7-4 秋波
× × ×
宮殿の大広間では、引き続き公議が行われている。
各国代表はヴェストドルフ大臣の「何度も繰り返されてきた同じ内容」の主張に、あくびを堪えきれずにいた。
参加者の数は当初の半分以下になっている。不在の者は何かと理由をつけて居城に帰ってしまった。空席が目立つ。
そんな彼らの様子を中二階から見守っている男がいた。他ならぬヨハンだ。
鍛え上げられた背中からは、モウモウと苛立ちがにじみ出ている。
「ヨハン様」
「なんだ。マリーか」
振り返ってくれた彼の目つきは、タカを彷彿とさせるほどに鋭いものだった。
ちなみにヨハンは公女と話す時、必ず一旦は胸を見てくる。丸わかりなものだから見られるこっちが恥ずかしくなる。
もし来世も男に生まれたら、一生サングラスをかけて生きよう。
そんなことはどうでも良かった。
「折り入ってお話がありますの」
「悪いが後にしてくれ」
「悪い話と悪い話があります。お選びくださいまし」
「やけに強引だな。オレは男の事情を察しない女は好かん」
「別に好かれなくてもけっこうです。明日にもヒューゲルに戻ることになりましたので、お話できるのが今しかないものですから」
「……なぜだ?」
ヨハンの身体が公女に向けられる。
こちらの話を聞いてくれる気になったらしい。
「わたしのお父様が決めたことです」
「まだ北部連盟の公議は続いている。終わってから戻ればいいだろう」
「交渉にはハイン宰相を残します。お父様は故郷が心配なのです」
「なぜお前まで戻る必要がある」
「……アウスターカップ辺境伯は北部連盟に参加しないそうですわ」
そんなはずはない、何を根拠に! ……なんて大声を浴びせてくるかと思いきや、彼は苦しそうに眉間に
ひょっとしたら、ヨハンとしても薄々そんな気がしていたのかな。
「ヒューゲルの魔法使いの話はさせてもらいましたわね」
「ああ。かなり前に手紙で読ませてもらった。お前、あいつを使ったのか!」
「アウスターカップの高官たちと握手してきたそうです。彼らは中立を図っているとエマから聞きました」
「そうか……くそっ。ますます他の諸侯と力を合わせねばならんというのに!」
ヨハンの視線が階下の大広間に戻される。
アウスターカップが力添えしてくれないとなると、あそこの代表たちに期待するしかないのはわかる。
でも、彼らはおそらく期待に応えない。
アウスターカップが正式に中立宣言を行ったら、みんな「同じく!」と手を挙げるはずだ。そのほうが生き残りやすいから。
あるいはルドルフ大公の傘下に鞍替えするかもしれない。我が家のように。
そんな流れを止めるには……ヨハンには一つ、諦めてもらうしかない。
「ヨハン様。大君同盟の改革は取り下げるべきです」
「何を言うか! あれこそが我々の大義だぞ!」
「たしかに正しいかもしれません。でもルドルフ大公も正しいのです。同じ正しさでは負けますわ」
「あいつは嘘をついているではないか!」
「その嘘を打ち明けられたのはヨハン様だけです。何も裏付けがありません」
今のところルドルフ大公=ヒンターラント政府はあの四つの宣言を守るスタンスを崩していない。
圧倒的な力で北部連盟をねじ伏せてから、少しずつ崩していくつもりなのかな。
何にせよ北部連盟・南部連合の
主張に差がないから、単なる「勝ち馬・負け馬」の読み合いになってしまっている。
今のところ北部連盟が負け馬の扱いを受けている以上、大多数の現状維持派の諸侯を味方につけるためには、あえて大君同盟の改革案を伏せたほうがいい。
特に強力な中央政府の設立は、反対意見が根強いわけだし。
俺がここまで歩きながら捻り出した案に、ヨハンの反応は。
「お前の弁の正しさは認めよう。しかしヴェストドルフの奴にも言ったが! 大君絶対主義は我が父の大望だ! 改革案の取り下げは断じてできん!」
ダメだった。
ヨハンは誇り高い男だ。何より父親を敬愛している。
あの人の考えに背くことはできないらしい。
「それにここで引き下がれば、仮に勝利したとしても、いずれまた地方は反乱を起こす! 地方を圧する中央政府が必要なのだ。オレは同じ轍を踏まんぞ!」
「孤立無援で負けたらどうするのですか」
「その時は……!」
彼は大広間の天井を見上げた。
ドームの内壁には宮殿建設時に伝説的な絵師が描いたとされる宗教画が残っている。
画風は異教徒の
全体で「誰か」が天に召される様子を表していた。
ああ。そうか。
ヨハンは誇りと共に死ぬ
かつて、アルフレッド・フォン・タオンは語っていた。
――この世の人間は『働く者』『祈る者』『戦う者』に分けられます。一つ『働く者』は大地の恵みを扱う。二つ『祈る者』は神に祈りを捧げる。
我々は『戦う者』でございます。ゆえに我々は戦った結果としての死を甘んじて受け入れなければなりません。
阿呆らしい、と呟きかけてやめた。この世界にはこの世界の美学がある。倫理観がある。哲学がある。近代文明に生まれたからって上から目線で馬鹿にするのは失礼だ。
しかしながら、世界の「破滅」を止める役目を帯びた公女としては、そんな死に付き合うわけにはいかない。
例え、名目上は夫だとしても。
「……もう一つの悪い話をさせていただけますこと?」
「好きにしろ」
「ヒューゲルはルドルフ大公に味方する方針です」
「ほほう。お前の父親は滅ぼされたいようだな」
ヨハンは皮肉めいた笑みを浮かべる。その目は笑っていない。
たしかに往年の力関係では、ヒューゲル公領がキーファー公領にケンカを売るなんてありえない話だった。
でも今は。
「お言葉ですが、あなたの兵がラミーヘルム城に殺到するまでに南部連合から援軍が来てくれますわ」
「ならば、お前の父親が城に逃げる前に捕まえるまでの話だ! …………おいマリー。お前は父親を売ったことになるぞ。なぜオレに教えた!?」
「未来の婚約者ですから」
「父親の離反を止めてほしいのか……?」
「では、庭に待たせている者がおりますので失礼いたします。期待しておりますわ」
俺は言葉尻にほんのわずかな意趣返しをにじませつつ、スカートの端を摘まんで作法通りに頭を下げる。
これでヨハンは『親不孝号』に追っ手を放ってくれるはずだ。
今、パウル公に逃げられると、本格的に北部連盟は追い詰められてしまう。俺としてもルドルフの「破滅」を止める術がなくなる。
あの「破滅」を止めるには奴が魔法使いを繰り出してきたところで一気に攻勢をかけるしかない。だから北部連盟には立ち向かえるだけの力を持っていてもらいたいし、ヒューゲルには「攻勢をかける側」で居てもらわないと困る。
マリー・フォン・ヒューゲルがほんの少しでも息をかけられるのはヒューゲルだけだから。
お辞儀を終えたら、首筋に手を添えられた。
お互いの唇と唇が触れ合う。ほんのわずかな時間だったけど、吸われた。
「…………あの、え……七年早いんですけど」
「前借りさせてもらった。我が家の誇りにかけて返済してやる。全て任せておけ」
ヨハンはそう言って──中二階から階下の大広間に降りていった。
例によってヴェストドルフ大臣を追い出して、自ら代表の席についた彼は「戦後においては旧例にならう」と宣言した。
旧例とは論功行賞を守ることだ。武勲に応じた取り分を与える。戦後は南部連合の賠償金・領地を北部連合の加盟国に分配する形になる。
各国の代表たちは立ち上がって拍手を送った。
ずっとヨハンの方針を支持していたルートヴィヒ伯だけは困惑気味だったけど……話はまとまった。
俺は宮殿から外に出る。
エマを待たせていた。
「お待たせ。お父様の宿に向かおうか」
「井納、何かあった? すごくほっぺが赤い」
「今はダメだよ」
こちらの手を触ろうとする彼女の右手に、持っていた手拭いを被せてやる。
ありがたい。良かった良かった。悪い話が良い話に変わってくれた。俺のかなり深刻な精神的ダメージと引き換えになったけど──公女の身体にとっては「害」ではなかったのか、一族特有(?)の吐き気は覚えていない。
とにかく今は引き換え券だったと割り切って、父親の逃走を止めるとしよう。
「……メス堕ち?」
「してないよ! さっきのは不意打ちだったから! というか背中に手を突っ込まないで!」
くっついてくるエマを振りほどいて、俺は三番街の定宿に向かった。
× × ×
南北街道を『親不孝号』が駆けて行く。
馬車の中では四人が揺られている。ハイン宰相を残したので、エマにも席が与えられていた。
父親の愛車は修理を終えてなお激しく揺れる。
吐き気を必死で耐えているイングリッドおばさんは、代わりにうめき声をもらす。
「早く城に戻りたい……次の館はまだなの……」
彼女の隣では、嘔吐公が窓の外に思いっきり身を乗り出していた。ああもう。周りを守ってくれてる騎兵たちが必死で「出来高」から逃れているじゃないか。
かくいう自分もダメになりそうだったので、必死で眠りの世界に逃げようと頑張っていた。
ところが、車輪が石を踏むたびに眠気が吹き飛んでしまう。たまに天井に頭をぶつけて痛むし。狭いし。
疾走馬車は愛する故郷・ヒューゲルに向かっていた。
父親の逃走と離反を止められなかった──わけではない。あれから父親には北部連盟の内紛がまとまったと説明した。
途中からハイン宰相も説得に助太刀してくれたおかげもあり、ひとまずヒューゲル家は北部側に残ることになった。
もっとも、これは「シュバッテン伯など周辺国が北部連盟に残留した」=「ヒューゲルだけ南部側に鞍替えするのは国防上危険」との理由が決め手であって、父としてはあくまで消極的な残留に過ぎない。
アウスターカップ辺境伯が北部に加盟しないかぎり、南北開戦の折には周辺国を説得して南部側に味方すると息巻いていた。今は吐瀉物を撒いている。
ちなみに北部残留で話がまとまったのに、なぜ『親不孝号』がヒューゲルに走っているかといえば、ずばり話がまとまったからだ。
連盟の方針を固めるための公議は終わりを告げた。あとは実務者だけがシュバルツァー・フルスブルクに残って打ち合わせを続ければいい。
加えて、これから秋に入り、同盟各地では夏の間に収穫した穀物を祝って収穫祭が始まる。領主たる者は地元の名士たちの会合に顔を出しておきたいものらしい。
領主たちが「とりあえず一旦は城に戻りましょうか」となったのは自然な流れだった。ヨハンも特に止めたりしなかった。
あいつの家にとっては、マリーの存在は血を残すために大切なんだろう。
ヨハン自身もそのために「二十六歳まで待つ」という約束を蔑ろにしている節がある。
マリーが好きというよりマリーの子宮が好きなのだ。なんせあいつの口から口説き文句をぶつけられた覚えがない。まるで好意を感じない。いつも「女のくせに」「分際で」と言ってくるし。
幼少期以来の古馴染みとして、多少の親しみを抱いてくれている部分はあるだろうけど。
「……井納」
エマが小声で耳打ちしてきた。
なんだい。
「めっちゃ乙女思考になってる」
だろうね。くそったれのマリーの肉体め。いちいち
たかだかキスの一つくらいで。
どうでもいい話だ。どうせ「破滅」したら死ぬ。回避できても井納はお役御免だ。
仮に残りの五十年もマリーとして生きなくちゃいけなくなったら、その時は改めて考えるとしよう。
エマに握られていた右手を解放してもらい、俺は窓の外に身を乗り出した。
近くにいた村人と目が合う。ごめんなさい。
× × ×
ヒューゲル公領は黄金の秋を迎えていた。
刈り取られた小麦・大麦畑が金色の芝生のようになっており、傍らの遊休地では枯れた雑草が揺れている。
国境付近の教会では収穫祭に立ち寄ることもできた。
祭壇には作物が献上され、教会の周りでは地元民たちが穀物や果物の料理、酒を味わっている。めったに食べられないという豚肉も振るまわれていた。
宗教施設の傍なのでみんな慎み深く楽しんでおり、どことなく素朴で興味深かった。あまり乱れると牧師に怒られるらしい。
何にせよ、数年前の飢饉から立ち直ってくれているようで良かった。
教会で一泊したら、いよいよラミーヘルム城が近づいてくる。
クルヴェ川と三日月湖に挟まれた城壁都市が見えてきたところで、イングリッドおばさんが「ああ」と嬉しそうに声を漏らした。
街の周りはやはり黄金の芝生に染まっている。芝生の中に三日月の池がある。そんな風景だった。
「南門へ向かってくれ。街を外から一望したい」
パウル公の注文で『親不孝号』は北門から街に入らずに三日月湖の外側を迂回していく。
かつてタオンさんが破壊したという城壁の穴が、湖の向こうに見てとれた。
のんびりと走っているのであまり揺れない。身体が慣れただけかもしれないけど、気分の良い秋のドライブだった。
ゆるやかな三日月のカーブが終わりを迎える。
南門の前には軍服姿の戦列歩兵が並んでいた。
彼らの頭上で『
梯団旗が二本となると二個梯団。兵力は千人を下らない。ヒューゲル公領のほぼ総兵力じゃないか。
何が起きているんだ。
「おい。どうした。なぜ兵たちが召集されている!」
父親も異変に気づいていた。
馬車を第一梯団の傍らに寄せると、彼らに訓示を行っていた指揮官を呼びつけた。
指揮官はベルゲブーク卿が務めていた。
「パウル公! お帰りでごさいましたか!」
「何があった。出兵の話など私は聞いておらんぞ」
「今朝の評定で決まりました。拙者たちはカミル様の命令に従うまでです」
「カミルの命令だと……おい。どこに向かうつもりか」
「コンセント市です」
「大君陛下の都で何をするのだ」
「ご存知のとおり、大君陛下が殺されましたから。弔い合戦を行わねばなりません」
二人の後ろを兵士たちが歩いていく。
タオン家の旗印を掲げた第二梯団は先んじて進軍を始めていた。いきなり召集されたらしく兵士たちの士気は高くない。銃剣付きの小銃を重たそうに担いでいた。
父親は目を丸くしている。
「嘘だろう?」
「ご存知ありませなんだか。コンセント城下でヴィラバ人たちが反乱を起こしたそうです。我々は制圧に向かいます。一番手柄を挙げれば、ご子息が次期七頭となるのも夢ではありませんぞ」
「裏付けはあるのか!」
「一昨日駐在員が早馬を送ってくれました。周辺国の貴族たちもみんな口を揃えております。ルドルフ大公がヴィラバ人を使って大君陛下を殺害した、と」
黄金の秋が軍靴で踏み荒らされていく。
兵士たちの二列縦隊は街道を南に進む。目指すべき東国街道は遥か彼方だ。
彼らの引率者であるベルゲブーク卿を見送った我が父は、草むらにどさりと腰を据える。
「……
「お兄様」
頭を抱えるパウル公をイングリッドおばさんが慰めている。
俺はまだ状況を呑み込めずにいた。
いったい、どうなるの……これ……?
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