4-4 専売特許


     × × ×     


 一六六〇年の年末。

 クリスマスを控えて、城内が慌ただしくなる頃に、シャルロッテ・スネルはある男性を勉強部屋に連れて来てくれた。

 彼は痩せっぽちで身なりに無頓着な中年男だったけど、事前の紹介状によると低地の干拓地で数年前からジャガイモを育てているという。名前はハーフナー。

 慣れない土地に緊張しているのか、公女を前に気後れしているのか、ずっと俯いたまま立ち尽くしている。跪く気配はない。


 代わりにシャルロッテが他己紹介をかって出てくれる。


「マリー様。こちらのハーフナー氏は兄弟で畑を経営しているのですが、なんと兄の嫁に手を付けてしまったそうで!」

「家に居場所がなくなったのですか」

「はい。マリー様は話が早ようございますね。わたくし、話の早い方は好きです。で、この男ですが、路頭に迷っていたところをわたくしの弟が拾い上げ、使い走りにしていたものの……今回の件でめでたく大出世となります! やだ、良かったじゃない!」


 シャルロッテはハーフナー氏の右肩をポンポンと叩く。

 当の本人はあまり嬉しそうではなかった。

 どう考えても自分の意思で来たわけではないもんね。


 とはいえ、国内では稀有な人材なので、ありがたく使役させてもらう。

 俺は椅子から立ちあがり、彼の前に立った。


「ハーフナー氏。すでに承知だとは思いますが、あなたには我が家の官吏になってもらいます」

「おれなんかに……役人になれと仰るのか……?」

「名目的にはわたしの先生になりますけれど、役目は各地のジャガイモ畑の指導員です」

「とんでもねえ、おれは字が読めねえので……報告の紙とか作れねえ……」

「字なんて読めなくてけっこう。立派なジャガイモも育てられたら他は求めません。我が家の家臣たちを存分に指導してください」

「いや、ダメだ。おれが他人に教えるなんぞ、そんな。卑しき身にはおこがましいことで……」

「成功したら一反の畑を与えます」

「やります」

「さすが低地人ですね」


 思わずステレオタイプを口にしてしまい、俺は慌てて両手で抑えた。


 自分が会った人や聞いた話だけをサンプルに、住民への歪んだ思い込みを持つのは良くない。

 奴らはみんなたこ焼き器を持っている、たこ焼きにキャベツを入れたら殺気を放つ……まことしやかに話される「真実」のなんとピント外れなことか。まあ俺の家にはたこ焼き器はあったけど。キャベツ入りは断じて許せないけど。

 でも井納家はタイガースファンではなかった。


 シャルロッテはケラケラと笑う。


「いかにも、我らは低地の民でございますれば。商気炸裂、銅貨一枚の損益さえも見逃さないのです。ところでマリー様、痰でしたら包み紙を差し上げますが?」

「痰など出ませんが、気持ちはありがたく受け取りますわ」

「ではでは、そのありがたみにハーフナー氏を連れてきた功績も合わせまして! よろしければ……本当によければ! 不肖シャロの望みを叶えていただけませんか!」

「何です。どこかの隠居の後妻になりたいのですか。わたしの一存ではとても力には」

「そっちの話ではなくて! お仕事の話でございます」


 作り笑いに揉み手の商人が、赤面の乙女に変わっている。少し可愛い。


 お仕事というとシャルロッテ自身の話かな。

 前回の彼女には各地の情報収集と利殖を命じたけど、今回は富国強兵計画の経済部門を担ってもらうつもりだ。差し当たり公営企業を設立してもらいたい。

 無能おれに出来ないことは専門家に代行させる。

 一周目の反省点を生かさないとね。


「その件でしたら、シャルロッテ女史。実はあなたにやってもらいたいことがありますの」

「わたくしにハーフナー氏のお手伝いをさせていただけませんか!」

「人の話を……お手伝い、ですか?」

「はい。このとおり、ハーフナー氏は文字が読めません。すなわちジャガイモ栽培の方法を文書には残せないということです。古の神話よろしく、全て口伝になってしまいます。効率悪いですよね?」

「たしかに」

「しかも田舎者は作法にも詳しくないので、お家の家臣の方々に迷惑をかけるやもしれません。放っておくと脱走する可能性もありますね。そこで、不肖シャロが補佐役に就こうかと!」

「ハーフナー氏はタオン卿とは似ていませんわよ」

「いや、別にそういうことじゃ……そっか。公女様はもうすぐ思春期でごさいましたか。ふふふ。成長を祝いましょう」


 シャルロッテは含み笑いを見せてくる。

 自分としてはそんな自覚はなかったんだけど、たしかに春には十一歳になるわけだし、兆候は出てきているのかな。気をつけよう。

 第二次性徴を何回も経験するなんて、冷静に考えると地獄だな。


 ボロカスにけなされたハーフナー氏がシャルロッテをものすごくにらみつけているので、公女おれは咳払いをしてから話を進めることにする。


「こほん。では、そのハーフナー氏の補助は他の者にやらせましょう。タオン家の郎党を付けるなり、暇そうな廷臣を宛がうなり。方法はあります」

「恐れながら、この役目はわたくしが適任でございます」

「こだわりますわね」

「こだわります。なにせ不肖シャロの脳内にはアイデアがあふれておりますので」


 シャルロッテはカバンから紫色の手帳を渡してきた。読めということかな。

 ずいぶんと使い倒された手帳だ。ざらざらしている。表紙の端が擦り切れている。公女の幼い指がひっかかる。


「……われいま幸いに、まことの愛を知り、かぎりなき悦びをたまわり」

「ああっ! それ違う! こっちです! すみませんすみません!」

「これ、今読み返してみると愛の詩ですわね。ライムの出版社に持ち込むつもりなのかしら」

「こちらをお読みくださいまし」


 彼女が強引に見せてきたのは、ジャガイモ栽培に関する広範な計画案だった。

 子供が読めるようにわかりやすく作られており、おかげで大まかな内容はすぐに読み取れた。


 ……ヒューゲル国内のタルトゥッフェル生産は、各国の例を見るかぎりでは三年目までには軌道に乗ると思われる。

 しかし、現状のヒューゲル地方にはタルトゥッフェルを食用とする文化が存在しない。このままでは収穫しても在庫になるだけである。

 他の穀物のように何年も保管できるものではないため、二年目以降は確実に「死蔵」と化す。

 よって我々『タルトゥッフェル公社』は、生産活動と平行しながら国内消費の喚起、国外の販路拡大を目指していく形になる……。


「タルトゥッフェル公社?」

「仮称でございます。お好きな名前を付けてくださいまし」

「あなた……うちで会社をやるつもりなの?」

「大げさに捉えることはありません。タルトゥッフェルを広めるための道具です。いけませんか?」


 シャルロッテは上目遣いで許可を求めてくる。

 こちらとしてはまさにドンピシャの話だけど……何だか腑に落ちない。前回はそんな前向きな話を持ち込んで来なかったのに、どうして今回は会社を作りたいとか言い出したのだろう。まだ鉄道の話もしてないのに。

 やはり業務内容に不満があったのかな。だったら、それこそ流しの行商人もどきではなく大きなことをやりたい! とか早めに言ってくれれば良かったじゃないか。

 井納には君の活用法がちっとも浮かばなかったんだから。


「まあ、いいですわ。ぜひ、やってくださいまし。わたしもあなたには大きな役割を与えたいと思っていたの」

「ああっ。マリー様は本当に話がお早い。わたくしが男なら絶対に好きになっております」

「やめなさい」

「つきましては朱印と共に先立つものをいただけますと、大変に助かります!」


 シャルロッテは今さらながら跪いてきた。現金な人だ。

 計画案の末尾にはちゃっかり概算要求が添付されており、「A案」ではざっと砦が建てられそうなほどの金額になっていた。

 一応、「B案」「C案」では事業内容が縮小されるかわりに要求額を抑えてあるあたり、彼女なりに公女のお財布を気にかけてくれているようだ。なんかスマホの契約プランみたい。


 下手にお金をケチって失敗したら元も子もないので、


「お金はタオン家から十分に借りています。A案で行きましょうか」

「ふふふ。ご冗談を。アルフレッド程度の陪臣がこんなに出せるはずありません。さしずめ、ご両親から支援を受けられたのでしょう?」

「嘘は言いませんわ」

「ふふふふふ……えっ」


 何かを悟ったらしい彼女は、不安定なまばたきを繰り返す。目の焦点が合っていない。

 しくじったかな。お金の出所はあえて話さず、適当にごまかしておいたほうが良かったかもしれない。ここまでショックを受けるとは思わなかった。


 床に膝立ちのまま、肩を落として落胆している彼女に、俺はとっておきのプレゼントを渡しておくことにした。



     × × ×     



 ヒューゲルにおけるジャガイモ生産が本格化したのは翌々年のことになる。

 一六六二年の秋。大広間・評定終了後の食卓には、ベルゲブーク領で掘り出されたばかりの芋を使った、山盛りのポテトケーキ・プッファーが供された。

 城の大広間が、香ばしい匂いで染め抜かれる。

 味はまあ……ぼちぼちだけど、決して不味いものじゃない。むしろ同盟料理のランキングなら上位を狙える。ジョフロアさんのグレイビーソースが非常に合う。


 あごに折れたシャー芯を刺しまくったかのような独特のヒゲを生やしているベルゲブーク卿は、お父様との会話の中で自領の作物を称えていた。


「タルトゥッフェルは荒地から神がもたらす土のリンゴ。拙者の兵のかてにも利用しております」

「収入が増えたならば、お前の領地の通行税を召し上げてもかまわんな」

「お戯れを!」


 さすがはケチなお父様。いきなり家臣の徴税権をもぎ取ろうとしている。

 対するベルゲブーク卿は許されるかぎりの大声で制止していた。評定の続きをやっているみたいだ。


「拙者の通行税は兵営のために必要なもの。切り取られては困ります。逆にパウル公には陳情を出したいほどですぞ」

「なんだ。他にもあるのか」

「タルトゥッフェル専売公社の買取価格を上げていただきたい。相場より五倍も安く買い叩かれているのは納得できかねます」

「その件はマリーに言ってくれ」

「お嬢様に拙者から強く言えるはずないでしょう!」


 そのわりにはこっちにも聞こえるほどの大声で話してくれているけど、公女としては関知していない件なので反応は謹んでおく。

 廷臣たちのテーブルに目を向けてみると、シャルロッテがいたずらっぽく舌を出していた。


 彼女の『タルトゥッフェル専売公社』は、ハーフナー流のジャガイモ栽培法および栽培状況の巡回管理サービスを提供するかわりに、ジャガイモの国外輸出を優先的に請け負う契約を先方三家と結んでいる。

 契約当初はジャガイモが他国に売れるような状況ではなかったので、ベルゲブーク卿たちは特に問題視することなく、むしろタダ同然の有利な条件だとしてサインしたようだけど……シャルロッテのほうが何枚も上手だった。


 彼女は周辺の城下町や自由都市に『ハーフナーの自由芋』という名前のフライドポテト販売店を作り上げ、さらにジャガイモ自体の調理法を小冊子にして市民に繰り返し配布した。村落まで出向いて出張説明会を行うこともあった。

 このように親しみを持ってもらうことで、かつて『新大陸の変な植物』だったジャガイモはあっという間に食卓に入り込み、ヒューゲルのタルトゥッフェルは売れまくった。

 なにせ周りでジャガイモを栽培しているのはヒューゲルだけだ。独占禁止法もあったもんじゃない。というか存在しないし。


 もっとも、シャルロッテの推測では「すぐに周辺国でもタルトゥッフェルの栽培は進みますよ」とのことだった。

 それを見越して、ヒューゲル各地から国外に出ていくジャガイモの箱にはハーフナー氏の似顔絵が入っている。

 一級品には『ハーフナー・スペシャル』の文字。

 ブランド化するつもりらしい。


「ええい。公女様の代理人! 拙者の前に出てこい!」

「てへっ、お呼ばれされちゃいましたね」


 シャルロッテは座っていたテーブルの面々に断りを入れてから、公女やお父様が座っている上座のテーブルまでやってくる。

 へらへらとした営業スマイルは少しも崩れていない。


「専売公社のふわふわ女! たしかに拙者たちは専売契約を結んだが、あまりに価格が不合理ではないか!」

「そうだそうだ!」


 ベルゲブーク卿の酒気を帯びた主張に、同じ立場の若タオンとボルン卿が同調する。お父様は何も言わない。

 三対一は不利だな。相手とは身分も異なる。一方的に打ち消されてもおかしくない。


 公女おれは加勢するべく立ち上がろうとしたけど、なぜかシャルロッテは右手で制止してきた。

 一人で言い含められる自信があるのだろうか。


「ベルゲブーク様。契約は契約でごさいます。別に公女様の公社としては、輸出から手を引かせていただいてもかまわないのですよ。もちろん専売契約ですから、あなたがたは余った芋を畑で腐らせることになりますが」

「女商人が舐めたことを。お前だって利益を失うぞ! 拙者たちと共倒れするのか!」

「わかりました。では来年の収穫分から専売枠は半分に削減。買取価格は定額から変動制とさせていただきましょう。これでよろしいでしょうか?」

「おおっ!」


 先方三家の面々は一転して子供のような笑みを浮かべる。

 彼らとしては存外の譲歩を得られたみたいだ。

 よほど嬉しかったのか、三人で乾杯なんかしちゃっている。酔ってる。


 そんな彼らを尻目に、タオンさんがシャルロッテに話しかけていた。


「ずいぶんと慎ましいな、守銭奴のお前にしては」

「あら。アルフレッドがそう感じたなら心配なさそうね」

「どういうことだ?」

「教えてあげない」

「お前の公社の出資者として、私には知る権利があるだろう」

「ふふふ。そうね」


 シャルロッテはタオンさんに近づくと、何やら耳打ちを始める。

 年甲斐もなく恥ずかしそうなタオンさんは、なかなか見物だった。


「……なるほど。お前という奴は」

「アルフレッドにはしっかり配当金をあげるから、楽しみに待ってなさいね」

「そうさせてもらう」


 タオンさんは呆れたように笑みを浮かべる。

 どんなカラクリがあるのやら。公社に利益があるのはいいけど、あこぎにやりすぎると今回みたく恨みが表に出てくるから気をつけてほしい。

 後で注意しておこう。


「あ、あの! シャルロッテ先生、よければ僕の隣でお話を!」

「おやおや! 次期当主様からお誘いいただけるとは! 不肖シャロ、光栄の極みでごさいます! 高速で向かわねば!」


 シャルロッテはタオンさんから赤ワインのグラスをひったくると、カミルの右隣の空席に腰を据えた。

 つまり公女の対面だったりする。


 本来の座主・イングリッドおばさんはエヴリナお母様を迎えに出向いている。

 おばさんは役目を果たそうと努力しているけど、おそらく今日もお母様が外に出てくることはないだろう。


 別に持病の引きこもりをこじらせたわけではなく、四人目を宿しているわけでもない。

 三人目、公女の「妹」に夢中だからだ。

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