6-2 四つの約束・三つの嘘


     × × ×     


 夕方。ヘレノポリス近郊の宮殿には貴族たちが疎らに集まっていた。

 十年前の舞踏会──公女がヨハンと初めて出会った、あの時と同じ空間にいるはずなのに、参加人数が少ないだけで寂しく感じる。

 往時にはたくさんいた子弟・子女たちの姿を、今回はほとんど見かけない。

 彼らがダンスに興じていた広間の中央にはテーブルが設けられてしまっている。傍らには世界地図が吊るされており、この場が遊びの空間でないことを示していた。


 とはいえ、会合の形式としてはキーファー公主催の立食パーティーということになっている。

 まだ「本題」に入る時間ではないのか、参加者たちはそれぞれなりにグループを作って談笑していた。

 タオンさんはその全てに顔を出しており、交友関係の広さを見せつけてくれる。イングリッドおばさんも相変わらずモテていた。シャルロッテはヘレノポリスに連れてきていないから不在だ。


 ヨハンはインネル=グルントヘルシャフト伯や、マウルベーレ伯と話し合っていた。

 どちらも年の近い若者だ。


「いずれ、オレたちの力をルドルフ大公に見せつけねばならん。ルートヴィヒには協力してもらいたいのだが、地元の家臣たちはどう言っている?」

「うちはルドルフと手ぇを結べという奴が多いのー。んでも、おいから言ってやれば大丈夫よ」


 インネル=グルントヘルシャフト伯ルートヴィヒは爽やかに自信を滾らせている。どちらかというと中性的というよりは女性的な風貌の方で、初めてお会いした時には男性の格好なのに『どっち』なのかわからなかった。ブロンドの美しいロングヘアをネットでまとめており、田舎の未亡人みたい。小柄だから余計にそう感じられる。一人くらい産んでそう。

 そんな彼はバルト海沿いに領地を持っている北部領主だったりする。領地は決して広くないけど、領内の大商人から莫大な献金を受けているので領国経営は安定しているらしい。なんて羨ましい。うちのシャルロッテは見習うべきなのでは。


 彼の隣には仮面を付けている青年が立っている。

 マウルベーレ伯フランツ。

 ヨハンの弟だ。


「兄上。ぼ、ぼくも家臣たちを説得します」

「当然だろう。フランツ、お前は何のためにマウルベーレ家を継いだ? あと妙な仮面を付けるのはやめろ。ルートヴィヒやマリーに失礼だろうが」

「は、はい……」


 フランツはオペラ座の怪人みたいな仮面を外した。目にかかるほどの前髪でごまかしているけど、あの病気の痕はまだ残っている。ボロボロの肌が痛々しい。

 そんな彼の背中をヨハンはパンパンと叩き始めた。


「自信を持て。卑屈になるな。オレの弟に相応しくなれるように努力しろ。マリーの弟に負けてしまうぞ!」

「ま、負けないように努力します」


 彼は十年前から変わっていないみたいだった。

 マウルベーレ自体もキーファー公領のすぐ傍にある伯領だから、おそらくキーファー本家の支配下にあるのだろう。


 何となく見てられなくて、ルートヴィヒ伯に目を向けてしまう。ウインクされた。なんでやねん。


「うはは。マリーちゃん可愛いのー。んでもキーファーに行っちゃうのね。あやぁ、うちに来てくれたらいくらでもお金あげるのに」

「嫁ぎ先はわたしが決めることではないですから……」

「んだのー。悲しいこっちゃでなー。んまーおいには可愛い嫁っこがおるから、マリーちゃんが来ても二号だなー」

「でしたら、ご遠慮させてもらいますね」

「うははは。残念だのー」


 ルートヴィヒ伯は爽やかに笑う。きっと冗談なんだろうな。別にこの世界では側室を持つのははばかられることではないけど。


 そんな感じで談笑していると、公女の弟カミルが近づいてきた。なぜか困惑気味な目をしている。


「……ヨハンお兄様。ちょっとお話があります」

「なんだ。手短に済ませてくれ。今フランツを叩きなおしているからな」

「……えーと。あの男が来たみたいです。どうしますお兄様。お引き取り願いますか。迎え入れますか」

「あの男ではわからん。手短というのは」

「ルドルフ大公です」


 大広間の扉が開け放たれた。

 衛兵たちを蹴散らして、白い服の将校が五人ほど入り込んでくる。後ろから数名の貴族も続いてきた。その中心にいるのは小太りの中年男性だった。

 鈍色の短髪を左右に分けており、全体的に油っぽい。黒基調の礼服には金色のモールが取り付けられている。首元の襟巻きは白色。首が太い。

 顔立ちは平凡だけど、体格のわりに鋭利な印象を抱かせる。太めのハサミみたいな感じ。

 名門・ベッケン家の当主、ヒンターラント大公ルドルフ。名前だけは昔から知っていたけど、その姿を見たのは今夜が初めてだった。


 招かれざる客の来訪に、大広間の面々はどよめいている。

 大公は彼らに会釈をしてから、家臣たちを率いてこちらに近づいてきた。用件があるのはヨハンらしい。

 ヨハンのほうも彼に歩み寄っていった。

 よって、二人はテーブルの傍で挨拶を交わすことになった。


「朝以来だなキーファー公。田舎者ばかり呼んで楽しい宴会になるのかい? 我が家が抱えている楽団を貸してあげようか?」

「大君陛下が舞踏会を取り止められたので、代わりに仲間内で遊んでいるだけです。ヒンターラント大公に来てもらえるとは光栄ですね」

「陰口は好きではないからね」

「大麦の粥でも出しましょうか?」

「結構だよ。我は北部の皆様にお話があって来ただけだ」


 ルドルフ大公はパンパンと手を叩いた。

 ざわめいていた人々が途端に話をやめてしまう。彼らの耳は、この場におけるもっとも高位の人物に向けられていた。

 ルドルフ大公は、その反応に満足したようにうなづいてから、目の前のヨハンに向けて短い耳打ちをした。

 そして満を持して、さもオペラ歌手のように聴衆に語りかける。


「聴け! 同盟の戦う者たちよ!

 我は諸君に約束をしたいと考えている。

 ヒンターラントは希求する。

 同盟内の平和を。

 信教の自由を。

 大君陛下が強い力を持つことを。

 今の大君陛下をお助けすることを!

 この四点を満たすために、諸君には力添えしてもらいたい。明日からの大君議会では、共に同盟の未来の為に話し合おうではないか!」


 高らかな宣言に、各所から拍手が起きた。

 大公の話は政治的に正しいものだった。どれも正論だ。ボロボロの大君同盟を立て直す上で守るべき指針を捉えているように思える。


 同盟内の平和を保つことは正しい。紛争を起こしても利益がない。

 信教の自由を保つことも正しい。宗派対立は紛争につながる。

 大君が強い力を持つこともそう。今の同盟は国内がバラバラだから上手く行っていない面が大きい。凶作対策や対外政策にしても一体となって取り組むべきだ。その司令塔に大君が就くのは自然な話だし。

 何よりルドルフ大公が大君を助けると約束したのが大きかった。今朝の話からして、両者の対立は避けられないと思われていたから。


 拍手は鳴りやまない。

 なのに──ヨハンだけは大公をにらみつけたままだった。



     × × ×     



 ルドルフ大公は本人の説明どおり、一方的に話をしただけで宮殿を去っていった。

 残された人々からは当初のピリピリした空気が抜けている。

 その中で、中央のテーブルに腰を据えたヨハンはため息をついていた。


「どうされたのです、ヨハン様」

「マリー、あいつは詐欺師だ」

「ルドルフ大公が?」

「あいつはオレにだけ聞こえるように言ってきた──今から三つの嘘をつくとな。つまりはそういうことだ」


 ヨハンは世界地図のヒンターラント大公領をペンで叩いた。

 図上の広大な領地はわずかに揺れるばかりで、ビクともしていない。


「三つの嘘ですと、さっきの宣言はほとんど嘘になりますわ」

「そうだ。あいつは……あのオッサンは平和を崩すつもりだ。宗派対立を利用して味方を作り、武力を持って、オレの伯父に代わって大君になるつもりだ」

「そして大君たる自分が強い力を持つ、でしょうか」


 四つの宣言のうち、三つが嘘となると。

 大君中心主義だけが本音になるのは予想がつく。


「ああ! ライムのアンリ五世のようにな。このままでは大君同盟はルドルフの帝国になってしまう。マリー。オレはやるぞ。本気でやるぞ。伯父のために父上に代わって! 神聖なるトゥーゲントの血統を舐められてたまるものか! だから、お前は!」


 ヨハンは椅子から立ち上がると、いきなり公女の肩を抱いてきた。

 いきなりすぎてビックリした。心臓が止まるかと思った。

 逃れようにもヨハンの力は強くなるばかりだ。やがて彼の口が開く。


「──お前にはオレの子を産んでもらいたい」

「は?」

「は? ではない。あいつ相手の戦争となれば、オレも死を覚悟せねばならん。跡継ぎがいなければ我が家は終わりではないか」

「終わったところで『破滅』したらみんな同じですよ?」

「何を言っているんだ、お前は!」


 ヨハンに耳元でドヤされる。

 いかんいかん。あまりのことに本音が出ちゃった。ヨハンも『破滅』に興味は寄せてくれているけど、それとこれとは別の話になる。

 どう反論したものかな。子供なんて絶対に無理だし。作る段階で俺が自殺しかねない。なにか良い手はないか。


「……ヨハン様。ルドルフ大公は嘘つきですね」

「ああ。あんな奴の天下を許すわけにはいかん」

「でしたらルドルフ大公に立ち向かうあなたは、約束を守る男であるべきです」

「そのとおりだ」

「さすがはわたしの将来の夫です。もちろん、五年前の約束も守ってくださいますね?」


 にこやかに笑みを浮かべながら身を離すと、目の前のヨハンは頭を抱えていた。

 誇り高い奴だから、あの約束も無碍むげにできないみたいだ。そういうところは決して嫌いではない。


「わかった。あと七年は待とう。だが……」

「世継ぎが心配でしたら、側室を迎えていただいても大丈夫ですわ」

「お、おう」


 公女の「譲歩」にヨハンは戸惑い気味だった。

 もちろん形としては「譲歩」だけど、井納おれにとっては側室に入れ込んでもらえるほうがありがたい。


「キーファー公とマリーちゃんは仲良いのー。んでも、そろそろ始めましょうなー」


 ルートヴィヒ伯やカミルたちがテーブルに寄ってくる。

 気づけば、窓の外は暗くなっていた。


 公女はみんなに会釈してから、タオンさんと共に窓際の椅子に座らせてもらう。

 これから始まる話し合いが──おそらくこの世界の未来を左右する。

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