7-3 破滅の足音


     × × ×     


 シュバルツァー・フルスブルクの涼しい夏が過ぎていく。

 正式に定宿からヨハンの宮殿に拠点を移した我々を待っていたのは、盛大すぎるおもてなしの日々だった。

 以前、ヨハンの父親の弔問に来た時は喪中だったから控えめな扱いだったけど、今回は完全に公女マリーを取り込みに来ているのが見てとれた。

 衣食住には不満を言わせないとばかりに、公女専属の服飾職人・料理人・宮殿内の別棟が宛がわれ、世話役の女中や衛兵は十人を下らない。

 結果として、至れり尽くせりではあったけど、常に周囲の目を気にしながら生活するはめになり……非常に生きづらかった。

 俺はヨハンに会うたびに「出たいです」とお願いしたけど、そのたびに女中や料理人が増えるので勘弁して欲しかった。そういうことじゃないから。


 たまにヨハンの国内視察に付き添う形で出掛けられるのが、唯一の楽しみだった。

 キーファー公領のヨハネスハーフェン軍港では初めて帆船を見せてもらった。

 三本マストの大きな船で、黄ばんだ帆の上にはヨーロッパアカマツをモチーフにした国旗がたなびいている。

 貧相な服装の水兵たちが木製の船体を磨いていた。

 船体の両舷には大砲の砲口が並んでいる。大昔、テレビでやっていた海賊映画を思い出す作りだった。


「我が海軍の船は素晴らしいだろう。あれと同じサイズの船を三隻も持っているのは同盟では我が国だけだ。マリーの家の河川砲艦より大きいはずだが?」


 ヨハンは自慢げに軍服の胸を張る。

 もっとも、来るべき戦乱では使いどころがあまり無さそうな船だった。ルドルフ大公の居城までは陸続きだし。

 せいぜいヒンターラント大公家の分家・オエステ王国の海上攻撃を防ぐ程度かな。彼らも阿呆ではないから、北部諸侯の海軍が待ち受ける北海経由ではなく、地中海から遠回りしてルドルフ大公に合流しそうだけど──そう考えると、この船たちも存在するだけで抑止力にはなっている。


 帆船を外から見て回ってから(日本で見学させてもらった米軍空母と比べると当然だけど小さかった)、ヨハンは海軍将校たちとの打ち合わせのために司令部に向かった。

 俺はイングリッドおばさんと共に、ヨハネスハーフェンのカフェでコーヒーを嗜んだ。


「ここは世話役たちがいないから楽ですね、おばさま」

「全くです」


 監視の目がない空間は久しぶりだったから、思いっきり羽を伸ばせた。

 ヨハンには帰りの馬車でも「女中が多すぎます」「あんなに世話役がいたら世話の方が欠乏します」と言っておいたから、宮殿に戻ってからは一人にくらいに……なっていれば良かったんだけど……。


 結局、滞留が終わるまで至れり尽くせりの日々は続いた。

 ぶっちゃけ女中に金をかけるくらいなら、もっと他に使いどころはあったと思う。



     × × ×     



 九月。

 パウル公(と付き添いのエマ)がアウスターカップからシュバルツァー・フルスブルクに戻ってきた。

 お父様は長旅の疲れからか、宮殿前で馬車を降りた途端に吐いていた。さすが嘔吐公の名に恥じない。

 とてつもない速度で街道を行き来した『親不孝号』も各所にガタが来ており、チザルピナの武辺者がキックを入れたらバラバラになりそうだ。


「お疲れ様です、お父様」

「その声はマリーか。よく出迎えてくれた」

「あなたの娘ですから」

「うむ。ところでハインはどこにいる?」


 手拭いで口元を拭ってから、父は周りを見回す。

 その目には公女とイングリッドおばさん、エマの姿しか映らなかっただろう。


「ハイン宰相はまだ会議に出ています」

「そうか。ならば少し眠らせてもらおう。マリーはハインの奴に、話し合いが終わったら我が宿に来るように伝えてくれ。イングリッドはみんなに帰り支度をさせろ。この国にはハインだけを残す」


 パウル公はそう告げて、ふらふらと『親不孝号』に戻ろうとする。

 途中で倒れそうになったので、エマが身体を支えてあげていた。あんな様子ではまたあの暴れん坊馬車に乗せるのは可哀想だな。


「お父様。宮殿の別棟をヨハン様から借りております。どうぞそちらでお休みください」

「そういうわけにはいかん。とにかくマリーはハインに伝えろ。帰り支度の件は伏せておけ」


 父は一人で『親不孝号』に乗り込んだ。

 ほとんど死体に近いような姿の馬車が、四頭の馬に引きずられていく。馬のほうもお疲れさんだ。

 あれでヒューゲルに帰るつもりなのかな。帰り支度とか言っていたけど。


 イングリッドおばさんに目を向けると、おばさんはすでに宮殿に向かっていた。さっそく支度を進めるつもりなんだろう。マジメだなあ。

 後にはエマだけが残されている。


「おかえり」

「井納……ちょっと太ったね」

「太ってないよ」


 いきなり体型の話をされてトギマギする。

 たしかに至れり尽くせりすぎて、あまり身体を動かす機会には恵まれなかったけどさ。

 そんなことより彼女には訊ねたいことがあった。


「それよりどうだった。アウスターカップ辺境伯とは会えたの?」

「会えなかった」

「あ、そうなんだ」

「代わりにあの国を本当に動かしている軍人、あと官僚たちと握手してきた」


 彼女は己の右手を広げる。

 その手が触れたとなれば、すなわち相手の意図を読んできたということ。

 いったい彼らは何を考えているのか。エマの答え次第ではヨハンに伝えて、アウスターカップを味方につけるための材料に──。


「……井納。たぶん今回はダメだと思う」

「え?」

「あと二周あるんでしょ。そっちで頑張るべき」

「…………どういうことだい?」


 こちらの問いに、エマは可愛らしい顔を曇らせる。

 そして広げていた右手で、公女のほっぺに触れてきた。

 否応なく心を読まれる。


「……そう。井納の予想は当たってる。アウスターカップの人たちは今回の戦いには関わらないつもり」

「そんな!」

「だからパウルもキーファーを見捨てる。だから私たちはヒューゲルに戻る……そう。井納が今思い浮かべたとおりになる」


 エマの手がまた空中で広げられる。

 今思い浮かべたとおりって……他の北部連盟の領主たちも、ヨハンからルドルフ大公側に付くってことじゃないか。


 実際、先立ってのヨハンの「我が家に従うか! ルドルフに従うか!」の発言があってからというもの、他の領主たちの態度は露骨に悪くなっていた。

 彼らは『問題児』ルドルフ大公の独断専行に抵抗するためにまとまりたかっただけで、決して大君やトゥーゲント家門に忠誠心があるわけではない。

 大君同盟の中央集権化の必要性は感じながらも、自分の既得権を差し出すほどの意欲は持ち合わせていない。

 要するに現状を守りたいだけだ。

 だから北部連盟の結成を大君同盟全体の改革につなげようとするヨハンとは、元より温度差があった。

 その差が極地と熱帯ほどに広がりつつある。

 ゆえにアウスターカップの援軍が見込めないとなれば、ヨハンを見捨てて勝ち馬に乗ろうとするのは妥当な判断だ。負けて改易なんて領主たちには耐えられない。


「……いや、待ってよエマ。どうして北部連盟の劣勢が、今回の二十五年を諦めろって話になるのさ」

「むしろルドルフが魔法使いを投入する可能性が下がる?」

「そうだよ。通常兵力で圧倒できるなら」

「アウスターカップの軍人たちは、ヒンターラント軍の魔法戦力を把握してた」

「それがどうしたの?」

「だから戦いの行方を予想してた。たとえキーファーだけが抵抗を示す状況になっても、ルドルフは必ず多数の魔法使いを送り込むと」

「何のためにさ」

「戦いの後を見据えて」


 俺の脳裏に北部連盟の代表者会議の様子がリフレインする。

 彼らはすでに「戦後」の絵を描いていた。

 ルドルフ大公がその作業を怠る、なんてのは楽観的な過小評価に過ぎないと思う。

 あっちはあっちでキャンバスを広げている。その絵を思い通りにするためには、ルドルフ大公は味方にも巨大な力を見せつける必要がある。

 一九四五年の満州、あるいは広島・長崎のように。


 その巨大な力が──「破滅」なのかな。


「井納。アウスターカップの人たちはキーファーとマウルベーレ以外、みんなルドルフに味方すると予想してた。今のままだとヨハンの兵隊だけで立ち向かう形になる。そんなのやられに行くだけ」


 エマはまるで未来を見てきたかのように語る。

 それだけアウスターカップの高官たちが、詳細な未来予想図を描いていたということだろう。


「そうだね……」


 何か手はないか。

 彼らの「絵」をひっくり返せるような材料は。

 俺は宮殿に向けて走り出した。

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