6-4 彗星


     × × ×     


 アルフレッド・フォン・タオンが死んだのはその年の暮れだった。

 死因は不明。冬の風邪が治らなかったらしいけど、詳しいことはわかっていない。

 医学が発達していない世界なので、肉体が死ぬ方向に傾いた時点でどうしようもなかったようだ。

 あまりにあっという間に死んでしまったものだから、お別れさえ言えていない。


 彼の葬礼はラミーヘルム城内の新教派教会で行われた。

 何百人もの弔問客がヒューゲルにやってきた。

 彼の棺が埋葬されてからも、遠方からの弔問客は後を絶たなかった。ストルチェク人、ライム人、低地地方の出身者、中には南方の異教徒の姿まであった。

 故人の交遊関係の広さがヒューゲルに国際色豊かな賑わいをもたらす一方で、自分の胸には寂しさばかりが募っていた。

 俺だけじゃない。

 父親もカミルもイングリッドおばさんも、心の底からクリスマスや新年を祝えていなかった。喪に服すとのことで新年恒例の宴席も見送られている。

 出先から駆けつけたシャルロッテは、墓の前で半日以上伏せっていた。



     × × ×     



 凶事は続く。

 一六六九年一月二六日。

 巨大な彗星が夜空を切り裂いていった。

 日本語でほうき星と呼ばれるだけあって、毛のような尾を引いている。

 これを単なる天体ショーとして楽しんでいたのは自分だけだった。


 この世界の人たちは彗星を凶兆だと捉えている。

 ……何かいけないことが起きるのではないか。

 民衆はパニックを起こし、根拠のない末期思想が出回る。


「カミル様の施政が良くないから神が怒っているのだ」

「カミル様のせいでヒューゲルは滅ぶ!」


 不安に理由を求める者たちは、矛先を為政者に向け始めた。

 彼らを取り締まるべき兵士たちまで動揺を起こしている始末。


 当のカミルも城内教会の牧師に相談を持ちかけていた。


「ぼ、僕、いや余のせいなのか!?」

「的外れなことを仰る。あれは太陽の周りを回っている小さな星でございます。たまたま地球に近づいただけで」

「天文学者ではなく牧師として答えてくれ!」

「神の御心の現れでしょう。古式に則り、民に施しを与えれば、神の怒りも鎮まるはずです」

「わかった!」


 カミルは即決即断。

 五公五民の税率を四公六民にする、軽犯罪者を釈放するなどわかりやすい慈悲を領民に見せつけた。

 おかげでヒューゲルは平穏を取り戻したけど、税収が減ったことで兵営の再構築は大幅に遅れる形となったらしい。

 大砲や小銃の輸入も無期限延期になった、と士官たちが嘆いていた。



     × × ×     



 彗星の到来を吉兆と捉えていた者もいた。


「凶星は為政者の悪政を示すものだ。社会の乱れを容認するわけにはいかない。現体制は打倒するべきだ」


 南部の諸侯を前にして、ヒンターラント大公ルドルフは嬉々として語ったという。

 彼らは大公の居城エーデルシュタット城において『南部連合』を結成した。

 名目上はライム王国の進出を協力して防ぐための連合とされているものの、ヨハンたちの『北部連盟』に対抗しているのは明白だった。

 南北街道の中継地であり、南北両勢力の境目にあたるヒューゲルとしては極めて不穏な情勢になってきている。


 公女にできることは、今のところ見当たらない。

 おそらく六年以内にヨハンとルドルフ大公は開戦するだろう。

 相容れない両者は兵士たちを戦地に送り込み、お互いに虎の子の魔法使いたちを投入するはずだ。

 それが一六七五年の「破滅」につながる。管理者の話を信じるなら、これが現状での未来予想図になる。


「どうすれば、止められるのかな……」


 彗星の去った夜空に訊ねても、答えは返ってこない。

 生前のタオンさんは「次の戦争は止められない」と話していた。


『外圧への対抗上、いずれ同盟はひとつのまとまりにならざるを得なくなります。その際の皇帝を誰が務めるのか。話し合いで解決するはずがありますまい』

『何とかなりませんか』

『何ともなりません。少なくとも我々の力では不可能です。たかだか千二百の兵では両者を物理的にも精神的にも抑えられませんからな』


 だから、公女様はヨハン様の勝利を願ってくださいまし。我々のヒューゲルを後世に残すために。

 あれがタオンさんの遺言のようになってしまった。

 今さらながら、未だに彼がもうこの世にいないのが信じられない。ふとした時に勉強部屋このへやにやってきそうな気がする。

 そういえば、前世で祖父が死んだ時も似たような感じだったな。

 俺は泣かなかった。


「公女の力では不可能なら……タオンさんが言ったように、ヨハンに頑張ってもらうしかないか」


 俺は北の空を見つめる。

 ルドルフ大公が前線に魔法使いたちを投入してきたら、一目散に彼らを攻撃する。

 彼らが「破滅」につながる行動をとるまえに撃ち殺してしまう。

 現状ではこれ以外に有効な対策が見当たらない。

 戦列歩兵同士の会戦で、状況を一変させる魔法使いを集中攻撃するのは戦術としても理に敵っているはずだ。

 過去には十五年戦争で先代公がキーファー公の魔法使いを殺している。

 その戦訓に則るべきだとヨハンに手紙で伝えておこう。

 俺は自らペンを取った。思えば、魔法使いの情報交換以外で手紙を送るのは初めてかもしれない。



     × × ×     



 一六六九年六月。

 公女は十九歳になっていた。


 すでに城内の中心はカミルとエリザベートに移っており、姉としては何となく肩身が狭い。

 彼らの子供(二歳半)から「行き遅れなの?」と無邪気に訊ねられた時は若干の苛立ちを覚えずにいられなかった。

 俺は世界を守るために生きているのであって、別に公女としての人生や体面なんかはどうでもいいけど。

 一応、自分にとっては二十年近くも操ってきた人形マリーだから、多少の愛着は抱いている。


 肩身が狭いといえば、半年前にタオンさんが死んだことで「好奇心旺盛な公女のワガママ」の後ろ楯がなくなったのも大きかった。

 以前は参加していた、カミルと家臣たちの評定にも臨席させてもらえなくなった。

 どうもベルゲブーク卿とボルン卿が「公女様は美しいから目のやり場に困る」とか言い出したらしい。ありがとう。でも肥溜めに落ちろ。


 なので、評定の内容についてはタオンさんの息子に教えてもらっている。老タオンと比べると未熟な部分が多い人だけど、共通点はある。とても優しいのだ。


「タオン卿。何か状況に変化はありましたか」

「特にありません。評定に提出された情報によれば、ヒューゲルも北部も南部も不思議なほどに平穏を保っております」

「そうですか。いつもありがとうございます」

「とんでもございません。父が生前にお世話になりましたから」


 若タオンは父譲りの端正な笑顔を浮かべる。

 彼の話を完全に鵜呑みにするわけにはいかないものの、シャルロッテの報告でも他国は特に動きを見せていないようだ。

 出兵間近ともなれば周辺の市場で食料品の買収が行われたりするらしいから、そのあたりはシャルロッテの嗅覚が効いてくる。


「……妙ですね」

「みょ、妙でございますか?」

「だって、アウスターカップ辺境伯と交渉をしているヨハン様はともかく、ルドルフ大公にとっては時を待つ必要なんてないでしょう」


 別に早く戦争が起きてほしいわけではないものの、ルドルフ大公の考えが読めないのは不気味だった。


「たしかに、むしろアウスターカップが加盟する前、今のうちに北部連盟を叩いておくのが彼のお方にとっては得策でございますな」

「なぜ攻めてこないのでしょう?」

「さて。ひょっとすると怖気づいたのかもしれません。実のところ、評定でも同じ話題が上がっておりまして……ルドルフ大公が死んでいるという説が!」

「そうだと良いですね」

「全くです!」


 若タオンは両手を合わせる。神に祈っているのかな。

 うーん。やはりタオンさんと比べると頼りない印象は否めない。

 ボンクラなベルゲブーク卿やボルン卿と比べたら、かなりまともに見えるんだけどなあ。

 ヒューゲル公領を長らく支えてきた家老三家(タオン・ベルゲブーク・ボルン)が揃って若手に代替わりした今、ひょっとすると我が家は人材面でもピンチを迎えていたりするのだろうか。

 もちろん、いざという時にはみんな血統に負けないだけの能力を発揮してくれるかもしれないけど。

 ただ、少なくとも公女おれの相談相手となる人材は間違いなく足りていなかった。


 シャルロッテは地元にいないし。

 イングリッドおばさんはどんな話題でも二の句には「早くヨハン様の元に行くべきです」としか言ってくれないし。

 今となっては政治の中心がキーファー家なのだから、いっそ出向いてしまおうかと我ながら思う時もあるけど……どさくさに紛れて結婚させられてしまいそうだからやめている。

 ヨハンなら「破滅」を知っているし、相談相手にはもってこいなんだけどね。あれはあれで毎日相手するのは疲れそうなのが何とも。


「……そういえば公女様。昼頃、ストルチェクから荷馬車の列が到着したそうですよ」


 若タオンが話題を振ってくれる。


「我が家が求めている穀物ですね」

「はい。ようやく凶作前の水準まで備蓄量を回復できたそうで、取引は今回で終了らしいのですが……実は兵士たちが妙な噂をしておりまして」

「どんな噂ですか?」

「何でもエヴリナ様の実家の者たちが、見かけない風貌の女を連れてきているらしいのです。オリエントから連れてきたのかもしれません。見せ物でしょうか」


 母親の実家。見かけない風貌。


「……その者はわたしと同じ年頃ですか?」

「ええ。若いと聞いております」

「そうですか、そうですか」

「些事で申し訳ありませんが、マリー様がお好きそうな話ですから、お伝えいたしました。いかがです?」

「タオン卿、わたしはあなたを見直しました。──さすがはあの人の息子です!」


 公女おれは駆け出した。

 評定が終わって誰もいない大広間を抜けて、厨房の奥に向かう。

 食料保管室のあのドアは開きっぱなしになっていた。廊下に立っているストルチェク人たちを押し退けて、俺はあの部屋に入る。


「エマ!」

「……公女様」


 かつて出会ったあの子は十九歳の乙女になっていた。細身の身体をストルチェクで流行の遊牧民ルックで包んでいる。あの眠たそうな目は変わらない。

 その隣には父・パウル公の姿がある。


「……マリー。いつぞや、お前の言っていた話を思い出していたところだ。まさかエヴリナが持っていたとは」

「お父様、なぜ急にエマが?」

「世間がきなくさい空気だから、と寄付してもらった。あいつなりに心配してくれているのかもしれん。ふん。あれが愛情表現を見せてくれたのは初めてだ」


 パウル公は珍しく笑みを浮かべている。

 エマは彼の手に触れようとしていたけど、気づいた当人にパシっと叩かれていた。どうやら彼女の能力は周知済らしい。


「……この娘は切り札になる。マリー。お前はこの娘を連れてキーファーに出向いてくれ。いや私も行こう。お前だけでは会ってもらえるかわからん」

「あちらで何を?」

「今キーファーに来ているというアウスターカップ辺境伯の真意を調べるのだ。あの者の出方次第では、我々も身の振り方を考えねばならん。すぐに出発の用意をさせる。イングリッドはどこだ!」


 父はおばさんを探しに食料保管室から出ていった。

 俺とエマは目を合わせる。次に互いの手を合わせる。久しぶりに会えた。「破滅」を知っているこの娘なら、俺と知識を共有できるエマなら、あの役目にもピッタリだ。

 タオンさんの代わり、公女の相談役。


 いいよね。


「……ダメ。美味しいご飯を出してくれるのが条件」


 彼女は相変わらずケチだった。

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