1-4 ドキドキ初対面
× × ×
女性の着替えには手間と時間がかかる。
特に人生初の舞踏会を前にした貴族の娘ともなれば、女中たちが寄ってたかって着付けを行わないと夕方までに間に合わない。
イングリッドおばさんが涼しい顔でちゃっちゃと済ませているのを見ると、何だか彼我の女子力の差を思い知らされる。
いや、別にそんなもんいらないけど。女子力は原子力よりクリーンで安全だけど体内に溜まりすぎると
そもそも、おばさんは派手な服装を好まないから着替えるのが早い。
そのくせ姪のマリーにはお金のかかった
緑色のワンピースドレスにはレース状の装飾がふんだんに取り付けられ、スカートが傘のように膨らんでいた。針金で支えているところは本当に傘みたいだ。
お母様譲りの髪の毛も宝石飾りでしっかりとまとめられている。
「マリー様。どうぞご覧ください」
女中が『おめかし』の確認を促してくる。
宿場の壁に取り付けられた姿見には、年齢よりも背伸びをした少女が映っていた。
何年経っても自分とは思えない。前はもっと大きかったのになあ。
「ヒューゲルの方々。舞踏会からお迎えが参られましたよ」
宿場の女将さんがわざわざ二階の部屋まで報せに来てくれる。
「もう降りられると伝えてください」
イングリッドおばさんの相手を退けるような返答は、彼女が生まれながらの支配階級であることを如実に示しているようだった。
彼女はこちらに近づいてくると、マリーのドレスに仕上げを行う。
香水をかけられた。あまり好きな匂いではない。
「行きましょうか、マリー様」
「はい」
おばさんに手を引かれ、転ばないように気をつけながら階段を降りる。
別の部屋から出てきたカミルも後ろを追いかけてくる。歩き方が可愛い。
宿場の前には舞踏会の
おばさんの話では、大昔は各自の馬車で宮殿に向かっていたらしい。
各地の領主たちは馬車の装飾(金銀や彫刻を取り付けるなど)で自身の富を競い合っていた。
家の誇りをかけた争いはエスカレートし、やがてとんでもない高さの二階建て矢倉馬車や、左右に羽根を広げた装飾馬車まで出てきた。
ある時、ついに道路上でバランスを崩して、馬車を横転させてしまう者が発生。
当時の大君から「巨大馬車禁止令」が打ち出されたことで馬車競争時代は終末を迎えたという。
今の大君・ハインツ二世が送ってきた馬車も、禁止令に則った質素な作りだった。
何となく、一周目で訪れたシュバルツァー・フルスブルクの街を思い出してしまうのは、どちらもトゥーゲント系の領主の所有物だからかな。
あの街もお洒落や飾り気とは程遠かった。
× × ×
ヘレノポリス近郊の宮殿に足を踏み入れる。
会場の大広間では、すでに招待客の貴族たちが酒盛りを始めていた。
各自、料理が盛られているテーブルに寄り合い、酒を持ち寄り、昔話や世間話に花を咲かせている。
「あの家の三男はクレロまで経済学を学びに行っているそうですわよ」
「ほほう、いずれは家宰というわけですかな」
「それが次期当主の長男とは仲違いしてて、当主の悩みのタネらしいわ。チューリップの取引でも長男と三男は……」
再会までにそれぞれ腹の中に溜め込んできた噂話を、老若男女が楽しんでいた。
中央では上流階級の若者たちが結婚相手を探すためのダンスに挑んでいる。楽団の音楽に合わせて、オクラホマミキサーのように次々と新しいペアを組んでいく。
シャンデリアのロウソクがもたらす、ほのかな明かりだけを信じて、彼らは好みの相手を求め続ける。前回と変わらない光景だ。
あそこでコンテンポラリーダンスを踊ったら発狂したと思われるだろうな。踊れないけど。
「マリー様はまだ幼いですから、壁の花でけっこうですけれど……」
「いえ、ちょっと回ってきます」
「あらあら。でも別の男子について行ってはいけませんよ。あの方から誘われたら、必ず応じてくださいね」
おばさんの許しを得られたので、さっそく俺はタオンさんを探す。
彼はパウル公の近くのテーブルにいた。人気者なので知り合いが次々と寄ってきている。本人も旧交を温められて幸せそうだった。
それを崩してしまうのは申し訳ないなあ。
「タオン卿。少しよろしいですか」
「おお。公女様。大変に美しいお姿ですな。よう似合っていらっしゃる!」
「わたしに付いてきてもらいたいのです」
「おい、みんな! この方がヒューゲル公の愛娘、マリー様でございますぞ! 春から家庭教師をさせてもらっておる!」
タオンさんの酒混じりの紹介により、彼の周りにいた人たちが一斉に公女に目を向けてくる。
恥ずかしいからやめてほしい。
「みんな、そんなわけでアルフレッドは公女様の依頼を聞いてくる。ああ、わかってる。すぐに戻ってくる! 任せておれ!」
「えらく酔ってますわね、タオン卿」
「いやいや、まだまだでございますぞ!」
もう赤くなっているじゃないか。なぜ酔っぱらいは酔っていることを認めないんだろう。
ともあれ、タオンさんを連れ出せたので、俺は当初の目的を果たすことにする。
まずは目当ての人物を探すところから始めよう。
「……タオン卿。質問があります」
「何なりと」
「この会場に南部や西部の領主はいますか」
「ん? もちろんおりますが、私はあの辺りの方とはあまり」
「あまり?」
「いや、先の十五年戦争で手にかけた者が多いものですから。恨まれております」
タオンさんは申し訳なさそうな口ぶりながらも、どことなく自慢気だった。目が笑っている。
よくよく周りを眺めてみると、タオンさんを疎ましげににらんでいる大人が何人もいた。
特に入り口付近のテーブルでしょっぱい肉を口にしている中年男性などは、親の仇を見るような目つきをしている。鬼の形相だ。おそらく心中ではタオンさんを何度も殺している。
「おお、あれはトーア侯ですな」
「やっぱり」
「ほほほ。よくご存知で。あの者にはかなり恥をかかせてしまいましたから、ふはは!」
ついに笑いだすタオンさん。めっちゃ目立っている。
この感じだと、自分が南部の御曹司や令嬢たちと仲良くなるのは難しそうだ。
公女が独りで近づいても、ヒューゲル公の娘・タオンさんの教え子というだけで親に跳ね除けられてしまいかねない。
ため息が出る。
いや。俺がここで諦めたら何も変わらないぞ。
せっかく段取りしてきたんだ。とりあえずやるだけやってみよう。
差し当たっては……トーア侯の足元にくっついている幼女。あの子に狙いを定める。
「タオン卿はここで待っていてください。わたしはトーア侯に挨拶してきます」
「それは見物ですな!」
「やっぱり酔ってますわね」
「いやいや!」
タオンさんは赤ワインをがぶがぶと口に含む。
公女が別のテーブルに向かうと、彼の周りには旧友たちがどんどん寄ってきていた。
老若男女みんなの笑顔が眩しい。そういえば、タオンさんは何年もヒューゲルを出ていなかったんだっけ。
振り返るのをやめたら、目の前には礼服姿のトーア侯が立っていた。
マティアス・フォン・トーア。
約三十年前、当主になる前に兵を率いてラミーヘルム城を占領した男だ。
タオンさんと先代公が死力を尽くして城を取り戻さなければ、ヒューゲル公領は今も彼の手中にあったかもしれない。
彼は三日月湖から突入してきたヒューゲル兵に捕らえられ、莫大な身代金と引き換えに解放された。
一周目ではその仕返しとばかりに妙手でパウル公とカミルを捕らえ、公女が立てこもるラミーヘルム城を取り囲んできた。さらにカミルの小指を容赦なく切りやがった。
そんな彼の家族と仲良くなることは可能なのだろうか。
目の前に立っても自信が沸かない。
「やあ、可愛いらしいお嬢さん」
トーア侯は存外に柔らかな声色で、公女を迎え入れてくれた。
先ほどの鬼面は崩れている。面長な中年男性。
さすがにまだあどけない少女相手に恨み節をぶつけたりできないか。周りの目もあるし。
「はじめまして、わたしはヒューゲル家のマリーと申します」
「西部領主・ヴェスト=ゾンネベルグ両州大守、近衛少将、マティアス・フォン・トーア侯爵だ。パウル公の娘さんとお会いできるとは光栄だよ」
手の甲にキスしてもらう。
まさかトーア侯から礼を受ける日が来るとは。
思いのほか友好的な対応だから、安心してしまいそうになる。
この感じだと、ひょっとしたら彼が恨みを抱いているのはヒューゲル家ではなく、タオンさんと先代公本人だけなのかもしれない。
「実はこのマティアス、君の家とは浅からぬ縁があってね」
「存じております」
「は? お前、知ってて近づいてきたのか?」
ワイングラスの砕ける音がした。
トーア侯が持っていた赤ワインをポイ捨てしたのだ。
足元に血の色の液体が流れてくる。
慌てて、宮殿の小者たちがタオルとモップを持ってきた。
彼らは手馴れた様子でワインを拭き取る。公女の靴までタオルで拭いてくれる。ありがたい。
やがて大理石の床は美しさを取り戻した。どこの産地なのかな……。
ダメだ。自分の視線を足元から上げられない。トーア侯の顔をまともに見られない。
今の公女の肉体では、あの鬼の形相に耐えられない気がする。心ではなく脳が跳ねてしまう。
もちろん、この年でもおもらししたら社会的に終わりだ。我ながら恥ずかしさのあまり三周目に突入しかねない。
「全く。何のつもりだ。急に黙るなよ。昔からヒューゲルの人間は失礼すぎる。お前の祖父もそうだった。人を人とも思わない。このマティアスが何をされたか、お前は何と聞かされている? おい、なぜ僕を見ない?」
「わたしは……そのような不幸な歴史を乗り越えるべく、マティアス様の御息女と誼を結びたいと考えております」
俺はトーア侯の太ももに抱きついている女の子に目を向けた。
ほっぺがぷっくりしている子だ。カミルと同い年くらいかな。ブロンドヘアに水色のワンピースドレスが似合っている。すごく可愛い。
「あなた、お名前を伺ってもよろしくて?」
「…………」
「お姉ちゃんと仲良くしてくださる? マリーというの」
二度訊ねたのに返答がない。
挙げ句、太ももの後ろに隠れられてしまった。
井納ならともかく公女(マリー)だぞ。見た目で敬遠されるはずない。トーア侯から何か言い含められているのかな、と邪推してしまう。
「それは長女のコンスタンツェ。生まれつき耳が遠いのだ」
「あっ……」
「もういいだろ、とっとと僕の前から失せなさい。子供のイタズラにはうんざりだ」
トーア侯は足元の娘さんを抱き上げる。
つられる形で仰ぎ見ると、彼の表情はまともだった。冷めきった目をこちらに向けている点以外は。
どう対応したものか。
内心で考えあぐねていたら、急にあらぬ方向から右手を引かれた。
とても強い力。妙に懐かしい指先の感触。男の子の手。
「来い」
少年の声が記憶を揺らしてくる。
顔を見るまでもない。ヨハンだった。
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