2-5 長梯子の旗の下に


     × × ×     


 五日後。

 ラミーヘルム城の南門前では出陣式典が敢行されていた。


 街道沿いの野原に五百人の兵士が並んでいる。

 彼らは生活用品の詰まったリュックを背負い、それぞれ不揃いなマスケットを担いでいた。

 先代公の時代に制定された兵卒用の制服は、ライム王国の流行を取り入れたダークグレーのジュストコール。

 制定当時はその格好良さから、出征先の若者の羨望の的になっていたらしい。兵士にしてくれとの申し出まであったそうだ。今では同盟各地の兵営で色違いの類似品が使用されている。


 現行のヒューゲルの制服は節約のために安物の生地を使っており、けっこう見窄みすぼらしい。

 ジュストコール自体がボタンを留めずに着るものなので、兵士たちのシャツの色がバラバラなのが容易に見てとれた。

 大きな帽子の被り方も統一されていない。中にはつばを折り返している者もいる。


 そんな彼らの先頭に立っているのが、テオドール・フォン・ベルゲブーク卿。

 尖りぎみのあごに、びっしりとシャーペンの芯に似たヒゲを生やしている。意志の強そうな眉を含めて濃ゆい顔の中年男性だった。

 身分相応の派手な軍服は三世代前の当主から受け継がれてきた一張羅らしい。襟飾りが大きい。


 これより彼らは死地に向かう。

 自分の力では止められなかった。


 あれからパウル公に泣き落としで派兵中止を迫ってみたけど、まるで相手にされなかった。

 タオンさんやお母様が再考を求めても同じだった。


 父にも言い分はある。


『お前たちも理解しているだろうが、大君陛下に命じられたからには正当な理由がないと抗えん』

『周辺の領主たちに付け入る隙を与えることにもなる』

『それに今さら派兵を取り消したら兵営の士気に関わる。主君が主命を軽んじてはならん』

『何より、せっかく兵を呼びつけて行軍の用意をさせたのだから、派兵しなければ損ではないか』


 たぶん父はギャンブルをさせたら弱いタイプだと思う。


 式典は進んでいく。

 パウル公の手で派遣部隊に『長梯子』の梯団旗が授与される。

 陪臣の小姓が神妙な面持ちで旗竿を預かっていた。あの旗は『宝刀』と同じく兵権の象徴なので、大切に扱われる。

 前回も兵士はほとんど死んだのに旗だけは無事に戻ってきた。ベルゲブーク卿の遺骨を包むのに使われたから。


「同胞を救うことは我々の使命であり――」


 城内教会の牧師(天文学者でもある)が法話を始めた。

 いよいよ出発の時が近づいてくる。

 もはや止められないのなら……せめてルドルフ大公の「逆侵攻」に加わらないように促そう。

 一周目、ルドルフ大公はストルチェク軍の騎兵突撃で異教徒の包囲軍が敗走したとみるや、エーデルシュタット城の宴席において味方の諸侯に追い討ちを提案した。異教徒に支配されているプスリア半島の民を救おう(そして新たな統治者になろう!)と貴族や傭兵たちを熱狂させた。

 数万人の兵士が「逆侵攻」になだれ込んだ。

 あの流れにベルゲブーク卿は抗えず、キーファー公の与力として各地を転戦する羽目になって玉砕した。


 今回は……エーデルシュタットが解放されたら、すぐに戻ってくるようにパウル公から指示してもらおう。

 上手くいけば、有能な指揮官と五百人の兵士を救うことができる。


「お父様がキーファー公に逆らえるのか、微妙なところだけど……」

「さっきから何をぶつぶつと。はしたないですよ」


 イングリッドおばさんから小声でたしなめられる。

 式典中なので大っぴらには話せない状況だ。

 特に返事をせずにいたら、おばさんが公女のおでこに手を寄せてきた。ひんやりする。


「……私に教育者の才能がありすぎたせいで、あなたを悩ませてしまったようね」

「え?」

「知恵をつけるのは良いことだけれど、娘のあなたが国政に口出しするのは本来おこがましいことですよ」


 おばさんの微笑み。

 それは公女にとっての救済だった。

 娘だから気に病むことはない、子供だから公領の方向性に悩まなくていい。マリーに背負うべき責任はない。

 素直に受け入れられたら、どれだけ楽になれることか。

 代わりにみんな死ぬけど。


「……今度は、おばさんからもお父様を説得してくださいね」

「まあ」


 公女の返答に、おばさんは小さくため息をついた。




 式典の終わり際。

 遠方から馬のいななきが聴こえてきた。


 ……南街道を騎兵隊が早足で駆けてくる。

 その数、傍らの衛兵曰く「十六、十七騎!」ほど。


 五百人の兵士たちはそれぞれなりの反応を見せていた。

 まだニキビが残る若者は迫り来る騎兵隊を呆然と眺めていて、ベテラン兵から「組まんか!」と背中を叩かれている。

 半ば条件反射的に、銃剣による槍衾やりぶすまが各所で組まれていくものの、いかんせん上から命令が出ていないために全体のまとまりに欠いており、とても戦列とは呼べそうにない。


 やがて、梯団指揮官のベルゲブーク卿から指示が飛んだ。


「やめいやめい! あの旗印は友軍であるぞ!」


 兵士たちの筒先が空に向かう。

 騎兵隊は南門から約二百メートルの草むらで立ち止まると、その中の一人だけが馬から降りて徒歩で近づいてきた。

 あの疲れきった歩き方には見覚えがある。

 そう感じたのは、自分だけではなかったらしい。


「アルフレッド……」


 公女を抱きかかえているイングリッドおばさんが呟いたとおり、近づいてきた騎兵将校はタオンさんだった。

 革のヘルメットを被り、胸と背中を守るだけの軽装甲冑には生姜花の紋章が描かれている。

 往年の十五年戦争で猛威を振るったという胸甲騎兵の格好だ。


「どうしたアルフレッド。その格好はずいぶんと久しいな」

「パウル公。参陣が遅れて申し訳ございませぬ。いかんせん兵どもを呼び寄せるのに時間がかかりました」


 タオンさんは嘔吐公の前に跪いてから、南街道を指差した。

 先ほど騎兵たちが駆け抜けてきた道を兵士たちが歩いている。彼らはタオン家の旗を掲げていた。

 人数的には百名程度かな。遠方なのでいまいち判然としない。尖塔の上ならもうちょっと調べやすいだろう。

 そんなことより。


「このアルフレッド、ベルゲブーク家の与力として南方に向かいとう存じます。お許しいただけますか」

「なんと! アルフレッドが手伝ってくれるのか!」

「パウル公に許していただけるのであれば、是非に」

「もちろんだ。我が家の功臣が行ってくれるのならば心強い。なにぶん、散々お前から『出兵したら酷いことになる』という話を聞かされてきたからな」

「私が参加するからには必ず戦功を挙げて参ります。ヒューゲルにとって実入りのある戦いといたしましょう」


 タオンさんの目がちらりとこちらに向けられる。

 なるほど……そういうことなのか。


 父とタオンさんが握手を終えて、うやむやのうちに式典が終わり――タオンさんが騎兵隊の元に戻ろうとしたタイミングで、公女おれはどうにか彼に近づくことができた。


「タオン卿!」

「公女様。私はあなたとの約束を果たせませんでした。かくなる上は良き戦いをしてまいります。手柄を立ててヒューゲルのために」

「いい年なのに阿呆なことはおやめなさい!」

「何を仰います。我が身は錆びておりますが、まだ朽ちてはおりませんぞ!」


 彼の全身はまるで炎を帯びているようだった。

 いつか大広間の夕食会で『武功話』を話してくれた時よりも、はるかに心が燃え上がってしまっている。

 前回は燃えカスが残っているだけだったのに。なんでまた。


 このままでは彼もまた南方で命を散らしてしまう。タオンさんが死んでしまったら……イヤだ。

 どうにかこの人には戻ってきてもらわないと。


 俺はタオンさんの手を取った。馬の手綱を握るための革手袋はゴワゴワしている。かなり使い込まれた代物だ。

 彼自身の目も長年酷使されたせいで黄ばんでしまっている。


「……お父様と話をつけられたからには、もう出兵取り止めはできませんわね」

「そうなりますな」

「であれば、わたしから命じます。ルドルフ大公の居城エーデルシュタットを解放したら、すぐに兵を率いて戻ってきてくださいまし。寄り道してはなりません」

「ははは。それでは敵兵と出会えないかもしれませんぞ。敵主力はすでにストルチェク兵が打ち倒したとの話もございます」

「会えなくてよいのです」

「おそらくルドルフ大公と同盟諸侯は異教徒の支配地域に逆侵攻をかけるはずです。その際に土地を切り取り、ヒューゲルの飛び地としたならば、出兵に掛かる金銭的負担などはすぐに埋め合わせが」

「どうせルドルフがみんな持っていきます! あなたたちの命と引き換えに!」


 俺は言い終えてから、しまったと公女の口を右手で抑えた。

 こんなのは単なる『未来予測もうそう』の一つでしかない。証拠がなければ、相手を納得させられない。

 今の燃え上がってしまっているタオンさんを止めるには、あまりにも弱すぎる。悲観的すぎると反論されたら終わりだ。

 なのに、どれだけ脳内を探し回っても他に言い分が浮かんでこない。


 くそったれ……せっかく一周目の歴史を知っていても、物語の悲惨な結末を回避しようとしても、登場人物とうじしゃを説得できなければ何にもならないじゃないか。

 自分の人間力の欠如ぶりに腹が立つ。

 井納純一はどこまで無能なんだ。


「……わかりました。公女様が仰るとおりにいたしましょう」


 へ?


「だから泣かないでくださいませ。アルフレッドは必ずあなたの元に戻ってまいります。お約束しますからね」


 気づいた時には、自分こうじょの右手に水分が流れてきていた。

 たったこれだけの水で、タオンさんの炎が収まったのか。


「あはは……」


 我ながら笑わずにいられなくて、近くに来ていたイングリッドおばさんに「女の子が人前で」とたしなめられてしまった。



     × × ×     



 兵士たちが地平線の彼方に消えていく。

 尖塔の見張り台から彼らの影を見送った頃には、空が赤らみつつあった。


 今夜から夕食の席にタオンさんは出てこない。

 少し早めに大広間に向かうと、パウル公と有力家臣たちが酒杯を交わしていた。出兵の成功を祈っているみたいだ。

 何をもって成功とするのか、いまいち釈然としないのはさておき。

 酒席には若タオンの姿もあった。老父の件が不安なのか、一人で頭を抱えてしまっている。

 ベルゲブーク家の長男が能天気に笑っているのとは対照的だ。


 あの面子に混ざるのは気が引けるので、俺は夕食を勉強部屋に持ってきてもらうことにした。


「おや。今夜は必要ないとエヴリナ様から仰せつかっておりますが」


 厨房のジョフロア料理長にお願いしてみたら、妙な返答が飛んできた。

 お母様が何か用意してくれているのかな。

 まさか二周目にして、初のお袋の味をいただけるかもしれない。


 勉強部屋に戻ると、外出用の灰色ドレスに身を包んだお母様が待っていた。

 その隣には去年追い出したはずのタデウシュ元料理長が立っている。こちらも余所行きの格好だ。典型的な木こりみたいな感じ。相変わらず太っている。

 さらに彼らの後ろにはストルチェクから呼んできていた女中たちが控えていた。

 みんな外出するためのケープを肩にかけている。


「いったい何ごとですか、お母様」

「ああ、私のマリー。どこで遊んでいたの。今から私たちの実家に向かおうというのに」

「今からストルチェクに?」

「ヴィエルコ=ストルチェカ地方は美しい土地よ。きっとあなたも気に入るはずだわ」


 彼女は子供みたいな笑みを見せてくれる。

 まるで話が読めない。

 こんな夕方から出発するのは変だ。すぐに宿を取ることになる。

 イングリッドおばさんが関わっているのなら、そのような予定を組むはずない。


「突然すぎて、よくわかりません。なぜ今夜なのですか。明日ではいけませんの? お父様やイングリッドおばさんは?」

「……マリー。あなたのお母さんは、去年からお父さんに苛められているの。悲しいでしょう」


 話をぶった切って、しくしくと泣きまねを見せてくれるエヴリナ。

 公女ならともかく、大の大人が泣き落としなんて見苦し……やめておこう。この指摘は井納に刺さる。


 お母様はひとしきり涙を流してから、娘の身体を抱きしめてきた。

 温もりが染みる。母の匂いは変わらない。


「だから、お父さんとは別れることにしたの」

「えっ」

「これからは二人で生きていきましょうね、私のマリー」


 いきなりすぎて理解が追いつかない。

 別れる? パウル公とお母様が?

 俺は連れて行かれるの?


 抱きしめられる力が以前より強くなる。もはや骨まで痛いほどに。

 逃れようにも子供の力では相手にならない。周りの従者たちに取り押さえられるのが目に見えている。

 助けを呼ぶのは不可能だ。この城でお母様の行動を止められる唯一の人物は、大広間で酔っぱらってしまっている。勉強部屋このへやからは遠すぎる。


「……お母様。持っていきたいものがありますの。少し取りに行ってもいいですか。すぐに戻ってきますから」

「ふふふ。私とあなたさえいれば十分よ。くだらない思い出と一緒に捨てていきましょう」

「でも、お母様の実家の方に見せたいものが……」

「マリー」


 お母様の目は据わっていた。

 これ以上の「ワガママ」はまずい。子供の本能が身体を強張らせる。


「お前たち、パウルの『親不孝号』をかっぱらってリシュツキ家に戻るわよ」

「仰せのままに、エヴリナお嬢様」


 女中たちがマリーの周りを取り囲んでくる。まるでおりのように。

 ああ。どうしてこうなった。

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