3-2 昔話


     × × ×     


 スワフニ市内の古びた大衆食堂。

 うらぶれた店の内部では、数名のシュラフタたちがビールやワインを飲み始めていた。

 先ほどあんな形で追い出されたばかりだというのに、彼らはやけに平然と盛り上がっている。


 かといって、決して楽しそうではなかった。

 周りから『ブチョリスキ』と呼ばれている男性は、自分はひねくれていますよと言わんばかりに唇をひん曲げて笑っている。

 冷たく、蔑みを含んだ目に映っているのは、おそらく他者だけではなさそうだ。


 一言で言ってしまえば、彼らは敗者だった。


「おっ! 癇癪熊かんしゃくぐまも来店か!」


 公女の大叔父もその中に含まれているらしい。


 彼らは五大老マグナートと呼ばれる大貴族たちの悪口をつまみに、自分たちのふがいなさをメインディッシュに、酒を飲み交わす。いくらビールを飲んでも彼らの笑い声は乾いたまま。


 前世でも、バイトの後にこういう後ろ向きの飲み会に巻き込まれたことがあったな。あれは酒が不味くて辛かった。傷の舐めあいに余所者が口出しするとケンカになるから、ひたすら聞き手に回されて。

 俺は間を持たせるために乳飲料に口をつけた。不味い。


「ブチョリスキ、五大老が偉大なる連合共和国ジェチュポスポリタのために何かしたことがあるかね」

「あるさ。国を売れば外貨が手に入る」

「なんてこった」


 初老のシュラフタがわざとらしく頭を抱えると、ブチョリスキ氏はなぜか得意気に白い歯を見せてきた。

 大叔父は静かに酒をあおる。

 こんな会話が演者を替えて延々と続くのだから、お母様が入店から三十分もしないうちに中座したのは当然だった。


 公女おれもお供させてもらいたかったけど……あいにく初耳の話も多いから困りものだ。


「昔は良かった――」


 彼らは断片的に過去を語る。

 語り口からして百パーセント美化されているだろう。しかしながら、タオンさんのような余所者には決して語れない『当事者』の昔話だ。


 ストルチェク連合共和国は、かつて奥州有数の超大国だった。

 国土の九割を占める大平原は大麦・ライ麦の栽培にうってつけであり、民族の定住化以来、穀物を他国に輸出することで莫大な富を得ていたらしい。

 ライム王国や神聖大君同盟が疫病時代の人口減少に苦しんでいた頃に、彼らは文明・国家として黄金期を迎えた。

 北方の大公国を併合して現在の連合共和国体制を築き上げ、穀物の販路を北東方面に広げた。ストルチェクの穀物が世界を席巻した時代だった。


 高度経済成長は国内の階級相克を誘発した。

 各地の地主・騎士に過ぎなかったシュラフタたちは穀物の売却益を自らの力に変えていき、手を取り合い、国王と互角に交渉できるほどの「市民階級」「議会派」となっていった。

 やがて国王を単なるお飾りにまで追い込んだシュラフタたちは、剣を捨てることにした。

 互いに武力で争ってしまえば、せっかくルールでがんじがらめにした国王が漁夫の利で力を取り戻しかねない。

 彼らは政治的対立を剣先ではなく舌先で解きほぐす方針を取った。

 数世紀にわたる国王との交渉経験から、当時のシュラフタたちは国会セイム地方議会セイミクでの話し合いによって、問題を解決する方法を身につけていたという。


 ブチョリスキ氏は、自身がもっとも尊敬するという政治家の弁を紹介してくれた。


「国王は君臨すれども統治せず。我ら自由なシュラフタは法律には従えど、あらゆる威光に従わず」


 こうして封建制の時代に稀有な民主制国家が勃興した。

 各地の地方議会で取りまとめられた「提議書」を、代表者が中央の国会で話し合うという政治制度が整備され、ストルチェクは権力者の気まぐれや戦争の決着を待たずに社会改革を進められるようになった。

 法の支配は隅々まで行き渡り、被支配階級の市民だけでなくシュラフタや国王さえも法律には従わなければならなかった。裁判は『シュラフタの矜持にかけて』公平なものだったらしい。

 民心の安定は高度経済成長を下支えした。


 ちなみに他国を苦しめていた疫病については、ストルチェクでは昔から食器のアルコール消毒が風習となっていたために流行らなかったらしい。当然、人口も減らない。


 十五世紀末の時点で、大君同盟とストルチェク連合共和国の国力差は果てしないものとなっていた。

 一時期のストルチェク元老院セナトでは本気で『奥州連合共和国』の設立が話し合われていたというから、当時の勢いが窺い知れる。


 ここまでが「昔」の話だ。

 ここからは「今」の話。


 ストルチェクは『議会制民主主義』の確立から一世紀もしないうちに下り坂を迎える。


 彼らの経済的基盤だった穀物が売れなくなってきた。

 原因は新大陸航路の開拓にあった。新大陸の植民地から農作物が奥州ヨーロッパに輸入されるようになったらしい。

 穀物価格の低下は猛烈な不況となってストルチェクを痛めつけた。

 シュラフタたちは国会で対策を話し合ったものの、対策法案が可決される前に『救いの手』が差し伸べられてしまった。


 一六二五年。十五年戦争が勃発した。新教派と旧教派の抗争から始まった大君同盟の内戦はあらゆる戦争犯罪を引き起こし、特に刈田狼藉や焦土作戦により同盟国内の田畑は荒れに荒れまくった。

 当然の帰結として穀物の欠乏が発生したため、同盟諸侯はこぞってストルチェク商人に穀物の売却を求めた。

 ストルチェク国内の不況は一時的に改善され、例の対策法案もお蔵入りとなった。


 ところが十五年戦争が終わると、大君同盟の領主たちは百姓を呼び戻すなどして国内の田畑を復活させていく。

 数年もしないうちに、同盟はわざわざ荷馬車で穀物を輸入しなくても自給自足できるようになった。

 逆に売り手のシュラフタたちは「市場喪失」「生産過剰」……さらにかねてからの「穀物価格の低下」のトリプルパンチで経済的に大打撃を受けてしまった。

 特に小規模な荘園しか持たない一部の零細シュラフタは巨大な損失に耐えきれなかった。

 先祖から受け継いできた土地を売り渡し、他のシュラフタの家来的存在となる道を選ぶ者が続出した。


 今日の地方議会をぶち壊してくれた黒衣の兵士たちは、そんな破産者の成れの果てだという。


「あいつらの中には数年前まで、ここで酒を飲んでいた奴もいる。気持ちは同じなんだ。殺し合いはしたくない」

「我々だって、いずれ黒頭巾に落ちるかもしれないからな」


 ブチョリスキ氏はフードを被るような仕草を見せてから、またニヒルな笑みを浮かべた。

 他の面々はげんなりしている。

 あれは未来に心を痛めているというより、単なる酔いすぎだな。


「ああクソ! みんなクソ五大老マグナートのせいだ! 自由で平等なシュラフタ同士を衝突させるなど! あのクソどもが!」


 大酒飲みの大叔父だけは、木器のビールジョッキを片手に気勢を吐いていた。


 五大老マグナート

 他のシュラフタたちが売り払った土地を手に入れることで、広大な領地・領民を持つに至った大領主たちだ。

 中でも「五大老筆頭」「大公領の野戦ヘトマン」コメダ家は、当座のお金に困っている底辺シュラフタたちから即金で土地を買収する手法で、連合共和国の約一割を所有するまでに成長しているらしい。なるほど。そりゃ魔法使いだって保有できるわけだ。


 全財産を失って、路頭に迷う者がいる一方で。

 庶民から『十分の一殿』と呼ばれるほどの小王国を築いた者もいる。


 シュラフタ同士の格差は広がる一方だった。


「……クソ。八年前にワシらが上手くやれていたら。あの時にクソなペテン師に騙されていなければ! ああ。あれはマリーが生まれた年だったか」


 公女は大叔父から抱きしめられる。


 一六五〇年。

 多くの心あるシュラフタが五大老に戦いを挑んだ。それも剣ではなく法により社会を変えようとしたらしい。

 彼らは古城において密約を交わし、反五大老派の国王、さらに開明的な五大老一名からも協力を取りつけて――新たな救済法案を可決に持ち込もうとした。

 シュラフタ同士の土地売買を禁止し、さらに過去十年間の売買を無効化するという「徳政令」みたいな法案だ。

 五大老もとい四大老の妨害を避けるため、密約派は深夜になってから密かにストルチェク国会セイムに侵入。

 国王の開会宣言の下、下院定数の半数を超える二百七十名の全会一致により救済法案は可決されるはずだった。


「あの時の光景は忘れられない。信じていた仲間たちが、何人も反対に回りやがった……あんなにクソみじめなことは生まれてこのかた、一度もなかった……」


 ストルチェク国会では全会一致が原則とされている。たった一人でも反対者が出たら法案は否決されてしまう。 

 マグナートたちはこの致命的な欠陥を利用した。

 あらかじめ改革派の中に内通者を仕込んでおいたのだろう。


 その後の通常国会でもマグナートたちは自分たちに不都合な法案や提案・予算案を否決し続けた。

 五年前に下院議員の任期が終わってからは、新たな下院議員を選出させないために各地の地方議会を黒衣たちに攻撃させるようになった。

 ストルチェク中央政府は機能不全に陥り、国家の形を保てなくなっていく。

 代わりに各地の「小王国」が国内を分割統治する状況――いわば大君同盟のような状況が生まれた。

 五大老や領主たちが互いにいがみ合っているのも同じだという。


 そんな状況なので、例のヒンターラント大公を助けに行ったのも国王の私兵「ストルチェク王冠領軍」であり、共和国の正規軍ではないらしい。

 というか、正規軍などもはや存在しないのだとか。


 自由で平等なシュラフタ社会は、こうして五大老に法でも剣でも対抗できなくなった。

 かくして――彼らは敗者となった。

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