4-3 収穫


     × × ×     


 タルトゥッフェル。

 もといジャガイモをヒューゲル国内に広めることは自分の中で規定路線だった。

 連作に弱いらしい点と調理法の周知が必要となる点を除けば、非常に有用な作物だ。旱魃に強いから六年後の「不作」を切り抜けやすくなる。

 仮に大叔父の助けがなくてもヒューゲルが餓死せずに済むなら、その時はタオン兵を送り込んでエマを取り戻すという手荒な選択肢も浮上させられるし。


 お母様におねだりすることで、時間はかかったものの御用商人から種芋を入手できた公女おれは、さっそく栽培に取り掛かることにした。

 もっとも公女が健気けなげに城内で家庭菜園を始めるわけではない。そんなレベルでは約十六万人のヒューゲル市民の胃袋を満たせないからね。


 一六六〇年二月末日。

 俺は三名の男性を引き連れて、厨房の奥・食料保管室にやってきていた。

 一周目ではエマが幽閉されていた例の保管室には、往時のベッドや洗面桶の代わりに木箱が用意されている。

 三名の男性――タオンさん、ボルン卿、ベルゲブーク卿は、木箱の中身を手に取ると、怪訝な表情を浮かべた。


「こいつはタルトゥッフェルというものですな」

「アルフレッド、君は知っているのかね。自分は初めて見たよ。テオドールは?」

「拙者も初見だ」


 先方三家の当主たちは困惑しながらもジャガイモの手触りや匂いを確かめている。どうも外見が食べ物に見えないみたいだ。

 存在を知っていたタオンさんはともかく、他の二人はあからさまに「不格好な」「何の役に立つのだ」と嫌悪感を示していた。

 このような反応は先日のイングリッドおばさんも同様だったので、今回はイメージを払拭するために手を打ってある。


「ジョフロアさん、来てくださるかしら」

「お待たせいたしました」


 ライム王国生まれの料理長・ジョフロアが持ってきてくれたのは皿に盛られたフライドポテト。

 自分の好みで細切りにしてもらっている。

 井納おれの父親はハンバーグの付け合わせにありがちな厚切りが好きだったけど、俺は昔からマクド系のポテトが好きだ。


 油物の匂いが暗い部屋中を空腹に染めていく。

 初めに手を付けたのはタオンさんだった。


「……ふむ。こいつはたまりませんな。ビールが欲しくなります」

「美食家のアルフレッドがそう言うなら」

「拙者もいただこう」


 ボルン卿とベルゲブーク卿も試食してから、お互いの面白い顔を見合わせていた。よしよし。美味しさが伝わったみたいだ。


 前回、自分はこの世界のジャガイモを不味いと感じた。

 あの時は素材の味がモロに出てしまうマッシュポテトをいただいたから、品種改良された味を知っている者としては受け入れられなかった。

 しかしフライドポテトなら味なんて多少ごまかせる。

 マッシュポテトでもフライパンで焼いてしまえば、なかなか味のあるポテトケーキになる。

 他にも調理法はたくさん。

 タルトゥッフェルには可能性がある。


 気づけば、先方三家の面々はフライドポテトを食べきってしまっていた。城の評定が終わってすぐに連れてきたから、みんな腹ペコだったのだろう。


 俺は料理長に指示を出す。


「ジョフロアさん、フライドポテトを大広間の夕食会にも出してもらえますか。責任はお母様が取りますから」

「仰せのままに」

「緑色になっている部分はくれぐれも使わないでくださいね」

「承知しております。お任せくださいませ、マドモアゼル」


 ライム王国生まれの料理長は生き生きとした足取りで厨房に戻っていった。みんなにフライドポテトを褒めてもらえて嬉しかったのかな。飛び跳ねている。


 タオンさんたちは再び種芋に注目していた。

 以前のように怪訝な目では見ていない。むしろボルン卿などは宝石を手に取るように扱っている。


「……ボルン卿。あなたの領地でそのタルトゥッフェルを育ててみませんか」

「よろしいのですか?」

「春になったら休耕地に植えるとよろしいですわ。栽培方法は御用商人から訊いてくださいまし」

「ありがたき幸せ。このゲオルグ、感無量でございます」

「もちろん、種芋を独り占めしてはいけませんよ。領民の皆さんにも、タオン卿やベルゲブーク卿にも分けてくださいね」

「仰せのままに」


 ボルン卿は太った肉体を駆使して、公女に礼を示してくれる。

 他の二人もそれに倣ってくれた。

 あとは公女が涼しい顔で立ち去るだけ……よっしゃ。よくやったぞ。完全に想定通りに話が進んだ。


 先方三家の領地でジャガイモ栽培が広まれば、いずれ直轄領にも波及してくる。

 自分は公女なのだから、国家の収支に直結する直轄領から先に広めるのも手ではあったけど、ヒューゲルの地方官たちに普及を任せるとロクなことにならない気がしたからね。

 一周目の十六歳の秋。不作で苦しむ領民たちに配られる予定だった穀物を、役人たちは自分のポケットに入れた。

 それがあの『ブルネンの乱』が始まるきっかけになった。

 そんな役人たちにタルトゥッフェルを渡しても、珍品として横流しされかねない。


 ブルネンといえば……あの老将はまだ城内町で武器商人をやっている頃か。今度会ってみようかな。


「公女様」


 厨房のあたりで、タオンさんが追いついてきた。

 口元にフライドポテトのカスが付いている。おじさんなのにあざとい。

 いつものお礼にハンカチで拭いてあげようと思ったけど、どう考えても公女の身長が足りなかった。


「……どうされました、タオン卿」

「あのような代物をどこから手に入れたのです。あれほどの数を」

「お母様からいただきました」

「食用ではなく作付けに使うための種芋を……あえておねだりされたと?」

「ストルチェクにいた頃、タルトゥッフェルの利点をあちらの方から教わったことがありましたの。ならばヒューゲルでも栽培するべきでしょう。今後何があるかわかりませんし」

「なるほど」


 タオンさんはこちらの方便に納得を示してくれるけど、内心は窺い知れない。

 ただ、ちょっと嬉しそうだった。


「公女様はパウル公の血を強く受け継いでおられますな。良きことです」

「……チビなのは年のせいですわ」

「ほほほ」


 彼は人好きのする笑みをこぼすと、後からやってきたボルン卿・ベルゲブーク卿と連れだって大広間まで歩いていった。


 公女もそろそろ夕食会に向かう時間だ。精神的に一人ぼっちのお母様が泣き出す前に隣席してあげないと世間体が不味い。



     × × ×     



 その年の九月。

 俺は弟カミルと二人で、タオン邸に泊まりに来ていた。

 来客室の机には不揃いな形のジャガイモが並んでいる。表面が変色しているもの、やたら小粒なもの、細長い枝が伸びたもの。

 あらゆる点で初年度らしい芋ばかりだ。カミルが楽しそうにつっついている。


 女中たちの噂話によると、ボルン家やベルゲブーク家でも上手に栽培できなかったらしい。

 本当は彼ら自身から報告を受けたかったけど、なぜか夏頃から近づくと逃げられるようになってしまった。失敗に負い目を感じていたのかな。別に初めから上手くいくとは思ってないのに。


 タオンさんは正面から「ダメでした」と頭を下げてきた。

 そして見せてもらったのが、机の上の『一年生』たちだ。


「お姉様、タルトゥッフェルというのは変な形をしておりますね!」

「そうね」

「そのまま食べられるのですか? 僕は興味があります」

「死にたくなければ、やめておきなさい」


 姉の忠告に、カミルは手に持っていた細長い芋を床に落とした。

 あっけなく砕けた芋は、中身まで変色していた。


 タオン家の家人の見立てでは、どうも例の御用商人に教えてもらった栽培法が間違っていたらしい……おそらく。

 ヒューゲル国内にジャガイモの専門家がいないので、何がダメだったのか現状では具体的に検証できそうにない。

 天候が原因かもしれないし、作付けした土地が不適切だった可能性もある。


「……家庭菜園で成功してから広めるべきだったかな」


 我ながら見通しが甘かった。家臣たちにいらぬ失敗を押しつけてしまった。

 今後はこの机上の『一年生』のうち、まともな代物からまた種芋を作り、トライ&エラーを繰り返していく形になるだろう。そのうち成功の経験則が生まれてくる。

 もちろん先方三家が意欲を失わないかぎり、という但し書きは付いてしまう。


 せめてジャガイモの専門書が手に入ればなあ。お母様におねだりしようにも、臨月の妊婦に迷惑はかけたくないし。

 こんな時に都合良く、ジャガイモに詳しい人が訪ねてきたりしないものかな。


「公女様。突然ですが、あなたにお目見えしたいと申す者が……」

「マリー様! お久しぶりでございますれば!」

「おい、シャルロッテ! まだ拝謁の許しをいただいておらんぞ! 口を挟むな!」


 とてつもなくタイムリーな来訪者だった。

 なんてね。本当は彼女がやってくることを見越して、自分はここに来ていたりする。


 シャルロッテ・スネル。

 チューリップ・バブルに敗れた女商人は、相変わらず栗毛をふわふわさせていた。

 服装は逃亡中の身だけあって、非常に地味だけど、肌色の谷間が全てを補っている。


「うわ、綺麗なお姉さん……」


 カミルはその色香に赤面!

 そういえば年上好きだったね。


 ちなみに彼女がどれだけ努力しても、肝心のタオンさんには届いていないようだった。


「公女様。こちらは二年前にもお会いされたスネル商会の……」

「存じております。全財産を失ったのですね」

「え、ああ……そのとおりのようですが……」

「低地の借金取りから逃げてきたのでしょう。見た目で何となくわかります」

「そんなにわかるものですかな……んんん……?」


 ちょっと話を巻きすぎたかな。まあいいや。


 困惑気味のタオンさんは放っておいて、公女おれはやたらニヤニヤしている女の前に立つ。

 両手をにぎにぎしている姿は自分の知っている彼女のものだった。

 二年前の時はまだ金持ちだったから、まるで媚びてこなかったな。むしろクールなエリートお姉さんって感じで。思い出すと変な笑いが込み上げてくる。


「ぷくく……シャルロッテ女史、発言を許しますわ」

「ありがたき幸せ! いやはやはやはや! マリー様は可憐になられましたね! 不肖シャロ、目が幸せでございます!」

「あなた、タルトゥッフェルの栽培には詳しくて?」

「おお! 奇遇にも過去に取り扱っておりました!」

「栽培の経験は?」

「熱意はあります!」


 シャルロッテは顔色を変えずに訴えてくる。

 栽培経験は無いらしい。まあ交易商だからね。

 でも過去に取引していたなら、つてはあるはず。


「我が家ではタルトゥッフェルの専門家、専門書を求めています」

「お目が高い。あれは庶民の未来を支えるものでございます」

「わたしの目の前にどちらかを持ってきてくれたなら、あなたを一生ラミーヘルム城で匿ってあげます」

「なっ……そ、そんな都合の良い話があってよろしいのですか!? 不肖シャロはだまされていませんか!?」

「良いのです」


 公女の答えに、シャルロッテは今さらながら跪いてきた。

 彼我の高低差が、懐かしさにあふれる。


「マリー様。しばしお待ちくださいませ。スネルの名にかけて、あなた様の元にお望みの品を持って参ります。だからアルフレッド、郵便代を立て替えてくれない?」

「お前、そこまで落ちぶれていたのか」


 タオンさんはポケットから適当な銀貨を取り出すと、シャルロッテに手渡した。

 ラミーヘルム市内の宿駅に手紙を預けるつもりなのだろう。同盟郵便は民間人でも使える。お金さえ払えば、手紙は低地や新世界まで届く。


 シャルロッテが足早に出ていってから時を置かず、俺はタオンさんに床に跪くようにお願いした。

 別に君臣の関係を改めて理解させたいわけではない。

 近くにカミルがいるから、耳打ちさせてもらいたかった。


「……タオン卿。この館にはシャルロッテ女史が以前持ち込んだ新世界の珍品が残っていますね?」

「売りさばくわけにもいきませんからな。納屋に入れております」

「売りさばきましょう」

「なんですと?」

「タオン卿なら、ああいう品を好む方とも交遊があるでしょう。それなりの値打ちになるはずです」

「シャルロッテの持ち物ですぞ」

「いいえ、あなたの所有物ですわ。もし彼女の持ち物なら、商会が破産する前に取りに来るはずだもの」

「……であれば、売りさばいた金は私のものですな」

「構いません。シャルロッテ女史に貸してくださるなら」

「話が読めませんな」

「わたしは彼女に商売をさせたいのです。あの才能なら巨万の富を産み出すのも夢ではありませんわ。そのためには元手が不可欠です」

「あいつのものをあいつが売るという話なら、私が関わることでは」

「好きな人に渡した『プレゼント』を取り返して、しかもお金欲しさに売ってしまうなんて、若い娘にはできっこないでしょう?」

「…………なるほど」


 タオンさんは少し悩ましげに白髪を掻いてから、小さくため息をついた。

 彼もわかっていないわけではないのだ。応える気がないだけで。

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