1-1 愛されるために


     × × ×     


 赤ん坊は忙しい。

 泣きたくなったら泣いて、眠たくなったら眠る。

 本能に抗えない。

 二周目でも同盟の育児法は変わっておらず、生後間もない赤ん坊は全身に布を巻きつけられる。

 たまに女中さんがタオルで汗を拭いてくれるのが楽しみで仕方なかった。


 赤ん坊の本能が潮を引いた時には、脳内で反省会を行った。

 二度目の「破滅」阻止に挑む前に、自分の中で前回の反省点を割り出しておきたかったからだ。


 反省点。

 俺としては一周目の失敗は概ね『力不足』に起因すると考えている。

 ヒューゲルの力不足。兵力で南部連合の一割にも満たない。これではルドルフ大公の蛮行を止められない。

 マリーの力不足。当主ではないから、ヒューゲルの国政を担えない。状況に流されるままの人生になってしまう。

 そして、井納おれ自身の力不足。


 我ながら断言するのは苦なんだけど……自分は無能の部類だ。

 現代の知識をまるで活かせていない。

 特別に頭が回るわけでもなく、胆力を備えているわけでもない。

 巨大な構想ビジョンを練り上げられるほどの想像力・戦略眼を持ち合わせていない。

 性格も社交的とは言いがたい。

 外見と血統を取り除いてしまえば、およそ他人を惹きつけられるような魅力を欠いていると思う。


 まあ、無能は言い過ぎだとしても、ごく平凡な男だった。

 少なくとも、他の力不足を跳ね返せるほどの……ロベルト氏みたく、一周目でルドルフ大公を追い詰められるだけの実力は、自分にはなかった。


 自分で辛くなってきた。でも本当のことだからね。

 今さらどうしようもないことでもある。累計五十年も生きてきた結果が今なんだから、もはや伸び代があるとは思わないほうがいい。

 こういうのは「そんなもん」と受け入れてしまうしかないのだろう。


 その上で、具体的な反省点を洗い出す。

 卑近な例で言えば……赤ん坊に母乳を与えてくださるかた。お母様だ。

 前回、彼女とは良好な関係を結べなかった。

 特に公女が成長してからは、一方的に敵視されていた気がする。俺も積極的に溝を埋めようとはしなかった。

 あの関係を好転させられたら、歴史は多少なりとも変わる。

 公妃を味方に付けることで『虎の威を借る狐』のようにラミーヘルム城内で発言力を持てるかもしれない。

 公女の力不足を補える可能性がある。


 まあ……公女おれから何かしたところで、あのお母様と仲良くなれるとは思えないけど。

 そもそもあの人、この城の誰とも仲良くないし。



     × × ×     



 赤ん坊は周りの会話から言語を習得する。

 一周目の時には俺も聞き取りに努めたものだ。ジョン万次郎のように。

 だから、あの時は周りの話をあまり理解できていなかった。

 今は同盟語の単位を取得済なので、父親とお母様の会話も完全に把握できる。


 二人の仲はすでに冷えきっていた。

 特にエヴリナは、パウル公が公女の様子を見に来るたびに「なぜ来たの!」と刺々しい。


「マリーの顔を見たいだけだ」

「急に消えたりしないわ。うっとうしいね」

「我が子だぞ」

「ほら。もう出て行って。あたいにいちいち近づかないでおくれ!」


 お母様はベッドからマリーを抱き上げ、娘の顔をパウル公に向けさせた。


 改めて父の姿を眺めると……当たり前だけど二十五年後より若いな。まだ三十三歳だっけ。小柄なのは変わらない。

 彼自身の目は、マリーではなくエヴリナに向けられていた。


「……わかった。このリンゴは大御所に差し上げるとしよう」

「リンゴだけ残して、早く消えろ! 消え失せな!」

「わかったわかった!」


 パウル公は渋々去っていく。

 二人ともまだ若いのに、これほどまで険悪なのには理由があるんだろう。

 こんな夫婦仲でよく弟たちが生まれたもんだ。


 父がいなくなってからしばらくして、お母様は赤ん坊をあやし始めた。

 柔らかい指の「腹」で、赤ん坊のお腹をくすぐってくる。


「×××、××××」


 お母様の子守唄は外国語だった。

 ストルチェク語。

 彼女にとっては生まれた国の言葉・母語だ。

 同盟語とは根本的に別言語なので、公女おれにはほとんど内容が伝わってこない。


 そういえば一周目の時は同盟語を学ぶのに必死だったから、母の言葉を聞き流すようにしていたっけ。

 もしかしたら、あれが対立の始まりだったのかもしれない。

 反省会ばかりしていても何だし、今回はストルチェク語を学んでみようかな。きっと損はないはず。


「×××」

「!」


 とりあえずオウム返しをしてみたら、エヴリナお母様はとてもビックリされていた。まぶたをパチパチされている。

 まずいな。さすがにまだ首も座ってないのに言葉を喋るのは変だった。これが許されるのは仏陀だけだ。



     × × ×     



 三歳になると、予定通りに弟が生まれた。

 父のインスピレーションによりカミルと命名されたのも同じだ。

 待望の嫡男ということで城中が沸いているのも。

 みんなの注目が公女からカミルに移ったのもいっしょだった。


 俺としては単独で動きやすくなるので、ありがたい……はずだった。

 ところが公女の柔らかな二の腕は、出産直後で身動きできないエヴリナの右手に掴まれてしまっている。

 彼女は娘が自由に歩き回ることを許さなかった。


「かわいいマリー、私の愛娘ツォルカ。どこにも行かないでちょうだい」


 ストルチェク語で抱き寄せられる。

 生ぬるい母の匂い。カミルに母乳をあげたばかりだからか、ほんのり乳くさい。

 彼女はペタペタと公女の頭を撫でてくる。

 前回では考えられなかった状況だ。


「お母様、はなして」

「だめよ」


 同盟語でお願いしたら、ストルチェク語で断られた。

 今度はこちらもストルチェク語でお願いしてみる。


母様マトカ、行かせて」

「ここにいなさいな」


 どうにも腕の中から解放してもらえない。ぎゅっと抱きしめられる。

 ちなみにエヴリナお母様は、母語だと清楚な話し方になる。

 同盟語では田舎者のおばあさんみたいなので対照的だった。


「エヴリナ。改めて礼を言うぞ」


 パウル公が花束を持って近づいてくると、お母様は目つきを鋭くさせた。


「約束に従っただけさ。あと一人よ」

「ああ、すまないな」


 父はお母様の手にキスをしてから育児部屋を去っていった。

 二人の様子を廊下からイングリッドおばさん(まだ若い)がハラハラした様子で見守っているのはさておき。

 三年ほど母に引っつかれてきて、身に染みてわかってきたことがある。


「……同盟人ニェメツは信用ならないわ」


 エヴリナは心底孤独だった。

 望まぬ形で同盟の名家に嫁いできて、料理長のタデウシュさんを除けば周りには同盟人しかいない。

 あの下手くそな料理長にしても、実家の郎党というだけでそれほど交流があるわけじゃない。

 そもそも、若いうちに夫以外の男性と特別に親しくするのは世間体が悪いし。


 だからこそ、彼女は子供たちにストルチェク語で話しかけてきた。

 信用できる存在どうほうにするために。


「私のマリー。私にはあなたがいれば幸せなのよ」


 公女を抱きしめる両腕に力が入る。

 エヴリナの肉体は柔らかい。乳くさい。けれど、その端正な双眸はまるで少女のよう。


 うーん。友好的な関係に持ち込めたのは良かったんだけど、なんか公女おれに依存されているみたいでイヤだな。

 過干渉になられても困る。今はともかく未来にはやることがたくさんあるわけだし。お母様の腕の中では歴史を変えられない。


 未来といえば……一周目のお母様は自分を守る切り札にするために高価な魔法使い・エマを手に入れていたはずだった。

 城内に味方がいないから不安だったのだろう。

 その味方を公女おれが務めることになると……まさか、もしかして今回はあの子に会えなかったりするのかな。

 不味いな。とても不味いぞ。

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