6-3 生存戦略


     × × ×     


 一六六六年十月末日。

 ラミーヘルム城内町の路地には身寄りのない人々が溢れていた。

 廷臣の報告によれば、老若男女で三百人は下らないという。


 彼らのほとんどは周りの国々から逃げ延びてきた者たちだ。

 今日の食べ物を求めてヒューゲルまで来たものの、公社からタルトゥッフェルを売ってもらえるだけの身銭は持たない。

 仕事にありつけた幸せ者や大切なものを売り渡した者以外は、城内教会の牧師から分け与えられた売り物にならない芋で心身を保っている。

 一部の者は生きるために押込強盗に身を落としていたらしい。しかし、まとめて追い出されることを危惧した身内により「処断」された。


 ラミーヘルム市民はそんな新参者たちを哀れみながらも、株仲間の有力者を通じて「城外に追い出すべき」との声をカミルまで届けてくる。

 冬の足音が迫っている。

 今追い出せば、逃散民がどうなってしまうのか、市民にわからないわけがない。


 しかしながら、城内にいたからといって助かるとも言いきれない。身を寄せあって眠るにも限度がある。

 彼らは暖を取るためにゴミを燃やして火事を起こすかもしれない。

 凍える子供の身体を温めるために決死の覚悟で市民の家に押し入ってくるかもしれない。ついでに市民から財産を取り上げてしまう可能性もある。前例はある。

 市民は信用できない余所者の生命より身内の安全を守るべきだと考えていた。それを「優しくない!」と責められるほど、俺は傲慢なお姫様になれない。


 ヒューゲル公カミルは以前から余所者を追い出したいと公言していた。

 三月に結ばれたばかりの奥さん・エリザベートが反乱を怖がっていたこともあり、時にはイキるために「余が追放の指揮を執る! 抵抗するなら切り殺してくれる!」と胸を張っていた。


 彼の蛮行を止めていたのは他ならぬヨハンだったらしい。

 あの人らしからぬ慈悲深さだけど、タオンさんによると「ヨハン様は敵兵が増えることを望まなかったのです」とのことだった。

 つまりヨハンは、ヒューゲル三人衆の領地から逃げてきた者たちを追い返すと、相手方は彼らを兵士・人足にするだろうと考えていたようだ。


 そんなヨハンは先月北に向かってしまい、代わりにタオンさんがカミルにブレーキをかけている。


「早期の併合策はなくなったのだ! なぜ余の教会が余所者にエサを与えなければならん! アルフレッド、あいつらをコモーレンに追い返してやれ!」

「お言葉ですが、あちらに食べ物がないからカミル様に助けを求めてきたのです。追い出してしまえば、みんな死んでしまいます。中には女子供もおりますぞ」

「弱い奴は死んでも仕方あるまい。現に同盟では不作で何万人も命を失っている。世の習いではないか」

「お戯れを」


 もはやブレーキは効かなくなりつつあった。

 仕方ない。

 ずっと迷っていたけど……踏み出さないで後悔するより、踏み出してから後悔することにしよう。


「カミル」

「お姉様もアルフレッドに命じてください! あの余所者たちを城から追い出せと! お姉様の命令なら逆らわないはずです!」

「あの者たちの処遇について提案があるの。詳しい話はシャルロッテ女史から聞いてもらえるかしら」


 公女の紹介を受けて、傍らにいたシャルロッテが気楽に会釈をする。

 カミルの目がわかりやすく彼女に向かった。

 お前こそ、シャルロッテの提案おねがいなら逆らわないだろうに。


「井納、一ついい?」

「なんだい」

「……判断がおせえんだよ、ド無能」


 エマから日本語で悪態をつかれてしまう。

 いつの間にそんな言い回しを覚えたのやら。



     × × ×     



 翌週。城内町のあちこちにポスターが貼られた。


 私にはあなたが必要だ!

 みんなで防衛隊に加入しよう!

(こちらを指差す中年男性の絵!)


 いかにもありがちな募兵広告だ。


 タルトゥッフェル販売で有名になった「ハーフナー印」のおじさんがアンクル・サムのような扱いを受けているのは、カミルがシャルロッテをポスターに使おうとした名残だったりする。

 今回の募兵活動にかかる費用は兵営ではなくタルトゥッフェル公社が出すことになっており、シャルロッテの申し出をいたく喜んだ弟は新部隊を『シャルロッテ・スネル記念梯団』と名付けようとした。

 当然ながら、表に出られないシャルロッテにとっては「借金を踏み倒した奴はここにいます!」と宣言しているような部隊名なので、必死の抗弁により取り止めさせたものの……公社にありがとうの気持ちを伝えるという名目だけは残ったため、ハーフナー氏の姿が採用された。

 もう街中を歩けねえ、とは彼の弁だ。


 舞台裏の話はさておき。

 彼のポスターはラミーヘルム市内に波紋を広げた。

 要項には市民から五十名の防衛隊を集めるとあり、市民は「いよいよヒューゲルも危ないのか」とため息をつくばかりだったけど……市民ではない人たちの反応は強烈だった。


 当日の兵営には国外出身者からの直談判が相次いだらしい。


「カミル公のために尽くす! 兵舎に入れてくれ!」

「自分は野宿でもいい。兵士になるから子供たちを屋根の下で眠らせてほしいんだ! 頼む!」

「ワシはクラーニヒ家で砲兵を務めていたことがあるぞ!」


 中にはラミーヘルム市民を装う者もいたそうだけど、身元保証人を連れて来られない者はみんな担当官ティーゲル少尉に排除された。

 逆にまともな市民はほとんど兵営に来なかったという。


 ここまではシャルロッテの予想通りだった。

 彼女は余所者たちの期待をあおることで、より多くの志願者を呼び込もうとしていた。


 彼女は語る。


「手に入らないと言われたものって、手に入れたくなりません?」


 翌々日。新たなポスターが街中に貼り出された。


 私はヒューゲル正規兵を求めている!

 出自は問わない!

(こちらを指差す中年男性の絵!)


 路地に身を潜めていた人々が、次々と表通りに出てきた。

 城内町の兵営には百名以上の男たちが集まり、担当官と契約を結んだ。

 彼らは兵営に寝床を与えられたほか、奥さんや子供については来年の春まで郊外の教会や空き家に住まわせる形になった。各施設には公社から芋が提供される。


 公社としてはタルトゥッフェルを国外に売ったほうが利益が上がるので、彼らに与えた分だけ損失になるはずだけど、シャルロッテの考えは別にあった。

 彼女はかねてから冬季の農閑期に合わせた「内職」を考案しており、女性や子供たちを活用するつもりだった。

 例えばテーブルゲーム用の駒を作らせるアイデア。数年来のトランプブームにより文化的な土壌が育ちつつあり、伝統的なバックギャモンなども人気がある。

 ここに新商品を投入する。


 井納の脳から引用された『麻雀』『リバーシ』などのルールはエマを通じて公社にもたらされている。

 ルールブック込みで売りまくり、いずれはヒューゲルで大会を催すところまでシャルロッテは考えていた。


 他にも彼女は様々な施策を打ち出しており、その手法はパウル公やハイン宰相をして「すごいな」と唸らせたほどだった。


「いやはや! 不肖シャロは幸せ者でございます。当主様より過分なお言葉をいただいてしまいました!」


 まるで牛を解体するかのように、彼女は状況を余すことなく利用してみせた。

 しかしながら……その牛が、次から次にやってくることは想定外だった。


 二枚目のポスターを貼ってから一週間が経っても、兵営の列は途切れなかった。担当官のティーゲルは過労で倒れてしまい、河原の兵舎から空き部屋は失われた。

 公社のスタッフの話によると、どうやらラミーヘルム城内だけでなく周辺国の村々から兵役志願者が殺到しているらしい。

 例のザルツズンプ村は言うに及ばず、衣食住に困った村の住民が総出で亡命してくることも珍しくなかった。


 シャルロッテの計画は一ヶ月も経たないうちにキャパシティオーバーを起こした。タルトゥッフェルも兵舎も足りなくなった。


 兵士の採用を打ち切ると、ラミーヘルム城には以前と同じように行く宛のない浮浪者が住みつくようになった。

 カミルが衛兵を用いて追い出せば、彼らは三日月湖の対岸に村を築いた。

 なぜ対岸なのか。答えは夜な夜な船を出して、城壁の割れ目から城内に入るためだ。

 城内町にさえ入ってしまえば、教会から治安対策のタルトゥッフェルを配ってもらえる。


 さすがに公爵家の居住区に余所者が侵入してきたのは前代未聞だったので、すぐに衛兵が割れ目の見張りに回されたものの……相手もさるもの。

 城壁をくぐる形でトンネルを掘るなど別の手を使ってくる。

 もはや余所者対策は「いたちごっこ」と化した。


 カミルは定期的に城内から余所者を追い出そうと兵を送ったものの、各地に隠れ家を設けられたらしく取り逃がしてしまう。

 また元・余所者の新兵たちは余所者にシンパシーを抱きがちで、こっそり兵舎や城内に招くような例まで出てきた。同郷の者なら尚のことだ。


「対岸の村を破却すれば、城内に余所者が増えないはずだ! ネズミの巣を叩いてやれ!」


 カミルは城内の大砲に火を入れようとしたけど、寸でのところでタオンさんに止められてしまった。


「あの拠点がなくなったら、あそこの者たちは行く宛がなくなり、徒党を組んで各地の村を狙いかねませんぞ! むやみに突いてはなりませぬ!」


 もはや余所者たちは害虫のような扱いになっていた。

 当然ながら、彼らに罪はない。生き残るために努力しているだけだ。自分だって同じ身の上なら同じように入城を狙っている。


 もし仮に罰を受けるべき者が必要とされるならば、このような厄災を招いた神が裁きを受けるだろう。

 そんな話を城内教会の牧師にぶつけてみたら、牧師から無言で気圧計を渡されてしまった。そういうことじゃないよ。



     × × ×     



「……マリー様」 


 シャルロッテは十月末日には満開の花を咲かせていたのに、新年を迎えた頃にはすっかり枯れてしまった。ふわふわブラウンヘアがしぼんでおり、見る影もない。

 肌の若さだけは保っているけど、まるで生気を感じられない。こんな顔を見せたのは前回タオンさんが死んだ時以来じゃないか。


「シャルロッテ女史、報告とは何ですか」

「はばかりながら、このままではヒューゲルはタルトゥッフェル輸出国から輸入国に陥ってしまいます。当然公社の経営が持ちません。内部留保は危険水域、各地の救援倉庫も底を突きかけております」

「困ったわね」

「申し訳ございません。わたくしの嗅覚が鈍っていたばかりに……」

「あなたのせいではないでしょう」


 公女おれは彼女の手を取る。

 彼女の策を採用すると決めたのは自分だ。いけそうな気がしたから、試してしまった。シャルロッテに責任はない。


「ああ、ありがとうございます。ありがとうございます。恐れながら……本当に恐れながら。かくなる上は、やはりパイを大きくするしかございません」

「出兵は三月の予定でしたね」


 今のヒューゲルは多数の兵を抱えている。おそらく三人衆を圧倒できる。

 しかしながら、季節はまだ冬。とても出兵できる気温ではない。

 ヒューゲル兵営の防寒用品はヨハンたちが持っていってしまったし。

 そもそも制服のジュストコールや小銃さえ、新兵たちにはまともに支給できていない状況だ。

 銃は二人で一丁の赤軍方式に陥っている。


「いいえ。今からです。お家と公社の破綻を避けるためには、すぐに始めるしかありません!」


 彼女は靴のかかとで床を叩く。

 合図だったのだろう。


 自分が視界に入れたくない人『二十年連続ナンバーワン』の壮年将校・ブッシュクリー大尉が、公女の勉強部屋に入り込んできた。

 理知的なメガネが今日も光っている。白髪には抜け毛が目立つ。


 一周目での彼の行為を知っているエマは、すかさずワインの瓶を手に取っていた。


 公女おれは彼を迎え入れる。


「ブッシュクリー大尉。お久しぶりね。何の用です」

「拝謁至極にございます」


 彼は初代ヒューゲル辺境伯以来の家臣筋として遜色ない、非常に格式張った礼を見せてくれる。つまるところ跪き方がわざとらしい。


 公女としては形式的な返答を迫られる。


「……おもてをあげなさい」

「ありがたき幸せ。つきましては公女様に意見具申をさせていただきたく存じます」

「許しましょう」

「小官は公女様の助力をいただき、タルトゥッフェルの作付けまでに『未回収のヒューゲル』を回収し、流れ者たちに父祖の地でタルトゥッフェルを栽培させるべきと考えております」


 そのテノールボイスが息苦しい。


「作付けまで……だから、今すぐに出兵したいのかしら」

「明日にも支度を始める手筈です。来週には先鋒を繰り出せましょう。カミル様から裁可は下りました」

「……もう上では決まっている話のようね」


 カミルが決めたなら、ヒューゲルの方針になる。

 だったら、わざわざ当主の姉にお伺いを立てる必要性はないだろうに。


 そんな公女おれの苛立ちが伝わったのか、ブッシュクリー大尉はある人の名前を出してくる。


「アルフレッド殿が、公社から兵営用のタルトゥッフェルを供出してもらう以上、公女様の許可もいただくべきだと仰られましたゆえ」

「タオン卿が?」

「はい」


 大尉は目を伏せる。

 タオンさんが公女おれに許可を求めてきた……どうにも考えが読めない。

 彼なりに筋を通そうとしているのか。それとも、当主の姉として出兵の流れを止めることを期待されているのか。


 なにせ目の前の将校と商人は「出兵やむなし」を訴えているけど、失敗した時の状況を考えると大博打になる。

 なけなしのタルトゥッフェル・財産を失い、公社の経営は立ち行かなくなり、何より兵(および兵を維持できる財力)を失えば余所者たちを抑えられなくなる。

 数少ない食べ物を巡って、ヒューゲル市民と余所者たちが剣を向けあうなんてことになったら、この国は終わりだ。内乱でズタボロに滅ぶ。


 一周目を思いだそう。今年の気候は安定していたはずだ。

 どうにか春まで乗り切って、余所者たちに元の土地に戻ってもらえば、全て丸く収まるかもしれない。


 何も得られないけど。


「………………シャルロッテ女史。仮に出兵が失敗したら、未回収のヒューゲルを回収できなければ、どうなるか教えてもらえますか?」

「え、それはもう国がめちゃくちゃになります。公社も終わります」

「大尉の意見も聞かせてくださる?」

「兵力差からして失敗するはずありません。逆に今出兵せねば、早晩ヒューゲル家は立ち行かなくなりましょう」

「なぜそう言いきれるの」

「廷臣たちの推計です。この出兵、ていのいい口減らしでもありますゆえ」


 大尉の発言にシャルロッテの唇が歪む。

 なるほど。そういうことだったか。


 公女おれは傍らのエマと目を合わせてから、この世界の悪者たちに指示を下す。


「公社は今年の種芋以外のタルトゥッフェルを兵営に預けること。兵営は併合作戦に死力を尽くしなさい」

「かしこまりました!」

「仰せのままに」


 二人はそれぞれなりのふるまいで勉強部屋から出ていく。

 その様子を見届けてから、俺は魔法使いに抱きついた。

 気持ちを共有しないとやってられない。


「井納は……」


 エマは何かを言いかけて、何も言わずに窓を見つめた。

 外は相変わらず、白く染まっている。


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