3-1 止まり木


     × × ×     


 一六五九年の元日。

 公女おれは年越しを母方の実家で迎えた。

 大平原に散りばめられた林の一つにポツンと佇む、古きよき石葺きの館だ。広さはタオン邸と変わらない。

 初めて来た時には古びた控え壁の彫刻に感銘を受けたけど、今は雪で真っ白に染まっている。外に出たら一時間もしないうちに低体温症で死んでしまいそうだ。


「夕飯が出来たそうよ。早く食べましょう」


 年頃の娘のように早足で迎えに来た母。心なしか語尾が弾んでいる。

 彼女の右手に引かれて、公女は食卓に向かう。


 古めかしい丸太のテーブルにはスープやロールキャベツなど温かい料理が並べられていた。

 同盟料理を淡泊にお色直しすると、大まかにストルチェク料理になる。呼び名が変わるだけで内容はほとんど同じだ。

 お母様の話では、ヴィラバ人が多い地域ではヴィラバ料理に近いものが出てくるらしい。同じ理屈でローセとの国境沿いにおいてはローセ風の味付けが好まれるという。

 基本的には他民族の料理のアレンジが中心になるようだ。

 その流れでいえば、この館の周りには大昔に同盟人が住んでいたのかもしれない。


「どうだマリー。美味いか」

「はい。とても」

「そうか」


 公女の返答に、エヴリナお母様の叔父……公女にとっての大叔父は満足そうに頷く。

 顔面が毛むくじゃらで、性格が気難しいために地元民から『癇癪熊かんしゃくぐま』と渾名される老人ながら、幼い子供には弱い。

 ついでにいうと、三十路を迎えた姪のおねだりにも弱いらしい。


「……叔父様ヴイェック。例の件だけど」

「わかっている。エヴリナ。クソったれの五大老マグナートに売る話が出ている。コメダのクソチンポ野郎が欲しがっているそうだ」

「マリーが欲しがっているものは手に入るのよね?」

「クソ魔法使いとやらの相場がわからんが、何とかしてみせる。任せろ。タデウシュに出向かせている」

「マリーへのプレゼントにクソなんて付けないで!」

「すまんな、すまん。わかっている。とにかくワシに任せておけ」


 大叔父はごまかすようにスープをすすった。もじゃもじゃのヒゲに水滴がこぼれてしまっている。ヒゲにはロールキャベツのミンチや米粒もくっついていた。

 いつもより派手に食べていらっしゃるのは、おそらく料理長のタデウシュさんが出かけているからだろう。

 自分の舌でも昨日より遥かに美味しく感じる。ラミーヘルム城のジョフロアさんには敵わないけど。


 この館に住むようになってから二ヶ月以上が過ぎていた。

 あんな形で城を出てきたのに、未だにパウル公から連絡が来ない。てっきり城を出てから数日もしないうちに騎兵隊で追いかけてくるものだと思っていたから、拍子抜けにも程がある。

 あの時、俺たちを乗せた『親不孝号』はヒューゲルから東街道を経由して、ヴィラバ街道・ストルチェク街道を(馬車酔いで吐瀉物を撒き散らしながら)突き進んだ。いくら馬車が速くても、騎兵隊なら「まともに追いかけていれば」すぐに追捕できたはずだ。

 仮に追捕隊が『親不孝号』の追跡に失敗していたとしても、究極的にはお母様の実家に向かえば済む話だし。父親がお母様の実家を知らないはずない。

 いったい、あの人は何を考えているのだろう。

 まさかお母様との別れ話に乗り気だったりしないよね。心配になってくる。


「可愛いマリー。私の愛娘ツォルカ。窓に夢中でぼーっとしていたらジュレックが冷めちゃうわ」

母様マトカ、お父様はなぜ手紙を送ってこないのですか」

「あの人のことは忘れていいのよ」


 お母様に訊ねても笑顔が凍りつくばかりで一切答えてくれない。

 子供一人では逃げられそうにないだけに、どうにかしてパウル公のほうから助け舟を寄越してほしい……俺は祈るようにライ麦のスープを飲み干した。すっぱい。



     × × ×     



 四月。公女は九歳を迎えていた。

 一周目ではイングリッドおばさんとタオンさんの授業を受けていた頃だ。特に思い出はない。毎日似たような日々を過ごしていたから。


 その点では、こうして不本意ながらも異郷の地に住んでいるのは「良い経験」と言えるのかな。

 冬の間は外出できないので非常に退屈だったけど、二月下旬から緩やかに雪解けが始まってくれた。

 大叔父の館の周りには薄暗い林がある。

 林を抜けると、ライ麦・大麦畑・油菜畑が地平線の向こうまで続いている。ところどころに林や丘があるのはヒューゲルと変わらない点だ。

 川沿いには街道が走っていて、北に二日ほど馬車を走らせると古都・スワフニ市が見えてくるらしい。


「お前も来るか」

「スワフニですか?」

「クソ会合があるんだが、どうせ毎年同じことの繰り返しだ。新しい面子がいたほうが旅行は楽しい」

「では、ご一緒させてくださいまし」


 大叔父の誘いを受けて、公女おれはストルチェクの街まで出向くことになった。もちろんお母様もついてくる。

 他には従卒が二名。うち一人は馬車の御者なので、ヒューゲルの時には考えられないほどに少人数の旅となった。

 以前なら女中さんやイングリッドおばさんが代行してくれたことも、今回の旅では公女が自分でやらなくちゃいけない。

 荷造りから洗面、着替え――日本時代には自分でやるのが当然だったことが、今さらながら非常に面倒に感じた。すっかり「公女」に染まってしまっているなあ。改めよう。


 そんな旅もすぐに終わって、四月某日。

 大叔父の馬車は、スワフニ司教座教会の近くまでやってきた。この世界では大半の街が教会と広場を中心に作られているため、このあたりがスワフニの中心街になるみたいだ。

 カラフルな街並みはオモチャの街を思わせる。それでいて赤茶色の屋根だけは全ての家で統一されていて、雑多になりそうな街を冠でまとめている。

 同じ古都でもヘレノポリスとは別の魅力を感じた。

 この街をひと言で説明するなら「可愛い」になるかな。


「あれだ。あいつら、まだくたばってないのか」


 大叔父はニヤニヤしながら、教会前の広場を指差す。

 見れば、約百名以上の男たちが円座を組んでいた。みんなでハンカチ落としをしているわけではなさそうだけど……何をしているのだろう。

 大叔父が彼らの中に混じると、出迎えの声が各所から飛び出してきた。


「まだ死んでいなかったのか!」

「リシェツキの癇癪熊が来やがった!」

「もうお前とは会いたくなかったぞ、早く土地を売ればどうだ!」


 みんな言葉が辛辣なのは長年の親愛の証のようだ。

 大叔父は機嫌を損ねることなく、彼らと握手を交わし、円座に加わった。

 田舎の老人会みたいな空気が伝わってくる。もっとも参加者の年齢層は少年から老人まで幅広い。

 それぞれ大金持ちとは言わないまでも、それなりに身なりが良かった。


 広場の辺縁から遠巻きに円座を見守っている人たちは、家族なのかな。彼らも付き従う従卒・女中の有無に差があるけど、みんな生活に困っているようには見えない。

 公女とお母様は、おそらく彼らの中に含まれている。


「……ヴィエルコ=ストルチェカ全県で、たったこれだけになるとは。嘆かわしい話だ。何にせよ定例会を始めるとしようか」


 円座の中央に壮年の男性が出てくる。

 定例会。これはひょっとすると――ストルチェク版の『評定』なのか。


「セイミクよ」


 お母様が後ろから抱きついてくる。おっぱいがものすごい圧をかけてくる。いずれ公女にも備わってしまうものなので、あまりありがたみはない。もし井納時代だったら一生忘れない思い出になっていたはずだ。

 そんなことより。


「セイミク……?」

「地元のシュラフタたちが話し合うの。私とマリーには関係ないわね。女は入れてもらえないから」


 貴族シュラフタ

 ストルチェク連合共和国の支配階級だ。

 前回、タオンさんから受けた説明によると、国内男性の約一割がシュラフタとして認められているらしい。

 彼らには政治参加の権利があり、各地の地方議会(ストルチェク語ではセイミクと呼ぶみたいだ)で国会の下院に送り込む代表者を決めることができる。

 下院は全会一致で法律を制定し、国王すら法律には従わなければならない仕組みとなっている。その国王の継承者も国会投票で選ぶという。


『まるで古代文明の民主制ですな!』


 タオンさんは少しバカにしているふうに笑い飛ばしていたけど、近代民主主義の時代に生まれた身としては「デモクラシーだ!」と親近感を覚えずにいられなかった。

 そんな民主制の土台にあたるセイミクが目の前で開かれようとしている。

 どんな雰囲気になるのかな。少し興味がある。この時代に民主主義が運用可能なのか、一周目の時から気になっていたからね。

 やっぱりヒューゲルの評定や日本の国会と同じでヤジの飛ばし合いになるのだろうか。


「……では今から、国会に送り込む下院議員の選出を」

「えーい! えーい! やめんかやめんか! 散れい散れい!」


 セイミクは始まる前に終わりを迎えた。

 街中に潜んでいた黒衣の騎兵たちが、長槍を携えて円座の面々に突っ込んでいく。

 その後ろには黒衣の兵士たちが続く。彼らも槍を持っている。


 武器を持っていないシュラフタたちは逃げ惑うほかなかった。

 一部では手持ちの銃火器で反撃を試みている者もいたけど、少人数すぎて騎兵隊には敵わないみたいだった。というか他のシュラフタが「やめとけ、逃げろ!」とマスケットを捨てさせていた。


「出たな黒衣! 誇りを忘れたコメダ家の犬が! 我々が何度も同じ手を食うと思うな!」


 そんな中で、一人の若いシュラフタが、広場の屋台から千両箱みたいなものを出してくる。

 中には多数の刀剣が詰まっていた。あらかじめ用意していたらしい。

 彼の叫びに応じる形で、若年者を中心としたシュラフタ・従卒数名が武器を取った。


「ぐっ……血気盛んな若造が。未来ある者が無用な血を流してどうするか! 武器を捨てんか!」


 黒衣の兵士たちは明らかな動揺を見せながらも、彼らに槍の穂先を向けて、じりじりと包囲を狭めていく。正攻法だ。


 対する若者たちは、先ほどの屋台を前面に押し出して突破を図った。

 屋台の中にはマスケットを持った者が隠れており、中から空に向けて鉛弾をぶちまけている。


 飛び道具の登場に黒衣の兵士たちは恐慌をきたした。

 それぞれ手持ちの槍を屋台に刺し捨ててから、我先に後退する者が続出する。


「今だ! 恥さらしな黒衣の首を跳ねてやれ!」


 若者たちは剣を天に掲げ、雄叫びをあげながら追撃に移った。

 屋台内部に隠れていた者もマスケットを捨てて、時代遅れのプレートアーマーに長剣という出で立ちで黒衣の兵士たちを追いかけようとする。

 そんな血気盛んな若者たちを抑えにかかったのは、先ほどセイミクに参加していた老年のシュラフタたちだった。


「やめておけ、シュラフタ同士で殺し合いなど」「五大老の思うつぼだぞ」

「年寄り方はお下がりくだされ、奴らを討たねば前に進めませぬ!」


 若いシュラフタは立ちふさがる老人たちを押し退けて、およそ十名ほどで広場の中央に抜刀突撃を仕掛けようとする。

 黒衣の兵士たちも刀剣やマスケットなどで出迎えの用意を始めていた。

 広場の辺縁部では黒衣の騎兵隊が足並みを揃えている。


 俺は目を閉じた。ブルネンの乱でも尖塔から遠目で見るのがやっとだったのに、今の彼我の距離で直視するのは辛すぎる。

 お母様が公女に組みついているから、自力でこの場を立ち去ることは出来そうにない。

 必死で流れ弾の盾になろうとしてくれているあたり、エヴリナは心の底からお母様だった。


「うおおぉっ!」


 若者たちの悲鳴が聞こえてきた。

 しかし、みんな鉛弾を喰らったわけでもなく、敵兵に斬られたわけでもない。

 なのに……足元から崩れている。


 どうにか立ち上がった若者――刀剣をあらかじめ用意していたリーダー格の奴は、足元をにらみつけてから、また剣を掲げて走り出す。


「ぬおっ」


 ずでん、と前のめりに倒れる。

 他の若者たちも同じように何もないところでつまづいていた。


 いや――何もないわけじゃない。

 目を凝らしてみたら、彼らの足元にブロック状の石(?)が浮き上がっているのが見えた。

 若者たちが走り出そうにも、地面から出てきた石に足を引っかけてしまう。

 今までなかったものが地中からせり出てくる。あちらこちらで。そんな技術は『隣の世界』に存在しない。


 魔法使いだ。


「若者よ、諦めたまえ! 我らにはコメダ侯から授かった魔術師マーギェ『足まといのヴォイチェフ』がいる!」

「卑怯だぞ!」

「今逃げるなら、マスケットの引き金は引かん! それとも転がりながら鉛弾を浴びるか!」

「くそがぁ!」


 若者たちは黒衣の兵士に向けて捨て台詞を吐き、刀剣を捨てて逃げていった。

 例のプレートアーマーも脱ぎ捨てられている。


 こうしてシュラフタたちは広場から追い散らされた。

 黒衣の騎兵・歩兵たちは教会前に留まったまま、追いかけるそぶりも見せず、逃げていく者たちを眺めている。

 足まといのヴォイチェフの姿は見当たらない。

 

「……なあ、クソな会合だろう?」


 馬車まで戻ってきた大叔父はため息と悪態をついた。


「叔父様、お怪我は?」

「大丈夫だ……あいつらはそこまでしない。とにかくクソだ。おい、例の店に行くぞ!」


 介抱しようとするお母様の手をはね除けて、大叔父は御者に指示を飛ばした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る