2-3 早とちり


     × × ×     


 一六五八年八月。

 シャルロッテ・スネルは数名の供を引き連れて、タオン邸の軒先に現れた。


 彼女の愛用馬車『空飛ぶ低地人号』からは工芸品や絵画・新大陸の宝物が次々と降ろされてくる。

 彼女自身も全身を宝石で飾っていた。

 深紫色の際どいドレスを身にまとい、真鍮のキセルをぷかぷかとくゆらせている。

 彼女が歩くたびに足元のスリットから白い肌がちらつく。胸元も谷間を見せびらかすようなデザインだ。

 ふわふわのブラウンヘアをサングラスと帽子が抑えつけており、たまに弾けて吹き飛びそうになっているのが面白い。


 全体的には昭和三十年代のアメリカ人の金持ち夫人みたいな風貌だった。とても借金取りに追われている身とは思えない。


「シャルロッテ、なぜお前がここにおるか!」


 そんな彼女の元に初老の男性が歩み寄る。

 足取りは苛立ちに満ちており、低音の声色もまた怒りを帯びている。

 いつものお洒落な服装には不釣り合いなカッツバルゲル(剣)の鞘が、歩くたびに太股とぶつかって揺れていた。


「あらあら。ご挨拶ね。あなたがわたくしの商売仲間に手紙を送ってきたんでしょ、アルフレッド」

「ホルガーは呼んでやったが、お前など呼ぶはずなかろう!」

「ホルガー君なら死んだわ。一年前に出航したきり、どこの港にも辿りつけなかったらしいの」


 シャルロッテから白煙がこぼれた。

 タオンさんは唖然としている。


「そんなバカな。お前の話など信じられん」

「わたくしの組合の船団でバルト沿岸を探し回ったのよ。何度も。掛かったお金をアルフレッドに請求したいくらいだわ」

「お前という奴は……そもそも、お前があいつを連れていかなければ!」

「やだ。これだから老人は。終わった話はやめない?」

「まだ終わっとらんわ!」


 タオンさんがシャルロッテの両肩を掴んだ。

 あれほどの紳士が女性に手出しするなんて。ひどく珍しいものを見たかもしれない。


 当のシャルロッテは強気な眼差しを保ったまま、ほんのり赤くなっていた。


「終わっているわよ。あの件は終わっているの。もうみんな終わり」

「終わっとらん。我が家が手塩をかけて育ててきた男をよくも。くだらん色香で道を惑わせよって!」

「色香? わたくしにそんなものないわ……そうでしょう、アルフレッド。あなたにはわたくしに男性を魅了できるほどの力があるように見えるの?」

「ぐぬぬ」


 何を思ってか、タオンさんは両手で頭を抱える。


 一方のシャルロッテは指先で自身の肩をさすりながら、わずかに喜んでいる様子だった。

 その混じり気のない微笑みは、きっと公女には向けられないものだろう。

 ふと、前世でタオンさんが死んだ時の様子が思い起こされる。あの時から、俺は何となく彼女の心中を察していた。


 ともあれ……そろそろ公女からも挨拶させてもらおうかな。

 俺は荷物の陰を抜け出し、タオン邸に台所口うらぐちから入り、まっすぐに廊下を進んで表玄関に辿りついた。

 あとは待ちくたびれた様子を演じながら表に出てしまえば『ずっと来客室で牛乳を飲んでいたから何も知らないマリー様』の完成となる。


 別にあのままストレートに近づいても良かったんだけど、二人の話を盗み聴きしていたとバレたら気まずいからね。変な子供だと思われたくない。


「タオン卿、まだホルガー殿は来られないのですか。待ちくたびれてしまいましたわ」

「おおっ。公女様がお出になられた。申し訳ございません。実はホルガーの件はなかったことになりまして」

「では、そちらのシャルロッテ・スネル女史が代役になるのですね」

「え?」


 タオンさんは目を丸くしている。

 しまった。まだ彼女がシャルロッテだという紹介を受けていなかった。これでは公女がエスパーになってしまう。

 ええい。こうなったら力押しでごまかしてやる。


「あ、あなたたちの会話はとても大声だったので来客室まで聞こえておりました。ホルガー殿が来られないなら、そちらの大商人に代わりを務めてもらいましょう」

「来客室は二階ですぞ……いやいやいや! なりませんぞ公女様。この者は金の亡者です! あなたの教育によろしくありません! お金に憑りつかれてしまいます!」

「金の亡者でなくて、大商人になれますか。いずれ家産の一部を任される者として商売を学ぶのも大切なことですわ」

「それはそのとおりですが……そもそも、シャルロッテのほうが困りましょう。なにせ大商人ですからな。世界を股にかけて走り回っているはず。ヒューゲルに留まっていられるほど暇ではありますまい」

「その点については、いかがですかシャルロッテ女史?」


 タオンさんを押し退けて、彼女本人に訊ねてみる。

 あなたが低地の借金取りから匿ってもらえる土地を探しているのはわかっている。前回そうだったから。

 ここに持ってきているお宝も、低地地方から逃げ出す時になんとか持ち出せた代物だろう。

 幸いにして、お宝も身柄も隠すにはぴったりの城がある。

 さあ。シャルロッテ。助け船に乗ってくれ。


「……申し訳ありません。公女様のためにひと肌脱ぎたい気持ちはありますけど」

「えっ」

「わたくしにはまだ仕事がありますから」


 なぜか彼女には苦笑いで断られてしまった。


「あなたはチューリップ・バブル崩壊で破産したはずでは?」

「チューリップ? あれはトプラクの名産品ですが、あちらの価格崩壊が起きたという話は伺っておりませんよ。低地の交易所では修道院の特産品としてわずかに出回るばかりで、みんな知らないものだから全然売れていませんね。少なくともうちでは扱っておりません」


 あれ。

 あああ……そうだった! チューリップが奥州に出回ってくるのは今年の秋あたりからだった!

 ルドルフ大公を助けるための同盟軍が「逆侵攻」を始めて、異教徒の支配領域に攻め入る中で流入してきたんだ。

 自分の中でタオンさんと知り合ってからすぐにシャルロッテも家庭教師になっている印象があったから、てっきり今年にチューリップ・バブルが崩壊するものと思い込んでいた。


 二十三年前の話だから忘却している部分もあるとはいえ……くそう。

 まだ呼び出すには早かったんだ。


 でも、だとしたら。


「で、では、なぜ遥々はるばるヒューゲルまで来られたのですか」

「お手紙をもらいましたもの。ホルガーを連れていったのはわたくしです。アルフレッドには自分で伝えるべきかと」


 彼女の目がチラリとタオンさんに向けられる。

 そういうことらしい。


「あちらに降ろしたお宝は、もはや新世界に行くことがないであろうアルフレッドのために、特別に持って来させたものです。公女様も良かったらご覧くださいまし」

「……ありがとうございます」

「わたくしから学ばれたいというお気持ちは大変嬉しく受け取っております。いずれ大きくなられましたら、その時はぜひ商売の話をさせてくださいね」


 シャルロッテは百点満点の営業スマイルを見せてくれた。

 公女も負けじと笑うように努めたけど、内心は悔しさでいっぱいだった。

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