8-2 ヴィラバ出兵


     × × ×     


 一六六九年十月二十日。

 ヒューゲル兵たちは二手に分かれ、それぞれ忍び足でコンセント市に入城した。

 モルダウ川の両岸に連なる街並みは、当時深いきりに包まれていたという。

 地上は視界がほとんどない。ぼんやりと足元の石畳が見える程度。

 前方に目を向ければ、対岸の城郭の尖塔だけが、白い『もやもや』の上に浮いている。

 空にはありったけの雲が詰め込まれていた。


 ホワイトアウト。

 タオンさんの息子・若タオンの話では、恐怖のあまり失禁しそうになったという。

 これほどの視界不良では、どこからヴィラバ人たちが現れるのやら予想もつかない。建物の影からマスケットを放たれても対応できない。

 五百人の兵を任されている彼は、その中から百人を選抜し、方陣を組みながら慎重に大通りを進んでいった。


「別働隊として斥候を先発させても良かったのですが、あのもやもやでは。同士討ちを起こしたくなかったのです」


 彼の判断は結果的に正しかった。

 対岸の攻略を担当していたベルゲブーク梯団は、街中の偵察のために斥候部隊を複数放ち、少なくない兵が同士討ちで死んだらしい。


 おかげで、コンセント仇討ち作戦は「無血開城」とは言えなくなってしまった。

 タオン梯団が大通りを進み、ドナウ川に架けられた橋のあたりまで来たところで、雲の切れ目から日が差してきた。

 時間と共に、白いもやも消えていく。


 ヒューゲル兵たちは、ようやくコンセントがもぬけの殻になっていることに気づいた。

 街中には反乱のとばっちりを受けた犠牲者が倒れているだけで、生きているヴィラバ人たちはみんな街の外に消えていたのだ。

 彼らはヒューゲル兵が迫っていることを知るや否や、コンセントから東部の田舎に逃げていたらしい……なるほど。父がラミーヘルムを出た兵たちに引き返すように指示を出さなかったわけだ。

 兵を出した時点で、あるいはその前に召集をかけた時点で、何もかも外部に伝わってしまっていたのだ。

 これは「スパイがいる!」とかいう話ではなく、街道の交易路を通じた「噂」の伝達の早さを示している。

 通信社のない時代なのにすごいなあ。


 出兵の件に話を戻すと……若タオンとベルゲブーク卿は打ち合わせの末に、他国の仇討ち部隊が到着するまでコンセント城に駐留することにしたらしい。

 ベルゲブーク卿の話によると、追撃を行わなかったのは、敵方のあまりにも鮮やかな撤退ぶりに「指揮官」の存在を悟ったからだという。


「烏合の衆なら寡兵でも打ち倒せる自信があります。でも指揮官がいるとなると話が別なんですよ」


 ベルゲブーク卿はのちに苦々しい口ぶりで語ってくれた。

 おそらくブルネンを念頭に話していたんだと思う。ぶっちゃけ、この人に学習能力があるのは意外だった。


 ……やがて二週間もしないうちに、北から味方がやってきた。


「大君陛下を殺した者を探し出せ! 必ず見つけ出して、オレの足元に連れてこい!」


 ヨハンだった。

 伯父を殺されて怒り狂った彼は、約三千人の兵力でコンセント市からヴィラバ東部に切り込んでいった。

 コンセント城は後方基地を担うことになり、ヒューゲル兵たちは兵站要員としてキーファー公領軍の下働きを強いられたという。

 逆に言うと前線に駆り出されなかったことで、若タオンたちはキーファー兵の残虐行為に手を貸さずに済んだともいえる。


 現代と比べたら何でもありな時代だけに、ヨハンの「犯人探し」は凄惨を極めた。公女の耳まで伝わってくる「噂」のえげつなさは尋常ではなかった。

 例えば、ヨハンの家臣がとある村の男性をみんな去勢したとか。各地で罪のない村人の耳を削いで回っているとか。子供を誘拐して、兵士にするために母国に連れて帰っているだとか。

 あまりにも酷い話ばかりなので、俺はヨハンに抗議の手紙を送った。


『そこまでやってない』


 ヨハンの返答はいつもどおり短かった。真相はエマを使わないかぎり判明しそうにない。


 ヴィラバ人たちもやられてばかりではなく、組織的なゲリラ戦で抵抗を見せたものの……山林や畑は血で染められていった。

 一方のキーファー兵も焦土作戦に苦しめられた。

 各地で耕作地が焼かれていたために兵糧の現地調達が困難となり、本国から前線まで定期的に穀物馬車を送る必要に迫られた。

 ヴィラバ人たちはその馬車に強盗を仕掛けることで、多くのキーファー兵たちを空腹に追い込んだ。


 そんな日々が翌年の四月まで続いた。

 凄惨な「仇討ち戦争」が終わりを告げたのは、より巨大な出来事が起きたからだ。



     × × ×     



 一六七〇年四月。

 ついに二十歳になった公女は、この世界に来てから初めて(?)「現代人」であることを活かす機会を得ていた。

 俺はソファにもたれかかり、右隣に座っている新大陸生まれの少女のおでこに触れる。

 彼女は互いの接触部を通して、井納純一の中に眠っている「日本時代の記憶」を紙にしたためていく。

 これまでに出力された「記憶」はすでに日記帳四冊分に及んでいた。


 半年前から公女が後見人としてヒューゲルの政治に口出しできるようになったので、どうせなら日本時代の知識を活かそう、という流れになったのだ。

 しかしながら……いかんせんエマは寄り好みをする節があった。


「ああ。おじさんの話は本当だった。すごい終わり方。大きな魚」

「なんでティム・バートンの『ビッグ・フィッシュ』を読み込んでいるのさ」

「面白かったから」


 なぜか近世社会でも生かせそうな知恵や武器のアイデアなどではなく、映画の感想文が日記帳を占めていく。

 いっそ古今の名作を戯曲や小説に仕上げて、売り出してやれば儲かるかもしれないけど……それより科学技術を読み込んでほしい。


「そんなの井納が思い出したら済む話。エマは今から『スター・ウォーズ』を観る」

「長いからダメ! それと前にも言ったけど俺は根っからの文系だから、例えばサスペンションの仕組みとかぼんやりとしかわからないんだよ」

「サスペンションを出したらいいんだ」


 エマはサラサラとペンを滑らせる。

 この活動を始めた時には絵が下手くそだったのに、半年も続けるうちにかなり上達してくれた。

 彼女は井納純一のあらゆる記憶を読み込める。本人が忘れていることだって、ある程度ならば出してこられるらしい。

 井納が理解していない理系な知識、例に挙げたサスペンションの構造なども「視覚記憶」から引用できるので、非常に便利だった。

 残念ながら、彼女が日記帳に出してきたのは自動車の足回りに使われてそうな、非常に複雑な形状の代物だったけど。

 こんなのどこで目にしたんだ、昔の自分。

 ああ、テレビのコマーシャルか。


「遠い昔、はるか彼方の銀河系で……」


 エマは早くも『スター・ウォーズ』の世界に旅立ってしまっている。

 なんかエマだけズルい気がする。

 こっちはやることもないのに……実際のところ、暇だからこそ「記憶」の呼び出しでお茶を濁していたりする。

 当主の後見人といっても、何だかんだでまだまだパウル公が実権を握っているから、さほど口出しできるわけではない。

 エマに出力してもらった現代技術だって、近世の技術力で再現できるものは少ないからいまいち役に立たない。

 仮に作れたとしても維持するのに骨が折れる。

 もし奇跡的にAK47を作れたとして、あれを千丁も作らせて、かつそれに応じた数の弾を揃えるのは非現実的だ。そもそも旋盤もないのに自動小銃なんて絶対に作れないだろうけど。

 せいぜい百均の便利グッズを木工で作ってもらえる程度。

 あとは折りたたみ式の椅子を作らせたら、街の人たちが喜んでくれたっけ……。


 ともあれ、今のところは現代技術で他国に差をつけるのは難しい感じだった。

 せめてこの時代から百年後くらいの知識があれば良いんだけどな。さすがに三世紀以上の差は埋められそうにない。


「……井納。映画を観る時にポップコーンを食べるのやめて。面白いところで塩味がしてくる。あとポップコーンの残りを調べるために画面から目を離さないで。なんでデス・スターにミサイルを落とすシーンで目を逸らせるの?」

「今さら言われても困るよ」


 俺は彼女から身を離して、ソファから立ち上がった。

 もうすぐ楽器のレッスンを受ける時間だ。いくつになってもお嫁修行からは逃がしてもらえない。


「――マリー。あなたのお父様がお呼びです」


 ちょうど楽器の先生にあたるイングリッドおばさんが部屋にやってきたけど、何やら様子がおかしかった。

 嘔吐公が呼びつけてくるなんて珍しい。


「どうかされたのですか?」

「さあ。私は荷造りに向かいますから、詳しいことは本人に訊いてください」


 荷造りということは誰かが城を出るのか。

 何かあったのは間違いなさそうだ。


 エピソード5を求めてか、やたらとひっついてくるエマに追い回されながらも大広間にやってくると……衛兵たちが暇そうに立ち話をしていた。

 他には誰もいない。父親はここにはいないらしい。イングリッドおばさんもどこにいるのか教えてくれたらいいのに。

 まあ、あの人はいつも忙しなく動き回っているから、教えてもらっても無駄になるのだろうけど……。


「……しかし大変なことになったよな!」

「まさかルドルフ大公が、教皇猊下から戴冠されるなんてなー」

「あれってマジで大君になれんの?」

「なるんじゃね。いや、わからんけどさ」

「うちのオヤジの話だと、いけるっちゃいけるんじゃねえのって」


 父を探そうとした公女の足が止まる。

 衛兵たちの話が本当なら――いよいよ、南北戦争おわりが近づいてきたみたいだ。

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