6-1 丘の上から


     × × ×     


 大君同盟の耕作は雨に依存している。

 日本の水田のように川から水を引いてくることは少なく、天界のジョウロから注がれる雨水だけで小麦や大麦を育ててきた。

 ハーフナー氏の話によると、土の中の水分を保つことが何より大切らしい。ずっと作物を植えていると根が水分を吸いきってしまうので、そんな時には土地を休ませるのだとか。休耕地はサボっているわけではなく雨水を貯めているわけだ。あと病気を防ぐために休ませることもあるそうだ。まるで労務管理だな……管理される側だったから詳しくないけど。


 そのような自然任せのサイクルは日照り続きとなれば途端に回らなくなる。

 乾いた土地は表面が割れる。水分不足の作物は枯れてしまう。

 川沿いの耕作地ならば人力や器具で水を汲めるけど、そうでない土地では天を仰いで雨を待つしかない。

 どうか神様がジョウロを傾けてくださるように。


 人々の祈りは今回も届かず、大君同盟は大凶作の秋を迎えた。

 追い討ちをかけるように各地で蝗害こうがいが発生した点も一周目と変わらない。

 バッタの群れは庶民が保存していたわずかな雑穀さえも食べ尽くしていった。ヒューゲルは巻き込まれなかったけど、その壮絶な状況は「噂」となって伝わってくる。

 枯れ草すら残らない虚無の平原、丸ごと消えた村……。


 地獄の海が広がる中で、我らがヒューゲルは浮島となっていた。

 タルトゥッフェルの恵みは大麦に代わって市民の胃袋を満たしている。公社の一部役員による飢餓輸出の企てはエマの密告で阻止された。

 国内に反乱の兆しは今のところない。




 一六六六年九月。

 ラミーヘルム城の大広間では『未回収のヒューゲル』併合の是非を巡って、評定が執り行われていた。

 先だってお父様から当主の地位を与えられたカミルが上座を占め、中央のテーブルを挟んで交わされる討議に耳を傾けている。


「百年に一度の好機なり! 我々は全力を持ってコモーレン伯・シルム伯・クラーニヒ伯、ヒューゲル三人衆を滅ぼすべし! 大ヒューゲルを取り戻さんや!」

「拙速すぎる。むやみに武力で解決すれば、大君法令を破ることになってしまう」

「ゲオルク、ここに至っては守るべき法ではなかろう! 好機なのだぞ!」

「今は良くても後々に正当性が問われる。それは君もわかっているだろう、テオドール」


 テオドールと呼ばれた中年男・ベルゲブーク卿は兵営の代表格だ。

 今回の併合の件を評定に奏上してきたのも彼であり、おそらく部下の大尉から入れ知恵されたのだろう。

 対して、同じく有力家臣のボルン卿は併合に否定的だった。


 主戦派のベルゲブーク卿は反論を試みる。


「正当性など後から補える! だが好機は百年先まで巡ってこない。今、諸外国には我々に介入できるだけの余力はない。火事場泥棒と罵られようが、数世紀の因縁を断ち切るには今しかないと拙者は主張する!」

「冒険主義には納得できないな。テオドール、君ともあろう者が楽観的すぎないか」

「ゲオルク、お主こそ悲観的すぎる。今の東部領域で外征部隊を出せるのはヒューゲル以外にない。何度も言わせてもらうが列強の介入はありえん。拙者の剣を賭けてもいい」

「だから来年以降の話をしていると言ったろう。再来年は? その先はどうなる? 遺児や分家が担ぎ出されて、正当性を担保に諸侯の力を借りて逆襲戦を仕掛けてくるなど、太古から繰り返されてきた寓話だぞ」

「その時はこちらにいらっしゃるヨハン殿の力を借りるのだ」


 ベルゲブーク卿は体格の良い青年に目を向ける。

 今日の評定には有力商人や街の有力者は参加していない。情報漏洩を防ぐためだ。

 代わりに、当たり前のようにヨハンの姿があった。

 本人は「自発的にヒューゲルに留まっている」と説明しているけど、未だにキーファー公から帰国を許されていないらしい。


 井納おれとしては早めに実家と仲直りしてもらいたい。飢えた狼が同じ城に住んでいるなんて危険すぎるからね。

 結婚式の日の蛮行以来、一度も強引に迫られたことはないけど……たまにスキンシップを図ってくるのが気にくわない。

 どうやらイングリッドおばさんあたりから「初夜に至らないレベルの行為なら許される」という解釈へりくつを吹き込まれたようだ。

 夜が怖いので、あの日から公女はお母様の部屋で眠らせてもらっている。


 評定の様子に話を戻すと――指名を受けたヨハンは独りで立ち上がると、対面のボルン卿を強面でにらみつけた。


「おい。ふくれあがったパン野郎。もしもの時にはオレたちがヒューゲルを守ってやる。だから安心して征伐に当たるがいい」

「なっ……いくら何でも失礼でござろう!」


 ボルン卿のアンパンマンみたいな頬が赤く染まる。力任せに立ち上がったせいで、お腹の肉がたゆんと揺れていた。

 アスリート体型のヨハンとは対照的だ。

 だからといって、他国の功臣の容姿をバカにしてよいわけではない。ルッキズムは(特に余所者には)許されない。

 ヒューゲルの家臣たちはヨハンに白い目を向けている。


「えー! ゴホンゴホン!」


 ヨハンの家臣・ヴェストドルフ大臣が涙目で咳き込んでいるのが哀れでならなかった。ご苦労様です。

 当のヨハンはそんな老臣をちらりと一瞥してから、なぜか後方の傍聴席にいた公女おれに目を向けてくる。


「ふん。おい、マリー。オレの代わりに謝罪してやれ」

「えっ……うちの亭主がすみません」


 とりあえず言われたとおりにしておく。

 当主カミルの姉に頭を下げられてしまうと、ヒューゲルの家臣たちは何も言えなくなるようだ。みんな会釈を返してくれる。

 なぜかヨハンが満足そうなのがムカつくな。めっちゃ殴りたい。


 評定から会話が消えて、数秒経った。


「……カミル。お前はどうするつもりだ」

「えっ」


 ヨハンから話を振られたカミルは、慌てて左右を見回す。

 家臣たちの目は主君に向けられていた。

 ヒューゲル公領の外交政策なのだから、最終的な決定はヒューゲル公が下すことになる。


「余は、えっと、ひとまずお父様に訊ねるべきだと思います」

「お前はパウル公から当主を任されている。お前が決めるべきだ」

「そうかもしれませんけど、もっと色々と意見を聞いてからでないと……決め手が……」


 どうでもいいけど、ヨハンのおかげで今回のカミルはかなり牙を抜かれている。

 本人の前でモノマネはできないのか、単純に『お兄ちゃん』の存在が彼をおとなしくさせているのか。個人的には良い傾向だと思う。前回のカミルはタオンさんを困らせるほどに振り回していたからなあ。


 そのタオンさんは今回もカミルの後見人を任されている。古びた兵営用の外套は勲章だらけで、相変わらず似合っていない。


「そうだ。アルフレッドはどう考える? 発言を許してやるぞ」

「カミル様の諮問に答えさせていただきますと、テオドールの弁は正しく、現状はまたとない好機ではございますが、ゲオルグの不安にも理があります」

「然らば、どうする」

「戦いを仕掛ける前にコモーレン伯・シルム伯・クラーニヒ伯と会談を行いましょう。カミル様から彼らに臣従するように迫るのです。彼らが受け入れなければ、その時に対応を考えればよいかと」


 タオンさんの案は妥当なものに思えた。

 しかしながら、家臣たちの反応は芳しくない。みんな明らかにガッカリしている。出兵反対派のボルン卿も含めて。

 そんな家臣たちの様子に、ヨハンは自信たっぷりな笑みを浮かべる。


「ふん。お前らが老人に言い返せないなら、オレが代弁してやろう。その方針では自分たちに旨味がない……だろう?」


 彼の台詞に一部の家臣は目を泳がせる。図星だったらしい。


 なるほど。もし『未回収のヒューゲル』を武力制圧できたら、主君たるヒューゲル公は家臣たちに褒美を与えることになる。

 新たな領土の一部は恩賞として功臣に与えられるだろう。


 ところがヒューゲル三人衆がそのまま家臣になってしまうと、他の家臣たちは何も得られなくなる。

 ヨハンが話したとおり、旨味がない。

 もっと言えば『先方三家』タオン・ベルゲブーク・ボルンの有力家臣(男爵)よりも上位の家臣団(伯爵)が生まれることになるから、既存の家臣団は城内での地位まで下がってしまう。


 ヨハンはタオンさんを指差した。


「老人。お前は三人衆との話し合いが上手くいかないと踏んでいるな。ご自慢の人脈とやらで何か掴んでいるのか」

「お戯れを」

「でなければ家臣のお前が旨味のない話を出してくるものか。併合反対なら正々堂々と言うがいい。戦いたくないのなら両手を挙げていろ。この臆病者が」

「わたしの大切な人をバカにするのはそこまでにしてもらえるかしら」


 あまりにも無礼だった。

 公女おれが傍聴席から中央に出てくると、ヨハンはなぜか何も言わずに首をひねっている――まさか「大切な人」が自分のことだと思っているのかな。阿呆らしい。


「ヨハン様はタオン卿の功績を知らないのです。こちらの老臣は十五年戦争でキーファー公の兵を打ち倒したこともあるのですよ」

「バカにするな。ヘレノポリスの戦いだろう。父上から何度も聞かされた。ヒューゲル兵のせいで『袋叩きのベン』を失ったと」


 彼は意外にも歴史を学んでいた。

 他にもいくつかの地名を挙げて、先代公と旧教派の会戦について説明してくれる。

 地名が出てくるたびに家臣たちが誇らしげなのは、ほとんどの戦いでヒューゲル兵が勝利しているからだ。基本的に奇襲を仕掛けてから逃げ出すパターンが多いため、戦争末期まで負け知らずだったらしい。ほぼゲリラのやり口だな。


「だが、昔の話だ。今の老人は戦いを恐れている。老い先短いのに命を惜しむなど見苦しい。武人ならばいつ死んでもいいと覚悟を決めるべきだろう。オレの父親は未だに常在戦場を心掛けているぞ」

「私は命を惜しんでいるわけでは」

「ふん。とにかく老人の話はナシだ。カミル、いいから兵を出せ。せっかくの初陣だ。お前も勝利で飾りたいだろう」


 ヨハンは上座にちょこんと座っている公女の弟に目を移す。

 当のカミルは正面を向いたままで返事を返そうとしない。なぜか耳まで赤くなっている。タオンさんをバカにされたから苛立っているのかな。


「……シャルロッテ先生! 来られていたのなら、ぜひ余の近くまで!」


 見れば、大広間の正面出入口にシャルロッテが立っていた。

 いつものように余裕あふれる作り笑いの彼女ではなく、珍しく強張った顔をしている。その右手には手紙。

 彼女は何も言わずに近寄ってくると、手紙をヨハンに献上した。


 公女でもカミルでもタオンさんでもなく……なぜ余所者のヨハンなんだろう。

 その答えはすぐに判明する。


「――カミル。お前の兵を借りるぞ。オレは国に戻らねばならん」

「えっ」

「父上の城が囲まれている。百姓どもの反乱だそうだ」


 反乱。

 キーファー国内ではタルトゥッフェルの栽培が進められていたはずなのに、やはり前回と同じく起きてしまったらしい。

 シャルロッテの元に手紙が届いたとなると、送り主はキーファーに出向していた公社のスタッフだろうか。大丈夫だといいけど。


「ふん。身の程知らずは制圧してやればいい。公社の女はタルトゥッフェルを馬車に積み込め。お前らは兵を呼び出せ! シュバルツァー・フルスブルクが落ちる前に一人残らず殺してやる!」


 ヨハンはヴェストドルフ大臣と共に、少し慌てた様子で大広間を出ていく。

 二人の会話が脇をかすめていったので、彼らがパウル公に会いに行くつもりなのは聞き取れた。お父様から出兵の許可を取りつけるつもりなのだろう。


 後に残された評定の面々は……なぜか、みんなでひとしきり笑ってから、後はそれぞれの感情に任せていた。

 共同の利益のために勝ち目のある戦いに挑むつもりが、状況が反転してしまった。

 笑える。ムカつく。悲しい。不安。みんな表情がバラバラだ。


 タオンさんは笑っていた。


「公女様。先ほどはありがとうございました。励みになりました」

「いえ……こちらこそ亭主が失礼を」

「それは公女様が謝ることではございますまい」


 彼は深々と礼をしてから、息子の若タオンの頭を叩いていた。どうやら先ほどまでサーベルの柄に手をかけていたらしい。

 とんでもない話だけど公女は耳にしなかったことにする。気持ちはわかるから。

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