7-3 栄光なき孤立
× × ×
窓の外の日が落ちたあたりで、ヨハンのいない北部代表者会合が始まる。
北部の領主たちは今回も古くさい服を身につけていた。
お洒落なのはルートヴィヒ伯くらいで、スカートに似せたズボンが木枠で支えられている。あんなのあるのか。
加えてブロンドの美しい髪をネットでまとめているものだから、ある若者などは彼のことを途中まで女性だと思い込んでいた。
「ぬははは。御婦人は政治を知りませんねえ。今は餓死寸前の民衆でも、二年経てばまた絞り取れますよ」
「御婦人? グリュンブレッター辺境伯、あの方は男性であるぞ」
「……紛らわしい格好をしないでいただきたい!」
周りから勘違いを指摘された若者は、あまりに恥ずかしかったのか、逆ギレした。
それに対してルートヴィヒ伯は、
「おいの服は叔母と姉が決めているからどうしようもないですのー」
と答えていた。
ご自身の趣味ではなかったらしい。
「自分で決めればよかろう! 当主が干渉を受けるなど情けない!」
「グリュンブレッター辺境伯の坊や、内政干渉はおやめいただけますかのー」
「なっ……おのれ、子供だとバカにして! この女もどきが!」
若者はなおも食い下がったが、血の気が上がりすぎたらしく途中で鼻血を出して倒れてしまい、側近たちに別室まで運ばれていった。
一周目ではこんな流れにならなかったから、変な気分だ。
「女もどきだって」
エマがこちらを見ながら笑っていた。
そんなの今さら言われても気にならないよ。もう何十年もやってんだからね。もどきで正しい。
うるさいのがいなくなり、公女の弟カミルが船をこぎ始めた頃から、大人たちの話し合いが本格的に始まる。
大まかに対南部・反ルドルフ大公・大君擁護で連携することが決まれば、あとは当主本人ではなく実務者同士の会話が中心となった。
ヒューゲルで言えば、ハイン宰相の役割にあたる。
やがて今夜はお開きの流れになったあたりで――俺は歴史の変化を自覚した。
ルドルフ大公が来ていない。
一周目では北部諸侯を牽制するために、わざわざ宮殿に乗り込んできて『四つの約束』を宣言していたのに。
──同盟内の平和、信教の自由、大君権限の強化、現在の大君を支えることを約束する。
まるでオペラのような語り口で、あの男は北部諸侯の危機感を一時的に解きほぐし、北部の結束を揺るがしてきた。
ただ一人、ヨハンにだけは己の野心をチラつかせておきながら。
今回も来るだろうと踏んでいたのに……なぜ来ないんだ。
おかげでシャルロッテに入手してもらった、コーカサス産の珍しいワインが無駄になってしまった。
「エマ、ルドルフ大公が」
「来なかった」
「なぜだろうね。やっぱりヨハンがいないから……?」
「せっかく殺せるチャンスだったのに」
それはともかく。今夜はあの男の腹の内を探るつもりだったから、空振りしてしまった感が拭えない。
傍聴席で居眠りしそうになるのを必死で堪えていたというのに。
前回と同じような話を二度も聞かされるのは退屈だ。全くもって。
「どうするの井納。明日も待つ?」
「いっそ会いに行くべきかもね。日中の大君議会まで」
「ツテなんてないでしょ」
「休憩時間にこっそり近づいてワインを渡そう」
「それだと逃走経路に不安があるけど」
「なんで殺すことが前提なのさ」
二周目のエマは闘争本能が強すぎる。
前にも言ったけど、ルドルフ大公を殺せば済む話じゃないだろうに。
「……エマは井納より酷いものを見てしまったから」
「どういうこと?」
「マリー。宿舎に戻るぞ」
打ち合わせを終えたお父様が近づいてくる。パウル公は酒を抜いているので元気だけど、傍らの老臣たちは目をこすっていた。
タオンさんに至っては足取りがおぼつかない。もうお年からだなあ。
「タオン卿、しっかりなさいまし」
「面目ございません」
廷臣たちに支えられて、タオンさんは恥ずかしそうにしている。
そういえば、たしか前回は今年の年末に……老人が風邪をひかないように、ラミーヘルム城からタオン邸に世話係を送っておこう。
ボルン卿の例を持ち出さずとも、
まだまだ死んでもらうわけにはいかない。タオンさんにも、他の家臣たちにも。
× × ×
翌日。ヘレノポリス大聖堂の座席において、パウル公は苦悶の表情を浮かべていた。
彼の左右ではタオンさんが『壇上の人物』に鋭い目を向けており、ハイン宰相は両手の指をこね回して思索にふけっている。
名目上のヒューゲル公・カミルは目の前で何が起きているのか、いまいち理解できていないようで、下手な質問をお父様にぶつけてしまったのか返答の代わりに頭を殴られていた。めったに見られない光景だ。お父様に付き従っているエマもビックリしていた。
大君議会の全体会議二日目が始まり、一つ目の議案が「賛否両論」で後回しにされた直後のことだった。
大君議会の議長・ウビオル大司教が「席にお戻りなさい」と咎めても気にすることなく、ルドルフは並み居る当主たちに少年の名を紹介した。
「皆さん。こちらにいるのはヒューゲル=コモーレン伯の末子・ヨーゼフ君であります。本来ならば領地で収穫を迎えているはずが、あろうことか不埒者に追い出されてしまっている!」
ルドルフ大公は半笑いでパウル公を指差した。
途端に一部の南部領主からお父様を非難する声が相次ぐ。あらかじめ段取りを決めていたのは明白だった。
しかしながらパウル公は言い返せない。法的な手続きや根回しをせずに力づくで「未回収のヒューゲル」を取り戻したことは否定できないからだ。
我々にもやむを得ない理由があったとはいえ、大君勅令の
ヒューゲルの方針では『タルトゥッフェル専売公社』のサービス提供を引き換えに、各国には黙認してもらうつもりだったようだけど……ルドルフ大公に先手を打たれてしまった形だ。
苦悶の表情を浮かべたままのパウル公に代わって、キーファー公領のヴェストドルフ大臣が立ち上がってくれる。
「登壇者! そのような個別の事案は小委員会で扱うべきではないかね! 陪臣化は心苦しくも各地で公然と行われているのだから、ここでは改めて防止するための法案を練ろうではないか!」
「他人のふりで味方するとは卑怯者だなあ、キーファーの老臣。主君の結婚相手を守ろうとする姿は美しいが、所詮は我田引水にすぎん」
ルドルフ大公はあっさりとヴェストドルフ大臣の野次を切り捨てた。
彼は小太りの身体を巧みに操り、身振り手振りを交えて、お父様の糾弾を続ける。その顎は横から見ると鋭利だった。
「皆さん。あちらの不埒者はヨーゼフ君の父兄を殺しただけにとどまらず、クラーニヒ伯の土地も不当に支配している。シルム伯から土地を半分盗み、その上で家臣とした。我はあの男を許せません。すぐに原状に戻すべきだ!」
「そうだ!」「そうだ!」「そのとおり!」
「もし許容しないならば、我はヨーゼフ君に味方する。仮にあの不埒者に与力する者がいたとすれば、もちろん敵とみなす。当然でしょう」
その台詞はお父様だけでなく、他ならぬ北部諸侯にも向けられていた。
わかりやすい話だった。
ルドルフ大公の姿勢は前回から変化していない。彼は将来的に敵となる『北部連盟』に楔を打ち込もうとしている。
前回は日和見の北部諸侯を安心させるために南北の融和を唱える芝居を打ってきた。
今回はパウル公を「社会的な悪」とすることで、北部からヒューゲル家を孤立させるつもりだ。
仮に南北街道の中継地・ヒューゲル公領を『北部連盟』から除外できたら、ルドルフ大公にとってはキーファー公の喉元にナイフを突きつけた形になる。
「なんてこった……」
思わず声に出てしまった。
周りの夫人たちが怪訝な目でこちらを見てくるので、
従卒のティーゲル少尉から例のワインを受け取り、手筈通りに大聖堂の外でルドルフ大公が出てくるのを待つ。
エマとは休憩時間になったらすぐに合流するように伝えてある。
あの場内の様子ではまともに会議なんて進められないだろうから、ウビオル大司教は一旦散会を命じるはずだ。
チャンスはすぐに来る。
「井納」
その前にエマが走って来てくれた。ティーゲルがいるので日本語だ。
「エマ。ルドルフはどこの門から出てくる?」
「たぶんこっち」
「ワインを預けるよ」
「任せて」
三人で時を待つ。
あまり身構えていると気が持たないので、適当にエマとしりとりをしていたら、さすがは大公だけあって諸侯の誰よりも先に出てきた。
ヒンターラント大公ルドルフ・フォン・ベッケン。
鈍色の短髪を脂ぎらせている中年男性。礼服の黒に襟巻の白が映えていて、金モールといい服装のセンスだけは認めてやりたい。
やがて「破滅」をもたらす男、この世界でも有数の名門に生まれた者が何を考えているのか──ようやく確かめる時がきた。
「大公殿下」
「ん? 秘書官、あのお嬢さんは……なるほどヒューゲルの」
「先ほどは我が父が失礼致しました。その直後で恐縮ではございますが、こちらは我が母から挨拶の品でございます。コーカサスから取り寄せました」
「ほほう。では、ありがたく頂くとしよう。家同士が揉めていても挨拶は欠かさない。今どきすばらしいことだね」
ルドルフ大公は笑みを浮かべて、従者に受け取りを命じた。
エマの手からワインが従者の少年に手渡される。
これでは何の意味もない。また空振りになった。くそう。ツーストライクだ。
「殺す?」
だからダメだって。エマ。
そもそも返り討ちにされちゃうからね。向こうはたくさん引き連れているのに、こっちはまともに戦えるのティーゲル少尉だけじゃないか。
「そういえば、お嬢さんの旦那の姿が見えないね。まだ北にいるのかね」
なぜかルドルフに話しかけられる。
あっさり会話終了になったと思っていたから、ビックリだ。
まだチャンスはあるかもしれない。
「ヨハンは北におります。反乱の後始末がついていないそうです」
「そうか。では彼に伝えておいてくれたまえ。我が会いたがっていたと」
「ありがたきお言葉です。きっとヨハンも喜びます」
「オイオイ! 喜ぶわけないだろう。……アンナ、残しておけ」
ルドルフ大公は独りで笑ってから、先ほど秘書官と呼ばれていた女性に記録を命じた。どうやら伝記のネタを収集しているらしい。
いっそ、こっちを狙ってみようか。
この状況では奴隷扱いのエマを大公に近づけるのは簡単ではないけど、あの女性なら触れられるかもしれない。
彼女が太田牛一なら、得られるものはありそうだ。
「……エマ。こちらの方にもプレゼントを」
「え、何を出すの。エマには何もないけど」
エマはビックリしている。ちょっとでも離れるとコミュニケーションが不完全になってしまうなあ。
「この宝石を渡せばいいから」
アンナさんはあまり喜んでいなかった。こんなの珍しくもない地位の方なのかな。
「いや、たぶん表情に出てないだけ」
エマが日本語で教えてくれた。
よし。これでルドルフ大公のことをちょっとは知ることできた。
「もう行かねば。また会おう、ヒューゲルのお嬢さん」
「大公殿下もお元気で」
「我の心配をしている暇があるなら、お父さんの心配をしなさい。ああ。もしラミーヘルム城が落ちることがあっても、君だけは助けてあげるように手配しておいてやろう。だから安心して心配するがいい」
ルドルフ大公は余裕あふれる笑みを浮かべて、側近たちと共に馬車の中に消えていった。
その列の中には先ほどのコモーレン伯の末子の姿もあった。
ヨーゼフ・フォン・ヒューゲル=コモーレン。
カミルと同い年の少年は、俺の知るかぎりでは――今もラミーヘルム城の地下室に囚われていたはずだ。
しかしながら、目の前の彼は間違いなくヨーゼフだった。子供の頃からパーティーや行事で何度も会ったことがあるから、疑いようがない。
「…………」
少年は公女の姿を捉えていたけど、何も言わずに二台目の馬車に乗り込んだ。
ルドルフの台詞といい、どうにも胸騒ぎがする。
井納純一の知らない歴史が始まろうとしている。これからどうなるのか、まるで予想がつかない。
「ルドルフはあの少年に兵士を与えようとしてる」
「……ありがとうエマ」
未来は読めないけど、
何とかしてみせよう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます