8-1 教訓


     × × ×     


 一六六九年十月七日。

 大君・ハインツ二世は怒れる民衆の手で殺害された。

 現地の歴史的な習わしに則り、コンセント城の尖塔の窓から投げ出されたという。

 彼の死体は城下町で晒しものにされ、散々な辱しめを受けた末に、街を流れるモルダウ川に沈められたそうだ。


 元々、大君の治めるヴィラバ王冠領は同盟内部でも不安定な領邦だとされる。

 人口の二割を占めるにすぎない同盟主流派ゲム系民族移民による支配に、千年前から現地に住んでいるヴィラバ人は反感を抱いている。

 宗教的にも大君=ヴィラバ国王が旧教派なのに対して、ヴィラバ人はヤン派という地元宗派が根強いらしい。


 支配者と被支配者の深刻な相克。

 おのずと大君の領国経営は上手くいっていなかった。

 百姓たちは労役においてサボタージュを起こし、年貢の支払いを拒絶。都市の市民は不輸・不入(税金を払わないし、介入も受けない)を主張する。

 兵士たちは給与の未払いで去っていくばかり。


 不作も相まって、ここ数年は分家筋のキーファー公の援軍なしには支配体制を維持できない状況まで追い込まれていたらしい。

 その援軍も数千人の怒れる民衆には無力だった。

 本来なら「ヴィラバを制する者は天下を制する」と称されるほどの裕福な土地でありながら……大君・ハインツ二世は死ぬまで「力なき君主」であり続けた。



     × × ×     



 コンセント市に出征するヒューゲル兵たちを見送った公女の父親は、その足で城内の尖塔に向かった。

 尖塔の展望台にはカミルがいた。夕暮れ、街道を進み、遥か遠くに消えかかっている兵士たちを眺めている。

 その横顔は満足そうだった。


「カミル、お前は!」


 父の右ストレートが炸裂するまでは。

 およそ鍛えているようには見えないし、寄せる老いにも抗えていない父だけど、そのパンチはとてつもなく早かった。

 よっぽど怒り心頭なのかな。

 生まれてからずっと溺愛されてきたのに、いきなり扱いを変えられてしまった形のカミルは困惑を隠せない。壁にもたれかかり、赤くなったほっぺを痛そうにさすっている。


「ち、父上。何もされます」

「なぜ何の相談もなく出兵した。お前は自分が何をやっているのか、わかっているのか」

「大君陛下が不逞の民に殺されたのですよ! トゥーゲント家に連なる者として仇討ちをするのは当然ではありませんか!」

「いつから我が家はトゥーゲント家になったのだ」


 パウル公はちらりとこちらを見やる。

 いやいや。公女は何も吹き込んでませんよ。

 むしろカミルのほうがトゥーゲント分家のヨハンを尊敬しているだけで。


 身振り手振りで釈明したら、父はわかってくれたようで「そうか」と呟いた。

 ここでカミルが思い出したように手を挙げる。


「父上、やはり仇討ちが正しいはずです! 我々は大君陛下の封臣です! 主君のために戦うのは正しい!」

「そのような時代はもはや終わっている。理想的な名分論でしかない。……カミル。お前はなぜ兵を出した?」

「ですから、父上」

「なぜだ。ベルゲブークの奴から武功を挙げれば『七頭』に選んでもらえると、そそのかされたか?」


 パウル公の指摘に、カミルはわかりやすく表情を強ばらせる。

 図星だったのか。

 七頭とは大君同盟の称号だ。大君指名選挙に参加することができる。

 七頭は大君が代替わりするたびに交代するので、カミルはその座を狙っていたみたいだ。


 彼の反応に、父親は「ふむ」と手を合わせる。


「たしかに旧例に従うならば、新たに即位される大君から七頭に任命されるやもしれん」

「わ、我が家にとっては光栄なことです! 何百年ぶりでしょう!」

「旧例通りなら次の大君もトゥーゲント家の嫡流、ハインツ二世の息子が選ばれる。父の仇討ちをしたお前は可愛がってもらえるはずだ」

「はい!」

「そのような、旧例が守られる時代の……終わりを感じられないのは、我が子ながら情けないことだ……」


 父親は息子の肩を優しく叩いた。

 虚勢の笑みを浮かべていたカミルの口元が萎んでいく。

 不安と焦燥ぶりが足元まで伝わってきた。


「父上……僕は……何をしてしまったのですか……?」

「アルフレッドが居てくれたらな。今さらあの者の死を悔やむことになるとは」

「父上!」


 カミルの問いに、パウル公は答えない。

 何も言わぬまま尖塔の階段を降りようとする。

 ふと、父の目が公女マリーを捉えた。


「……あと七年だったな」

「はい?」

とつぐまでの話だ。それまでお前がカミルを支えてやってくれ。後見人に任じる。師匠の代わりをやれ」


 父の足音が階下に消えていく。


 俺は胸から沸き出る達成感と、背中の虚無感に揺れていた。

 やっと正面から政治に口出しできるようになった一方で、今さらカミルを操ったところで歴史の流れを軌道修正できるとは思えない。

 現状の破滅対策である『ルドルフ大公との決戦で魔法使いを皆殺しにする』を実行しやすくなるのはありがたいけど、この作戦が完璧でないのは我ながら察している。

 もっと良いアイデアや方法はあるはず、あったはずだ。


 ただ、そもそも井納じぶんは──


「お姉様」


 カミルが話しかけてくる。

 叱られた子供そのままの涙目が、幼少期を思わせる。

 奥さんや娘までいるくせに姉の前で泣くんじゃないよ。


「余は……僕は何を間違ったのですか。父上にあんな目で見られて、僕はもう。兵を退けば良いのなら、今からでも退かせますが」

「お父様はヨハン様を見捨てるつもりだったのよ」

「なっ」

「アウスターカップのいない北部連盟に勝ち目はないから、いざという時にはルドルフ大公に味方する。お父様の手紙にあったでしょう」

「手紙は読みましたが……あんなの。まだ南北戦争いざというときは始まってないですし! それに、だからって大君陛下の仇討ちをするのはいけないことなのですか!」

「ルドルフ大公から『トゥーゲント家の仲間』だと思われたら? わざわざ他国の反乱を抑えにかかるなんて、よほどキーファーと仲睦まじいのだろうと邪推されたら? 南部諸侯の描いている地図からわたしたちの領地が消えるかもしれないわ」


 北部連盟の代表たちがやっていたのと同じように、南部連合の連中も好きなように「賠償地」の切り取りを行っているはずだ。

 特にヒューゲル公領は南北街道の中継地だから、どの国も狙っているはず。

 難癖を付けられないように慎重な行動が求められる。

 例えば『国家安康』『君臣豊楽』と記された仏鐘を作ったりしちゃいけない。三日月湖を埋められてボコボコにされちゃう。


「別にあなたを見限ったわけではなくて、領主ならそこまで考えてから行動してほしい、とお父様は言いたいのよ。きっと」

「…………」


 自分なりの推察を披露してみたら、目の前の弟は黙りこくってしまった。

 反省しているようには見えない。

 むしろ、彼の右手は強く握られていた。


「僕は……ヨハンお兄様の弟です! 父上みたいな恥知らずではない!」


 反抗期。

 十六歳にして、カミルはついに父の「くびき」から脱したらしい。

 尖塔をドタドタと降りていく弟の行き先は、おそらく父のいないところだろう。


 いつの間にやら日が落ちていた。

 紫雲が西の空を包んでいる。カラスが街の上を飛んでいた。


 あえて弟には言わなかったけど、結果的には無邪気に出兵してもらって良かったかもしれない。

 これでヒューゲルは完全に北部側につくしかなくなった。

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