7-1 モザイク


     × × ×     


 ラミーヘルム城の廊下には大きな鏡が掛けられている。

 パウル公の話によると、この姿見はポテレ市のガラス工房で作られたもので、十五年戦争の時に先代公が占領地から持ち帰ってきたらしい。

 本来は売り払われる予定だったのに、パウル公の母(公女の祖母・故人)がやけに気に入ってしまったために一枚だけ残されたという。

 今では外見に自信のある城内の女中たち……あとはイングリッドおばさんやシャルロッテが、たまにポーズを取って遊んでいたりする。


 公女おれはもちろんそんな遊びはしないけど、この頃は通りがかるたびに二度目の成長期の終わりを感じていた。

 まぶたの形、まつ毛、瞳孔の色合い。なめらかな鼻、控えめな唇、あごに至る輪郭。右手の指先。鎖骨。

 ふくよかな双丘がドレスにより強調されている。ゆるめのコルセットからお尻にかけてのラインは針金で誇張され、まるで傘のよう。

 父から受け継いだ低身長のせいで身体測定の数字には現れづらいけど、エヴリナお母様を彷彿とさせる公女の肉体は、どんどん一周目の終わり頃に近づいてきている。


 それは否応なしに世界の『破滅』を予告していた。

 まさか自分が終末時計になるなんて、日本でニュースを見ている時には想像すら出来なかったな。


 何となく公女の姿から目を逸らすと、マリーの後ろにエマが立っていた。


「井納、鏡の前でなに自惚うぬぼれてるの。ずっと見てたけど」

「いやいや。うぬぼれてないよ、というか俺の身体じゃないから! うぬぼれられないし」

「……ほら。ちょっとうぬぼれてる。わたし可愛いって」

「えっ」


 彼女の手が、こちらの首筋を冷やしてくる。

 つまり彼女は井納の心を読んでいるわけで、そんなバカな。

 マリーの姿を見つめながら『自分』のことを可愛いと悦に入っていた?

 内心にそういう点が少しでもあったのか?

 いやいや。ありえないから。考えられない。


 当のエマはこちらの反応を楽しむように、眠たげな「したり顔」を浮かべていた。


「ぷぷぷ。冗談」

「あーもう! 変な話はやめてよね。君の話が信じられなくなったら、色々とややこしくなってくるんだからさ」

「井納は気にしすぎ」

「当たり前だよ」


 アイデンティティがクライシスしてしまう。勘弁してほしい。

 不公平な気がしたので、エマの背中に手を突っ込んで肝を冷やしてやったり、逆に彼女にドレスのスカートをめくられそうになったりしていると……妙なタイミングで「あと七年しかない」とささやかれた。

 目の前でじゃれあっていた二人の少女がピタリと止まる。


 あと七年。

 つい先日、四月生まれのマリーは十八歳になった。

 あの「未回収のヒューゲル」回収戦争から二年二ヶ月が過ぎたことになる。


 ヒューゲル公領は約二倍の広さとなった。

 新たに加わった土地の半分はカミルの所有地となり、ヒューゲル政府の財政を支える柱となりつつある。

 もう半分は先方三家など家臣団に分配された。公女おれも少しもらった。


 もっとも土地の徴税者が何者であれ、今やヒューゲル全地域にタルトゥッフェル公社のスタッフが赴任しており、狡猾な専売契約により利益を拡大させている。

 見向きもされなかった荒れ地が芋畑となり、さらに去年から油菜(なたね油)などの栽培支援も始めたらしい。


 とはいえ、公社は回収戦争でほとんどの貯金を失っている。約四年かけて築いてきたものが一旦なくなったわけで、シャルロッテによると「まだまだ再建途上」なのだとか。

 まあ、その辺は彼女に任せておけば何とかしてくれるだろう。


「問題は兵営なんだよね……」

「人手が足りてない。ぽっちゃりデブ(※ボルン卿)が悩んでた。またエマのポスターを貼るべき」

「あれではもう来ないよ」


 公女おれはポスターに描かれていたハーフナーさんのマネをする。

 君を求めている! とエマを指差す。

 彼女は宇宙人のように指先を合わせてくれる。トモダチ。


 二年前、ヒューゲル兵営には三千五百人の兵士がいた。

 生きるために兵士になった余所者たちは命がけでヒューゲルの回収を成功させてくれた。

 そして、自分の村に戻っていった。タルトゥッフェルの作付けを行うために。ひいては生きるために。

 今ごろはインゲン豆に水をやっているはずだ。


 必然的に兵営は人不足に陥った。それまで余所者を抱えきれないと悩んでいたのが嘘のようだった。

 今は千人くらいになっているのかな。

 ヨハンが『慈悲救済軍』打倒のために連れていった梯団と合わせたら、どうにか二千人の大台になる。


「一周目の頃より多いけど、守るべき土地も広くなったからなあ」

「ルドルフ大公の兵力は八万人」

「比べちゃダメだよ」


 あれは初めからヒューゲルだけで倒せる相手じゃない。

 自分たちの国力を向上させながら、前回と同じように他国と協力していかないと。中国史の合従という奴だ。昔、漫画で読んだ。


 その点で今年の七月に行われる予定の大君議会は重要になる。

 前回の北部連盟はリーダーシップの欠如でまとまりに欠けたから、今回は北の大国・アウスターカップを引き込まないと。

 それにヒューゲルにはもう一つ、廷臣たちがよく言うところの「外交的懸案」がある。

 具体的には惣無事令ラントフリーデ違反を許してもらうことだ。

 大君の許可なくヒューゲル三人衆を滅ぼしてしまったからね。周辺国の承認も得ていないから、かなりタフな交渉をヒューゲル政府はすることになるだろうな。


「エマ……君は忙しくなるよ」

「井納は暇そう」

「お姫様だからね」


 おそらく能力を見込まれてパウル公やハイン宰相に連れまわされるはずのエマと比べたら、マリーなんてニコニコ笑うくらいの役目しか持たない。

 せいぜいヨハンの話し相手か、会議のはなになるだけだ。前回もそうだった。


「やっぱり自分のことを可愛いと思ってない?」

「思ってないから! エマなら井納純一の姿を知ってるだろ。あんなのだよ」

「エマは嫌いじゃないけど」

「え……ありがとう」


 まさかの反応にトギマギしてしまう。

 もしエマが日本に生まれていたら、井納おれを恋愛対象に「それはない」ないのか。辛いなあ。

 鏡の中のマリーもがっかりしていた。


「ところで、井納は相変わらず忘れんぼだね」

「がっかりしている時に追い討ちをかけないでほしいな」

「ヘレノポリス行きは大きなチャンスなのに、全然気づいてないから」

「チャンス……ヒューゲルをもっと強くするための? なるほど公社の取引先を増やせるかも」

「井納はルドルフ大公に会える」


 彼女の発言に、俺は脳内を揺さぶられた。

 前回の流れのままなら、たしかに公女はヘレノポリスでヒンターラント大公ルドルフと対面できる。

 その時に「何」ができるか。


「つまり、殺そうってこと……?」

「あのおっさんが元凶」

「……ちょっと考えさせてくれるかな」


 もしルドルフ大公を殺したなら。

 彼の大君即位の夢は消えてなくなり、大君ハインツ二世は窓から落とされずに済む。

 南北戦争も起きないだろう。

 代わりにヒンターラントとヒューゲルが殺し合うことになる。彼我の兵力の差は歴然なので、すぐにラミーヘルム城は落とされるはずだ。

 それでも「破滅」を起こさずに済むなら、管理者の期待には応えられるのか。


「……ねえ、ルドルフ大公はなぜ「破滅」を起こしたのかな」

「わからない。井納の記憶に無いから」

「そこをはっきりさせないとダメかもしれないよ、エマ」

「なんで?」

「ほら」


 俺は彼女の手を引き寄せる。


 もしルドルフ大公にある種の破滅願望があるならば、彼を殺すべきだ。

 前回の彼は「破滅」を引き起こすために魔法使いを投入したことになる。


 しかしながら、もしも「破滅」が事故だったなら。

 例えば、南北戦争の勝敗を決するために虎の子の魔法使い部隊を投入したら……あまりに強すぎる魔法のせいで、不本意ながらも世界が「破滅」してしまったとしたら。

 そうだったとしたら、ルドルフ大公を殺したところで次のヒンターラント大公がスイッチを押すだけの話になる。


 ヒンターラントそのものを滅ぼさなければ「破滅」を止められないなんてことになれば、ルドルフ大公を殺してヒューゲルが滅ぶのはミスチョイスだ。

 やはり北部諸侯と力を合わせて、ヒンターラントに対抗するのが正しいということになる。


「……とにかく、エマにはルドルフ大公の身体に触れてもらうしかないね」

「その言い方は何かやだ」

「方法も考えないとね」


 かつてヨハンの本心を読み取ってもらった時のように、ワインでもプレゼントとしようか。

 もしくはマッサージ師に扮してもらう、あるいは夜這いという手がないわけでは……。


 エマとは手をつないだままだったので、鏡の中の公女おれは思いっきり脛を蹴られていた。

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