4-2 忖度
× × ×
二周目のマリー・フォン・ヒューゲルには友人が一人もいない。
前回もさほど多いとは言えなかった。エマは別枠として、他の上流階級の娘たちは友人というより互いに「社交相手」の扱いだった。大人になってからは忙しかったこともあって、あまり話すことがなかった。
今回はお母様の妄執もあり、すでに公女の周りには全く子供が寄りついていない。
幼少期にトランプの相手をしてくれた娘たちとは疎遠になってしまっている。ストルチェクでも同年代の友人はできなかった。半年以上居たのに。
だから、何だ。という話だけど。
別にマリーの人生を幸せにする必要はなく、あくまで俺は「破滅」を止めるために彼女の肉体を使っているのだから、交友関係の乏しさを寂しがることはない。
そもそも何でも話せる仲の友人を作ろうだなんて、自分が井納純一である以上はありえない話だ。うっかり腹を割ったら日本人の顔が出てきてしまう。想像すると地味に怖いな。
その点でいうと、やっぱりエマは特別な存在になる。
ヒューゲルに戻ってから約五ヶ月が過ぎた。一六六〇年二月。
日常は何事もなかったように取り戻されている。
公女と公妃のお戻りを祝うための宴席は一夜で終わり、翌日にはイングリッドおばさんによる楽器のレッスンが再開された。
「あなたが旅行から戻ってきた時のために、クレロまで出向いて楽譜を増やしておいたのよ。さあ、長旅で鈍った指先を取り戻さないと」
おばさんを含めた城の住民の中では、あの家出は「帰郷旅行」という扱いになっていた。
たぶんパウル公が周りにそのように伝えていたのだろう。
奥さんと子供に逃げられたなんて、君主の沽券に関わるからね。
真実を知っているのは当事者とタオンさんのみ。
時に秘密の告白という甘美な誘惑に駆られそうになるけど、久しぶりにお母様と会えた弟の顔を見てしまうと何も言えなくなった。
「お母様! お母様! どこにいたのですか!」
カミルの奴、はしゃいでいたなあ。一度は捨てられたようなものだぞ。
当のお母様は弟を抱きしめながら、こちらに指示を仰ぐような目線を送ってきていた。もっと強く抱いてあげてとジェスチャーを返してみたら、弟はちょっと痛そうにしていた。
あの件の言い訳の果てに、お母様はより公女に媚びるようになっていた。以前から兆候があった部分が酷くなった。
愛する娘のためと称して、勉強部屋の掃除やドレスの制作など、およそ公妃がやらなくてもいいことをやりたがり、会うたびに何か欲しいものはないかと訊ねてくる。心配そうな笑みを浮かべながら。
井納にとっては
かつて男子高校生だった頃の思い出が心中から浮き出てくる。
あの頃、俺はバイト先のコンビニで同僚の女子高生から相談を受けたことがあった。前世では数少ない女性関係のイベントの一つだ。
『部活の先輩が良い人すぎて面倒くさいの』
『良い人なのに?』
『うん』
彼女は文芸部に入っていた。
和気あいあいとした楽しい部活の中で、特に仲が良い男子の先輩がいたらしい。名前は今永さん。
彼は入部した時から何かと世話を焼いてくれていたけど、彼女はだんだんそれが面倒くさくなってきたという。
『……友達と繁華街のクラブに行くってツイートしたらさ、今永さん、わざわざ気をつけてねとコメント入れてくるし』
『良い人だね』
『自分が嫌いでたまらない~~って気に入ったバンドの歌詞をツイートしたら、どうした、大丈夫? あんま気に病むなよ、とかさー』
『たまにそういうことあるよね』
『LINEの既読めっちゃ早いし』
『え、それくらいは普通じゃない?』
『面倒くさいよ! なんかさ、なんか……変に縛られてるというか……キモイの。でも向こうは何も悪くないし、この頃そんなんばっかり』
当時は彼女の気持ちがわからず、とりあえず不細工な男に好かれたくないんだろうなとしか思わなかった。
今となっては何なくわかる。
相手から人間として信頼されていない気がするんだろう。
彼女の場合、今永さんはストレートに好意を伝えてこなかった。たぶん性格的に伝えられなかった。あるいは勝ち目がないと悟っていた。そのぶん彼女に好かれようと(おそらく彼女から告白されることを期待して)コミュニケーションを取りたがり、それが先輩としての忠告や心配の形になってしまった。
どのように良心で包んだところで忠告には「相手の不備を指摘する」部分がある。攻撃・人格否定と捉えられやすい。
そんなコミュニケーションばかりでは、よほどイケメンでもないかぎり恋愛的に好きになってもらえないのは目に見えている。ヨハンはモテるらしいけど金持ちだから参考にならない。
ちなみに彼女は今永さんに「絶縁」を突きつけたことで楽しい人生を取り戻していた。
相手は失態を挽回するためかお詫びのプレゼントを送ってきたそうだけど、一切受け取らなかったら「今までありがとう」と絶縁を認めてくれたそうだ。
彼女、わりと可愛い子だったので、後に俺も勇気を振りしぼって告白してみたら、返す刀で斬り捨てられたな。コンビニのバイトは辞めざるを得なくなった。辛い。
……かなり話が逸れてしまった。
要するに一方的な好意は時として好まれないという話だ。好意の見返りを求められているのならなおさら。
今永さんは忠告の見返りに恋仲になることを求めた。
お母様は娘を手放したくないからこそ懸命に媚びてくる。
あまり使いたくない言葉だけど……哀れな両名に共通しているのは何だろう。
好意を向けている相手から大して好かれていない点、他には……。
「マリー。寒くないの」
ラミーヘルム城の廊下で考え込んでいたら、お母様に話しかけられた。
季節は冬を迎えている。ドレスの裾から入り込んでくる冷気は公女の細い足を痛めつけていた。
仮にも女の子が身体を冷やすのは良くないな。たまにはお母様に感謝しないと。
「少し考えてごとをしておりました」
「悩みがあるの?」
「いえ。大したことではありません」
「私には何でも話してほしいわ、私の愛娘」
「……お母様からいただいたタルトゥッフェルのことを」
「そう」
お母様はこちらの方便にニッコリと微笑むと、ふと思い出したように右手で自身のお腹をさすり始めた。
まるで宝物を得たかのような満足ぶりだ。おやつに美味しいケーキでも食べたのかな。
まさか。
「マリー。あなた、前に弟が欲しいと言っていたわね」
おおお……なんてこった。
マクシミリアン。今回のお前はお姉ちゃんへの忖度で生まれてしまったよ。
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