5-2 条件闘争


     × × ×     


 歴史に『もしも』は存在しないという話がある。

 歴史とは必然性の産物であり、積み重ねられた事象を観察・分析するものだ。あったかもしれないと楽しむことは歴史学の守備範囲ではない。

 歴史学の学徒ではないので、一般教養ぱんきょーの授業内容はいまいち覚えていないけど、たしかそんな話だったはずだ。


 この話に則るなら、一周目で起きたことが二周目では起きないのは、ひとえに俺が原因ということになる。


 十三歳の冬。ヨハンの父、キーファー公ヨハン二世はなぜか心不全を患わなかった。

 よって当主の代替わりは発生していない。

 おのずと公女の弔問も起きなかった。キーファー兵の半数は無益な南方戦線に張りついたまま。残り半数はヴィラバ・コンセント城に駐留している。

 キーファー本国には兵士が少ない。反乱が起きたら、どうなるか。


 これは不味いと思った俺は、ヨハンとヴェストドルフ大臣に手紙を送り、タルトゥッフェル専売公社のスタッフをあちらに派遣することにした。

 一周目でのキーファー国内の地獄絵図は今も自分の目に焼きついている。搾取され尽くされた庶民たち。今回はタルトゥッフェルの栽培法を教えることで、あの村の人々を救えるはずだ。何より反乱の芽を封じることになる。


 ヨハンには「異教徒との戦争は止めるべき」とも伝えておいたけど、彼の発言力では止めようがないのは目に見えていた。


 タオンさんはヨハンの父を次のように評する。


「苛烈な方です。他人の意見に耳を傾ける性格ではありません。従うか・従わせるか。二元論で生きてらっしゃる」

「わたくしのお父様は部下扱いなのでしょうか」

「私の口から何を言わせるつもりです。勘弁くだされ」


 過去にイザゴザがあったのか、タオンさんは辟易した様子だった。人好きの彼には珍しい。

 他の廷臣たちからも、あまり好意的な話は聞けなかった。


 そんな評判のヨハン二世だけど、独断的な性格は政策決定の早さという長所を生み出していたようだ。

 公女の命令でシュバルツァー・フルスブルクに向かった専売公社のスタッフたちは、宮殿の応接間で、いきなり株仲間の朱印状を手に入れることができたらしい。 

 さらに有力家臣たちと例の専売契約を結び、我が父の先例にならい、タルトゥッフェルの輸出から得られる利益の半分をヨハン二世に献上することになった。


 あとはヒューゲルでの流れと同じだ。

 キーファー支店のスタッフたちは地元百姓・名主と力を合わせて、打ち捨てられた荒れ地を生き返らせていったそうだ。


 二年後――一六六五年。マリー・フォン・ヒューゲルが花ざかりの十五歳を迎えた秋。


 ヨーロッパアカマツをモチーフにした国旗が、北街道をゆっくりと南下してくる。

 ラミーヘルム城の尖塔からは、緑服の歩兵隊と複数の馬車が列を為しているのが見えた。


 尖塔から降りると、イングリッドおばさんが女中たちに様々な指示を出していた。

 ジョフロア料理長は気合を入れるために神に祈りを捧げている。


 公女おれは北門に向かう衛兵隊・鼓笛隊と廊下ですれ違った。

 ハレの日の空気が城中を流れているのに、俺の気分はあまり良くない。


「猫背になっていますよ。もっとしゃきっとなさい」


 イングリッドおばさんに叱られてしまう。


「せっかくヨハン様が遥々来られるのですから、いつも以上に心身を正して。しっかりと前を見て……まさか自分に自信がないのですか?」


 おばさんが妙に心配してくれるけど、そういうことじゃない。

 一周目では二年前に済ませていた「結婚の延期」を、改めてまた言い出さなきゃいけないのが面倒くさい。申し訳ないという気持ちも多少ある。


「大丈夫ですよ。あなたはエヴリナお姉様に似ているから、きっと心から好きになってもらえます。このイングリッドが保証してあげるわ」

「いえ……向こうはわたくしに一目惚れしてますから、その点に心配していません」

「……変に自信過剰なのもどうかと思うわよ」


 本当のことだから仕方ない。

 やがて北門からトランペットの音が聴こえてきた。



     × × ×     



 ヨハンは十八歳になっていた。前回と変わらずアスリート体型に鍛え上げられている。緑色の軍服に乗っかった首が太い。

 彼の傍らにはキーファーの老宰相・ヴェストドルフ大臣が控えており、心ここにあらず……といった目をしている。

 いつもヨハンに振り回されている人だから、ここに来るまでの道すがらで何かあったのかもしれない。


 ラミーヘルム城の大手門、城内町と居城の境目で俺たちは七年ぶりに再会した。


「久しいな、マリー。オレに似つかわしい女にはなりきれていないが、努力しているのは認めてやろう」

「ありがとうございます」


 さらりと公女の見た目を褒められる。実際には全く褒められていないのだけど、彼にとっては精一杯の言葉なのはわかる。

 髪を撫でられそうになったので、手の甲で軽くあしらったら「なにをされます!」とイングリッドおばさんから注意が飛んできた。今は気にしない。


「ヨハン様。今回は旅行で来られたと父から伺っております。狭い土地ですが、ごゆるりと楽しんでくださいませ」

「ああ、そうさせてもらうつもりだ」


 ヨハンは荷馬車の御者に目配せして、荷物を城内に運ばせる。

 旅支度にしてはずいぶんと多い。随行員の私物だけでは七台の荷台は埋まらないし。

 荷馬車から降ろされてくるものは、家具や日用品が中心だった。


「滞在中に使うための家具だ。オレの城から持ち出してきた」

「お泊まりの部屋は用意させておりますが」

「その件だが、後でお前の父親と話せるか?」

「それはもちろん」


 同盟国の跡継ぎ・将来の娘婿が訊ねてきたのだから、自発的多忙なパウル公とて挨拶は欠かさない。夕方には城を挙げて祝宴も行う。いくらでもお喋りできるはずだ。

 ひょっとするとヨハンはタルトゥッフェルの件でお礼でも言うつもりなのかな。だとすると頭を下げるべきは目の前の公女になるけど。もしくは近くに控えているシャルロッテ。


 何となくヨハンに笑みを向けてやると、彼はちょっと迷ったような表情を浮かべた。

 胸板が息を吸っている。


「……実はパウル公に依頼があってな。いつまでになるかはわからん。そう長くはないはずだが、しばらく客人として城に住まわせてもらいたい」

「わたしたちの城に、ヨハン様が?」

「ああ。お前は嬉しいか。オレはそうでもないが」


 いやいや……別に嬉しくないし。相変わらず何様のつもりなんだか。

 それにしてもラミーヘルム城にヨハンが住もうだなんて、前回には無かった流れだ。何があったのやら。


「失礼ですが、滞在の理由を伺ってもよろしくて?」

「不躾な女だな。まあ許してやろう。実は父親と言い争いになってしまってな。オレの正論を聞き入れないもんだから、あっちの頭が冷めるのを待ってやろうかと」

「ケンカして勘当されたのですね」

「似たようなもんだ」


 ヨハンは虚勢を張っているけど、わざわざ同盟北部からヒューゲルまで来ているあたり、他に行くあてがなかったのは予想がつく。

 本来なら弟フランツが当主を務めるマウルベーレや、友人ルートヴィヒ伯のところに行ってもよかったはずだから。


 彼らが受け入れてくれないレベルとなると、ヨハンはキーファー家から『絶縁』されている可能性すらあるな。


なげかわしや……」


 ヴェストドルフ大臣がため息をついていた。彼も連座制で追放されたのか、はたまたヨハンのお守りとして自主的に付いてきているのか。

 いずれにせよ、彼らを受け入れる・受け入れないの判断はお父様に委ねられる。公女おれの一任では決められそうにない。外交的案件というやつだ。


 ふと……自分の中で良からぬ発想が思い浮かんだ。

 それはそのまま嫌な予感になる。


「ヨハン様。少しよろしいでしょうか」

「お前は……タオンとやらか。なんだ、話してみろ」

「今回の件でマリー様とヨハン様の婚約は解消されたのですか?」


 井納が気づいたことに気づかないタオンさんではない。

 彼の問いに、ヨハンは「ふん」と鼻息を荒くする。


「老人特有の愚問だな。オレの父親はヒューゲルを交通の要所として抑えておきたいと考えている。両家の婚約解消などありえん」

「であれば、この際、正式に結婚されてはいかがでしょう?」

「ほう」


 ヨハンはまつ毛で興味を示した。

 不味い。本当なら結婚を先送りするはずだったのに前倒しになってしまう。この流れは断じて受け入れられない。


 こっちの焦りやハンドサインを気にも留めず、タオンさんは思惑を語る。


 ……たとえ一時的に追放されたとしても、キーファー家の跡継ぎはヨハン様が適任です。

 弟フランツ伯は他家に出されておりますし、エミリア様は女子ですからな。

 もちろんフランツ伯がキーファー=マウルベーレ両家を継承することも可能でしょうが、あちらはマウルベーレ家の女性と結婚されている。

 キーファーとヒューゲルが結びつくためには、ヨハン様が次期当主であるほうが好都合なのです。


「その程度はわかっている。なぜ、この状況で結婚になるのか説明しろ」


 タオンさんの説明にヨハンは噛みついた。

 マリーとの結婚を避けたいと思ってくれている……わけではなさそうだ。なにせ向こうは一目惚れだし。

 誇り高い彼のことだから、追放された身ではなくまともな時に盛大な結婚式をやりたいのだろう。


「逆でございます。今こそやるべきなのです」

「だから、なぜだと訊いている。オレの質問に答えないのは無能の証だぞ」

「失礼ながら、我が主カミル様とエミリア様が結ばれる可能性を忘れておられませんか?」

「!!」


 タオンさんの指摘を受けて、ヨハンは険しい顔を見せる。

 あの狂犬エミリアがウチに嫁いでくるなんて発想が地獄すぎるんだけど、たしかに可能性が全くないわけではない。

 まだウチの弟とエリザベート(クッヒェ家)は婚約段階だし。


「なるほど。お前の弁は正しいな。タオンとやら」

「ヨハン様が他人の意見を受け入れられた!? こんな日が来るとは……!」


 うんうんと悔しそうにうなずくヨハンと、とてもビックリしている様子のヴェストドルフ大臣。

 傍から見るぶんには良いコンビのように思えてくる。


 そんなことより!

 本格的に不味いじゃないか!


「ではオレからパウル公に申し出るとしよう。タオンとやら、お前も根回しを手伝ってもらえるか」

「マリー様のためならば」


 やばいやばい。どんどん話が進んでいる。

 イングリッドおばさんなんて一人で舞い上がってしまって、周りの女中と抱き合っている。天下の往来なのに。というか天下の往来でなんて話をしているのやら。


 こうなったら自分から流れを止めるしかなさそうだ。

 覚悟を決めよう。


「ヨハン様」

「なんだマリー。あまり嬉しそうではないな。女にとっては誉れではないか」


 彼の目線は公女の胸元に向けられる。

 何があろうと触らせてなるものか。死んでも守りきってやる。


「わたしたちの将来が決まりそうで、とても安心しております」

「ああ。いずれオレたちは同盟を俯瞰する存在となるだろう。南北街道の支配者だ。お前には今以上に……」

「ところでわたしのタルトゥッフェル公社は、ヨハン様の役に立っていますか?」

「他人の話を遮るのは教育不足だと思うが、公社のおかげで税収は上がってきているな。家臣たちは不満そうだが」

「では、わたしに褒美をいただけませんこと?」

「……良いだろう」


 よし。乗ってきた。男に二言はないはずだ。

 ここで結婚の延期を求めれば……ダメだ。カミルとエミリアが結ばれる可能性を否定できてない。

 あれをつぶさないと話がこじれる。仮に延期の話が認められても口約束になりかねない。強引に持っていかれたら、不利なのは女だ。


 かくなる上は。

 こういう交渉が上手い奴に代行させよう。


「シャルロッテ女史!」

「はい! お呼びでございますか!」

「わたしの代わりにヨハン様と結婚の条件を話し合ってもらえますか」

「まるで話が読めませんが!?」


 俺は彼女にあらかたの要求事項を説明する。

 妥協できる点についてもギリギリのラインを設定しておく。 

 彼女からは「なぜそんなことを?」と訊ねられたけど、答えようがないので背中を押すだけにしておいた。


「とにかく、あなたの弁舌で何とかしてください」

「よくわかりませんが、わかりました。不肖シャロ、女の端くれとして全力で努力させていただきます」


 公女に押されたシャルロッテは、ゆっくりとヨハンの元に近づいていく。

 後は低地の大商人に任せよう。


 もし失敗したらリセットボタン、もとい舌を噛んでやる。

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