6-4 未回収のヒューゲル


     × × ×     


 一六六七年は前回と同様に『戦争の年』となった。

 大君同盟の街道・交易路・水路は内乱で切り刻まれ、衣・食・住の不足を社会全体で補えずにいる。


 北部では一揆勢『慈悲救済軍』と諸侯連合が一進一退の攻防を繰り広げていた。

 西部では大君即位の野望を抱くライム国王・アンリ五世が国境付近を制圧。本国で反乱が発生するまでフガフガと高笑いしていた。

 東方に目を向ければ、新年早々にストルチェク国王・レシェク三世が崩御した。王冠領の継承を巡り、五大老マグナートの対立は深まるばかり。

 一部の改革派シュラフタが国王選挙の実施を求めて反乱を起こし、結果的に北の大国・アウスターカップ辺境伯の介入を招いてしまうなど、ストルチェク国内の情勢は混迷を極めつつあった。


 歴史は一周目のわだちをなぞるように進んでいる。

 前回とほとんど変わっていない。

 例外はおそらく……ヒューゲルだけだ。



     × × ×     



 同年二月。

 ヒューゲル政府は北のコモーレン伯・南のシルム伯・西のクラーニヒ伯に退去勧告を送った。


『不作で苦しんでいる市民を救わないばかりか、あまつさえヒューゲルに貧民救済を押しつけるようなクズに統治者を名乗ることは許されない』

『城館と領地の返上を求める』

『一週間以内に退去を行わなければ、実力をもって排除する』


 ヒューゲル三人衆は慌てて交渉の使者を送ってきたけど、カミルとパウル公は取り合わなかった。


 相手方は「もはや交戦やむなし」と悟ったのだろう。

 彼らは援軍を請うために同盟各地の親戚・縁者に使者を送り出し――そのうちの大半があらかじめ街道で待ち伏せしていたヒューゲル兵に捕らえられた。


 わずかに包囲網を突破できた使者たちも、本来の役目を果たせなかった。どの友好国も救援部隊を送るほどの余裕がなかったらしい。


 約束の一週間が過ぎた。

 三人衆は決断を迫られる。


 コモーレン伯ユリアンはヒューゲルと刃を交えることにした。

 おそらく状況から後詰め(援軍)が期待できないと踏んだのだろう。自ら三百人の全兵力を率いて、他の三人衆と合流するべく城館から打って出てきた。


 我らが兵営は相手方の目的を挫くために、約八百名からなる梯団を送り込んだ。

 指揮官は歴戦のアンパンマン・ボルン卿。


 数日後、両軍はヒューゲル北部のタイクンバウム平原で相見あいまみえた。

 コモーレン伯は兵力差にめげることなく、果敢に騎兵突撃を仕掛けてきたものの……ボルン隊の巧みな方陣と一斉射撃によりあっけなく命を散らすことになった。

 翌日には城館も落ちた。


 これらの「戦果」が、実はコモーレン伯による命がけの囮だったと判明するのは、次のフェイズ――タオンさんの息子がクラーニヒ伯と対決した時になる。


 クラーニヒ伯ベルンハルトは退去に応じず、城内で母方の遠縁にあたるフロイデ侯(南部の大領主)の救援を待っていた。

 若タオンは約千人の兵で相手の城館を取り囲んだ。

 のちに彼は語る。


「我が父の私兵隊を除けば、味方のほとんどが余所者上がりの新兵でした。あれではまともに攻城戦など行えません」


 よってタオン隊は秀吉の中国攻めよろしく『兵糧ひょうろう攻め』を選択することになった。

 相手の城を取り囲み、補給路を断つことで水不足・穀物不足を発生させる。あとは相手が音を上げるまで待つ。

 時間はかかるけど、不作の翌年には効果的な戦術だ。


 ところがどっこい。

 あろうことか先に音を上げたのはタオン隊だった。


 ある夜、包囲部隊のテントが火矢を浴びた。

 さらに食料庫まで焼き払われてしまった。タルトゥッフェルもソーセージも失われた。辺りには芳しい匂いが広がったという。


 下手人はコモーレン伯の息子たちだった。その手勢は百五十人。

 彼らは亡き父から兵力の半分を与えられ、密かにクラーニヒ伯との合流を目指していたらしい。

 その目的は達成された。

 コモーレン兵はタオン隊が火災で混乱している隙に城館に入り、クラーニヒ兵と合流して五百人の部隊を作りあげた。


 たった五百人とはいえ、彼らは旧来型の傭兵部隊や一族郎党を中核とする「職業軍人」の集まりだ。

 新兵ばかりのヒューゲル兵とは技術・経験の面で比べものにならない。騎兵や大砲の扱いにも熟達している。


 タオン隊が立て直しのためにラミーヘルム方面に退いていくと、相手方は城を捨てて南のシルム伯との合流を目指した。

 ヒューゲル三人衆がまとまれば九百名の梯団を組める。

 この時、コモーレン・クラーニヒ兵は道すがら村々からタルトゥッフェルや穀物を巻き上げていった。

 そもそも彼らが二度も城を捨てているのは、ずっと一ヶ所に留まっていたら穀物不足で兵を維持できなくなるからだ。


 逆にヒューゲル兵営としては、自国領(および将来的に自国領となる村)から恨まれたくないので、そういう蛮行はできない。

 なるべく公社のタルトゥッフェルがあるうちに戦いを終わらせたい。なにより作付けの時期が迫ってきている。


 必然的に両者は持久戦ではなく『決戦』を行う方向で進路を固めていった。


 二月十七日。

 ヒューゲル西部・カスターニエ村の郊外に、両陣営の旗がはためいた。


 ヒューゲル兵は北から迫ってくる相手方を出迎える形で布陣していた。三列横隊のマスケット兵・約千人が、雪丘の稜線をなぞる形で不規則に並ぶ。

 彼らの目の前には窪地がある。これは自然の堀として利用されていた。

 故人曰く「戦いは高所を取った者が有利」だ。


 寄せ手のコモーレン・クラーニヒ兵は不利を悟ったという。ところが補給不足の問題からカスターニエ村を通り過ぎることは不可能だった。別方向から村に攻め入る迂回案は、ヒューゲル兵を現在地に留めておける材料がないとして将校たちに危険とされた。

 彼らは四つ目の手段として――新兵ばかりのヒューゲル兵の士気を瓦解させようと二門の大砲を用いることにした。


 鉄の砲弾は三列横隊を各所で崩していく。

 しかし、ヒューゲル側の指揮官代理・ブルネン老人の叱咤により逃亡者は発生しなかった。隊列の穴はすぐに補充されていく。稜線に隠れるなどの対策も取られる。


 コモーレン・クラーニヒ兵の砲撃が始まってから二時間後。

 苛立つクラーニヒ伯の元に報告が届いた。


「すぐ近くまでシルム伯の兵が来ています。合流できれば兵力差を埋められます」

「なんという僥倖!」


 彼は兵営の将校たちと鬨の声を上げたという。

 彼らはシルム伯との合流を果たすために南下を急いだ。


「カスターニエ村を落とすのに何日かかるか不明だが、シルム兵と合流できれば今夜のパンにはありつける。あの村は明日また改めて攻めればよい」


 当時のクラーニヒ伯は部下たちにそう語ったという。


 その判断が仇となった。


 夕刻、南から街道を進んでいたシルム兵・三百名は、北から友好的に近づいてきたコモーレン・クラーニヒ兵に鉛玉を浴びせた。

 シルム伯はすでにヒューゲル政府の退去命令に従っていた。

 その上で返り咲きを果たすために「戦果」を上げようとしていた。

 クラーニヒ伯から送られてきた伝令には味方するとうそぶいて、本当は自分の兵で彼らを叩きつぶすつもりだった。


「おのれシルムの女狐め! その行い、末代までの恥とせよ!」


 クラーニヒ伯は絶叫し、兵をまとめて逃げ延びようとする。

 しかしながら、彼らの背後にはブルネン率いる『改革中隊』百二十名が忍び寄っていた。

 ブルネンたちは混乱の渦中に散兵線から鉛玉を叩き込む。

 サンドイッチのように挟まれたコモーレン兵・クラーニヒ兵はついに崩壊をきたした。兵士たちは散り散りになって逃げていく。


 もはやこれまで。


 クラーニヒ伯たちは『改革中隊』に投降した。

 彼らは自分たちに止めを刺した部隊が、みすぼらしい格好の若者ばかりであることにビックリしていたという。



     × × ×     



 こうして半月にわたる「回収戦争」はヒューゲル公の勝利に終わった。

 兵士たちは休む間もなく、次なる戦い――タルトゥッフェルの作付けに投入されることになる。

 雪解けの泥濘に苦しめられながら、まずは畑を耕してから、公社から送られてくる「種芋」を荒れ地に植えていく。

 春蒔き小麦や他の作物の作付けも進められる。


 その傍らで、両陣営の死者たちが担架や棺桶で運ばれていた。

 ティーゲル少尉の話では、コモーレン・クラーニヒ兵から二百人以上、ヒューゲル兵から百人以上の死者が出たという。

 彼らの死は同僚から家族に伝えられ、家族は身内の死体を回収するためにはるばるタイクンバウムやカスターニエまで荷車を引いてくる。

 根無し草は近隣の墓地で埋葬された。名前の刻まれない石がたくさん並ぶことになり、やがて雑草に埋もれていった。



     × × ×     



 半年後。九月。

 カミルはヒューゲル公の名をもって『戦勝記念祭』の開催を布告した。

 あまりの欠乏ぶりから控えられていた祝いの席が、晩夏の収穫期を経て、ようやく解禁となった。


 ラミーヘルム城の城内町では、あらゆる階級の人々がビールを片手に笑みを見せる。兵士たちには商人の株仲間から干し肉が振る舞われ、タルトゥッフェル公社はフライドポテトを街中で提供している。

 そこに地元民・余所者の区別はないようで、コモーレン出身だというヒューゲル兵が市民から胴上げされていた。

 路地から人の姿は少なくなり、みんなが表通りや広場で勝利を祝い、無邪気な笑い声を上げている。


 賑わいの中にはブルネン老人と『改革中隊』の若者たちの姿もあった。前回は街の人々に嘲笑されながら処刑された彼らが、今回は戦勝の英雄と称えられている。

 フライドポテトは盛りに盛られて、各所の戦功話も盛られていく。


「カスターニエで六人、いや七人やった」

「クラーニヒでは火矢をかいくぐってな……」


 昼も夜もない祭りは城内の大広間でも繰り広げられていた。

 先方三家から提供された秘蔵のワインが飲み比べられ、床には泥酔した将校や廷臣たちが倒れている。

 彼らは起き上がるたびに新しい酒を欲した。

 二日目の夕方の時点で、まともに呂律を回せているのは公女おれたちを除けばタオンさんとイングリッドおばさんだけだった。


「先代公の大願成就を祝って!」

「お父様の微笑みに!」


 彼らは何度も乾杯を繰り返している。

 先代公が全てを賭けた十五年戦争においても手に入らなかった「未回収のヒューゲル」がやっと回収できた。

 先代公と沓を並べたタオンさんにとっては、喜びもひとしおなのだろう。イングリッドおばさんにしてみれば、亡き父の悲願にあたる。


「井納は他人事みたいだね」

「究極的には他人事だからね」


 大広間の片隅に椅子を並べて、公女とエマはマイペースにワインをいただいていた。


 どうにも、みんなのハッピーな空気に身を任せられない。

 せっかくヒューゲルの領土を拡大できたのに。富国強兵を一段と進められるようになったのに。

 前回もそうだったけど、ああいう風に犠牲者が出てしまうと……どうしても心持ちが本来の井納じぶんに寄ってくる。別に日頃はマリーに寄っているわけではないけど、どこかテレビの向こうを眺めているような気分になってしまう。


 エマに言わせれば「自責の念から逃避しているだけ」であり、まさにそのとおりだった。

 マリーの行いが、めぐりめぐって他人に死を与えた。そのことが自分の中でおりとして沈んでいる。

 もう二度目だからわかっているはずなのにな――自分の理想を満たした、パーフェクト・ゲームなんてありえないって。

 何を犯してしまっても、人が死に至ることがあっても、残りのみんなの死を防げたら及第点だって。


「……前任者たちはこの罪悪感と向き合えたのかな」

「エマにわかるはずないでしょ」

「次に管理者と会うことがあったら、あいつが消える前に訊いてみるよ」

「あれは何者なの?」

「たぶん俺たちには概念すら捉えられない気がする」


 二人でフライドポテトをつまむ。

 ジョフロアさん、作りすぎて疲れているな。ちょっぴり塩辛い。


「……罪悪感には井納純一として向き合うべき」

「うん」

「その上でマリーとしてやるべきことはやるべき。でないと、いつか取り返しのつかないことになりかねない」

「そうだね」

「エマも井納も死にたくないでしょ」


 エマは指先のポテトを公女の口に突っ込んできた。

 ひょっとすると女の子に「あーん」されたのは初めてかもしれない。

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