6-2 茶会


     × × ×     


 ヒューゲルはチャンスを失った――。

 ヨハンは兵営から約千百人の兵を引き連れて、ベルゲブーク卿・ヴェストドルフ大臣を梯団指揮官として北上していった。

 大半の兵を引き抜かれてしまった以上、もはや『未回収のヒューゲル』を制圧することは叶わない。


 であるにも拘わらず、井納純一はあまり後悔していなかった。

 ぶっちゃけ一周目では発生しなかったチャンスだから、未来がどうなるか予想できなくて怖かったからだ。

 あえて公女おれが併合派・反対派に口出ししなかったのも、俺の判断が「正解」なのか不明だったから。

 チャンスをふいにしたという、漠然とした悔恨はあるけど、かといってGOサインを出したせいでヒューゲルが滅んだら元も子もない。


「バカ。他人任せにしただけ。何も考えていないのと同じ」

「エマは辛辣だなあ」


 出征部隊を見送ってから勉強部屋に戻り、公女とエマは話し合う。

 彼女は併合を進めるべきと繰り返し主張していた。俺の記憶を読み取っているから知識面の土台は同じはずなのに、まるで別の考えに至るのは面白いな。


「でも仕方ないよ。ヨハンがいるからにはああなっちゃう流れだったし。ヨハンを抑えつけて併合作戦を進めるわけにもいかないでしょ」

「反乱の件が偽報だったら」

「ああ『信長の野望』にそういうシステムあったね」


 たしか敵部隊の進行方向を変えてしまうコマンドだった。

 実行武将の知略能力が低いと成功しない。また対策として部隊に高知略の武将を入れておくと、相手からの偽報を防ぎやすくなる。おそらく現場では高度な読み合いが行われているのだろう。

 テレビゲームだから現場なんて存在しないけど。


 ヒューゲル三人衆の家臣に竹中半兵衛みたいな知恵者がいるとは聞いたことがないし、あれでもシャルロッテは一流の商売人だから部下の報告が怪しかったら奏上してこないはず。


「反乱といえば、ヒューゲルは大丈夫なのかな」

「エマに訊かれても困る」

「そりゃそうか」


 君が公社役員の不正を防いでくれたから、タルトゥッフェルが市民に行き渡らないという状況にはならないと思うけど。

 いかんせんヒューゲルの役人は信用ならないからなあ。前回はあいつらが救援物資を懐に入れたせいで『ブルネンの乱』が起きてしまった。

 あの時、地方の徴税官が残らずブルネンたちに殺されていたせいで、容疑者に見当がつかないのもネックだ。


 ブルネンか。


「……フィリーネさん、お茶を入れてもらえるかしら」

「はい。しばしお待ちあれ」


 部屋詰めの老女中は、のしのしと身体を揺らして厨房に向かう。涼炉に入れる水を取りに行くようだ。


 自分とエマの二人きりになる。

 公女はベッドから立ち上がり、相手に体重を預ける形でソファに座らせてもらう。良い匂いがする。


「……井納はお触り禁止」

「ええ……口頭で話さなきゃいけないよ」

「寄りかかってくると重たいから」

「別に重たくないから!」

「ぷぷぷ。井納のくせに乙女みたい」

「そのへんは気にしているんだよ。自分の記憶以外には『これ』しか武器がないわけだし」


 マリーは今のところ平均より太っていない。

 ジョフロア料理長の料理は非常に美味なので、注意しないとボルン卿みたいな体格になってしまいそうで怖い。

 シャルロッテのようにいくら食べても太らない人は幸せだ。ちっともけないし、お金の妖怪なのかもしれない。


「お茶でございます! さっそく淹れますれば!」


 噂をすれば何とやら。

 瓶入りの水を持ってきてくれたのは、なぜか公社代表の女商人だった。栗色の髪をふわふわさせながら、いそいそと勉強部屋の端で涼炉を沸かし始める。フィリーネさんはどこに行ったのやら。


 別にシャルロッテが来るのはいいんだけど、彼女は地味に語学堪能だからエマと内緒話できないんだよね。

 同盟語もストルチェク語もダメとなると、日本語になってしまう。

 仕方ないな。エマにはお触りを許してもらおう。


「……井納、ブルネンに兵隊を作らせるの?」

「うん。タルトゥッフェルのおかげで収入も上がってきたし、ラミーヘルム城の防衛隊を作っておきたくて」


 今のラミーヘルム城は衛兵と正規兵に守られている。

 このうち正規兵の役目を新設の防衛隊に任せることで、ヒューゲル兵営は惜しみなく兵力を対外投入できるようになるはずだ。

 何なら衛兵の役目も防衛隊に入れ替えたら、上流階級出身で騎乗能力を持つ衛兵たちを「騎兵部隊」に再編成できる。


 なぜ正規兵や義勇兵を増員するのではなく、防衛隊を新設するのかというと、そのほうがまともな人が集まりやすいからだ。

 正規兵は外征を行うから、どうしても生活のある一般市民の応募者が少なくなり、荒くれ者ばかりになってしまう。

 さすがに城内に荒くれ者ばかり入れるのは住民として許容できない。日頃は城内町でパンを焼いている人がパートタイムで参加できそうな部隊にしたい。古き良きアメリカの州兵みたいなイメージだ。

 かといって、形だけの兵隊にはしたくない。


 その点でブルネン老人には前回の実績がある。烏合の衆をまとめ上げて、三千人でラミーヘルム城に総攻撃を仕掛けてきた。

 あの能力を活用させてもらう。


「井納の私兵にするべき。自由に使える部隊」

「魅力的な話をしてくれるね……でも自由に使えたところで、じゃあ何に使うのかって話になるから」

「ヒューゲル三人衆を滅ぼすの」

「エマがウォーモンガーになってしまった」

「井納。あと九年だよ」


 彼女の目には焦りが浮かんでいた。

 そこを突かれると反論できなくなってしまう。今のうちに国力を強化しておかないと、南北戦争でまた後手に回ってしまいかねないのは正しい。


 もしダメでも、あと一周ある――なんて甘い考えには至らないようにしたい。あえて崖っぷちに立つのは阿呆だし。

 残機を残したまま「破滅」を止めるべきだ。

 試せるうちに色々と試しておいたほうが、後で判断材料になるという考え方もできるけど……今のところ上手く回っているから、下手な手を打ちたくない。


「マリー様! エマ! お茶が出来ました、どうぞどうぞ!」


 シャルロッテがカップを持ってきてくれる。

 とても芳しい緑茶だ。ヨーロッパなのに紅茶じゃないのは奇妙な気がするけど、この世界特有の理由があるのだろう。

 煎茶や茶道みたいな文化があるくらいだし。

 公女らしく作法に合わせてカップを回してからいただく。由来はよくわからない。


「ありがとうございます。シャルロッテ女史。とても美味しいですわ」

「おおっ……生きててよかった。不肖シャロ、今のお言葉を生涯の栄誉といたします!」

「なんでそんなにわざとらしいの?」


 シャルロッテの演技じみた反応に、エマが今さらすぎるツッコミを入れる。

 シャルロッテは崩れない。


「ふふふ。生まれつきの商人は生まれつきわざとらしいものよ。大口の顧客を目の前にすると自然にへりくだってしまうの」

「生きづらそう」

「奴隷に憐れみを抱かれる日が来るなんてね」


 彼女はお茶をすする。作法もへったくれもない。

 わたしの友人は奴隷ではありません、と注意しようと思ったけど、当のエマから袖を引かれて制止されてしまった。

 本人が気にしていないならいいのかな。うーん。


「おほほ。手前ながら美味でございますね。弟にオリエントから持って越させただけありました。持ってきたと言えば! マリー様にお見せしたいものがございまして」

「何です」

「こちらでございますれば」


 彼女はカップを机に戻すと、紫色のドレスの胸元から手紙を出してきた。

 ずいぶんと粗末な紙に、書き手の教養を感じさせる文章が記されている。

 冒頭には『ヒューゲル公の慈悲を乞う』とあった。


「これは……村人たちの嘆願書ですね」

「ご慧眼でございます! 村のお坊さんがみんなのためにしたためたのでしょう。差出人を見ていただけますか」

「ザルツズンプ村というと……コモーレン伯領ではありませんか」

「その村人たちがヒューゲルに住ませてほしいと。なぜか我が公社のスタッフに渡してきたので、ここまで持ってこれました」

「なるほど」


 おそらく大凶作でにっちもさっちもいかなくなり、村人たちは余裕のありそうな隣国に助けを求めるしかないと考えたのだろう。

 コモーレンを含めた周辺国にもタルトゥッフェルの栽培は波及しているみたいだけど、いかんせん公社の管理体制やノウハウが存在しないために生産高は今一つだという。


 シャルロッテはお茶を飲み干した。


「……マリー様。わたくしの知るかぎり、コモーレンやクラーニヒから逃げ出してきた人々が今のヒューゲルには山ほどおります」

「向こうに引き渡すのがヒューゲル政府の役目になりますわね」


 この世界では農民の地位はまだまだ低い。畑作を放り出して逃げるなんて許されることではない。逃散民は引き渡すのが習わしだ。


「むしろ受け入れてしまいましょう。古来から同盟語では『都市の空気は自由にする』というそうです。城内町に入れてしまえば、縁は消えるのです」

「何も持たない村人たちを受け入れても、今のヒューゲルには与えられる耕地など存在しないでしょう」

「与えられる兵舎であれば、用意がございます」


 彼女は窓の外にちらりと目を向ける。

 クルヴェ川の河原の兵舎は空っぽになっており、本来の主たちは今ごろ北に向かっている。


 まさかの発想被りに公女とエマは吹き出してしまった。

 あまりに咳き込んでしまったせいか、外で待機してくれていた老女中が心配そうに入ってくる。


「マリー様、大丈夫ですか」

「ゲホゲホ……もちろん平気よ。ありがとうフィリーネさん。ついでに申し訳ないけど、適当にアプフェルヴァインとグラスを持ってきてくださるかしら。三つほど」

「少々お待ちくださいまし」


 フィリーネさんはのしのしと外に向かった。

 また三人になったところで、話を元に戻す。


「つまりシャルロッテ女史は逃散民を兵士にすることを考えているのですね」

「不肖シャロ、その他に『未回収のヒューゲル』を回収する方法が思いつきませんでした。アルフレッドとも話し合ったのでございますが。もうちょっと余裕があれば別なのに……悔しゅうございます」

「あんなのはヒューゲルの方針ではなく、どこかの大尉が吹聴しているだけの話ですわ」

「公社としても経営を拡大するためには新しい土地が欲しいのです」


 別に相手の心を読む能力はないけど。

 何となく今の台詞が彼女の本音であることは読み取れた。

 タルトゥッフェル専売公社の成長は『富国強兵』に不可欠だ。公社の利益があらゆる力の源泉だ。その公社がヒューゲルという枠組みの中では今より大きくなれないなら、枠組みを広げてしまえばいい。


「井納」


 エマが判断を求めてくる。

 これはもう……やるしかないのかな。

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