9-2 ラミーヘルム評定


     × × ×     


 ヒューゲル政府の評定が「トーア侯の身代金要求が判明するまで待つ」との答えを出してくるまで、二日もかかった。

 どう考えてもそうするしかないのだけど、主だった面々が不在なだけに、共通意見を取りまとめるだけでも一苦労だったらしい。

 父とカミルは言うまでもなく、ハイン宰相やベルゲブーク卿、タオン卿といった有力者がみんな外に行ってしまっているからね。


 例外的にボルン卿は居残り組だったけど、残念ながら「先代と比べると陰気」というイングリッドおばさんの評価は正しいものだった。

 彼は口下手すぎて評定の主導権を握れず、結局のところ兵営のブッシュクリー大尉が進行役を務めていたという。

 大尉といっても、総兵力が千五百人以下のヒューゲル兵営においては高官の扱いだ。

 主力部隊が未だにヴィラバから戻ってきていない現状においては、彼が城兵の総司令官だった。


「手をこまねいていてはいけません。今すぐにも打って出ましょう」


 公女おれは評定を終えたばかりの彼からそんな進言を受けた。

 メガネやオールバックの白髪、何より普段の言動からは、ヒューゲルでは珍しいほどに理知的な印象を受けていたのだけど……見せかけに過ぎなかったみたいだ。

 単なる阿呆だったとは。


「大尉。我が兵営には何名の兵士が残っておりますか」

「衛兵・傭兵・正規兵・義勇兵合わせて三百人ほどです」

「トーア侯の兵力は三千人以上と伺っておりますが」

「小官の推定では、五千人を下らないでしょう」

「増えているではありませんか!」

「敵が多いほうが燃えるというものです。敵陣から当主様を取り戻しましょう。ヒューゲルの誇りを見せてやりましょうぞ」

「認めないわよ! 城代としてあなたには待機を命じます!」

「ふむ。承服しかねますな」


 ブッシュクリー大尉は右手を挙げて、指を鳴らした。

 すると、勉強部屋の出入口から完全武装の兵士が五名ほどぞろぞろ入ってくる。


 まさか公女おれが大尉の提案を拒否したから、実力行使に出てきたのか。

 銃剣を突きつけられて攻撃命令を出すように迫られたら抵抗できない。マリーの身体では逃げようもない。

 支配体制の動揺を肌身に感じる。


 俺は咄嗟にポシェットに入れている宝刀を握りしめた。

 水戸光圀公こうもんさまの印篭みたいに、宝刀を見せたら全員がひれ伏してくれたらいいのに。


「公女様。その右手の宝刀、小官に渡していただけますかな」

「お断りします。これは我が家の宝ですから」


 大尉が近づいてくるのに合わせて、後ずさりしていたら、いつのまにか窓際に来てしまっていた。

 いっそ宝刀を窓から落としてしまおうか。


「……めったなことはなされないよう」

「大尉。あなたこそ!」

「小官はパウル公とカミル様のために出過ぎた真似をさせていただいております。古今、女性に権力を持たせたらロクなことになりません」

「無礼ですよ!」

「無礼は承知しております。だがパウル公を取り戻すためならば手段を選んでいられない」

「手段? たった三百人で攻め入ったところで、お父様を助けられるはずないでしょう! むしろ、むやみに攻撃を仕掛けたらトーア侯の気分を損ねて、お父様とカミルが殺されかねないじゃない! あなたたちの頭は空っぽですか!」

「では、攻めるのはやめておきましょう」

「へえっ!?」


 大尉はなぜか急に納得してくれた。

 いきなり折れてきたものだから、こちらしてはビックリしてしまう。

 きっとマリーはものすごくマヌケな面を見せているはずだ。


 そんな公女に対して、大尉たちは今さらながら足元に跪いてくる。


「……あの。何がしたいのですか、あなたたちは」

「失礼ながら、我々は公女様を試させていただきました」


 大尉が目を伏せたまま説明してくれる。


「あなたが無謀な作戦を是とするようであれば、本気で短刀を取り上げることも辞さないつもりでございました」

「失礼極まりない話ですね」

「非常時ですから。その短刀は短絡的な脳には眩しすぎる」


 短絡的な脳とはカミルみたいな人のことだろうか。

 たしかにあれはカッとなったら無謀な突撃を指示しそうだけど。


「ほれ」


 ブッシュクリー大尉は手振りで兵士たちに解散を命じる。

 部屋には公女と大尉だけが残る形だ。

 世話係の老女もいるけど、部屋の隅で身を潜めているからカウントには入れない。


 大尉は許可なく立ち上がると、こちらに己のサーベルを手渡してきた。

 ズシリと鉄の重量を感じる。


「処分は何なりと」

「……何もしませんけど、二度と人を試したりしないでください」

「肝に銘じます」

「サーベルは返しますわ」

「ありがとうございます」


 彼はサーベルを恭しく受け取る。

 この忠節ぶりが非常に不安定なものであることを思い知らされてしまった。

 父から短刀を預かっていようが、城代に任命されていようが、公女は必ずしも兵士たちを自由に使役できるわけではない。

 納得できない命令は抵抗を受ける。

 当然の話だった。彼らは家臣である以前に人間なのだから。


 しかし、こういうことが起きると……安易に命令なんて出せなくなってしまうなあ。

 指示する内容を間違えたら兵士たちに囲まれるなんて怖すぎる。 

 生死に関わる話なんだから、命令者はそのくらいの覚悟を持たなきゃいけないのかもしれないけど。


「……ご心配なさらずとも、万事我々に任せていただければ大丈夫です」

「それ、口出しするなということですか」

「専門的な分野はプロにやらせてくださいませ。パンはパン屋といいます」

「わたしにはやることがありませんね」

「まさか。戦う相手を決めるのは高貴な方の役目です」


 ブッシュクリー大尉は礼をしてから、ツカツカと足音を立てて去っていく。

 我ながら、これではボルン卿を笑えない。



     × × ×     



 数日後、六月初旬。

 旧教派の神父がラミーヘルム城にやってきた。

 彼が持参していたトーア侯からの手紙は、すぐにも評定に掛けられた。

 誘拐犯からの要求事項は以下の通りだった。


『ヒューゲル公爵家は南部連合に味方すること』

『七百名の兵士を南部連合に提供すること』

『ラミーヘルム城を明け渡すこと』

『公爵家は沙汰があるまで分家のクッヒェ男爵領に移ること』

『我らの大君に忠誠を誓うこと』


 廷臣曰く、事実上の無条件降伏だった。

 当然のように評定は紛糾した。

 彼らは評定の中心にいる人物、現状においての当主代行である公女に主張を繰り返す。


「刃を交えずして降伏するなど末代までの恥! 先祖代々の土地を失えば、先代公に申し訳が立ちませんぞ!」

「城に立てこもったところで敗戦必至です。何もかも失うよりはお父上や弟君と共に生き残りましょう」

「いけませんぞ! たとえ降伏したところで生かしてもらえる確証がありません! 断固として戦うべきです! 公女様の旦那様のためにも!」

「お父上と弟君を見捨てるのですか!」


 評定は抗戦派と恭順派に分かれていた。

 前者は兵営の将校たちで、後者は御用商人や聖職者が中心だった。

 両者の言い合いは拮抗していたけど、ヴィラバ遠征から主力部隊が戻ってくると人数的には前者が圧倒的になった。

 必ずしも兵隊だから好戦的という話ではないものの、負けてもいないのに白旗を揚げるのは納得できないらしい。

 一方で、商人や僧侶・民間人にとってみれば、お上の戦いでラミーヘルムの街が燃えてしまうのは避けたい。


 両者の意見は利害関係もあって相容れることがなく、全会一致を旨とする評定はコンセンサスを得られないまま時間だけが過ぎていく。


 兵営がクーデターを起こすとの噂まで流れ始める中、やがて……その時はやってきた。


 六月中旬。

 ラミーヘルム城の近郊にトーア家の『一剣二鍵旗』が掲げられた。

 その周りには周辺国の旗もあった。

 ヒューゲル=コモーレン伯領、ヒューゲル=シルム伯領、ヒューゲル=クラーニヒ伯領。

 これらは名前からもわかるとおり、かつてヒューゲル公領の一部分だった土地だ。

 列強の干渉により兄弟での分割相続を余儀なくされ、やがて他家に乗っ取られていった……とタオンさんから聞いている。


 トーア侯といい、ヒューゲルの歴史を語る上では欠かせない名前がラミーヘルム城の周辺に連なりつつあった。

 彼ら、寄せ手の兵力は約二千五百人。

 公女の城を落とす分にはかなり不足している。



     × × ×    



 ラミーヘルム城の中庭まで河原の夏風が届いている。

 俺は放置された机に座り、青空を仰いだ。

 ぼんやりとした雲がわずかに浮いている他には何も見えない。

 雲の動きからして上空の風は強くないようだった。

 きっと鳥も飛びやすいことだろう。


 公女の左右には将校と廷臣が立っていた。

 彼らは抗戦派と恭順派の代表者として、『宝刀』の持ち主が決断を下すのを待っている。

 もはや評定では答えを出せそうにないので、城代おれに決めてもらうことにしたらしい。


「公女様。戦闘準備を進めるためにも早く決断を」


 白髪の壮年将校が持ち前のテノールボイスを聞かせてくれる。

 もう一人の廷臣も負けじと「否、恭順を!」と甲高い声を放った。


 彼らはどうもマリーが悩んでいると思っているらしい。

 その予想は外れている。

 俺は空飛ぶ使者を待っているだけだ。


 先日、公女は早馬をキーファー公領に送った。早馬には連絡を促す手紙を持たせてある。

 四月末からヨハンとは連絡が取れていないからだ。

 ハイン宰相からも特に報告がない。

 あっちで何が起きているのか、知っておく必要があった。


 もしもヨハンたちが敗れているのなら、助けが来るはずないのに絶望的な籠城戦を敢行する必要はない。

 トーア侯に城を明け渡して、今回は「破滅」対策をとりあえず諦める。


 しかしながら……もしヨハンたちがヒューゲルを助けようとしてくれているなら。

 何としてでも城を守り抜きたい。

 ルドルフ大公を倒すという望みを繋げたい。


 空は青いままだった。


「……来ませんね」

「見捨てられたのでは?」

「ヨハン様はそんな方ではありませんわ」


 阿呆な台詞を吐いてくれる廷臣をにらんでやると、なぜか呆れたような顔をされてしまった。

 もう一人のブッシュクリー大尉はハンカチでメガネを拭いている。

 その手を滑らせて、メガネを地面に落としてしまったのは、空から大砲の音が聞こえてきたからだ。


 慌てて三人で尖塔に登ったら、トーア侯の砲兵隊が砲口をラミーヘルム城に向けていた。


「ああっ! 返答を急かされておりますよ! お父上のためにも早く降伏を!」

「我々も大砲で反撃しましょう。さあ攻撃の許可を」


 両者が判断を求めてくる。

 ヨハンから連絡が来ない時の「答え」はもう決めていた。何なら一ヶ月前から決めていた。


「……停戦交渉を行います。トーア侯の陣地に使者を送ってください」


 連絡が来るまで、ひたすら時間を稼ぐしかない。

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