9-4 後夜祭


     × × ×     


 ラミーヘルムの夜に明かりが灯される。

 城内街は久しぶりに賑わいを取り戻していた。


 南北対立で国内が「きな臭く」なってからというもの、ラミーヘルム市民は戦乱に巻き込まれることを恐れて、出稼ぎなどを理由に城外へ逃げ出す者が後を絶たなかった。

 ここ一ヶ月はトーア侯の包囲により交通が遮断されていたことから、逆に市内に戻りたくても戻れない市民もいたようだ。


 おのずと空き家が増えているため、キーファー兵たちには適当な部屋に入ってもらった。

 そうでもしないと四千人近い兵士を収容できない。


 お腹を空かせた消費者がたくさん現れたことで、市内の酒場や商店は大いに賑わいを見せていた。

 足りない食材や酒はヒューゲル政府の備蓄品から払い下げを受けているらしい。

 周辺の自由都市から公認商人や遊女なども入り込んできており、まるで季節外れのお祭りのようだった。


「我ら明日知れぬ者、明日死ぬる者、浮き世にいるから浮かれる者」

「よいよい、よいよい」


 調子の外れた歌を老兵が口ずさむ。各所でビールが交わされ、とっておきの『しょっぱい肉』が兵士たちの財布から給金を失わせる。

 やけくそ気味に酒を飲み干して、そのまま倒れる者が続出していた。


「同盟人なら大君を守るべし! ヒンターラント大公を許さぬべし!」


 若い兵士たちは酔いに任せるままにルドルフ大公に呪詛を吐いていた。どことなく聞いたことのある言い回しだった。


 そんな街中を、公女おれはエマと共に歩く。二人きりだと不安なので武官のティーゲルも連れてきた。

 目的地はキーファーの本営。

 もう夜になるのに、まだヨハンと会えていない。


「乙女思考?」

「話すことがたくさんあるだけだよ。ほら」

「ほお」


 エマの手をより強く握ってやると、彼女は納得を呼気で示してくれた。

 お互いに身分を隠すためのケープをかぶっているから、いまいち相手の表情は窺えない。


 そんな格好でも兵士たちから「お姉ちゃん」と声をかけられるあたり、彼らは非常に飢えているみたいだった。

 ティーゲルはそのたびにあしらってくれている。

 シャルロッテと旅をしていた時も、そうやって男たちを追い払っていたのかな。



     × × ×     



 ヨハンは北門付近の商家を仮宿としていた。

 二階に上がらせてもらうと、ヴェストドルフ大臣と出くわした。

 疲れきった様子で椅子に身を預けている。老けた目元にはクマが出来ていた。死相寸前だ。


「これはマリー様。お久しぶりです」


 彼は作法通りに立ち上がると、こちらの右手にキスをしてきた。

 もう何も思わなくなってきた。相手はおじいさんだし。

 そんなことより。


「ヴェストドルフ大臣が、なぜヒューゲルにいらっしゃるのです」

「あー……まだお耳に入っておられませんか」


 彼は少し悩むような仕草を見せた後、早足で奥の部屋に向かった。

 やがて公女のもとに戻ってきた時には……外見の年齢が加算されていた。完全に疲れきってしまっている。


「どうかされました?」

「我々は負けたのです」

「はい?」

「シュバルツァー・フルスブルクを失ってしまいました。我々は逃げてきたのでございます」


 ヴェストドルフ大臣は先月の大君指名選挙以降の状況を話し始めた。


 五月末日。新たな大君・ハインツ三世の即位式典を終わらせた北部連盟の当主たちは領地に戻ることになった。

 ヨハンやウビオル大司教など大君の血縁者は後処理のためにハイセ・クヴェレに居残ったらしく、大聖堂の前で当主たちの馬車を見送ったという。

 その夜、何者かの手により各国の当主たちが待ち伏せにあったという連絡がヴェストドルフ大臣に入った。


「まさかトーア侯が拉致を狙ってくるとは……カミル様やパウル公には何とお詫びすれば……」

「あなたのせいではありませんわ」


 こちらの慰めに、大臣はちらりと奥の部屋に目を向ける。

 何となく向こうに誰がいるのか、察しがついてきた。

 話を続けてもらう。


 大臣はすぐにヨハンに拉致の件を告げた。

 その際のヨハンの怒り方は並々ならぬものがあったという。

 夜明けまでに捜索部隊が結成され、二千人の兵力で誘拐犯の追跡に当たった。

 ハイセ・クヴェレにはわずかな衛兵が残るだけとなった。


「……マティアス・フォン・トーアはそこを突いてきました」


 大臣は言外に悔しさをにじませる。

 南の国境から三千人の主力部隊をぶつけてきたトーア侯は速攻でハイセ・クヴェレを占領。

 ヨハンや大君は命からがら脱出できたけど、親戚のウビオル大司教が囚われの身となったらしい。


 ヨハンもやられっぱなしではない。誘拐犯の捜索に当たっていた部隊と合流して大反攻に打って出る。

 しかし二千人対三千人では不利は否めず、やむなくキーファー本国に戻ることにしたそうだ。


「本国には二千五百の兵が残っている。合流できればトーア兵を打ち倒せる。ヨハン様は将兵をしきりに励ましておられました。ですが……」


 マウルベーレ伯領まで辿りついたヨハンは、当地に逃げ込んでいた将校からシュバルツァー・フルスブルクの落城を知らされた。

 あの山裾の都市が落とされた。

 ヨハンにとっては何よりも大切な街だ。


 彼は報告を信じられず、ユリアを空中偵察に出向かせた。

 やがて半日で戻ってきた彼女から詳細な報告がもたらされる。


 シュバルツァー・フルスブルクは地獄と化していた。

 かつて公女おれがお世話になったこともある中央宮殿は燃え上がり、市街地は略奪され尽くしていたらしい。

 大通りには緑色の制服に身を包んだ死体が並べられていた。処理を命じられた市民が、堀に放り投げてしまうまでは。


 地獄の外では、対照的に盛大な祭りが行われていた。

 長年、キーファー公から圧政を受けていた農民たちは、涙の代わりにワインやビールを飲んで「勝利」を祝った。

 その場には占領部隊の兵士も招かれていたというからヨハンの恨まれ方は並々ならぬものがある。

 ユリアはヨハンの忠臣・レートダッハ兄弟がはりつけにされ、村人から投石で殺される様子も目にしていたそうだ。


 ヨハンは怒りのあまり、すぐにも居城を取り戻さんと出兵の用意を始めさせたものの――彼らが北に向かうことはなかった。


「敗残兵の話では敵兵力は一万人以上。とても正面から対抗できません。私から必死で説得させていただきました。友好国のヒューゲルに向かうべきですと」

「そして今に至るわけですか」

「はい」


 ヴェストドルフ大臣はなぜか満足そうに目をつぶる。

 話を聞いたかぎりでは、彼らは別にヒューゲル公領を助けに来たわけではなくて、敵から逃げてきたみたいだ。

 それも一万人以上の大兵力から。

 トーア侯の推定兵力がどんどん増加していく。四年前はライム王国軍に蹴散らされていたのに、どんな手を使えば、キーファーと同程度の領地から二倍以上の兵力を保有できるのだろう。

 いくら不作のダメージが少なかった西南部の領邦とはいえ奇妙だ。


「……なぜトーア侯は合わせて一万三千人以上の兵力を持てるのでしょう」

「んん? これは失礼致しました。我が城を落としたのはマティアス殿ではありませんぞ」

「では、アウスターカップ辺境伯ですか」


 シュバルツァー・フルスブルクの近くで一万人以上の兵団を送り込める領主といえば、他にはあの国しか思い浮かばない。


 こちらの問いに大臣が答えようとしたところで、奥の部屋から足音がしてきた。

 足音の主は緑色の軍服を身にまとい、その傍らにはまだあどけない少年を連れている。


 ヨハンと――大君・ハインツ三世だった。


 大臣が跪いたので、公女おれも慌てて床に跪く。公女の地位からするとめったにないことだ。


「よきにはからえ」


 大君はいたって儀式的に仰ると、そのまま部屋に戻られた。顔見世だけだったのかな。あまり顔は見られなかったけど。


 ヨハンのほうはこちらの間に近づいてくる。

 彼と会うのは去年の八月以来になる。良くない思い出が心臓から逆流してきそうになるけど、ぐっと堪えた。


「女は世間を知らないな。お前にはもっと耳を澄ましてもらいたいが」

「ラミーヘルム城はずっと包囲されておりましたから」

「それはそうか」

「ユリアも来ませんでしたし」


 語気を強めてしまったせいか、ヨハンから目を背けられてしまう。


 もちろん、俺だってキーファー兵営がユリアを偵察任務に回していたのはわかっている。

 自部隊の周りに敵部隊が伏せていないか、空から見張ったりしていたのだろう。

 しかしヨハンの手紙が来なくなったせいで、ヒューゲル《もとい俺自身》が大いに混乱したのは間違いない。

 ブッシュクリー大尉に反乱を起こされそうになった時は大変だった。


「……マリー様。ヨハン様は」

「よせ」


 ヨハンはヴェストドルフ大臣の言葉を遮ると、公女の目の前に立った。

 相変わらず身長が高い。双肩と胸板が力強く張り出している。スポーツマン体型だ。

 そんな彼が、ほんのわずかながら頭を下げていた。


「心配をかけてすまない。お前に会わせる顔が無かった。お前の家族を守れなかった。本当にすまない。何もかも」


 いや……別に心配していたわけではないけど。

 カミルとパウル公の件も、初見では防ぎようがないし。


 何の話だったっけ。

 そうだ。


「それで、ヨハン様の街を落としたのは、アウスターカップ辺境伯ではないのですか」

「あれはオエステ兵だ」


 ヨハンは涙目で答えてくれた。



     × × ×     



 オエステ王国は海から攻めてきたらしい。

 彼らは大西洋航路を保全するために設立された「眼福の艦隊アルマダ」を惜しみなく北海に投入してきた。

 その数、ガレオン船・七十隻。

 かつて公女おれがヨハンに帆船を見せてもらった港は散々に破壊され、彼らの上陸地点に利用されたという。

 港の埠頭には民間徴用船から約八千人の兵士たちが降り立った。

 多数の攻城砲・輓馬と共に。


 彼らの主君・オエステ国王はベッケン家の出身だ。

 すなわちヒンターラント大公家の分家筋にあたる。

 ルドルフ大公から『要請』を受けたのは容易に想像できた。


 こうなってくると状況は「トーア侯の独断専行」から「北部連盟とルドルフ陣営の本格的な戦乱」に発展したとみるべきかな。

 もしくは俺が知らなかっただけで、すでに南北戦争は始まっていたのかもしれない。


 五年後の「破滅」に向けて。


「……おかしいな」

「どうした。主語を付けないとオレには伝わらないぞ」

「こっちの話ですわ」

「思わせぶりな女は好かん。オレと話しているからには、はっきり話せ」

「……わたしの予想より、ルドルフ大公が仕掛けてくるのが早かったのです」


 この世界が終末を迎えるのは五年後だとされている。

 なのに、南北戦争はすでに形勢が固まりつつある。

 ここから五年も戦いが続くとは考えにくい。おのずとルドルフ大公が「破滅の魔法」をぶつける相手はいなくなる。

 公女おれの介入が巡りめぐって、知らないうちにこの世界の流れを変えていたのかな。

 バタフライ・エフェクトみたいな感じで。

 何もかも上手くいかないと思っていたけど……ひょっとしたら上手く立ち回れていたのかもしれない。


「へへへ」

「おいマリー。何を笑っている。笑えるような状況か」

「ふふ、失礼しました」

「お前の浅はかな予想など知らんが、あのオッサンが仕掛けてきたのはオレの伯父が死んだからだろ」


 ヨハンの伯父とは前任の大君のこと。

 公女おれのせいでその死が早まったのかな。

 それによりルドルフ大公の即位も早まり、ヨハンがハインツ五世を対立大君に立てるのも早くなった。

 大君決定戦としての南北戦争も五年前倒しとなった……マリーのせいで。


 うーん。公女おれはヴィラバに何もしていないはずだけど、何かしら余波があったのだろう。

 バタフライ・エフェクトとはそういうものだし。


 何にせよ、上手くいっているならこのまま歴史を進めたい。

 ヨハンには負けてもらう。

 そのためには。


「……ヨハン様」

「なんだ」

「わたしはヒューゲルの城代として、ルドルフ大公に降伏することを決めました」


 公女おれは目の前の婚約者を見つめる。

 ヨハンは口元をひきつらせながらも、目には怒りをたたえていなかった。ただ、ひたすら辛そうだった。


「お怒りにならないのですか?」

「カミルとパウル公を人質に取られたのはオレのせいだ。お前に文句など言えるはずないだろう」

「公女様、お考え直しくださいませ! キーファーとヒューゲルの兵力を合わせたならば五千人。まだまだ十分に対抗できますぞ!」


 ヴェストドルフ大臣が追いすがってくるものの、ヨハンに椅子の足を蹴られると何も言わなくなった。

 いつもながら、ご苦労様です。

 公女おれとヨハンはまた目を合わせる。


「……オレはアウスターカップに向かう」

「あなたも降伏していただけませんか」

「オレが出来ると思うか?」


 ヨハンはまっすぐに見つめてきた。

 出来るとは思わない。この人は誰よりも誇り高い男だから。

 伯父たいくんを殺されて、城を燃やされて、頭を下げられる人間じゃない。


「……ご武運を」

「お前も気をつけろ。武器を取られたら何をされても抵抗できんからな」


 彼は奥の部屋に去ろうとする。

 おそらく、もう会うことはない。


「エマ」


 俺は廊下から彼女を呼び出した。彼女にはやってもらうことがある。

 あらかじめ持たせてある赤ワインを……手渡してもらう。


「ヨハン様。餞別に差し上げます」

「お前の魔法使いを貸与してくれるわけではないのだな」

「その子は我が家の家宝ですから」

「ふん」


 エマから献上されたボトルをどうでも良さそうに見つめるヨハン。

 これで終わりだ。



     × × ×     



 北門付近の商家から出てくると涼しい風が吹いていた。

 軒先で待っていたティーゲルと共に城内に戻る。

 エマは不思議そうな顔をしていた。


「せっかくワインを渡すなら毒を入れるべきだった」

「ああいう方には毒味役がいるし、別に殺すことはないよ」

「殺してしまえば戦争は終わるんでしょ」


 彼女の仰るとおりだけど、元々そのつもりで来たわけではないから。

 そんなことより。


「……で、どうだった」

「知ってどうするの、井納」

「次に活かすんだよ」


 こちらの返答に、エマは首を眠そうにひねってから、公女に耳打ちしてくれる。

 ふむふむ。なるほど。


 あいつ……マリーに一目惚れだったのか。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る