9-3 増援


     × × ×     


 ヒューゲル近郊に『グナーデ・アウゲン』と呼ばれる修道院がある。

 古代末期から信仰を保ってきた古刹には、現在トーア兵の本営が設けられている。宗教施設が駐屯地に利用されるのはよくあることらしい。

 公女おれの手紙は、使者の役を引き受けてくれた城内教会の牧師の手により、無事に修道院の門番に託された。


 翌日。今度はトーア兵営の使者が小包を送ってきた。

 中には返信の手紙と――血まみれの人差し指が入っていた。


『お前の弟をほんの少しだけ返してやる。

 次にふざけた手紙を送ってきたら、弟はまた削られるだろう』


 血の気が引いた。

 こんな手紙を送られてしまえば、交渉による時間稼ぎは期待できないどころか、いよいよ選択肢が限られてくる。

 トーア侯め。こうもあっさりカミル自身に手を出してくるなんて。

 捕らわれの身とはいえ、領主や爵位持ちなら多少なりとも丁寧に扱われるのが『この世界』の上流階級の不文律だと聞いていたからビックリだ。

 もちろん状況によっては、即座に殺された例もあるみたいだけど。


「公女様。これはハッタリです」


 抗戦派のブッシュクリー大尉が発言する。

 彼は小包の人差し指をつまむと、ハンカチで血を拭き取ってみせた。


「この指が弟君であると断言できますか」

「手紙にはそうありますが?」

「安易に敵を信じてはなりません。奴らも阿呆ではありますまい。明日は我が身となりかねませんのに」

「たしかに……本当にカミルの指を切ったりしたら、我々が相手方の貴族を捕らえた時にも同じことが起きてしまいますわね」

「ゆえに弟君の指など切るはずがありません。絶対にハッタリです」


 断言だった。

 大尉の隣にいる恭順派の廷臣は何か言いたげな顔をしているが、持論では分が悪いとみたのかモゴモゴするばかり。


 代わりにイングリッドおばさんが手を挙げた。


「あなたの言い分はともかく。お兄様たちの命が危ないのに変わりはありません。今すぐにも降伏するべきです」

「城も兵も取り上げられてしまいますが、イングリッド様は平気なのですか」

「死ぬよりマシでしょう、大尉」

「ではお尋ねします。城も兵もいないのに、誰がカミル様を守るのです? トーア侯は我々を恨んでおりますが、一族郎党皆殺しにされる可能性を否定できますか?」

「彼の良心を信じるしかありません」

「ですから、安易に敵を信じてはなりません、と」

「あなたもカミルの指が絶対にニセモノだと信じているじゃないの!」

「あれは推測です」

「屁理屈だわ!」


 イングリッドおばさんが勉強部屋のソファに座ると、ドドーンと城が揺れた。

 彼女がとんでもないヒップアタックを喰らわせたわけではなく、またもやトーア兵が大砲を使ってきたみたいだ。

 砲弾は石造りの城を簡単に崩してしまう。ラミーヘルム城のシンボルとなっている城壁などは弓矢時代の産物に過ぎない。

 この城が堅城と呼ばれ続けているのは南北の城門前に設けられた「堡塁」のおかげだ。鋭角状の陣地が多数並んでいる。

 湖と川に挟まれた狭苦しい土地だから、寄せ手はどうしても一度に多数の兵を投入することができない。


 トーア侯は南門から数キロの地点で三個梯団を組んでいるけど――かの『ブルネンの乱』の状況からして、おそらく全部隊を同時に城門に突っ込ませるのは不可能だろう。せいぜい前線を形成できるのは二個梯団まで。

 それくらいなら堡塁からの小銃射撃で撃退できてしまう。

 後続が次々とやってきたら最終的には制圧されてしまうかもしれないものの、今の状況では負けそうにない。


 だからこそ抗戦派の大尉たちは強気でいられる。


「城内まで砲弾が飛んでくるとなれば、この勉強部屋も危のうございます。こちらも大砲で対抗しませんと」

「それより城内に被害が出てないか確かめるのが先です。行きますよ!」


 おばさんと廷臣は部屋を出ていった。

 ブッシュクリー大尉もゆっくりと後を追う。


 公女おれが何も言わなければ、反撃許可が出たと解釈されてしまいそうなので「ダメですよ」と告げておく。

 大尉の切れ長の目は、苛立ちを隠しきれていなかった。


「……公女様は、まだ連絡を待っておいでですか」

「当然です」

「ヨハン様が来なければ、降伏されると」

「仕方ないでしょう」

「キーファー兵がおらずとも、あの程度の敵兵なら我が兵だけで追い払えますが」

「わかっていますわ。でもルドルフ大公がさらに兵を送ってきたら」

「その時は降伏すればよろしい。ルドルフ大公の部下ならトーア侯より礼節を守ってくれるはずです」

「!」


 彼の甘言に思わず釣られそうになった。

 危ない。我ながら『なるほど』って手を叩きかねなかった。

 ルドルフ大公が有利な降伏を認めてくれるなんて確証はないのに。魅力的な提案に思えてしまった。


「……なぜ、大尉はそこまで戦いたがるのです」

「保身です」

「それだけのことですか?」

「はい。小官だけでなく先方三家・有力家臣の方々も同じこと。ヒューゲル公領が改易となれば、我々もまた領地を失う。流浪の身となる。そうならないように努力させていただいております」


 また大砲の音がした。

 ヒューゲル兵はまだ反撃をしていない。

 カミルが徹底的に鍛えさせたおかげなのか、ヴィラバ戦役で多少なりとも実戦経験を積んだからか、ヒューゲルの兵士たちは統率が取れている。

 ひとたび公女が命令を下せば、彼らはトーア兵と激戦を繰り広げるだろう。

 トーア侯は余計に恨みを募らせ、皆殺しの公算は高くなる。

 公女は女性だから、落城する城内から逃げ出せず、兵士たちに慰めものにされてしまう可能性もある。そうなったら俺は舌を噛んで死ぬ。


 当然ながら、死んだら「一周目」は終わりだ。

 仮に「破滅」を止められなくても、そこに至るまでを見届けるために……全てを「二周目」に繋げるためには生きていたい。

 こっちだって目的のために考えているんだ。

 そうそう簡単に譲ってなるものか。


「ふむ。大砲の音が遠い。これは……来たかもしれません」


 ブッシュクリー大尉は礼もそこそこに足早に部屋を去っていく。

 来たって何だ。

 入れ替わりに入ってきたのはイングリッドおばさんだ。


「大変です! 早く支度しないと! マリー!」

「に、逃げ出すのですか」

「出迎えるのです。あなたの旦那を!」


 おばさんは泣きながら喜んでいた。

 自然と公女おれの目からも涙がこぼれてくる。




 一六七〇年六月二十日。

 ヨハン三世は初めてヒューゲル公領を訪れた。

 三千七百名もの兵士たちと共に。

 彼らは城の北側を監視していたトーア侯の散兵部隊を追い払うと、そのままの勢いで南側の敵梯団と交戦。

 トーア侯は不利を悟って本営まで退いていった。


 ヨハンの忠臣・フルスベルク中将は追撃を取り止め、野原で勝鬨かちどきをあげてからラミーヘルム城に入城。

 ヒューゲル政府の面々は大々的に出迎えたが……キーファー兵たちの顔色は冴えなかった。

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