2-4 去来


     × × ×     


 大商人・シャルロッテはしばらくラミーヘルム城内町に留まることになった。

 五日もしないうちに低地地方に戻る予定だという。


 俺としては悩みどころだった。今の彼女にチューリップ取引の危うさを真剣に伝えておけば、もしかしたら彼女の商会は倒産せずに済むかもしれない。

 あれだけの財力だ。むざむざ滅ぼしてしまうのは惜しい。

 もっとも、彼女が大商人のままでは――公女の家庭教師にはなってくれないだろう。


 俺が思い描いている「富国強兵」計画は彼女の存在ありきだ。

 あの商才をヒューゲルのために活かしてもらうことで経済の活性化・新産業の醸成・技術開発を図る。具体的な内容は彼女に丸投げする。

 利益は兵力増強に使用する。現状の千五百人から三千人を目指す。五個梯団の兵力があれば他国もヒューゲル公を軽視できない。

 いわばシャルロッテは計画のエンジン部分にあたる。彼女抜きでは何も回らない。そして《おそらく》替えが効かない。


 やはりスネル商会には滅んでもらうべきか。

 しかし、彼女の今の財力があれば、この計画が大幅に進めやすくなるのも事実だ。


 いつの時代も先立つものはお金だ。

 ヒューゲルの国力を育成するにしても元手なしでは時間が掛かると思う。

 城内の国庫から資金を持ち出せる権限など公女にはないし。ケチなパウル公が出すはずもない。

 これでは鉄道なんて妄想で走らせるしかなくなる。


 鉄道か……この時代の技術力ではまさに夢物語なんだけど、前回のシャルロッテは走らせることができたのかな。かなり熱心に取り組もうとしていたから、どこまで行けたのか以前から気になっていた。


 現在の大商人シャルロッテに、あのようなアイデアを与えるのはどうだろう。

 前回の日記帳みたいなものをこしらえて、彼女に引き渡すかわりにヒューゲル公領の開発に投資をしてもらう。

 現地出張所としてスネル商会ヒューゲル支店を作らせてもいいな。地元の商工会・株仲間は公女の名前で黙らせよう。いざという時にはお母様にも力添えしてもらう。

 我ながら妙案だ。

 これなら家庭教師には就任してもらえなくても、彼女の稀有な才覚をヒューゲルのために活かすことができる。当座のお金にも困らない。


 そうと決まれば、さっそく本人に相談してみよう。

 俺は衛兵を連れて、城内の勉強部屋から市街地の宿に向かった。

 北門付近のありふれた宿。

 前回ヨハンと袂を分かった商家の至近だ。大通り沿いの二階建てとなると古くからの宿なのだろう。

 落ちついた雰囲気のファザードは年寄りが好きそうだった。


「スネル様なら昨夜出て行かれました。何やら南方の港で商船の株が売り出されたと報告があったそうで……」


 宿のおばさんはひれ伏しながら説明してくれた。

 二階の部屋には誰も残っていない。


 シャルロッテの奴。五日くらいはラミーヘルムにいると話していたのに。

 相談できないじゃないか!

 エマの件も聞きかったのに!


 すぐに快速馬車『親不孝号』で追いかけたいところだけど、あいにく八歳児の公女は城から出してもらえない。お母様やイングリッドおばさんを説得すると一日仕事になる。

 今の自分にできるのは、せいぜい彼女の商会に手紙を送ることくらいだろう。

 まともに読んでくれるかな……子供の戯言だと思われてしまうと困る。


「あの……公女様に僭越ながら申し上げたいことが……」


 宿のおばさんがひれ伏しまま、おずおずと話しかけてくる。

 そんなに気をつかわなくていいのに……とはいかないか。公女だし。


「どうしました?」

「いえ、その……こんなところにいらっしゃってよろしいのですか」

「こんなところだなんて、むやみに卑下しなくても。とても清潔な宿ではありませんか。わたしが旅人なら使いたいほどですわ」

「ありがたいお言葉です……あ、そうではなくて。主人が昨日話しておりましたが、今日は公女様のお父様が戻ってこられる日ではありませんか?」


 折しも遠方からトランペットの音が聴こえてきた。

 兵士たちが出迎えの用意を始めているみたいだ。

 北門付近の住民たちも「ハレ」の予感からか、ぞろぞろと路上に出てきている。

 街はにわかに騒がしくなってきた。


 俺は宿のおばさんにお礼の小銭を渡して、人気のない路地から城内に戻ることにした。

 次から次にやることが発生する。

 こんなにせわしないのは日本時代以来かもしれない。この世界は基本的にのんびりしているからね。



     × × ×     



 パウル公がヘレノポリスからヒューゲルに戻ってきた。

 前回と同じく大名行列に「空荷」の馬車をたくさん並べさせており、城内町の民衆に城主の体面ちからを示している。多くの民衆が中身を見抜いている点も変わらない。


 夜には領内の有力者を大広間に招いて、ささやかな宴会が催された。

 主役である父の周りには常に他人が侍っており、二人きり(タオンさんを含めたら三人)で話をするのは不可能だった。酒臭いからまともに話せそうにもない。


 翌日。俺は早朝から父の部屋に向かったものの――残念ながら打ち合わせが行われていたので、門前払いされた。

 午前中の評定に向けて、廷臣たちと内容を詰めているようだ。


「まずいな……」


 このままでは父に直談判できないままに評定が始まってしまう。

 前回パウル公が南方出兵を命じたのは帰還翌日(つまり今日)だった。

 ヒューゲルの伝統で、主君から出兵命令が出たら家臣は反論せずに戦争の用意を始めてしまうため、止めるとしたら今なのに。

 どれだけ待ってもお父様は一人ぼっちになってくれない。


 やがて大広間で評定が始まってしまった。

 パウル公を中心にヒューゲルの有力者・地主・聖職者たちがテーブルについている。

 その中にはボルン卿やベルゲブーク卿といった有力家臣や、廷臣代表のハイン宰相の姿もある。


 タオンさんは隠居の身なので、大広間の後方に傍聴席を与えられていた。前回と同じく公女も同席させてもらっているものの、傍聴席には発言権は無い。

 くそう。どうすればいいんだ。どうすれば無益な出兵を止められる。


「……公女様。例の件ですが、私なりに手はずを整えておきましたぞ」

「タオン卿」


 タオンさんはイタズラっ子のような面持ちを浮かべていた。


「何か手を打ってくださったのですね」

「ええ。おそらくありえないとは思いますが……もしもの時には全力で止めてくれるでしょう」

「止めてくれる……?」


 なぜ、彼は他人に期待しているのだろう。

 などと訝しんでいたら――しばらくして、評定の中心から若者の大声が聞こえてきた。


 タオンさんの息子・若タオンが立ち上がっている。


「ありえませんぞ! 今よりさらに臨時徴税や人馬の提供を行うなど! 五公五民を守れなくなる! パウル公は拝金主義の悪霊に憑りつかれておるのではありませんか! なあ皆の衆!」


 やたらと大げさに話しながら、彼はちらちらと傍聴席に目線を向けてきていた。

 あれは父に助けを求めているのではなく……心の底からビックリしている目だ。

 公女の隣では、当のタオンさんも感嘆の声を漏らしていた。


「おお……この時期の臨時徴税案、人馬の提供指示! まさか本当に出兵になりそうだとは。いやはや公女様、虚妄が当たりましたな!」

「失礼ですわね」

「おっと」


 まあ前回の流れを知っているだけであって、必ずしも出兵があると証明できたわけではないから、妄想だと思われても仕方ないけどさ。


 若タオンの周りを巻き込んだ反抗により、大広間は紛糾している。廷臣以外の有力者たちが声を荒げて「徴税反対」を訴えていた。

 君主と家臣がまとまらずに流会というのは昔からよくあるそうで、ヒューゲルでは罪にも問われないらしい。だからこそ彼らは恐れずに君主に反論できる。


 このまま流会に持ち込めたら父に直談判できるチャンスが生まれるはずだ。

 何とか頑張ってくれ、タオンさんの息子。

 後ろから応援させてもらう。こんな時だけは神に祈る。


「……いい加減にしないか! 子供の遊び場ではないのだぞ!」


 アンパンマンに似た中年男性の喝が、大広間を静まり返らせた。

 彼は若タオンをにらみつけ、他の家臣たちにも席に座るように目配せする。


 評定の混乱が収まっていく。


 次に手を挙げたのは我が父だった。衛兵たちが掲げる地図を前に、ヒンターラント出兵の説明を始める。

 さすがに主君の発言を遮ることは誰にもできない。

 もはや止めようがない。


「これは聖都におわす教皇猊下の提案でもある。そしてヒューゲル公たる私の命でもある。異論あるか」


 父の命令が下された。

 群臣は困惑しながらも口を閉ざして立ち上がる。出兵の用意を始めなければならない。


 なんてこった。

 ボルン卿を生き残らせたことが、こんな形で裏目に出てしまうとは。

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