8-3 伝家の宝刀


     × × ×     


 公女の父親は湖畔に立っていた。

 古典的な隠居老人の服装が春風に揺られている。当代の流行ものではない。

 周囲では廷臣たちが喧々諤々けんけんがくがくの議論を交わしている様子だけど、当人は彼らに背を向けて湖面を見つめていた。


 例の城壁の割れ目を抜けて、俺は転ばないように湖畔への坂を降りていく。


「お父様」

「来たか」


 ヒューゲル公パウルは、なぜか挑発めいた笑みを浮かべていた。

 それが不安を打ち消すための心理的な防衛機制だと気づかされたのは、彼の首筋に汗の粒を見つけたからだ。


 老けた格好のわりにその首筋には老化を感じない。まあ、この人もまだ四十代だしなあ。

 生きてきた年数だけで言えば、井納純一と変わらなかったりする。


「用があるとイングリッドおばさんから伺いました」

「ああ。お前に城を任せたいと思ってな」

「我が家に支城なんてありました?」

「この城だ。私とカミルはハイセ・クヴェレに向かわねばならなくなった。マリーには留守を頼みたい」


 パウル公は周りの廷臣たちに目を配る。

 細かいことは彼らがやってくれるということか。もっといえば留守は名目的な話であって、つまるところお飾りをやれという指示なのだろう。

 公女は後見人から城代にランクアップした形だけど、だからといって何かしら独自の行動を起こしていいわけではなさそうだ。


「お父様たちはなぜハイセ・クヴェレに?」

「知ってのとおり、ヒンターラントのルドルフ大公が奇策を打ってきた。あの者は大君指名選挙で勝てないとみるや、まさか太古の前例を持ち出してくるとは」

「太古の前例ですか」

「初代大君の事蹟をなぞり、教皇猊下から大君として戴冠されたのだ」


 パウル公は湖畔から城に向けて歩き始める。

 こうなると俺たちは追いかけるしかない。


「お前なら知っていようが、かつて初代大君ルドルフ・デア・グローセは、当時の教皇から古代文明を受け継ぐ形で大君となられた。野蛮人の長から文明の指導者となったのだ」

「はい」

「やがて歴代の大君と教皇は対立するようになった。並び立つ存在を許せないのは仕方あるまい。大君同盟を疎んじた教皇は、大君に冠を授けなくなった」


 城内の武器庫あたりでパウル公の足が止まる。

 彼が古びたマスケットを銃架から抜くと、廷臣たちは慌てて弾薬の用意を始めた。

 中庭の的に向けて、父の鉛弾が飛ぶ。命中しない。ライフリングが入っていないからだ。

 タオン家の傭兵隊はライフリングの刻まれた特殊なマスケットを扱っていたけど、あれでも五十メートル先の的に当たるのは「十回に一回以下」だと聞いている。

 手練れの兵でその程度なんだから、父親の古びたマスケットではもありなん。


 パウル公は廷臣に再びマスケットを渡す。弾薬の再装填は家来の仕事だ。


「……歴代の大君たちは交渉と妥協を繰り返してきた。教皇の許可なしに大君即位ができるようになったのは二百年前の話だ。その時点で、我々の大君同盟は『成人』したのだと、私は捉えている」

「大人になりましたのね」

「親離れだ」


 父はまたマスケットの引き金を引いた。当たらない。


「その点で言うならば、ルドルフ大公は子供返りを起こしたことになる。奴がどんな手管でクレロの教皇府を口説いたのか知らんが、また坊主に頭が上がらなくなるのは同盟人として我慢ならんよ」


 三発目も当たらない。

 父は諦めたのか、中庭から大広間に向かって歩きだした。

 廷臣たちは慌ててマスケットを武器庫に戻している。

 忙しない主君を持つと大変だなあ。


「マリー」

「あ、はいお父様」

「北部連盟はハイセ・クヴェレで対抗大君を立てることになる。初代大君はあの土地の大聖堂で即位しただろう。ルドルフ大公はその点で及ばない。伝統には伝統で対抗する」

「だから、あんな僻地に向かわれるのですね」


 ハイセ・クヴェレは同盟西部の国境付近にある町だ。

 北部連盟の盟主にして、亡き大君の従弟でもあるウビオル大司教の領地だったはず。

 そうなると当地で「大君指名選挙」もやるのかな。

 後学のために見てみたい気持ちもあるけど、父親に留守を託されたからにはお断りできそうにない。


「……ふと思ったのですけれど、よろしいですか」

「何でも訊くといい。お前に向けて閉ざす扉を私は持たん」

「三職・七頭の選定侯ではないカミルやお父様が、わざわざ大君指名選挙に向かうのはなぜです?」


 ヒューゲルは兵力のほとんどをヴィラバに貼りつけている。

 いつ南北戦争が始まるかもしれない状況では、ラミーヘルム城から出ないのがもっとも安全だ。


 そんな公女の問いに、パウル公は、


「決まっているだろう……次の大君には七頭にしてもらう」


 かつてカミルが唱えて、父自身が一蹴したはずの望みを口にした。

 やっぱり、なりたいものらしい。

 思わず笑ってしまうと、父親からは怒号が飛んできた。


「何を笑う。献金せずに選定侯になれる機会などめったにないのだぞ」

「すみません」

「女にはわからんかもしれんが、大変に名誉な話だ」

「ぶふふっ」


 いきなりヨハンみたいな言い回しが飛んできたものだから、ついに俺は吹き出してしまった。

 とても下品な行為なので、周りの廷臣たちは目を背けてくれている。ごめんなさい。


「……お前は子供の頃から、つくづく女性らしい情緒に欠けている。男に生まれるべきだったな」

「それはわたしも思いますわ」

「まあ、そのぶん話は通じやすい。留守は任せたぞ。あいつを不安にさせないでやってくれ。……おい。あれを出せ」


 父は廷臣から短刀を受け取ると、こちらに手渡してきた。

 鉱石や宝石で彩られた実用性の無さそうな宝物だ。


「我が家の祖先、初代ヒューゲル辺境伯から受け継がれてきた宝刀だ。何世紀も前の内紛で実物は失われたが、形代として先代公が復刻させた」

「そんなものをなぜわたしに」

「兵権を預ける。何かあれば家臣たちに言うことを聞かせるといい」


 父はなぜか忌まわしげに短刀の鞘を見つめてから、公女おれに不安と諦めを混ぜ合わせたような目を向けてくる。充血している。

 そして「お前たちに任せた」と呟くと、廷臣の一人を引き連れて大広間を出て行ってしまう。


 公女の周りには、五名の廷臣が侍っていた。

 みんなヒューゲル政府の偉いさんばかり。牧師・家臣・学者。

 どうも本当に留守を託されてしまったみたいだ。


「……とりあえず、皆さんの普段の仕事に戻ってもらえるかしら」

「はい」


 廷臣たちは各方面に散っていく。

 政府の形を取っている以上は、公女が指示を出さなくとも今までどおり統治システムを回してくれるはずだ。

 指示を出さなきゃいけなくなるのは、父が話していた「何か」があった時になる。


 俺は受け取った短刀を、傍らに残っていた廷臣に預けた。今日のドレスには装具を入れるスペースがない。


「公女様もいきなり大変ッスね」


 若い廷臣は気安く話しかけてくる。

 妙にひょろっとしていて、やたらと背が高い。二メートル近くある。

 公女とは視線が合わないから、自然と見上げる形になる。

 こんな時、家臣なら跪くのがお決まりなんだけど……彼はそんな素振りを一切見せてこない。

 いや、良いんだけどさ。


「あなたは低地の生まれかしら?」

「地元民ッスよ。カスターニエ村の庄屋の次男になります」


 否定されてしまった。

 我ながら失礼な奴=低地人ってのは短絡的な発想だったな。改めよう。ステレオタイプは良くない。

 それにしても、村役人の次男から領主付きの廷臣になるなんてすごいことだ。まだ三十前で若そうなのに。

 よほどの才覚の持ち主なのかな。


「お名前を伺っても?」

「ギュンター・フンダートミリオンッス」

「珍しい家名ね」

「よく覚えやすいと言われるッスね。でも別に覚えなくて大丈夫ッスよ。そのうちいとまをもらうつもりなんで」


 暇とは仕事をやめることだ。


「あら。うちの待遇に不満でも?」

「もっと大きな仕事を任せてほしいのはあるッスけど……なんかアウスターカップ政府が高身長の男を集めているらしいんで。あそこなら早々滅ばないでしょ」


 彼は短刀をこちらの手に戻すと、ニヤニヤしながら去っていった。

 逆説的にこの国は滅びかねないと言われてしまった。

 まあ、アウスターカップと比べたら大体の国は滅亡に近くなってしまうけど、政府の当事者である廷臣から明言されてしまったのは大きい。

 未来予知を聞いたような気分になる。


 手元の短刀が何だか重たくなってきた。

 いやいや。公女おれの双肩はもっと重大な任務を帯びているじゃないか。もう。

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