3-4 再会


     × × ×     


 エヴリナお母様には、かつて『非常に親密な男性』がいた。

 子供の頃から共に過ごしてきた仲で、曰く「遊び心」で将来の結婚を約束していたらしい。

 名前はミコワイ・フリンスキ。地元の名士の子だったという。


 しかしながら、二人の関係は切り裂かれた。

 他ならぬパウル公によって。


 お母様がパウル公と出会ったのは、公女が生まれる三年前だった。つまり一六四七年。まだお母様がうら若き乙女だった頃だ。

 世界史では十五年戦争の終結により、同盟領内の混乱が収まってきた時代にあたる。もっとも戦乱の記憶は生々しく残り、未だ『残骸』がうごめいていたらしい。


 その『残骸』の欠片……仕事を失った荒くれ者の元兵士たちが、大叔父の領地に攻めてきたことがあった。

 大叔父とエヴリナお母様の父は郎党と共に立ち向かったけど、なまくら刀では歴戦の猛者たちにまるで太刀打ちできず、家族の大半が殺されたという。

 お母様と大叔父も居館に追い詰められた。


 そこに救世主のように現れたのが、パウル公率いる六百の兵だった。

 パウル公は同盟領内から逃げ出した荒くれ者たちを追討するために、遥々ヴィエルコ=ストルチェカ地方まで出兵していたらしい。

 いくら荒くれ者が手練れ揃いとはいえ、当時のヒューゲル兵に正面から勝てるはずもなく――大叔父自慢の大麦畑が、彼らの終焉の地となった。


 命を救われた形となった大叔父は、パウル公を酒席に招いた。家族の生き残りでは唯一の女性だったお母様がパウル公の接待をすることになり、その日のうちに両家の間でお母様の意向を問わずして「婚姻契約」が結ばれた。

 大叔父にとっては、命の恩人に報いる形になるし、今後もいざという時には縁者として守ってもらえる。

 パウル公にとしては、飢饉の際に大叔父から穀物を融通してもらえる――実際、一周目ではお母様の実家から送られてきた穀物がヒューゲル市民を救うことになった。

 まさにウィン・ウィンの契約だった。


 もちろんお母様当人にとっては、家の都合で決められた結婚だ。

 大切な家族を殺しまわった荒くれ者が同盟人ニェメツだったこともあり、お母様はパウル公を好ましく思わなかった。


「……そもそも、あの人が追討しなければ、あの荒くれ者のニェメツたちがストルチェクまで逃げてくることもなかったはずよ」


 スワフニからの帰りの車中で、お母様は吐き捨てるように呟いた。

 公女は何も言えない。


「ああ。あの時はすまなかったな。だが、今ここにいるんだから良いじゃないか。お前には目に入れても痛くないほど可愛い娘もできた。クソ幸せだろう?」

「叔父様」

「怒るな怒るな。ワシとしてはな、助けてもらった恩返しというより、あのヒューゲル公なら絶対にお前を守れると思っただけなんだ。ワシらが守れなかったからな」

「…………」


 今度はお母様が無言になった。

 二頭立ての馬車はゆるやかに揺れている。


「……別に、ミコワイの奴と再婚しても構わんぞ」

「無理言わないで」

「なぜだ? ヒューゲル公に未練があるわけでもあるまいに」

「あの人、既婚者だもの」


 お母様の答えに、大叔父はゲップで応えた。



     × × ×     



 二日かけて大叔父の館まで戻ってくると、タデウシュさんが出迎えてくれた。

 世界有数のメシマズ料理人である彼の隣には、目が血走っている中年男性が控えていた。

 パステルカラーの衣服、マント、シルクハット、シンプルな襟飾りといった出で立ちで、いわゆる『低地好み』の格好になる。


「旦那様、エヴリナ様、マリー様。こちらは低地商人のコーレイン氏です。例の魔法使いの件でお連れいたしました。かなり格安で売ってもらえるとのことです」

「ハーイ」


 タデウシュさんの紹介に、コーレインと呼ばれた男は気楽な会釈をしてくれた。低地人っぽい。


「そうか。ではワシが話すとしよう。奥の間に来てくれるか」

「ハイヨロコンデ」


 どうもコーレイン氏はストルチェク語が苦手らしく、とてもたどたどしい返答になっている。

 あれでまともな話ができるのか。

 というか、彼は何者なんだろう。一周目では見かけなかった人だ。

 たしかお母様はシャルロッテの部下からエマを手に入れていたはず……つまりエマはスネル商会の商品だったことになる。

 コーレイン氏がその部下だとしたら。


 俺は気になってしまい、こっそり奥の間に近づいてみた。

 大叔父とコーレイン氏はソファに座っている。


「……アノ。ワレワレ低地人、スゴクセッカチ。ナルベク即金。ハヤク話ヲツケタイ」

「ワシは拙速は好かん」

「足元ヲ見テクダサイ。スゴク格安シマス! ウチノ商会、オカネ不足ピンチ!」

「そこまで言うなら今日中に話をつけてもいいだろう。どれくらいが足切りになるんだ?」

「コチラ!」


 コーレイン氏はカバンから羊皮紙を出してきた。

 そこに魔法使いの代金が記されているようで、二人は顔を突き合わせてブツブツと交渉に移っている。能力の説明もしているみたいだ。

 やがて彼らの右手が固く握られた。


「わかった。ではその魔法使いを購入するとしよう。代金はヴァルタ川以北、我が家の土地の半分だ。大法官からもらった大田文おおたぶみと証書をくれてやるから、お前が自分でコメダ家に売ってくれ」

「ハイヨロコンデ!」


 コーレイン氏は満面の笑みを浮かべて、大叔父から紙を受け取る。

 サインが交わされる。

 あっという間に契約が成立してしまった。


 コーレイン氏の話では商品の魔法使いを連れてきているらしく、すぐにも引き渡す形になるようだ。


 どうしよう……もしエマじゃなかったら、二周目・富国強兵計画を練り直すことになってしまう。

 まあ公女がストルチェクに来ちゃっているあたりで現状では計画もクソもないけど、あの子がいないと「正確な記憶」を脳内から取り出せない。

 八歳の時にシャルロッテが家庭教師に加わったという例の勘違いからもわかるとおり、人間の記憶なんて不確かなものだ。忘れてしまうし、何度も思い出す中で書き換えられてしまうこともある。

 その点でエマは「過去に見たもの・経験」をそのまま持ってこられる。なにせ井納本人がうろ覚えの映画を彼女はクスクス笑いながら楽しんでいたわけだし。

 俺が井納純一であり続けるためにも、彼女には傍らにいてほしかった。


 とはいえ……ぶっちゃけ、新たな魔法使いに興味があることは否めない。

 先日の『足まといのヴォイチェフ』やキーファー家の飛行娘みたく使い勝手の良さそうな奴なら、ともするとエマより有用かもしれないし。

 パンを食べると手のひらから純金が沸いてくるとか、パンを食べると敵兵がみんな幼児化するとか、そんな魔法使いが来てくれたらありがたいな。


「マリー、何をしている」

「あ……すみません大叔父様。盗み聞きしてしまいました」

「別に構わんが、今からお前の欲しがっていたものを受け取りに行くぞ。ついてこい」


 大叔父は居館の外に出ていった。

 コーレイン氏も「イキマショ」と手招きしてくる。


 森の片隅の水桶に、二頭立てのいかめしい馬車が停まっていた。荷台が鉄板で守られている。まるで装甲車だ。

 明らかにカタギではない怪しい男たちの姿も見える。用心棒だな。


「アケマス。ゴタイメンデス」


 コーレイン氏は荷台の扉の錠前を外すと、周りの男たちと力を合わせて鉄扉をこじ開けた。


 中から出てきたのは――異民族の少女だった。

 眠たげな目には確固たる意志が宿っており、黒い髪を後頭部で丁寧に結っている。年齢は公女と同じくらい。

 あどけない、整った顔つきに思い出の輪郭が重なる。

 エマだった。


「コチラノ娘デス。可愛ガッテクダサイ」

「おい。そいつの家族はどこにいるんだ。化物なんだぞ、人質がいないと安心できん」

「イズレ!」


 コーレイン氏は大叔父の土地の売却が済んでから家族を連れてくると説明する。

 エマは一人で来たはずなので、ウソっぱちだ。カタコトのわりになかなかの狐だな。さすがシャルロッテの部下。


 当のエマは、ずっと俺のことを見つめていた。

 子供としては同じ年頃の子供が気になるよね。羨ましいとか、妬ましいとか、そういう気持ちではなく、たぶん単純に同類だから。

 何にせよ……彼女には『思い出して』もらおう。


「エマ」

「……フェリシア。エマじゃない」

「いいや、君はエマだよ」


 公女の手と彼女の手が、ピタリとくっつく。


 エマは怪訝そうな目をしていたけど、やがて悟ったような様子に変わっていった。

 やっと会えた。

 前回より遅くなってごめんね。


「……手から純金なんて出せない」

「そんなのどうでもいいよ。それはシャルロッテにやらせるから」

「あの女?」

「そうそう。いずれ公女の手下になるから」

「……インストールに時間かかりそう」

「後でおでこを当てればいいさ」


 旧友との再会が嬉しくてたまらず、俺はエマに抱きついてしまった。

 十年ぶりの匂い。抱擁をやめられそうにない。


 その様子を忌々しげに見つめてくる者がいる。お母様だ。ほとんど刃と化した目線で今にもエマを刺してしまいそうになっている。


「マリー……汚れるわよ」

母様マトカ! プレゼントをありがとう! 大好き!」

「わ……私も大好きよ! 愛する私の愛娘!」


 彼女を取り巻いていた険悪な空気が散っていく。

 チョロいもんだぜ。


 あとは、大叔父にも感謝を伝えておかないと。

 お母様を介しての間接的なワガママで、土地の半分を売ってもらうことになったわけだし。

 それもあれほど嫌っていた五大老マグナート・コメダ家に。

 いくら「破滅」から世界を救うためとはいえ、かなり無理をさせていることには変わりない。なぜ承諾してくれたのか、未だにわからないほどだ。


「大叔父様。わたしにとってかけがえのない相棒をくださり、本当にありがとうございます。一生大切にします」

「くださり? ははは。別にお前のためだけに手に入れたつもりはないぞ、マリー。もちろん相棒にしてもらっていいが」

「え?」

「そいつはクソ手土産だ」


 大叔父はお母様に目配せしてから、毛むくじゃらの笑顔を浮かべた。

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