4-5 未来予想図
× × ×
誕生年・誕生日の延期が原因なのか。
元々「公女生誕以降の新生児」は男女の産み分けがランダムになる――つまり歴史の制約を受けない、自然に任せるというルールなのか。
本来マクシミリアンとして生まれるはずだったヒューゲル家の三人目は、マルガレータという女の子として生を受けていた。
「私の
病気を患うことなく無事一歳を迎えた彼女に、お母様は熱心にストルチェク語で話しかけている。
公女にしていたのと同じように。
新しいおもちゃ、なんて単語が脳内に浮かんでくるけど、ようやく子離れしてくれたとも言える。
一方で以前のように何でもワガママを受け入れてくれる、打ち出の小槌ではなくなってしまったのが辛いところだ。この頃はちっとも自分の話を聞いてくれない。
「
「あら。私のマリー。あなたもご覧なさいな。マルガレータの腕の愛らしさったら!」
お母様はこちらには目もくれず、妹のボンレスハムみたいな手首を指で突いている。とても可愛い。
この育児部屋にはストルチェク語を話せる者しか入れない決まりがある。お母様が去年そう決めた。
なので、イングリッドおばさんが夕食の連絡に来ても、基本的にドアを叩くことしかできない。
妹には同盟語を聞かせてはいけないから。今回は純度百パーセントの同胞に仕立てるつもりらしい。
「母様。先ほど評定が終わりました。夕食会が始まっています」
「ここまで持ってくるようにさっき来た人に伝えたわ。マリーもこの部屋で食べない?」
「わたしはカミルと食べます。大人ばかりで寂しがっていますから」
「そう。なら、早く戻ってあげて」
お母様は笑顔で送り出してくれる。
少しもどかしい気持ちになってしまうのは、やっぱりあれだけ抱きしめられてきただけに、
エマに会ったら、笑われちゃうな。
「マリー」
去り際にかけられた声に肉体が強く反応してしまうのも……空しくてたまらない。
「どうされました、お母様」
「あなた、おっぱいが大きくなってきたわね。ドレスを仕立て直してもらいなさい。もっと谷間を出すと素敵だわ」
「あ……はい」
くそう。密かに気にしていることを。
お母様の血統のせいだぞ……なんて内心で悪態を吐いていたら、なぜか少し気が楽になった。
× × ×
育児部屋から出てくると、廊下にシャルロッテが立っていた。
例の営業スマイルで手を振ってくれている。こうして見ると美人だな。色っぽいというより、品がある。デパートの受付に座ってそう。
「ジェンドブリィ」
「シャルロッテ女史、あなたストルチェク語も話せたのね」
「ニェ(※いいえ)。これくらいしか知りません。というか、夕方の挨拶は別だとコーレインに教えてもらいましたね」
「ドブリ・ヴィェチュル」
「さすが! ありがたく勉強させていただきます……おっと。ここでは大きな声でお話できないそうですから、ひとまず中庭に向かいましょうか」
「大広間に戻らないの?」
彼女はブラウンの毛をふわふわさせながら、何も言わずに先に歩き出してしまう。
いつも必要以上に下手に出てくるくせに、このあたりがなってないというか。きちんとエスコートしてくれないと……いけない。また
こうして心を揺さぶられ続けていると、よく自分は「井納純一」でいられるな、と我ながら感心してしまう時がある。
もはやマリーとして生きている時間のほうが長いはずなのに。
元男性ゆえの違和感の存在や、何よりエマという「観測者」が存在するのが大きいのだろうけど、ぶっちゃけ前任者たちのように完全に染まりきってしまう気持ちはわからないこともない。
そっちのほうが絶対に楽だ。
圧倒的多数派の中で息を潜めているのは、わりと辛い。
何もかも忘れて、あるいはなかったことにして、新しい人生を送ったほうが精神的にも健康だと思う。
まあ、俺の場合は絶対に子供を産みたくないし、その前段階も許容できないから、完全に染まりきることはないだろう。心身共に女になってたまるものか。いずれ「破滅」を止めて井納純一に戻った時に苦労しちゃうじゃないか。
……終わってからの話は、まだ管理者から何も聞かされていないし、なんか怖いから深く考えないでおこう。
ラミーヘルム城の中庭は暗くなっていた。
城壁の割れ目の向こうで、三日月湖が光を失っている。
東の空は紫色だ。あの先にエマがいる。また会いたいな。いつになったら、大叔父の元から抜け出してくるのやら。
「マリー様。次は何を致します?」
シャルロッテは便所の傍らの木箱に座っている。
中庭の空き地に衛兵用の便所を建てたのは今回も
もちろん『タルトゥッフェル専売公社』の収益とは比べものにならないけど。
「次は……というより、先ほどのベルゲブーク卿との話し合いは大丈夫なのですか」
「ああっ! マリー様に心配させてしまいました。一生の不覚でございます」
シャルロッテは枝毛がちぎれそうなほど周りを見回してから、こっそり先ほどの件を説明してくれた。
曰く、タルトゥッフェルの買取価格は元々が非常に低価格だったので、交渉で多少上げられても収益は出る。何なら小売価格を上げたらいい。市場を独占しているから可能。
専売枠の件では、先方三家はジャガイモの半分を自由に輸出できるようになったものの、周辺都市の小売商店や株仲間はシャルロッテの部下が抑えてあるので、おそらく売り出すのに苦労する。そうなると公社に任せたほうが「楽」という結論になる。
またヒューゲル近辺の輸送馬車の需要は(公社のせいで)逼迫しているため、先方三家は高確率で自前の馬車でジャガイモを売りに行かねばならなくなる。そこまで苦労するなら、やはり公社に任せたほうが……となるのは目に見えている。
さらに先方三家は公社のハーフナー印を使えない。いずれブランド化が進めば、先方三家のほうから「公社で売ってくれ」と話が来るはず。
シャルロッテは説明を終えて、ポンと手を叩いた。
「ひと言で申せば、状況はマリー様の公社が『有利』ということです。どうぞご安心くださいまし」
「鬼ですか、あなたは」
「とんでもございません。ヒューゲルの大きな夢を叶えるために努力を惜しまないまで。わたくしは忘れておりませんよ。あの時の楽しいお話を!」
彼女は神話の語り部のような顔になる。陶酔と恐怖を自ら混ぜ合わせた、わずかに強迫の意図を感じさせる目つき。
お話というのは、二年ほど前に
タオンさんへのプレゼントを売り払った件で非常に気落ちしていた彼女のために、一周目の彼女がとても興味を持っていた「鉄道」など未来技術の話や、もっと踏み込んでヒューゲル公領の未来について話してみた。
いずれ南北戦争が起きることを見越して、ヒューゲルの富国強兵を目指したい……と。
まだ成人も迎えていない少女のお伽話だ。
なのに、シャルロッテは「本気」で応えてきた。公社を作ってくれた。多大な利益をもたらしてくれた。
すごくありがたいけど、前回の出来高を思うと得心がいかない部分もあったりする。
「マリー様。改めて伺いますが、次は何をいたしましょうか」
「タルトゥッフェルの件でしたら、引き続きシャルロッテ女史にお任せしますわ」
「あんなのは商売の形が出来上がってますから、もう部下たちに放り投げてしまえばよいのです」
彼女は両手で包んだ空気をバスケのように後ろに投げてみせる。
うむむ。いきなり次と言われてもなあ。あれくらいしか浮かんでこない。
「鉄道を始めてみますか」
「鉄道! あれは非常に未来を感じさせる計画です。馬の頭数あたりの輸送力が桁違いに上がりますれば。ぜひ早期に取り組みたいところではございますが、いかんせん今のままでは利益が出そうにありませんね」
「なぜです?」
「恐れながら、ヒューゲル国内は徒歩でも生活を回せますし」
「ああ、なるほど」
そういえば、前回のシャルロッテは外国で馬車鉄道を始めようとしていた。クレロ半島の都市国家間を結ぶとか話していたっけ。あとは鉱山線路の話もしていたな。
あの地域は人・モノの活発な往来が古代帝国の頃から続いているから、効率の良い交通機関を設けることで利益を得られると踏んでいたのだろう。
一方のヒューゲルにはラミーヘルム城の城内町以外に都市は存在せず、あとは麦畑と平原が広がるばかり。国内の人の行き来は少ない。そもそも狭い。
活路があるとしたら、せいぜい市内の路面鉄道かな。小さな町だから、ほとんど誰も乗らないだろうけど。
「他国や自由都市まで線路を伸ばせたら、ハーフナー印のタルトゥッフェルを効率良く持っていけますが……」
「他の領主から許可を取りつけるのは、骨が折れますね」
「土地・鉄路管理の分担や利益の分配で揉めるのは目に見えてます。領主という生き物はあらゆるものに税をかけてきますからね」
「良い見本が近くにおりますわ」
「ですから、ここは一旦温めておきまして、もっとお金を稼ぐためにアイデアをいただきたく!」
シャルロッテの求めに、
この時代でも実現できそうな未来のアイデア。
まるで浮かんでこない。
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