2-1 隣国行キャラバン
× × ×
ヘレノポリスでの五日間はあっという間に過ぎていった。
初日以降も公女は各所の公式・非公式の会合に顔を出さねばならず、夜には宮殿の舞踏会が開かれる。
ただでさえ忙しいのに、今回は南部諸侯との繋がりを作るという対外的目的があった。
滞在費の関係から徐々に会合出席者が減っていく中で、俺は出来るだけ多くの子女・子息に声をかけた。
「マリー・フォン・ヒューゲルと申します」
「おお! お会いできて光栄です!」
公女の外見や家格のおかげか、表面的には歓迎してもらえた。彼らの親から少なからず縁談の話も来たほどだ。
もし井納純一(二十五歳)が近づいていたら、平たい顔族の不審者として敬遠されていただろうな。即斬殺の可能性もある。同盟国内では東洋人は稀だ。
トーア侯の娘さんには隙を見て手紙を渡した。
まだ年齢的に文字は読めないかもしれないけど、いつか思い出して読んでくれたらありがたい。
本当はお父さんに代読してもらえると幸いなんだけどね。あの冷たい目からして望みは薄そう。
六日目の朝。
ヨハンやフランツはともかく、エミリアとは初対面になる。
ほっそりした可愛らしい面持ちが懐かしかった。
前回は大人になってから会えなかったからなあ……あれから、彼女は何をしていたのやら。
「初めまして、エミリアさん。わたしはヒューゲル家のマリーです」
「こちらこそ初めまして……エミリア・フォン・キーファーです」
二周目のエミリアはやけに大人しかった。ヨハンの手前とはいえ語気が弱すぎる。
ひょっとして例のルートヴィヒ伯の弟に天狗のハナを折られてしまったのか。
なんて考えていたら、彼女はおずおずと近づいてきて、
「昨日お兄様が話していたとおり、ブサイクね」
なかなか辛いことを耳打ちしてくれた。
いや……ありえない。前回のエマによれば、あいつはマリーに一目惚れしているはず。
仮にそのように話していたとしても、あいつなりの照れ隠しだろう。
別に
当のヨハンは「女同士、仲良くしてくれ」と呑気に宣っていた。
そうしたいのはやまやまなんだけど、相手が狂犬だからね。
「マリー様はお兄様が話してくれたとおりの方ね! 仲良くなれそうだわ!」
「なれそうではなく、なってくれ。オレは女のケンカを好かん。うるさいばかりで見苦しいからな」
「やだ、見苦しいだなんて」
エミリアはなぜか公女に目を向けてくる。はっ倒すぞ。
あのエンカウントバトルな出会いを避けたとしても、結局のところ犬猿の仲になってしまうあたり、そもそも彼女はマリーという存在を許せないようだった。
というより、自分より目立ちそうな女の子を許容できないのか。
つまりルートヴィヒ伯の弟とケンカになったのも、おそらくエミリアより衆目を集めていたから……惜しい。俺も会ってみたかった。
× × ×
川沿いの街道を馬車が進む。
五月の明るい空は川面を照らし、波間を光らせ、魚の姿を釣り人の目から隠している。
川の左右にはまばらに木の生えた山がそびえる。
ヘレノポリス近郊・同盟中南部は山地が多い。ヒューゲル近辺のような平坦な地は川沿いに限られており、地元民は狭い土地を有効活用するために古くから耕地開発を進めてきたそうだ。
街道からは、山裾まで延々と連なる、緑萌える麦畑を眺めることができた。
日本人の端くれとしては、懐かしい気分になる。
タオンさんによると、山がちな地形は不便な代わりに守りやすいらしい。
「古代文明や初代大君の時代から、南部山地は地方政権の苗床となってきました。中央政府の命令に逆らっても、自然が要害となって容易には攻め滅ぼされまいと踏んでいたのですな」
「ルドルフ大公もその流れの中にいるのですね」
「よくわかってらっしゃる。ただ、あの方のベッケン家は歴史的に大君として中央政府の役割を担うことも多かったですから、少し例外ではありますな」
タオンさんは他にエレトン公やボーデン侯の名前を挙げた。
どちらも南部の有力諸侯だ。特にエレトン公については初代大君に征服されるまでエレトン族という別の部族だったから、独立心の強さは群を抜いているらしい。
一周目ではヒンターラント(=ルドルフ大公)に従いながらも、独自に外国と取引するなどして南北戦争を長引かせていた。
ボーデンは当主よりむしろ家臣たちがルドルフ大公に協力的で、日和見主義な当主が家臣の活動を抑えるなどして、時にルドルフ陣営の怒りをかっていたという。
ルドルフ大公が「破滅」を引き起こした理由の中には、そのような自立的な味方を巨大な力で完全服従させたいという思惑もあったはずだ。
「大公といえば……」
対面の席で、カミルを膝枕で寝かしつけていたイングリッドおばさんが、身体を前に倒してタオンさんに話しかける。
カミルがおばさんの太股と上半身に挟まれている。苦しそう。
「奥様方が話していたわ。南方の異教徒に城を囲まれているそうね。アルフレッドは助けに行かないの?」
「老人をこき使わないでくれ」
「あら。都合の悪い時だけ年寄りの真似をして。ベルゲブーク卿に代わってもらうつもりなのかしら」
「いや……そもそもヒューゲルには派兵命令は下らないはずだ。おそらく今後も南部の
「なぜそう思われるのですか、タオン卿」
公女(おれ)の唐突な問いに、タオンさんは端正な笑みを浮かべる。
一周目で何度も目にしてきた。唇の両端のシワが眩しい。
「ふむ。よろしいですか公女様。ヒンターラントは南部よりさらに東方にございます。ヘレノポリスから一ヶ月かかるほどの辺境ですな」
「存じております」
「そんな僻地に向かえと、我々のような遠方の諸侯に出兵を命じたら……行軍の負担が大きすぎるとして拒絶する者が出てきましょう」
「それは、そうかもしれませんね」
ヒューゲルからは徒歩で二ヶ月以上かかる土地だ。
五百人の兵力を送り込むだけでも大変な負担になる。ご飯を食べない兵士は存在しない。
一日三食として、往路だけでも合計四万五千食もの兵糧を消費する。
何なら食べ物以外の日用品や消耗品・弾薬類も自前で用意しなければならない。
ヒンターラントまで同盟国内の街道を行き来するとなると、戦争状態でもない限りは現地徴発は許されないし(地元領主と紛争になる)。
我が家は兵士を歩かせるだけで莫大な富を失うことになる。
もちろん、強力な異教徒との戦いでは戦死者も出るだろう。
仮に全滅なんてしたら目も当てられない。
財産と人材をまとめてゴミ箱にぶち込むようなものだ。
不経済にも程がある。
一周目では……「さらに」有力家臣まで失うはめになった。
あの時にベルゲブーク卿が死ななければ、あのチャラチャラした息子も大きな顔をしてこなかったはずだ。
タオンさんは話を続けている。
「諸侯の造反を招きかねない命令を出すことは、大君陛下としては政治的に美味しくありません。ただでさえ『力なき大君』と諸侯から軽んじられているのに、自らの弱体化を世に示すようなことは控えるはずです」
「では、聖都の教皇猊下から異教徒討伐の宣旨があったとしたら?」
あったとしたらというか、前回はあった。
ヒンターラントをスルタンの兵から救うべし。あの提案が兵士たちを死地に送り込むきっかけになった。
「それは……旧教徒の大君陛下としては無視できないでしょうな。異教徒から同胞を守るための聖戦になりますから。あくまで仮定の話ではありますが」
「ルドルフ大公と教皇府には繋がりがあるのではなくて?」
「むむむ」
タオンさんは考え込むように目をつぶる。
彼なりに思うところがあるらしい。
一周目では、ルドルフ大公と教皇府は人知れず「協力関係」を結んでいた。なにせルドルフの大君即位を認めたのは他ならぬ教皇だ。
ここから先は俺の予想になるけど――旧教派の長たる教皇としては、新教派に寛容な今の大君よりも、より旧教会寄りの大君が君臨してくれたほうが好ましいのかもしれない。
だから、その候補者としてルドルフ大公を支援していたのかも。
あの男は血統的には現在の大君に匹敵する存在だ。おまけに熱心な旧教派だという。
「……公女様はオエステ王国をご存知ですかな」
「ライムの向こうにある国ですね」
「あの国は狂信的な旧教徒として知られております。オエステ国王から教皇府に献納された金銀は天文学的な数字だと、私も耳に挟みました」
「オエステ国王はルドルフ大公の分家筋……だから特別に救済の手を差し伸べたというわけですか」
「あくまで宣旨があったとしたら、その理由として考えられるというだけの話ですぞ。公女様はまるきり自説を信じておられるようですが」
タオンさんは少し呆れたように息を吐く。
そっか。
いくら未来を知っていたって、たしかな根拠を示せないかぎりは「思い込み」だと受け取られてしまうのか。
当たり前といえばそのとおりだ。気をつけよう。
でも、ここは引かない。
「タオン卿。もし仮に大君から出兵指示が下り、我が家も派兵することになった際は……わたしに協力してもらえませんか」
「何をです?」
「父を説得するのです。出兵をやめるべきと。我が家には負担が大きすぎると」
俺はタオンさんの乾いた手を取る。
もしヒンターラント出兵を阻止できたなら、ヒューゲルは兵力や穀物備蓄を温存したまま凶作の年を迎えられる。
これは他国に対するアドバンテージになるはずだ。
「……わかりました。公女様の考えすぎだとは思いますが、もし仮にそうなった時には、出兵回避に出来るかぎりの努力をさせていただきましょう」
「ありがとうございます! タオン卿!」
「私自身は
そんな公女とタオンさんの会話を、対面のイングリッドおばさんは不思議そうに見ていた。
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