1-2 タイムアタック


     × × ×     


 二度目(井納としては三度目)の子供生活は退屈なものだった。

 特に六歳になるまでは何もすることがなかった。

 まだ勉強を始める年ではないから、ひたすら生きながら遊ぶだけ。

 他の上流階級の子供たちに「かくれんぼ」や「坊さんが屁をこいた」を教えて遊ぶのはそれなりに楽しいものの、単純だから何度もやっているうちに飽きてくる。幼児のテンションにはとてもついていけないし。

 前回は暇さえあれば城内・街中を歩き回っていたから、まるで退屈なんて感じなかったのに。


 仕方ないので、宮廷ピアニストに古今の名曲を口述で教えて、起こしてもらった楽譜を夕食の席で弾いてもらったり、前世で遊んでいたトランプゲームを大人たちに広めたりして暇をつぶした。

 トランプは元々存在していたので、みんなに教えたのは遊び方だけだ。

 その中で『大富豪』は絶大な人気を博した。あっというまに市民にまで広まり、妙ちくりんなローカルルールが作られていった。


 他には『七並べ』や『七五三』などを紹介した。

 すると周りから「誰から教えてもらったの?」と訊ねられることが多くなる。

 もちろん、まともに答えたら奇人扱いされるので「本から学びました」とはぐらかしたら、五歳にして『本好きのマリー様』のあだ名を付けられた。前回より三年早い。新記録のトロフィーをもらいたい。


 六歳からイングリッドおばさんの家庭教育が始まった。

 まずは文字の読み書きを教えてもらう。次いで歴史や作法を学ぶ。楽器や外国語のレッスンもある。カリキュラムは完全に作り込まれている。

 一通りの授業を受けてみて、改めてイングリッドおばさんの才女ぶりに感心させられながらも――やっぱり同じ内容を二度学ぶのは退屈だった。

 とはいえ「初めから全部できます!」と強引に押し切ってしまうと、今度はおばさんとの師弟関係が変わりそうで怖い。

 かなり保守的で小言の多い女性ではあるけど、公女の傍らには立っていてほしい人だからね。

 そのためには面倒であっても、おばさんから教育を受けたという既成事実を作らねばならない。


 公女おれは退屈を噛み殺しながら、一年間を勉強部屋で過ごした。

 内容としては七年分のカリキュラムをこなしてみせた。

 本来ならば何度も練習を重ねることで上達・学習していくはずの工程を「一発合格」で突破しまくった。


 文字の読み書きは初日で終わった。

 算術は三日で終わった。

 楽器の演奏は半年でおばさんを納得させた。自分の指に教え込むのが大変だった。

 他にも花嫁修業につながる家政学や、古代詩や古典文学・歴史・講談・茶会の作法など……全部ひっくるめて一年で終わらせた。

 

「天才かもしれません……」


 イングリッドおばさんはまだ若い声を震わせながら、パウル公に教育修了を報告する。

 彼女からしてみれば、たしかにマリーはそのように見えてしまうのだろう。前世でも子供の頃は言われたなあ。


 我が父は特に興味なさげに息をもらした。


「マリーはそんなに優秀なのか」

「私ですよ。まさか自分に家庭教師の才能があったなんて! 初めての教え子だったのに! 信じられない!」


 そっちかい。



     × × ×     



 一五五七年十月。

 ラミーヘルム城に大君の使者がやってきた。

 ウビオル大司教。のちに反ルドルフ・北部連盟の盟主となるも、大君指名選挙の後でトーア侯に囚われてしまった人だ。

 今はまだ大君の縁者として同盟内で権勢をふるっている。聖職者の服が筋肉質に膨らんでいた。


「ヒューゲル公パウル。我が君が三職さんしきによる議会の招集要請を認められた。よって来年の四月末に――」

「はっ」


 パウル公は大司教から恭しく令状を受け取った。

 そして相手が出ていってから、カミルに令状の説明を始める。


 前回は自分も拝聴させてもらおうとしたのに、イングリッドおばさんに引き離されてしまったんだよね。

 今回はお母様が傍らにいるので安心して耳を傾けられる。

 あの時おばさんはお母様の代役として大広間に立っていたので、お母様が式典に出てくれたらおのずと不在になるのだ。


 引きこもりのお母様は久しぶりに人前に出たのがしんどかったのか、あるいはずっと立っていたのが辛かったのか……ちょくちょく足をブルブルさせているし、たまに「マリー……部屋に戻りましょうよ……」と泣き言をぶつけてくるけど、気にしてはいけない。なんかもう別人なのも気にしない。

 ひょっとしたら、ストルチェク語だと人格が変わるのかな。


「いいか、カミル。大君陛下というのは――」


 ちなみに父の話はほとんど知っていることばかりだった。

 大君の話。選定侯の話。大君議会の話。

 あの時はあんなに聞きたかったのになあ。



     × × ×     



 八歳になる前に、公女にはやることがあった。

 ちょうどイングリッドおばさんから学べることを全て学び終えていたので、城内では別の家庭教師を探そうという話になっていた。

 もちろん、公女の希望はあの人――アルフレッド・フォン・タオンさん。

 さっそくお手紙を送らせてもらった。

 お断りされるのは織り込み済み。こうして手紙を送れば、律儀な彼は城に来てくれるから。


 十二月。勉強部屋に来訪したタオンさんは若かった。

 まだ五七歳のはずだ。ストルチェクで流行しているという異民族風の服が似合っている。はしゃぎすぎないように配色を地味に抑えていながら、各所の小物は細工が凝っているあたりにオシャレ心を感じさせる。

 背中で結ばれた白髪にもこだわりがあるらしい。

 彼は公女の足元に跪いた。


「大変光栄なお話ですが、辞退させていただきたく存じます」

「アルフレッド。どうしてもダメなの?」

「すまないイングリッド。もう私は隠居の身だ。家督は息子に譲ったし、今は領地で友人たちと鹿狩りができれば幸せなのだよ」

「公女様はあなたの見識を求めてらっしゃるのよ」

「錆びた老人です。どうか代役をお探しください」


 彼の折り目正しい所作からは生き様がにじみ出ており、やはりタオンさんはタオンさんだった。

 これから十年近く生きるというのに錆びた老人なんて大げさだなあ。


 俺は往年の台詞をなぞるように訊ねる。


「ではタオン卿、よろしければ代わりとなる人材を紹介していただけますか?」

「かしこまりました、公女様。さしずめボルン家の当主などはいかがでしょう」


 タオンさんの提案。

 ここでイングリッドおばさんがすかさず「ボルン家の当主は死んだ」と指摘してくれるはず。


「そうね。ボルン卿ならアルフレッドにも劣らず見識のある方だわ」


 あれれれ。

 ああ……そうか。あの人は来年の春に落馬で死ぬ予定だった。すっかり忘れていた。

 不味いぞ。このままではタオンさんではなくボルン家の当主が家庭教師になってしまう。ほとんど会ったこともないのに。それにタオンさん経由でなければ低地地方の大商人との結びつきも発生しなくなる。

 こうなったら力押しで行こう。前回も何やかんやで口説いたら上手くいったし。タオンさんはわりとちょろいからね。


「……わたしは、あなたがいいのです! あなたを人生の師としたいのです! 私の周りには信頼できる大人がおりません! どうか弱いわたしを照らす星となってくださいまし!」

「ずいぶんと好かれておりますな……」


 なぜか困惑気味のタオンさん。

 いきなりの告白は不味かったか。そういえば一周目ではおばさんを追い出して二人きりになって、お悩み相談のうえで先生になってもらったっけ。

 前回と同じことをしているつもりでも、あまり一足飛びすぎると歴史通りに進まないみたい。当然といえば当然だ。人間には心があるわけだし。

 くそう。拙速だった。失敗しちゃった。


「うう……」

「ああ。泣かないでくださいませ。わかりました。不肖アルフレッド・フォン・タオン。ささやかながら公女様をお支えいたましょう」

「うう……ありがとうございます……お礼にタデウシュ料理長をストルチェクに追い払います……」

「おお!? それは本当でございますか!?」


 タオンさんがいつもの笑顔を見せてくれる。

 泣き落としで依頼を引き受けてくれるなんて。やっぱりタオンさんは良い人だ。

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