6-1 駄目な男


     × × ×     


 ライム国王・アンリ五世は強欲な男だと言われている。

 彼は常に抜け目なく、他国の隙を突いては領地を拡大してきた。隙がなければ隙を作り出す。戦争に正当性がなければ、正当性を持たせる。

 どうも奸計に長けているらしい。


 彼の治世で三回目になるという今秋の同盟侵攻に際しても、その手腕は発揮されていた。

 ……同盟西部のフラッハ宮中伯が子供を残さずに死んだ。宮中伯の妹はライム王家に嫁いでいる。ゆえに宮中伯の継承権はライム王家にある……タオンさんによれば言いがかりに近いけど、一定の正当性は認められる主張らしい。


 ライム国王はこのような「火種」をあらかじめ用意しておくことを得意とする人物だった。

 相手が隙を見せたら容赦なく燃やせるように。正当な理由を持って領地を併合できるように。


 ライム王国軍はフラッハ宮中伯領に大手を振って侵入してきた。

 抵抗できるだけの兵力は今のフラッハ家にはない。不作と反乱は往年の名家から力を削いでいた。

 領民や家臣たちも新たな主に抵抗を示さなかった。むしろ、ライム王家からの穀物援助を見込んで王国側に協力する者が続出したらしい。


 四面楚歌のフラッハ政府は、各地の領主に救援を求めることで望みをつないだ。

 結果はご存知のとおり。

 西部の諸侯(ボーデン侯、トーア侯など)は「明日は我が身だ」と兵を送ってフラッハに力添えしたけど、他の地方から助けが来ることはなかった。ヒューゲルも支援を見送っている。


 一六六六年十二月。クリスマス前の会戦で、ライム王国軍はフラッハ・トーア・ボーデン連合兵を粉砕。

 翌年二月にはライム国王が自らフラッハ宮中伯領を訪れるなど、実効支配を強めていった。

 歯抜けの国王はきっとフガフガと笑っていたことだろう。


 ところが、彼は身内の隙を作り出すのも得意だったらしい。

 国王が出国したタイミングで、ライム国内では大規模な市民反乱が勃発。

 フラッハから鎮圧に向かった首都節度使しゅとせつどしのケーヘンデ公がなぜか反乱側に味方したこともあって、ライムは大混乱に陥った。

 追い討ちをかけるように西の大国・オエステ王国兵が、ピレネー山脈を越えてライム西部に進駐を始めた。

 歯抜けの国王はフラッハを諦めるしかなかった。



     × × ×     



 一六六八年七月。

 公女おれは久しぶりにヘレノポリスを訪れていた。

 前に来た時はまだ八歳だったっけ。

 あの頃より身長が伸びたぶん、街の様子は変わっているように見える。

 城外の街並みは寂れていた。あれだけ栄えていた北通りからは人の姿が消えている。居酒屋も工房も破壊されていた。

 目線の高さだけが変貌の理由じゃないのは明白だ。

 ここも反乱の炎に包まれていたのだろう。


 持ち主がいないのをいいことに、各地から来ている兵士たちは廃墟をキャンプ地にしていた。

 彼らの主君も街の中心部で似たようなことをしている。空き商店の二階や崩れた宮殿などが領主たちの仮宿舎だった。


「けしからん奴らだな。オレの兵たちに追い出させようか」


 ヨハンは焼け跡で眠っている他国の兵士たちをにらみつけている。

 彼もまた十年ぶりのヘレノポリス来訪のようだった。

 あの頃とは立場が変わっているけど。


「他に行く宛がないのです。宿がみんなつぶれていますし。許してあげてください」

「兵なら野宿できるだろうが」

「それよりヨハン様。今日の大君議会はいかがでした?」


 公女おれは若きキーファー公に訊ねる。

 ヘレノポリスでは十年ぶりに全国の領主たちが会合を行っていた。

 話し合うべき内容は数多に渡る。

 対外政策、反乱防止策、領民の貧困救済策。同盟国内の課題は山積みだ。

 本来は去年の春にも大君議会を開く予定だったらしい。

 ところが、各地の領主から「反乱が収まるまで出向けない」との意見があったために、一年延期になっていた。

 ヨハンも北部の『慈悲救済軍』を打倒できたからこそ、今この街に来ている。五月で二十一歳を迎えた青年は以前より成長した目つきをしていた。

 体格は変わらずアスリート体型だ。服装は古典的な礼服。


 公女のほうも四月で十八歳になっている。

 それはさておき。


「今朝の会議なら、最悪だったな」

「雰囲気が悪かったのですか?」

「ヒンターラント大公ルドルフの独壇場だった。あのオッサンは何様のつもりだ。オレの伯父上を公然と批判しやがって!」


 ヨハンは苦虫を噛みつぶしたような表情を見せる。

 よほど頭に来ているらしい。同盟の元首にあたる大君を批判されるなんて、甥としては面目が丸つぶれなのだろう。

 特にヨハンは名門の当主として誇り高いからなあ。


 ……ふと、近くの商店の影から、こちらに妙なジェスチャーを送ってくる人物の姿が見えた。あの老人はキーファーのヴェストドルフ大臣。

 両手を何度も下に向けている。ヨハンの怒りを抑えて欲しいのかな。あの人も苦労してるみたい。


「……ヨハン様の怒りはもっともです。でも、ルドルフ大公なりに大君陛下を思っての発言かもしれませんわ」

「ライムの刃から忠臣を守れないあなたに大君の資格はない! 今すぐ退位されるべきだ! 我はあなたを大君とは認めない! この発言のどこに含むところがある。初代大君の頃なら即刻、処刑台に送られていたはずだぞ」


 ヨハンは熱のこもった息を吐いた。

 たしかに、ルドルフ大公の衷心からの忠言・諫言というよりは『宣戦布告』を思わせる発言だ。少なくとも、ヨハンのモノマネを見せてもらったかぎりでは。


 例えるなら、江戸時代。江戸城大広間。

 全国の大名が将軍の前にひれ伏す中で、どこかの大名が「徳川家は将軍をやめろ!」と叫んだら何が起きるだろう。

 改易では済まないはずだ。

 逆説的にいえば、今の大君にはそれだけの力がない。舐められている。


「困ったことにルドルフ大公の発言を支持する奴は少なくない。拍手した奴を何人も見たからな」

「相当な荒れ方ですね」

「特に西部の奴らだ。あいつらは先のライムとの戦いでルドルフ大公に借りがあるのだろうが。恥を知らんらしい」

「……んん? 去年のフラッハ継承戦争で、ヒンターラントが何かしましたっけ」


 初耳だった。

 ライム王国がフラッハ併合を諦めたのは、ライム国内の内乱と、西からオエステ王国に攻められたのが理由だったはず。

 ヒンターラントなどの南部諸侯は、むしろフラッハへの支援を渋っていた……とタオンさんから聞いている。


 そのへんを話してみると、ヨハンはなぜか口元に笑みを浮かべた。


「女は歴史を知らないな。オエステのベッケン王家はヒンターラント大公家の分家だろ。ルドルフからオエステ側に働きかけがあったかもしれん」

「なかったかもしれん?」

「ああ。そうだよ。だが、どちらにしろベッケン家の世話になったことは変わらん。今の西部の奴らはまるでルドルフ大公の子分のようだ」


 彼は足元に落ちていたレンガの破片を蹴り飛ばす。

 鍛え上げられた太腿の膂力は、握りこぶしほどの破片を隣の路地まで飛ばしていった。ラグビー選手のようなキックだった。


「お上手ですね」

「かったるい世辞はやめろ。ただ腹が立っているだけだ」


 ヨハンは焼け跡の中に入っていく。

 キックできるサイズのレンガを探しているみたいだ。


「くそう。無いぞ」


 彼の横顔は怒っているというよりは焦っているようだった。


 その焦りの根源は、疑いようもなくルドルフ大公の「力」の伸長ぶりにある。

 ただでさえ内乱と凶作でダメージを受けているキーファー(および北部諸邦)に対して、ヒンターラントは比較的平和を保っていた。

 十年前にルドルフ大公の手に渡った、あの広大なアラダソク王冠領を含めて。

 同盟内のパワーバランスが崩れつつある。

 公女おれが子供の頃には、キーファーがヒンターラントを助けていたのに、今となっては……そういえば、「破滅」まであと七年だっけ。

 ふと、思いつきが頭をよぎる。


「……ヨハン様」

「なんだ!」

「これから近いうちに、キーファーが、ルドルフ大公と刃を交えることはありえますか」


 もしも。このパワーバランスの転換が原因となって大戦争が起きたなら。おそらく各地の領主たちは兵士たちと共に多くの魔法使いを戦場に送り込むはずだ。

 中でも抜きん出た人数の魔法使いを保有しているのが、当のルドルフ大公。

 ひょっとしたら、ひょっとするかもしれない。


「お前はバカなことを言うものだな」


 ヨハンは手頃なレンガを拾ってくると、ゴールキックを決める前のラグビー選手のように路上にセットした。


「オレはもう、その決意を固めている」


 赤茶色の欠片が、淡い色の空に飛んでいく。


 そうか。

 ようやく公女おれはそこまで辿り着いたのか。

 辿り着いてしまったのか。


「……路地からレンガが飛んできたかと思えば、お二人はこんなところにいらっしゃったのですね」


 十字路の方向から馴染みのある声が聞こえてくる。

 衛兵数名を引き連れた青年。カミルだ。彼もまたヒューゲル公として大君議会に初参加していた。


「おおカミル。お前の姉を借りていたぞ。気分転換に女との散歩は効くからな」

「勉強になります」

「それは何よりだ」

「余は……失礼。僕はヨハンお兄様のような君主になりたいと常に思っておりますので、お兄様のあらゆる行いが教材です」

「そうか。せいぜい励め。お前には期待しているつもりだ。いずれは共にくつわを並べるのだからな」


 ヨハンからポンポンと軽く肩を叩かれたカミルは、「えへへ」と嬉しそうにしていた。

 そんなにヨハンが好きなら、婚約者の座を代わってあげてもいいんだけど。代わりに当主の座をゆずってほしい。

 今さら自分がヒューゲル公になったところで、将来の戦乱を止められるかどうかは別として。


「……ところでカミル、わたしたちを探してくれていたの?」

「はい、お姉様。インネル=グルントヘルシャフト伯から、ヨハンお兄様がどこにいらっしゃるのか訊ねられましたので」

「ほほう。やはり来たか」


 ヨハンはパチンと指を鳴らした。したり顔なんて初めて見た気がする。

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