1-5 人の初恋を笑うな


     × × ×     


 ヨハンとは十三年ぶりの再会になる。

 言わずもがな、彼にとっては全くの初対面のはずだ。

 少年のヨハンはまだ幼さが残っていた。太っているわけではないものの、全体的に尖っていない。うなじやあごのラインが柔らかい。肉体にも厚みがない。


 彼に窓際のテーブルまで案内されると、公女はまたもや手の甲にキスをされた。

 互いの目が合う。ヨハンは作法通りに跪いているので、若干ながら仰ぎ見られる形になる。

 本当に少しだけだ。元々の身長差があるから。


「ふっ、ふふふ……」

「なぜ笑う。オレに恥をかかせるつもりか」

「とんでもございません」 

「なら笑うな。むやみに笑う女は好かん」

「ぶふふっ」


 俺はわざとらしくむせてから、ヨハンから目を背ける。

 別に恥をかかせたいわけじゃない。

 ただ、この人は今この時に公女マリーに一目惚れしたのだと思うと、面白くて仕方なかった。

 自分の中で消化しきっても、なお面映ゆい。


 こちらの対応に、ヨハンは怪訝そうにまゆを潜める。


「なんだお前は。ヒューゲル家には教育係がいないのか?」

「すみません……」

「オレに相応しい女になってくれ。外見は絵画よりもマシだが、これから美しく成長すれば気に入るかもしれん。努力しろ」

「ぶふふっ」

「なぜ笑う!」


 ヨハンに怒られてしまった。

 いかんいかん。このままでは本気で嫌われてしまう。第一印象は大切なのに。

 ヨハンと結ばれるつもりはないけど、キーファー公の国力は利用させてもらわないと「破滅」を止められなくなる。

 前回と同じように気を持たせながら、一線は越えさせない仲でありたい。

 我ながら考えていることは完全に悪女だな。


 目の前のヨハンは未だに困惑気味だった。婚約者の真意を測りかねているのかな。変な女を自分のものにしたくなるのは少女漫画のイケメンだけらしい。


 ここは一つ、仕切り直すとしよう。

 公女は適当に品を作りながら、将来の夫に頭を下げる。


「改めてまして、わたしはマリー・フォン・ヒューゲルと申します」

「ヨハンだ。キーファー家のヨハン」

「お会いできて光栄ですわ」

「そうだな」


 ヨハンは「ふう」と息を吐く。

 公女の対応に呆れているのか、安心しているのか、いまいち判然としない。エマがいてくれたらな。

 エマといえば……キーファーの魔法使い・マックス老人がそろそろ出てくる頃だ。

 その前にはヨハンの弟や妹と話したはずだけど、今回は見当たらないな。


「ヨハン様には兄弟がいらっしゃるそうですね」

「ああ。弟のフランツはあっちでマウルベーレ伯オットーと話している」


 ヨハンが指差した先には生気のない少年の姿があった

 フランツ。不健康に肥えていて、疱瘡の痕を前髪で隠している点は前回と変わらない。猫背はマウルベーレ伯から矯正を受けていた。

 背筋を伸ばすとお腹の肉が目立ってしまうためか、フランツ本人は嫌がっている。

 マウルベーレ伯はそんな少年の頭を叩き始めた。


「フランツはあの男の家を継ぐ予定だ。いずれはオレとあいつで同盟北部をまとめようというわけだ」


 ヨハンは誇らしげに胸を張る。

 まるで二人で力を合わせるかのような口ぶりだけど、一周目では完全に弟を従わせていたからなあ。内心では家族というよりコマ扱いなのだろう。


「……妹さんはどちらにいらっしゃいますか?」

「エミリアなら北部の有力諸侯に嫁がせるつもりだが」

「今は」

「今はヘレノポリス城内の別宅で休ませている。キーファーの血が強すぎるのも困ったものだ」


 何かあったのかな。

 それとなく訊ねてみようとしていたら――不意に自分たちのテーブルに近づいてくる天使の姿が目に入ってきた。

 ビックリした。本当に天使だった。下界に降りてきている。

 純白の礼服を身にまとい、神に作られたとしか思えないほどの美貌を惜しげもなく見せびらかしながら、古代帝国の彫刻師が命懸けで作り上げたであろう美脚でゆるやかに歩を進めている。

 ブロンドのロングヘアはベランダから吹きすさぶ風に揺られ、双眸は宝石の如き光を放つ。

 彼あるいは彼女は、公女に跪いた。そして手の甲に甘美な唇を寄せる。


「やーやー。おいはインネル=グルントヘルシャフト伯ルートヴィヒ。ヨハンの奥さんにお会いできてうれしいのー」


 天使は俗世の名を告げてから立ち上がる。

 独特の訛りがなければ、相手が人間であることを信じられないところだった。ルートヴィヒ伯だったのか。

 同盟北部・インネル=グルントヘルシャフト領主にしてヨハンの数少ない友人。

 成人してからも性別不詳な美しさを持っていたけど……子供時代は天使ならぬ「魔性」の域に達していたらしい。

 危うくインテリジェント・デザイン説を信じそうになった。神なんていないのに。管理者はいる。


 そんな伯にヨハンが近づく。浄化されて消えたりしないのかな。


「ルートヴィヒ。うちのエミリアが迷惑をかけてすまなかったな」

「いんやいんや! おいの末弟おんちゃがえらいことしたもんで。ほんにすまんのはおいよ」

「先にケンカを売ったのはエミリアなんだろ」

「んでも、男子やろこが、もじゃね女子ばっちに手ぇ出したらダメだて。おいからガツンと折檻したから許してくれなー」

「わかった。お前も妹の粗相を許してくれるか」

「んだ」


 二人は握手を交わした。

 どうやらエミリアはルートヴィヒ伯の弟にケンカを売って、返り討ちにされてしまったみたいだ。

 あそこでマリーと会わなかっただけで、そんなルートに向かってしまうとは。歴史はあっさり変わるものらしい。


 逆に言えば、前回と「同じ流れ」にしたいなら、なるべく前回と同じように行動するべきなのだろう。

 そうしないと予想のできない方向に進んでしまいかねない。


 例えば、ヨハンとの「結婚はしないけど一方的に利用させてもらう」片務的な関係を保ちたいならば、今やるべきは――。


「ヨハン様。夜風に当たりませんか」

「ん? なんだいきなり」

「二人きりでお話しましょう。ベランダが空いています」

「自分から誘ってくる女は好かんな。もっとお淑やかになってくれ。ルートヴィヒもいるんだぞ」

「早くこちらへ!」


 公女おれはヨハンの手を引く。

 今夜のうちに「破滅」の話をしておかないと。

 それが終わったら、みんなでマックス老人のマジックショーを楽しむ。


 どんどん前回をなぞっていこう。

 少なくともヨハンと接する時だけは。

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