8-4 大君指名選挙
× × ×
パウル公とカミルたちを乗せた『親不孝号』が地平線に消えていく。
ヒューゲル政府のハイン宰相も北部連盟との交渉のためにキーファー公領に滞在中なので、この城の支配者は名実共に自分となってしまった。
正直なところ自信はない。
前世でも他人を率いるようなタイプではなかったし。バイト先でも指示される側だった。
公女の役をやるようになってからも、シャルロッテや女中たちみたいな手の届く人たちにしか命令を下していない。
ワガママを言ったことは多々あっただろうけど。
何にせよ――城代を務めるからには毅然とした振る舞いを見せないといけない。帝王学は公女の必修科目だから多少は「てにをは」を理解しているつもりだ。単位は未取得。実地研修できてないから。
俺は父親たちが留守の間に何も起きないことを祈った。何も起きなければ、廷臣や将校たちに日常を過ごしてもらうだけで済む。何も起きなければ。
× × ×
父親たちが旅立ってから二日後のこと。
ラミーヘルム城の中庭に侵入者が現れた。南北の堡塁・城門を突破されたわけではない。彼女は空から降りてきた。
「若様からお手紙です! 変わらずお綺麗ですね、奥様!」
衛兵たちに銃剣を突きつけられながら、ユリアは笑顔で手紙を見せてくる。
どうやらヨハンは彼女を空飛ぶ飛脚として使役しているみたいだ。馬より早いし、平時にはピッタリの役目かもしれない。
雨対策のゴーグルとパンチラ対策のサロペット・オーバーオールが似合っている。飛行服みたい。可愛らしい。
俺は衛兵たちを下がらせ、彼女から手紙を受け取った。
案の定、ヨハンの手紙は簡潔な箇条書きだったので――そのまま中庭で読ませてもらう。ふむふむ。
「奥様からお返事をいただけますと、若様はきっと喜ばれます!」
「では、すでに父と弟は出発しました……とだけ」
「了解です!」
ユリアは礼もせずに飛び去っていった。
あまりに非日常的な光景だったせいか、衛兵たちが「なんだ今の?」「夢?」と混乱していた。
イングリッドおばさんも空を見上げて唖然としていた。
女中たちの話では、窓から外を眺めていたお母様もビックリしてお茶を噴き出していたらしい。地味に見たかったな。
ヨハンからの手紙の内容はパウル公の予想通り、ハイセ・クヴェレ大聖堂での大君指名選挙についてだった。五月初旬に行う予定だという。
来月なら余裕で間に合いそうだ、と廷臣たちが安心していた。
ヴィラバから兵隊を引き上げる件も明記されていた。
ちなみに、ユリアは同じ手紙を北部連盟各地に配っているようで、おっちょこちょいな彼女は何枚かの手紙を中庭に落としていた。
次の日に取りに来てくれたから良かったけど。
もし紛失に気づいてなかったら大変なことになっていたはずだ。
テヘヘと舌を出して笑う彼女からは、ついでとばかりにヨハンからの新しい手紙を渡された。
例の大砲の自慢話が記されていた。
「若君はすでにハイセ・クヴェレにいらっしゃいます」
「そうなのですか」
「あれこれと段取りをされていて大変そうです。ぜひ奥様から励ましのお手紙を差し上げてください!」
やけにキラキラした目で見つめられてしまったので、仕方なく中庭に机を持ってきてもらい、「がんばれ」と書いておいた。
すると、次の日には返信が届いた。
お前に言われなくても頑張っている! とのことだった。知らんがな。
ユリアからまたお手紙をせっつかれたので、とりあえず大君指名選挙についての質問を記しておいた。
そしたら次の日には回答が送られてきた。あいつ、実は暇だったのかな。
こんな流れが、五月中旬まで毎日のように続けられた。
はっきりいって面倒だった。
ユリアから手紙を受け取った時の「読んだらスルーしてはいけない!」という感覚は
もっとも……ヨハンとの高速文通のおかげで、
× × ×
一六七〇年五月十日。
ハイセ・クヴェレ大聖堂。
約三十家の諸侯が臨席する中で、大君指名選挙は厳かに行われた。
その時点で選挙権を持っていたのは、以下の十選定侯だった。
○ ヴィラバ王家(三職)
× フラッハ宮中伯(三職)
○ ウビオル大司教(三職)
○ キーファー公(七頭)
○ ジューデン公(七頭)
× エレトン公(七頭)
× アウスターカップ辺境伯(七頭)
○ グリュンブレッター辺境伯(七頭)
× ボーデン侯(七頭)
○ グルック大司教(七頭)
このうち当日にハイセ・クヴェレにやってきたのは○を付けてある六名。
十四世紀以来の金印法度の規定により、過半数の支持があれば大君即位が認められるため、特に滞りなくハインツ三世が次期大君に指名された。
ハインツ三世はその名のとおり、ヴィラバ人たちに殺された前任者の息子だった。
すなわち現在のヴィラバ王でもある。
父の地位を継ぎ、ヨハンが反乱軍から取り戻してきた『大君宝物』という神器を身にまとい、ウビオル大司教の手により祝福される。
名門トゥーゲント家のあらゆる
彼の初仕事は新しい七頭を任命することだった。
『お前に吉報がある。お前の弟を七頭にしてやったぞ』
ヨハンの手紙によれば、カミルは念願の地位を手に入れたようだった。
他にはヨハンの弟・マウルベーレ伯フランツが新任されていた。
あまり身内で固めてしまうと他家の当主たちが不満を抱きそうだけど、ヨハンにはヨハンなりの考えがあるのだろう。
代わりに七頭の座から外されたのは、当日にやってこなかったルドルフ派の当主たち。
エレトン公とボーデン侯。
例外として、局外中立のアウスターカップ辺境伯は七頭を留任されていた。
『秋波ですね』
『怒らせたくないからな』
ヨハンもあの国には気を遣っているみたいだった。
なにせ単独でも南部連合に対抗できると目されている大国だからね。なるべくサービスして味方につけたいところだ。
そんなこんなで……ハイセ・クヴェレでの特別会合は別段の問題なく終わりを迎えた。
あとは父親とカミルが『親不孝号』で城に戻ってくるだけ。
伝家の宝刀を使わずに済みそうで良かった。
『何も起きなくて幸いでした』
ユリアに託したその手紙に、返答が送られてくることはなかった。
一六七〇年五月十五日。
ハイセ・クヴェレ郊外の街道において、パウル公とカミルは拉致された。
さらにハイセ・クヴェレ自体も三千人の兵により占領された。
街には『一剣二鍵』の軍旗が掲げられたという。
下手人の名はトーア侯マティアス。
ヒューゲルにとっては非常に因縁のある男だった。
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