しかったから。

 その一方で、アルフレッドという有能な家臣の死を冷静に受け止めている自分もいる。


 これでヒューゲルは駒をひとつ失った。

 あの若タオンは他の若衆より遥かにマシな部類だけど、父親には到底及ばない。

 パウル公の補佐役としても、カミルの後見人としても、公女の相談役としても、今すぐに代わりは務まらない。


 思えば、一周目の「今後」にしても、もしタオンさんが生きていたならどんな展開になっていたのだろう。

 パウル公がトーア侯に捕まった時に、一緒に囚われていたのかな。

 あるいは城主代理となった公女を支えてくれていたかもしれない。


「…………」


 シャルロッテはなおも塚を抱きしめたままだった。



     × × ×     



 ラミーヘルム城に戻ると、シルム伯のおばあさんが公女の妹とトランプで遊んでくれていた。

 マルガレータは八歳になる。おばあさんの接待プレイに気づくことなく、純粋に『ババ抜き』を楽しんでいた。


「あ、お姉様とエマ! ババ抜きやろう!」

「やめておくわ。シルム伯、妹の相手をしてくださり、ありがとうございます」 

「いやいや。むしろ私が遊んでもらっておりますのでね」


 公女おれとシルム伯の会話を尻目に、マルガレータは「ケチ!」とほっぺを膨らませている。可愛い。


 そんな彼女を遠くから見つめている影がある。

 エヴリナお母様だ。


「私のマルガレータ……あんな下品な言葉を覚えてしまって……」


 彼女の育児は軌道修正を迫られていた。

 むしろマルガレータが自分からレールを外れていった、と表現するべきか。

 狭い揺りかごの中で『純粋なストルチェク人』になるはずだった少女は、自由に歩けるようになると育児部屋から脱走を繰り返した。

 持ち前の好奇心は外の子供や廷臣たちに向けられ、彼女はあっというまに同盟語の社会に染まっていった。


 お母様はそれを厳しく咎めたものの、当のマルガレータは意に介さず……逆に「お母様なんて嫌い!」と早めの反抗期を引き起こしてしまう。

 その結果が、末娘のストーカーと化したお母様の姿だ。


 とばっちりを受けたくないので、公女おれはあまり関わらないようにしている。


「……あら、私のマリー。タオン男爵が死んだそうね」


 相手から話しかけられたら対応しないわけにはいかない。


「はい。先ほど葬礼が終わりました」

「喪服も似合っているわ。さすが私の娘ね。ところで……あなたに折り入ってお願いがあるのだけど」

「孫は産みません」

「どうして?」


 どうしても何も絶対にイヤだから。今さら述べるまでもない。

 まず、その段階に入る前に自分なら舌を噛む。男として耐えられない。


「カミルの子供を可愛がってあげてください」

「エリザベートは子供を私に預けてくれないの。不寛容だと思わない? さすが同盟人だわ」


 カミルの奥さん・エリザベートは妙に「勘」の鋭い部分があり、お母様に子供を近づかせないように努めているみたいだ。


 お母様はため息をつく。とても色っぽい。年齢を感じさせない。

 いっそ自分でまた産めばいいのに……あまり親で想像したくないから、考えるのはやめておこう。


「だから孫を産んでちょうだい、私の愛娘」

「お断りします」

「旦那がいないのなら、いっそ祖国から年頃の男を」

「お戯れを。もうすぐ戦争ですのよ。身重となっては、いざという時に城から逃げられませんわ」

「そうらしいわね」


 エヴリナお母様はどうでも良さそうに自身の髪を触る。

 彼女にとっては同盟がいこく人同士の争いだから、さほど興味が沸かないのだろうか。


「そうだわ、マリー」

「ストルチェクには逃げませんから」

「さすが私の愛娘。話が早いわ。マルガレータを連れて行きましょうね」

「わたしのいえはここです。わたしもマルガレータも、カミルもこの城の人間ですわ」

「…………そう」


 お母様はそれから何も言わず、またマルガレータを見つめる役に戻っていった。

 公女はともかく、二人は大叔父の家に逃がしてもよかったかな。


 なにせ今度の相手は、伝説の傭兵隊長『血まみれ伯爵』ロート伯だ。

 どんな規模の攻撃を仕掛けてくるのか、未だに予想がつかない。

 兵営や公社では対策を練ってくれているけど、はたして防ぎきれるかどうか。


「……出しておくか」


 俺は勉強部屋に戻り、手紙を書くことにする。

 もちろんストルチェクから若いツバメを呼ぶわけではない。

 愛すべき旦那様に援軍の催促をさせてもらう。

 貸しを作りたくないから、本当はなるべく頼りたくないし、どうせ別ルートから話は届いているだろうけど……念には念を。


「井納」

「なんだい、エマ」

「あのおばあさんは何者?」

「シルム伯だよ」

「それは知ってる。エマが言いたいのは、あんな人に可愛い妹を預けて大丈夫なのってこと。危なくないの」

「ブッシュクリー大尉が監視を付けているから平気だと思うよ。もうお年寄りでいつも歩きづらそうにしているし、まさか連れ去ったりできないでしょ……え、もしかして触った?」

「あんなに厚着だと触れない」


 エマはこちらのおでこに指を添えてくる。

 自分たちの関係なら可能な距離感だけど、見知らぬおばあさんの顔に触れるのは困難かもしれない。

 まして、ほとんどの同盟人は新大陸原住民に近寄ろうとしないし。


「……今度、あの人の肩を揉んでみようか」

「その手があった」


 彼女はドタドタと勉強部屋から出ていった。せわしないなあ。



     × × ×     



 タルトゥッフェル専売公社は着々と防衛戦の準備を進めていた。

 シャルロッテから穀物の国内供給を任されている若手役員のギュンター・フンダートミリオンが指揮を執り、不作対策の備蓄物資をラミーヘルム城内に集めていく。

 各地の村々で蓄財されていた穀物も公社が買い取った。

 ギュンターの発案により、支払いは金銭ではなく「穀物引換券」で行われたらしい。これが非常に評判が悪かった。なにせ紙切れだからね。


 彼の話では、各地の村でタルトゥッフェル栽培の品質管理を任されてきた公社の担当者たちが説得に回ったおかげで、村人たちは一揆や打ちこわしを取りやめてくれたとのこと。


「日頃から世話になっている公社さんの頼みなら仕方ない」


 村人たちは渋々ながら、穀物の売却に応じてくれたそうだ。

 もっとも全て持っていってしまうと彼らが冬を越せなくなり、かといって下手に残しすぎたら敵の手に渡ってしまうため、そのあたりは地域により調整が行われた。


 やがて冬のラミーヘルム城にとてつもない数量の穀物が運び込まれてくる。

 ギュンターは城内の倉庫に保管できるもの以外を近隣の都市に売り捌いた。


 こうして手に入れた金銭をもって、今度は兵営の将校たちが『募兵』を行うことになる。

 三年前の回収戦争では国内に求人を出したけど、今回は人手が必要なタルトゥッフェルの作付時期に敵が攻めてくると予想されるため、傭兵団を雇うことになった。

 ティーゲル少尉によると、チザルピナなどクレロ半島系や山岳地方を中心に九百名の傭兵と契約を結べたそうだ。


 彼らはアルプス山脈からクルヴェ川を下る形で現れ、三日月湖の湖畔に今も残る「余所者村」の廃墟を拠点とした。

 一六六九年の二月までにヒューゲル兵営は合計三千二百人の兵力を抱えるまでになった。


 内訳は次のとおり。

 正規兵:千二百名。

 衛兵など:二百名。

 傭兵:九百名。

 家臣の私兵:九百名。


 カミルはこれらの将兵を四個梯団と予備部隊に分けた。

 前者がいわゆる会戦における主力となるらしい。

 後者はラミーヘルム城の守備隊や斥候、輸送部隊を担う。


 一周目終盤の時点で、ヒューゲルの総兵力が千二百名だったことを思えば、まさしく隔世の感があった。

 ほとんどシャルロッテとタルトゥッフェル公社のおかげだ。ありがとう。



     × × ×     



 三月十三日。

 雪融けの泥濘を靴底で掻き分けて、コモーレン伯爵家の紋章を掲げる兵士たちが南街道を進んできた。

 梯団旗の数は尖塔から見てとれるだけでも二十本以上ある。


「カミル様、先日の斥候の報告通り、敵兵力は南の都市にて合流を済ませ、一万三千人を遥かに超えているとの」

「籠城だ! 余の傭兵団を北門から城内に入れろ!」


 公女の弟・ヒューゲル公カミルは伝令のティーゲル少尉に叫んでから、手元の石ころを窓の外に放り投げる。

 それに呼応するかのように、城内の砲台がボウリングのボールサイズの鉄球を南に向けて放った。

 まだ射程には入っていないから、威嚇のつもりなのだろう。


 敵兵団の縦隊は困惑の素振りも見せずに三方向に分かれていく。

 一隊は正面のラミーヘルム南門へ。

 もう一隊は三日月湖を迂回して北門へ。

 残りはクルヴェ川を渡船で越えていった。


「あの遊撃隊……城にかまわず、余の領地を荒らし回るつもりだな……」


 カミルは唇を噛む。

 その傍らでは奥さんのエリザベートが心配そうにしていた。


「カミル様、私たちのヒューゲルはどうなりますの……」

「お前は安心していろ。余の兵は必ず包囲を打ち破り、あの遊撃隊を滅ぼしてくれる」

「心強いですわ」


 台詞とは対照的に、二人から若さ由来の自信は失われていた。


 敵兵団に視線を戻せば、すでに南北の敵部隊は陣地の構築を始めている。

 後方には白地のテントが並び、前線には馬防柵のような杭が並ぶ。

 各陣地内を連絡将校の騎馬が行き交っており、連絡網の結節点にあたるテントには独特の旗が立っていた。

 北陣の旗はおそらくコモーレン伯の紋章入り。

 南陣の旗は緋色だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る