7-4 血まみれ伯爵


     × × ×     


 コモーレン伯の残党がルドルフ大公の支援を得て、戦いを挑んでくる。

 もはやヘレノポリスに用はないと踏んだ俺は、エマを残して一足先にラミーヘルム城まで戻ることにした。


 こういった急行時には『親不孝号』が存在感を発揮するけど、あいにくあの快速馬車は大叔父の家に置き去りとなったまま。

 代わりに公社の技術者が設計した『一号汎用馬車』をお父様から借りることができた。

 この馬車は速度こそ出ないものの走行に安定感がある。

 公社では数年前から悪路でも荷台のジャガイモを地面に落とさずに済むように新型のサスペンションを開発しており、その技術を旅客馬車に転用することで、今の俺たちに快適な旅をもたらしてくれている。お尻が床ずれしないのは本当にありがたい。


 思えば、俺にとってお尻の痛くない馬車は長年の念願だった。

 結局は携わる人間の問題であって、ラミーヘルム城の工務方では作れなかったものをシャルロッテが呼んできた技術者は二年かけて完成させてくれた。人材管理の大切さを改めて思い知らされた形だ。

 誰かにできないことは他の誰かができる。そうやって互いに補いあって、人類社会は進歩してきた──この世界でも。

 その具体例の末端に『一号汎用馬車』は名を列ねたわけだ。

 今回の大君議会では、この新型馬車の売り込みも行う予定だったらしいけど……あの様子では不可能だろうな。


「マリー様、本当に我々は城に戻るべきなのでありますか」


 馬車の対面座席に座る、ヒューゲル兵営の青年将校は心配そうにしていた。

 彼の隣ではイングリッドおばさんが寝息を立てている。たまに小石や段差で馬車が跳ねる時には目を開けているけど、すぐにまた夢の世界に戻っていく。

 公女おれは彼女を起こさないように、なおかつ二馬力の足音に負けないように喉から言葉を発する。


「少尉はヘレノポリスのわたしに何を求めますか」

「求めるなど……ただ、ラミーヘルム城の兵営に用件を伝えるだけならば、自分が伝令になれば十分だと存じます」

「どうせ公社の助けを借りることになります。公社の持ち主はわたしでしょう」

「それも花押付きの手紙でこと足りるのでは。お名前は存じ上げませんが、あの女性は聡明な方ですから」


 ティーゲル少尉が思い浮かべているのは言わずもがな、シャルロッテのことだ。

 前回は二人で旅をしていたほどの仲なのに、今回はあの人の正体すら知らされていない。


「たしかに手紙で十分かもしれないわね。でも話したほうが早いこともあります。お金の無心をするのですから、対面したほうが心象も良いというものでしょう」

「いつも一緒にいらっしゃるエマさんとも離ればなれになってしまいますよ。平気なのですか」


 その点は仕方ない。

 外交交渉の席でエマほど役に立つ存在はいないだろうから。公女が連れて行ってしまったら、お父様にあと七年は恨まれてしまう。ただでさえ今のヒューゲルは他国と揉めているわけだし。


「そもそも少尉のほうこそ、ラミーヘルム城に戻りたくないのですか」

「自分は……これよりいくさになります城よりも、マリー様には安全な土地に居ていただきたいのです」

「そう、ありがとう」


 公女がそのように答えてから、しばらく車内は無言になった。

 いわゆるオバケが通ったというやつだ。

 地元の方言ではなく、コンビニでバイトしていた頃に仲の良かった女子高生に教えてもらった。あの子は今は何をやっているのかな。もうおばあちゃんになるのか?


 そんなことを車窓を眺めながら考えていると──いきなり『ズドン!』と尻が落ちた。

 ティーゲル少尉が慌てて「なんだなんだ!」と外に出ていく。


「……マリー様、どうも車体を支えるズスペンジオン(※サスペンション)がダメになったようです! 車軸が折れております!」

「修理できますか?」

「自分には仕組みがさっぱりわかりません! このあたりは教会領ですから、取り急ぎ教会の馬車を借りて参ります!」


 ティーゲルは随伴騎兵から馬を借りて、南北街道を先行していく。

 自分も馬車から降りてみると、たしかに後輪の車軸が折れてしまっていた。耐久性に問題ありだな。


「あらあら。折れてるじゃないの」


 イングリッドおばさんは夢の世界から追い出されたからか、ちょっと機嫌が悪そうだ。


「シャロちゃんの馬車はダメね。こんなボロだと売り物にはならないわ」

「おばさま、失敗は成功のもとと以前話していませんでした?」

「そうだったかしら」

「ピアノを教えてくださった時に。失敗しても気にせずに、次に生かせば良いのですと」

「…………記憶にありませんね」


 彼女は首をかしげる。もしかすると一周目の時だったかな。



     × × ×     



 一六六八年。九月。

 ラミーヘルム城の訓練場では千二百名の兵士が、太鼓のリズムに合わせて「前進」「射撃」「突撃」の訓練を行っていた。

 二つの小ぶりな歩兵梯団が戦列を組んでおり、左右には騎兵と砲兵が控えている。

 城の中まで届くほどの大声で指示を飛ばしているのはブルネン老人だ。自ら選抜した改革中隊の若者を手足のように扱い、下士官として小部隊の管理を任せることで全体の統率を取っている。


 このヒューゲル正規兵・通称『ブルネン部隊』と、各地の家臣たちが保有する私兵隊が、今のヒューゲルが防衛に回せる全兵力となる。


「お察しのとおり、足りません」


 城内の空き部屋の窓から河原を眺めながら、メガネの壮年将校は腕を組んでいる。

 ブッシュクリー大尉。

 今の兵営は彼が取り仕切っていた。未だにベルゲブーク卿が北方から戻ってきていないためだ。タオンさんもヘレノポリスでお父様を補佐している。ボルン卿は体調がよろしくないらしい。


 そういう状況なので、本当はあまり会いたくない相手だけど……公女は仕方なく大尉に『ルドルフ大公の計画』を伝えていた。

 大尉はさっそく対応策を講じている。


「相手がどこから攻めてくるのか。どれほどの兵力を投入してくるのか。まるでわからない以上、我々は後手に回ることになります。籠城はリスクも大きい。なるべく会戦でケリをつけたいところです」

「相手はコモーレン伯の息子を立てているのですから、やはり旧コモーレンを取り戻そうとしてくるのではないかしら」

「あの奴隷がそのように言ったのですか?」

「いえ……わたしの考えです」

「であれば、お言葉ですが、参考にはできません」


 ブッシュクリー大尉はやたらと丁寧に頭を下げてくる。

 この人は礼の作法だけはしっかりしているけど、どうにもわざとらしいからイヤミに思えてしまう時がある。ちょうど今とか。


 二ヶ月前、ルドルフ大公の秘書官からエマが盗み出した情報は雑然としていた。

 エマの弁によれば『図書館に入って、近くの本棚からいくつか本を持ってきた』ようなものだったらしい。

 ワインの受け渡し程度で相手に触れられるのは数秒だからね。仕方ない。

 その限られた情報源の中で、今回の危機に関わりそうな話を二人がかりで抽出したら――残ったのはたったの二件だった。


「相手方の指揮官が『血まみれ伯爵』ロート伯であること、来年の春に仕掛けてくること。他にあの奴隷が手に入れた話はございませんか」

「ルドルフ大公は出不精でぶしょうでほとんど城から出ないらしいわね。あとはピアノが上手で作曲までこなせるそうよ」

「なるほど。ありがとうございました」

「ところでエマは奴隷ではないから、そこは訂正していただけるかしら」

「では、次からエマさんとお呼びいたします」


 お互いの間をオバケがゆっくりと歩いていく。

 大尉は窓の外に目線を戻しており、どうやら公女にはもはや用がないと踏んでいるみたいだ。

 あとは兵営で考えるということなのだろう。


 前回の経験からわかっていたけど、やはりこの大尉は公女マリーのことを家柄だけのバカだと舐めている節がある。

 いや、そのとおりかもしれないけどさ。

 別に崇拝してほしいわけでもなくて、ただ……もうちょっと公女おれを認めてほしい気持ちがある。

 そのためには前回と同じく、何かしらのきっかけが必要なのかもしれない。


「……『血まみれ伯爵』は有名な方なのですか、大尉」

「アントン・ロート・フォン・シェプフング。ヒンターラントお抱えの傭兵隊長です。十五年戦争の影の主役だったと言っても過言ではありません」

「そんな方が攻めてくるのですね」

「だから困っております」


 ブッシュクリー大尉はこちらに向き直ると、公女に『血まみれ伯爵』の話をしてくれる。

 それは一つの伝説だった。


 ヴィラバの小領主の四男坊が、クレロの名門大学を中退してから地元で私塾を始めた。

 一六二五年に十五年戦争が始まると、その男は私塾の生徒たちを率いてヒンターラント大公の兵営に加わった。

 次から次に死者が生み出される地獄の中で、持ち前の知恵を活かして「一方的に殺す側」であり続けた男は、いつしか大公軍の総司令官となっていた。オルミュッツ伯の地位も与えられた。巨大すぎる戦果から『血まみれ』の渾名も得た。

 しかし、その栄達ぶりゆえに味方の旧教派領主から疎まれ、独断専行や私掠が目立つという讒言ざんげんが兵営を埋めつくすことになり、一六三三年には全ての称号を剥されてエーデルシュタット城に幽閉されてしまう。

 ところが十五年戦争末期に旧教派が不利となると、当時のヒンターラント大公は手の平を返して、地下牢の『血まみれ伯爵』に助けを求めた。

 その男は全ての称号を取り戻し、フラッハ宮中伯率いる新教派の攻勢を退け、十五年戦争を引き分けに持ち込んだ。

 彼の武名は大君同盟の歴史に刻まれ、永遠に語り継がれることになるだろう。


「──そんな男が攻めてくる。全く困ったものです」

「そのわりには少し楽しそうに話してくれましたわね、大尉」

「小官は武人ですから」


 大尉は表情ひとつ変えない。

 ちなみに彼の話、途中から前に読んだ『十五年戦争』の歴史書の内容を思い出したこともあって、あまり新鮮味はなかった。

 ロート伯……あの本では称号でオルミュッツ伯と呼ばれていたけど、たしかに主役級の扱いだったな。

 新教派のセルヴヌマ王国がバルト海から攻めてきた時には、単独で三万人の大兵力を組織して追い返した男だ。


「……あんな方が攻めてきますのね」

「攻めてきますな」

「どのように対応しますの?」

「これから考えます。我々にお任せくださいませ。ちょうどシルム伯が来られました」


 大尉は空き部屋にやってきた人物を出迎えに向かう。

 シルム伯ナターリエ。

 かつてのヒューゲル三人衆の中にあって、唯一ヒューゲル家に臣従する道を選んだ方だ。この時代には珍しい女性領主でもある。

 前にイングリッドおばさんから教えてもらった話によると、北方の新教派領主が代々保有していたシルム伯の称号を従妹のナターリエ未亡人に分け与えた……という経緯があったらしい。詳しいことは知らない。

 彼女は二年前の「回収戦争」の終盤にコモーレン・クラーニヒ連合軍を打ち倒した功績から、お家取りつぶしは免れたものの「領地半減」の処分は受けている。

 ギリギリになってから立場を表明するのは日和見主義だとして、ヒューゲル家臣団からの評判はよろしくない。


 大尉と挨拶を交わしてから、やっと公女の存在に気づいたらしい彼女は、特徴的な鉤鼻かぎばなをひくひくさせた。


「……もしかしてマリー様ですか、これはお久しぶりです」

「こちらこそ、ナターリエのおばあさん」

「この頃は人の見分けがつかなくなって。目もぼやけてしまって。年は取りたくないものですね。あなたの若さが羨ましい」


 シルム伯は目をこすってから、こちらに頭を下げてくれた。もう七十代だから跪いたりできない。というか、自分としてもそこまでしてもらいたくない。

 そんなお年寄りを呼びつけるなんて、ブッシュクリー大尉は何を考えているのだろう。

 大尉は公女の目線に気づいてか、メガネを光らせる。


「シルム伯から兵を借ります。二百人を国境に張りつかせておけば、いざロート伯が攻めてきた時に即応できますから」

「なるほど」


 今のヒューゲルには兵士を斥候に回せるほどの余裕がない。シルム兵に斥候を任せておけば、主力部隊を温存できる。


「でも大尉、今から半年も張りつかせて、お金のほうは大丈夫なのですか」

「自弁してくださるそうです」

「それは……ありがたいですわね」


 公女おれがシルム伯に頭を下げると、おばあさんはにこやかに応じてくれた。


「うふふ。どうせ私の代で終わる家ですもの。せめてヒューゲル公のお役に立って、あなたたちの歴史に名前を残しておきたいの」


 そういえば、ナターリエさんには子供がいないらしい。

 この人が死んだら、シルム伯の称号は法的には北方の新教派領主に回収される。

 それが何年先になるかはさておき、いわば隠居料としてシルム伯を継いだ彼女にとっては、どうでもいい話なのかもしれない。


「……大尉、また日和見を決め込まれる可能性はないのですか」

「ご安心ください。シルム伯には来年までラミーヘルム城に居ていただきます。彼女の存在が『保証』となります」

「あなたはさすがですね」


 公女の褒め言葉に、大尉は「ありがたきお言葉」と返してくれた。

 お互いにわざとらしいなあ。

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