7-1 ふたりぼっちの嵐の中


     × × ×     


 川沿いの街道を馬車が駆け抜けていく。

 父がもっとも愛している『親不孝号』は四頭立ての馬車としてはヒューゲル有数の速さを誇るらしい。

 他の所有馬車と比べて、各所の装飾品が極端に少ない。小型化された客室は多少のカーブなら走り抜けても転倒せずに済む。

 構造の部品は細身だけど、連続使用に耐えられるだけの補強が為されており、それでいて総重量が増えすぎないように工夫されている。

 実用一辺倒の設計はどことなく未来的で、外から見るぶんには好ましい馬車だった。

 自分が乗るぶんには「最悪」の部類なのは言うまでもない。

 全速力の馬に引き回される刑を受けているかのような、あるいはバーテンダーにシェイカーでかき混ぜられているような、激しい乗り心地を味わうはめになった。

 おかげで並の馬車なら二十日はかかる、ラミーヘルム城からキーファー公領の入口までの旅路を十五日で踏破した代わりに、公女はついに「嘔吐姫」の渾名を拝命することになってしまった。


 ある時に嘔吐公ちちおやとイングリッドおばさんと三人で路上で吐いていたら、エマから「ヒューゲル家は仲良しで羨ましい」と言われたのを思い出す。

 彼女は船旅経験者なので余裕そうにしていた。帆船の揺れはもっと酷いらしい。絶対に乗りたくない。


 ちなみにエマの身分はヒューゲル家の小者なので、彼女の指定席は運転手の隣だったりする。

 雨の日も外部なのは女の子には可哀想だけど、ただでさえ狭い車内に四人も入っているから仕方ない。

 父とイングリッドおばさんの他には、宮廷宰相のハインさんがついてきている。

 あとは馬車の周りに騎兵が数名。歩兵はなし。

 まさに最速で目的地に辿りつくための編成となっていた。


「あと三日でシュバルツァー・フルスブルクの予定だ」

「お父様、油断したら吐いてしまいますわ」

「ここから先はしばらく道がまっすぐだから大丈夫だ」


 窓の外に目を向ければ、どこまでも草原の広がるエリアに入っていた。

 キーファー公領の入口付近だから……おそらく前に地元民に追いかけられたあたりだ。

 往時の廃屋はきれいに消失していた。一揆の時に燃やされたのかな。

 草むらを掻き分けてみれば何か残っているかもしれないけど、この馬車は止まらない。


 イングリッドおばさんと目が合った。彼女もあの件を思い出していたみたいだ。首を左右に振っている。


「あの街に到着したら、私はエマを連れて会談の席に向かう。ハインも同行してくれ」

「わかりました」


 父の指示にハイン宰相がうなづく。ちなみに彼はまだ一度も吐いていない。強者だ。


「マリー、お前は……一週間は宿から出ないほうがいいだろう」

「え、なぜですか」

「そんなやつれた顔で旦那に会うつもりか。イングリッドはマリーの側にいてやれ……うっ」


 父は口元を手で抑える。今日の宿についてから話せばいいのに無茶するからだ。

 俺はカバンから手鏡を取り出した。

 容姿だけは一人前のマリーが半人前くらいになっていた。こりゃ化粧でもごまかせそうにないな。



     × × ×     



 六年ぶりのシュバルツァー・フルスブルクは大きく様変わりしていた。

 公女おれが冬景色の街並みしか見たことがないのを差し引いても、街全体が別物のように感じられる。

 その原因が「余所者」にあるとわかったのは、城内町に入ってからだった。


 若者たちがあちこちの辻で持論をぶつけあっている。格好から推察するに田舎から出てきた地主の息子だったり、名ばかりの「フォン」持ちだったりするのだろう。

 中には参謀将校の制服姿のままで論戦に挑んでいる者までいた。どこの国の奴だ。


 俺は街角のカフェから、近くの二人の会話に耳を傾けてみる。


「今すぐにもルドルフ大公を討つべきだ! 大君陛下を毒牙からお守りせねば!」

「だが、現状では戦力的に不利だぞ」

「心配ない。大君陛下が自ら出陣されれば、各地の領主たちは味方せざるをえなくなるはず。今は南部に与している者たちも陛下のご威光があれば!」

「お前の理想に過ぎない。大君陛下が国から出られる状況でないのは知っているだろう。今の北部はアウスターカップの返答を待つしかない」

「消極的な考えだ! そもそもお前はどこの誰だ!」

「お前こそ誰だ! イモっぽい顔しやがって!」


 どうやら見ず知らずの二人が「即時開戦」と「開戦反対」の立場に分かれて言い争っていたらしい。

 二人とも大した身分の者ではなかったようで、なんだかんだでお互いに名乗らないまま別れていった。


 その様子を、公女の対面でイングリッドおばさんも観察していた。


「はあ。まるでエーデルシュタットですね。素性の知らぬ者どもが大っぴらに天下を語るなど。世が乱れている証拠です」

「エーデルシュタット……ルドルフ大公のお膝元も、こんな感じなのですか」

「あそこはもっと酷いそうです。あなたのお父様のお話では同盟全土から旧教派の過激な若者たちがやってきて、『新教派を断罪せよ』『新教派に融和的な今の大君を殺せ』と騒いでいるそうですよ」


 おばさんは右手を挙げると、店の中を歩いていた少年に小銭を渡した。

 しばらくすると少年は笑顔で新聞紙を持ってきてくれた。そんなサービスがあるんだ。

 おばさんはその新聞紙を目を細めてぺらぺらとめくり、やがて目当ての記事を見つけたらしく、こちらに差し出してくる。


『エーデルシュタットでは混乱が続いている』

『過激思想の旧教派が新教派狩りを始めている』

『南部連合は黙認している』


 生々しい描写を差し引けば、記事の内容はこんな感じだった。

 大君の座を巡る南北対立に宗教対立まで持ち込まれてしまうと、状況が複雑すぎて飲み込めなくなってくるなあ。南部連合にはフラッハなど新教派の領主も参加しているから、彼らが新教派狩りを許容するとは思えないけど。

 目の前に出されているコーヒーも、公女の舌には苦すぎて読めない。


「……あなたの口には合わなかったみたいですね」

「昔は好きだったのですが、いかんせん苦くて」

「昔? ヒューゲルにカフェなんてあったかしら」

「ああ、いえ。前にタオンさんからいただいたことがありましたの。たっぷり牛乳を注いでもらいましたわ」

「アルフレッドがコーヒーですか。ふふふ。好きそうだわ」


 おばさんは故人を懐かしむように微笑む。

 本当は日本時代の話をごまかしただけなんだけど。タオンさんにはあの世でコーヒー好きを装ってもらわなくちゃいけなくなった。

 ちなみに同盟にコーヒー文化は伝来したばかりだ。


「お前! 憎たらしい正論ばかり!」

「正論で何がいけないか!」


 カフェの外では先ほどとは別の若者たちが言い争いをしていた。時にはサーベルを抜いての争いまで起きている。

 一方では、地元の娘たちが余所者たちに言い寄られていたり、逆に娘たちが余所者たちと遊んでいたりする。


「ふう。世も末ですね。うるさいから、宿に戻りますよ」


 おばさんは彼らを哀れむような眼差しを向けている。

 俺としては大昔にSNSや掲示板で体験している光景なので、あまり何とも思わない。ただ、時代の岐路が訪れているのは肌身に感じられた。

 きっとみんな不安だから、ああやって集まっているんだろうな。



     × × ×     



 定宿の自室に戻るとエマが待っていた。

 彼女には他に部屋が与えられているはずなので、もしかしたら俺に会いに来たのかな。


 よくよく考えてみると──彼女と二人きりになるのは久しぶりだった。

 旅の途中は常におばさんが側にいたし、キーファーに到着した初日からずっと、エマは嘔吐公ちちおやの後を追わされていたから。

 残念ながら、父は未だにアウスターカップ辺境伯に会えていない。辺境伯が身内の不幸を理由に一時帰国しているらしい。

 我が父は彼の来訪を待つことにしている。俺たちもそれまではキーファーに留まることになっていた。

 明日で到着から一週間になるから、そろそろヨハンに会いに行ってもいいかな。


 なんて考えていたら、エマが近づいてきた。

 彼女の両手がこちらの右手を包み込んでくる。冷たくて柔らかい。

 立ったままも何だから、椅子に座ろうか。


「わかった」


 彼女は窓際の椅子に座ると、対面に座った公女おれのおでこにおでこをくっつけてきた。

 たしか、こっちのほうが伝達効率が良かったんだっけ。十年ぶりの再会だからなあ。ちょっとあやふやだ。


「………………インストールできた」

「なんで英語混じり?」

「何なら井納の民族の言語でも話せる」


 エマはいきなり流暢な日本語を繰り出してきた。


「井納の民族語は同盟語と文法が違う」


 久しぶりすぎて聞き取るのが精一杯だ。自分から話せるかな。いや思考は変わらず日本語のままなんだけど、二十年近くも同盟語しか話していないものだから。

 公女の喉から日本語を出すのは初めてかもしれない。


「うぇ、えーとエマちゃん、久々だ!」

「下手くそ」

「いや、本当に久々だから」

「過去の井納はもっと上手。同盟語で話してあげる?」

「日本語でいい」


 たまには話しておかないと元の世界に戻った時に困る。戻ることなんてないかもしれないけど。

 そもそも仮に「破滅」を避けたとして、井納おれはどうなるのだろう。あの管理者はそのあたりを何も教えてくれなかったな。


「……井納はお姫様っぽくなったね」

「え、どこが?」

「特に見た目」

「ああ、そっちか」


 見た目は仕方ない。

 マリー・フォン・ヒューゲルは順調に母の若い頃に似てきている。イングリッドおばさんから指示されたとおりに節制しているから、同世代の令嬢でたまにいるような太り方はしていない。暇な時はタオンさんの息子とランニングしたりするし。

 エマのほうも体格は細いけど成長していた。新大陸の女性はこんな感じなんだな。とても可愛らしい。


「ありがとう」


 エマはおでこを離した。相変わらず眠そうな目をしている。

 彼女は今の伝達で公女の十年間を知ったはずだ。今度はこちらが質問する側になる。


「エマ、ストルチェクではどうだった?」

「エヴリナの地元は何もなかった。ずっと寝てた」

「ああそう」

「たまに収穫を手伝った。ヒューゲルに送ってた大麦小麦の一部は、エマが脱穀したよ」

「楽しそうだね」

「楽しくない。そっちのほうが楽しい。ドキドキたくさん。ヨハン公に抱きしめられた時とか」

「やめて」


 あまり思い出したくない状況が浮かんでくる。

 肉体が思春期だから仕方ないとはいえ。たまに夜中に浮かんできて変な気分になったりするんだから。


「エマも楽しみたい。だからもっとおでこ」

「もう十分に読み取ったんじゃないの?」

「こっちに来てからの井納をなぞっただけ。井納の前世を読み取る」


 エマは強引にまたおでこを寄せてくる。

 別にイヤではないので、俺は抵抗したりしない。とはいえ目の前にエマがいる以外は何もないから暇ではあった。

 おでこじゃなくて左手を貸すだけなら、片手間に本を読んだりできるんだけど。


「……暇なら歌ってあげる」

「エマの地元の歌?」

「エマは歌を知らない。教えてもらう前に新大陸を出た。だから……」


 彼女は歌い始める。

 過去に井納純一が何度も耳にしたあの曲──サザンオールスターズ『真夏の果実』。

 あえて男性の歌を選んだ理由が知りたいな。好みの曲調だったのか。

 何となく思い出してきたので、自分も歌わせてもらうことにする。日本語の復習にはちょうどいい。


 エマはそれから『いとしのエリー』を口ずさみ、さらになぜか村下孝蔵の『ゆうこ』に飛んだ。

 どうも男性のゆっくりした曲が気に入ったらしい。おっさんみたいなセンスだ。


「……あなたたち、何をわめいているのですか」

「ああ、いえおばさん。エマから新大陸の部族の歌を教えてもらっていたのです!」


 おばさんの来訪に思わず出てきた言い訳は、悲しいやらありがたいやら──きっちりと同盟語だった。

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