5-3 ルールブック


     × × ×     


 一六六六年三月。

 ラミーヘルム城の城内教会の前には多数の賓客ひんきゃくが並んでいた。

 主だった面々の名前を挙げると、マウルベーレ伯、ルートヴィヒ伯、あとはシュバッテン伯の嫡男など周辺国の当主・名代。および彼らの奥様方。

 珍しいところではトーア侯の娘さんが来てくれていた。八年前に舞踏会で出会ってから、密かに文通を続けている子だ。年を追うごとに大人びてきているのは手紙の内容から窺えたけど、すっかり年頃の女の子に成長している。

 他には城内街の有力商人、工房の親方衆代表の姿もあった。

 我が家の家族や家臣団・分家筋の面々を含めて、全ての者が我々に目を向けている。


 上品な拍手の音。

 こんなことを教会の前で考えるのは不敬かもしれないけど――神は死んだ。

 この世界の結婚式は教会の外で挙行される。教会の出入口にはマリーとヨハンが並び立ち、キーファー公領から呼ばれてきた旧教派の司祭により婚姻の許可が与えられる。

 一周目で弟カミルとエリザベートの結婚式を見たから知っていたけど、日本のチャペルウェディングのような『純白のドレス』や『誓いのキス』の文化は大君同盟には存在しない。


 よって、マリーは余所行きの翠色のドレスで肉体を飾っているし、ありがたいことにヨハンとは口づけせずに済むみたいだ。

 ちなみにカミルたちは翌日に挙式することになっている。


「――ここにキーファー公爵家のヨハンと、ヒューゲル公爵家のマリーが契りを結ぶことに、一切のさわりがないことを保証する」


 司祭はあくまで両者の関係を認めるのみで、旧教会として結婚の秘跡を執り行うことはしない。

 代わりというわけではないけど、教会の周りにいる人々が「婚姻の保証人」となる。


「おめでとう!」

「おめでとうございます、お姉様!」


 ついに……井納純一も年貢の納め時となった。

 去年の秋に結婚の話が出てから、色々と手は尽くしたというのに。マリーはヨハンと結ばれてしまった。

 なのに、自分が舌を噛まずに済んでいるのは、根性がないからではなく、神が死ぬ前にお恵みを与えてくださった――もといギリギリのラインでヨハンが妥協してくれたからだ。


 公女の交渉代理人・シャルロッテは巧みな弁舌をもって、半日かけて以下の条件を彼に飲ませてくれた。


『公女は二十六歳まで実家で母親と過ごす(キーファーには住まない)』

『公女が二十六歳になってから床入れ(初夜のこと)を行う』

『公女は母親と共に新教派の信仰を保つ』

『結婚式は一六六六年三月とする』

『上記の条件を新郎側から破った際には、新郎が持つキーファー公の継承権をヒューゲル家に譲渡する』


 つまるところ社会的な結婚は認めるけど「それ以上」は絶対に許さない。

 もし自分がヨハンなら、あの若さで奥さんに手を出せないなんて発狂してしまいそうだけど、シャルロッテに『公女の修道院入り』『出家』を示唆されたために折れるしかなかったようだ。惚れた弱みだな。


 ちなみに三番目の条件は、ヨハンの実家が結婚自体に反対してくれることを期待した、俺なりの嫌がらせだったりする。

 宗教的に旧教徒と新教徒の婚姻は推奨されていないからね。

 ヨハンの実家は熱心な旧教派だから、未改宗での婚姻は生理的に拒否してくれるのでは――なんて淡い期待を抱いていたのに、残念ながら特に抗議は受けなかった。

 そもそも、ヨハンの父母はヒューゲルに来ていなかったりする。その点では波乱含みの結婚式だ。


 教会のチャイムが鳴る。

 宗教的な婚礼が終わり、来賓たちは大広間へ案内されていく。


「行くぞ」


 ヨハンに手を引かれる。指先から血の巡りを感じる。彼のゴツゴツした指にはマメができていた。操兵訓練のやりすぎだ。

 マリーの旦那――字面は理解できるものの、いまいち実感が沸かないのは、井納おれの伴侶ではないからか。



     × × ×     



 大広間はお祭り騒ぎとなっていた。

 イングリッドおばさんとジョフロア料理長が丹念に組み上げた計画を早くも逸脱し、各所でワインの栓が抜かれ、ライム料理のオードブルは空っぽになっている。

 大広間の中央では往時の『舞踏会』と同じく、未婚の若者たちが粗末なダンスを始めていた。酒が回るにつれて洋服の裾に足を取られる者が多くなり、野次馬たちの笑いのタネとなる。


 タオンさんとルートヴィヒ伯が、女性にダンスを拒否された若者を指差してゲラゲラ笑っていて、俺もその中に加わりたかったけど、あいにく新郎新婦には役目がある。


「おめでとうございます、お幸せに」

「ありがとうございます」


 来客が入れ代わり立ち代わり挨拶にやってくるので、それぞれに反応を返さなければならない。

 きちんと礼をしてくれる人もいるし、プレゼントを手渡ししてくれる人もいる。もらったものは女中に預けておく。

 おばさんの話では五百人以上の客人が来ているらしい。後半になってくるとほとんど流れ作業だ。アイドルの握手会みたいだな。


「結婚おめでとう、私のマリー! 何かあったらすぐに連絡するのよ。どうあってもどこにいても私はあなたの味方だから!」


 なぜかその流れの中で、エヴリナお母様からお祝いの言葉をかけてもらった。終わったらそそくさと自室に戻っていったあたり、人口の多さに耐えられなかったのだろう。


 ヨハンはそんな彼女を目で追いかけていた。


「……半年以上この城にいるが、お前の母親とは未だにまともに話してもらえん。オレは嫌われているのか?」

「ストルチェク語で話しかけたら、きっと答えてくれますわ」

「田舎弁など話してたまるものか」


 さらりと差別してくるあたりがヨハンだなあ。


「ホレラヴェ(くそったれ)」

「なんだそれは」


 二人でそんな話をしていると、前から近づいてくる男性の姿が見えた。

 フランツ・フォン・マウルベーレ。ヨハンの弟だ。

 太った胴体をごまかすために猫背となる道を選び、子供の頃に患った疱瘡の跡を仮面で隠している。

 公女より年上だからか、彼が病気になるのは歴史の必然らしく……ヨハンの手で外された仮面の下は、やはり痛々しいほどにボロボロだった。


「妙な仮面を付けるな。マリーに失礼だろう」

「は、はい……すみませんでした……」

「挨拶なら早く済ませろ」

「ご結婚おめでとうございます、あ、兄上とマリー様」


 フランツから礼を受けたので、こちらも笑みと会釈を返す。


 ちなみに彼は一人ぼっちだった。


「フランツ。あのマウルベーレ家の女は来ていないのか」

「あ、あの子は妊娠しておりますので……」

「そうか」


 ヨハンから公女に白い目が向けられる。やはり例の条件には不満があるらしい。というより、格下扱いの存在に先を越されたのがイヤなのかな。

 特に理由もなくフランツが殴られているあたり、たぶん当たりだ。


 非常に居たたまれないので、公女はお花を摘みに行くことにする。中庭のトイレに行こうかな。


 大広間脇の小部屋では、小間使いの少年たちがトランプで遊んでいた。シャルロッテが発行した『ヒューゲル公式規則』が床に転がっている。

 独自ルールの発生で遊びづらくなっていたので、統一ルールブックを作らせたらバカ売れしたらしい。


 そんな少年たちの中に、見知った顔があった。

 眠たげな目でじぃっと手札を眺めている、明らかに同盟人ではない風貌の少女。


「……エマ」

「あわわっ」


 公女の呟きに反応したのは、当人以外の少年たちだった。

 彼らは慌てふためいて衣服を正し、カードを放り出して直立不動になってしまう。手札の並びからして『大富豪』をやっていたな。


 当のエマは周りの様子に首をかしげてから、ようやく俺の存在に気づいた。


「井納」


 ここでその名を呼ぶのはやめてほしいけど、まあ名前だと気づかれることはないか。

 俺は彼女の手を取り、立ち上がらせる。そして抱きしめた。

 そりゃ君も来ているよね。なにせマリー・フォン・ヒューゲルの結婚式なんだ。大叔父だってストルチェクから来てくれているんだから。


「……井納、まさかヨハンと子作りするつもりなの? 正気を保ててる? もう女の子なの?」

「そのあたりは、後でじっくり吸収してもらうよ」


 俺たちは公女の勉強部屋に向かった。

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