6-3 北部連盟
× × ×
一六六八年七月末日。
キーファー公を中心とする北部諸侯は、約三週間に渡る交渉の末に「北部連盟」を結成した。
朝から夕方までは大君議会の各委員会が開催されているため、彼らの交渉はおのずと夜間に絞られてしまい、結成式典の頃にはヨハンも他の領主たちも疲れはてていた。
カミルについては終わりまで元気いっぱいだった。初日以外は
他の家も交渉が進むにつれて、当主ではなく隠居や実務官僚が出てくる場面が多くなっていった。
それだけ連盟設立の交渉が難航したという証左でもある。
ルドルフ大公に対抗する、以外の政治的まとまりが何もない。
対抗するにしても本気でヒンターラントを滅ぼすつもりなのはヨハンやルートヴィヒ伯など一部だけで、他の諸侯は「南北のパワーバランスを保ちたい」程度の感覚だった。例の宣言で牙を抜かれた者に至ってはルドルフへの迎合を訴える始末だった。
宗派もバラバラだから、頑迷な旧教派のウビオル大司教とシュバッテン伯が「連盟内の宗派統一」を訴えた時には大喧嘩になった。
何より揉めたのが、リーダーの選出だった。
古式に倣って選挙を行ったのに、誰も過半数を取れなかった。
上位二名の決戦投票となり、最終的には大君の側近であり従弟のウビオル大司教が盟主となったものの……タオンさんの見立てでは、力不足は否めないらしい。
「所詮はお坊さんですからな。血生臭い争いには向かないでしょう。気の小さい御仁ですし」
「ヨハン様がなるべきだった、ということですか」
「いえ。あの方はまだ若うございます。年上の諸侯を抑えられますまい」
「まさかお父様?」
「ははは、我らがヒューゲルの国力で務まるものですか! ご冗談を!」
タオンさんはひとしきり笑ってから、発言の刃先が主君に向いていることに気づいて「失礼」と目を伏せた。
結成式典でワインを飲み過ぎたのかな。顔が赤い。
ウビオル大司教、ヨハン、パウル公でもダメとなると。
「ルートヴィヒ伯?」
「抱きたくはありますが、担ぎ上げたくはありませんな」
「シュバッテン伯」
「あの老人は昔から頑固なのに気弱です」
「ジューデン公」
「病弱すぎます」
「グリュンブレッター辺境伯」
「あの方は見かけ倒しです。虚言癖があります」
「まさか、わたしですか?」
「ご名答でごさいます! 公女様が相応しい! ……ははは。さてはわざと外しておられますな?」
タオンさんはワイングラスを傾ける。
彼の黄ばんだ目は、大広間の式典に参加している面々には向けられていない。老猫のように虚空を見つめている。
「……アウスターカップ辺境伯ですね」
「ええ。本来なら満場一致で奉じるべき方です」
「立派な方なのですか?」
「立派な方でした、先代は……今の当主には良からぬ風評もありますが、あの方が育てられたなら、さぞかし迫力のある男になられているでしょう」
女中がワインを注ぎに来た。
タオンさんは断りを入れると、手持ちのグラスを彼女に渡した。
もう飲まないつもりらしい。かなり酔っているからなあ。
やがて彼は近場のソファに腰を据えると、ゆるゆると船を漕ぎ始めた。もうお年だから、あえて起こさないでおく。
「お前の家庭教師はずいぶんと厳しいことを言ってくれるものだな」
ヨハンが近づいてきた。彼もまた少し酔っている。
みんなお酒が好きだ。
「そちらまで聞こえていましたか?」
「酔うと声が大きくなる老人は好かん」
「タオン卿は素敵な方ですよ」
「みんなそう言うのも気にくわん。お前の外交官をやらせるより、いっそ我が家に来るべきだろう」
「わたしの宝物ですので」
「余計に欲しくなる」
ヨハンは手持ちのグラスを飲み干す。
女中が近づいてくると、彼女からワインボトルを掴み取った。
他人に力を見せつけるような振る舞いからは、何となく彼の父親の血を感じる。
「たしかにアウスターカップ辺境伯には来てもらいたかった。式典に公使を送ってきているから、将来的には参加してもらえるかもしれんが。おかしな話だ。あれだけの力がありながら、なぜ我々を率いようとしないのか」
ヨハンは腕を組んで、訝しげにその公使をにらむ。
ここにいる領主たちが束になってもアウスターカップの巨大兵力には敵わない。
それこそルドルフ大公でも、南部・西部の諸侯と手を結ばなければ正面から立ち向かえないはすだ。分家のオエステ王国から援軍をもらって「やっと互角」という見方が強い。
ヨハンたちにとってはアウスターカップは切り札だった。
去年には共同で『慈悲救済軍』を打倒したこともあり、北部諸侯とアウスターカップの関係は良好だと聞いている。
本来ならアウスターカップが北部連盟の盟主に……という考えは、この場の誰もが抱いているみたいだ。
そんな北東の雄はヘレノポリスに来ていない。ストルチェクの国王選挙に介入するためにあちらに出向いている。
代わりに大君議会に参加しているのが、公使のカーゲル卿だったけど……彼は「権限がない」「本国と相談します」を繰り返して、のらりくらりとヨハンたちの加盟要請をかわしていた。
まるでこんにゃくみたいな方ですね、とカミルに話してみたら、肝心のこんにゃくが伝わらなかったっけ。
「己の価値を高く売りつけたいのでしょう」
タオンさんが目をつぶりながら、呟いた。
起きていたみたいだ。
「高く売るだと? 我らの盟主の地位では足りないというのか」
「盟主として北部連盟の指導者となり、ルドルフ大公を砕いた暁には大君同盟全体の主導権を握る。良い夢ですが、さてアウスターカップに旨味がありますかな?」
「旨味だらけの夢ではないか!」
「ヨハン様たちが目指しているのは大君陛下が同盟全体を治める体制でしょう。各地の地方領主から主権を返上させて。単独で列強並の国力を持つアウスターカップにとっては、失うものが多すぎるのです」
タオンさんの指摘は当を得ていた。
ヨハンの望みは大君による絶対専制国家の樹立にある。いずれは同盟各国の軍隊を解散して「大君同盟正規軍」を編成するつもりだと、交渉の席で語っていた。
それは同盟が列強に対抗するためには必要な改革かもしれないけど、タオンさんが指摘するとおり各地の領主にほとんど旨味がない。
自ら進んで全財産を町内会に委ねる奴がいるだろうか。
「ならば、どうする老人。まさかアウスターカップ辺境伯に大君の座を明け渡せなどと言わんだろうな!」
「確実に勝ちたいのなら。何なら今の大君のトゥーゲント家とアウスターカップ家が交代で就任するという方式はいかがです。さすれば、次の次にはヨハン様にもチャンスが……」
「聞かなかったことにしてやろう! だが、不愉快だ!」
ヨハンは立ち去った。さっそく友人のルートヴィヒ伯が宥めてくれている。慌てて兄の元に駆け寄ってきたフランツは頭を叩かれていた。
ソファに目を戻せば、タオンさんはため息をついていた。
「あれではまだまだ。もう少し
「今夜のタオン卿は本当に酔っていますね。あとでイングリッドおばさんにお話しておきます」
「お戯れを。私はただ、公女様の宝物としての務めを果たしただけです」
「酔いすぎですよ」
俺はヒューゲルの衛兵にお願いして、タオンさんを来客室のベッドまで連れていってもらった。
お年寄りなんだから、身体は大切にしてもらいたい。
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