5-5 収穫のない秋


     × × ×     


 収穫のない秋が終わりを迎える。

 十一月。我が父や廷臣たちは、領民たちが冬を越えられるように努力していた。城内をあちらこちらに歩き回りながら、政策の是非を語り合っている。


「ハイン宰相。ストルチェクから穀物を輸入する手筈は整っているのか」

「段取りは出来ております。エヴリナ様のご実家が仲介してくださいました。ただ、品質は保証できかねると!」


 老宰相は立ち止まって答えた。なのに父が気にせずに歩き続けるものだから、慌てて追いかけていた。


「いつも言っているが、食い物など腹に入れば何でもかまわん。南からの輸入の件は進んでいるか?」

「南の諸邦には断られました。あちらも相対的にマシとはいえ、不作であることに変わりないそうで」

「二級品で良いのだぞ。対価はきっちりタイクンマルクで払う」

「同盟内の一揆が収まらないかぎりは送れないの一点ばりです。私見ですが、我々が新教徒だから助けたくないのかもしれませぬ」

「なら、改宗するから毎週の聖餐に使うためのパンをよこせと伝えろ」

「本気でございますか?」

「受け取るだけだ。改宗などしたら先代公にあの世で殺される」


 公女の父はあらゆる手段を用いて、冬越しの食べ物を確保するつもりのようだった。その様子を弟たちは羨望の目で見つめていた。


 自分も何か手伝おうと思った。

 何かしたところで、「破滅」したらみんな死ぬんだから、徒労にしかならない。しかしながら「破滅」を止めるためには大きな力が必要になる。自分の場合はヒューゲル公領を利用するしかないわけで、公領の弱体化を止めるのは大切なことだ。

 反乱の時は、問題の矛先が向けられた時のデメリットが大きかったから介入しなかったけど。

 今回は阿呆なことをしないかぎりは名前が汚れたりしない。領民のためのお手伝いなんだから。

 俺は色々思案してから、城外の練兵場に足を運んだ。


 河原に設けられたグラウンドでは、若者たちがタオンさんお抱えの武辺者たちから指導を受けていた。

 一揆勢との交戦で有力家臣の私兵部隊を相次いで失ったことから、ヒューゲルでは軍隊の立て直しが急務となっている。

 カミルは新たな軍隊を「動ける軍隊」にしようと意気込んでいた。

 次に一揆が起きた時には、迅速に対応できるように。今までのように城を枕にしているだけの兵では後手に回ってしまうから。

 そのために弟は国内外から二百人以上の兵をかき集めていた。お腹を空かせた若者たちが、毎日のようにラミーヘルム城の兵営の門を叩いている。兵士になればパンと寝床を確保できる。


 今日は戦列を組んでの射撃訓練が行われていた。

 陣頭指揮を執っているのは当主のカミルだ。


「撃て!」


 三列横隊の後ろから、声変わり前の子供らしい声で指示を飛ばしている。指示された兵士たちはマスケットの一斉射撃を河原の土手に放った。

 この時代の小銃は命中率が高くない。なので、ああやって大人数でまとまって、百メートル先の敵部隊に鉛弾の雨をぶつける。命中率を数で補っているわけだ。


 まとまっているのは他にも理由があって、兵士たちを戦場から逃がさないためでもある。

 三列横隊の周囲にはサーベルを抜いた下士官が立っており、一人一人の兵士たちを鋭い目で見張っている。

 今は河原の土手が対戦相手だけど、いざ会戦となれば相手は人間だ。

 戦列歩兵は敵兵に銃口を向けられた状況でも、怯まずに前に進まねばならない。お互いに百メートル・五十メートルの距離まで近づいてから鉛弾を放つ。敵も撃ってくる。当たれば死ぬ。多少運が良ければ腕が吹っ飛ぶ程度で済む。

 足がすくんだり、家に帰りたくなる兵士は必ず出てきてしまう。

 下士官たちはそんな兵士たちの逃走を防ぐ役目を担っている。サーベルをちらつかせて脅すのだ。時には刺殺も辞さない。


 兵士たちにとっては「行くも地獄、退くも地獄」だろう。

 なぜ、そんな境地に身を投じるかといえば、先にも言ったけどパンを手に入れるため。

 国のために命を賭けて戦う――なんて時代が来るのはまだまだ後みたいだ。


「ある本は語っていた。戦列の崩壊は敵騎兵の突入を招く。すなわち自軍の壊滅である。戦列を保つための努力を怠ってはいけない。余もそれに倣う」

「さすが先々代公のお孫様でございます」

「ははは! 余はあの方に似ているか!」


 訓練が終わり、カミルが下士官たちからチヤホヤされている。

 話しかけるチャンスかもしれない。

 土手から転ばないように気をつけて河原に降りると、弟のほうがこちらの姿に気づいてくれた。


「お姉様、なぜこのような汚いところに……」

「兵士たちを借りたいと思いまして」

「我が兵を? 城に不届き者でも出ましたか」

「いえ。これから寒くなりますから、彼らに領民たちのための薪を作ってもらいたく。差し当たってはあの山の木を切ってもらえませんか」


 この世界の冬は厳しい。

 まだエアコンなどは存在しない時代だから、みんな暖炉で薪を燃やして部屋を暖めている。

 その薪が国内で不足しているとの話をシャルロッテから仕入れていた。特に城下町では少しでも収入を得るために売ってしまった家が多いのだとか。田舎でも一揆勢との戦いで燃えてしまった家が多く、保管されていた薪も失われている。

 だから、兵士たちに山の木を切ってもらおうというアイデアだ。我ながら良い考えだと思う。

 目の前のカミルは目をパチクリさせていた。


「あの……お姉様。薪というのは二年以上乾燥させなければ使い物になりませんよ」

「えっ」


 そんなことも知らなかったのですか、という目が下士官たちからも向けられる。

 やばい。めっちゃ恥ずかしい。



     × × ×     



 薪は自由都市や近隣の領邦から仕入れることにした。カミルからお金をもらって、シャルロッテとティーゲルを各地の市場や役所に出向かせた。手に入れた薪の輸送には兵士たちを使わせてもらうことになった。

 一つの問題が解決したところで、次の問題が待っている。


 十一月某日。大君同盟の西にあるライム王国が攻め込んできたとの急使が飛んできた。

 我らがヒューゲル公領は同盟領の東部にあたるため、直接的に危機が迫っているわけではないのだけど……代わりに西部の領主から援軍の派兵を求められてしまった。どうやら同盟軍は苦戦しているらしい。

 なぜ大した兵力を持たないヒューゲルなんかに手紙を送ってきたのか。答えは単純だ。他の国に断られたから。

 北部では未だ反乱が収まっていない。ヨハンたちは『慈悲救済軍』を相手に攻めあぐねている。

 南部の諸侯はまるで動く気配がない。また南から異教徒が攻めてくるのを恐れているのかもしれない。単に静観を決め込んでいる可能性もあるけど。表向きは「兵糧がない」ということになっている。

 そうなると、西部の領主たちは消去法で東部の我々を選ぶしかなかった。おそらくシュバッテン伯など近隣の領主たちも手紙を受け取っていることだろう。


 翌日。カミルは家臣や武官たちを大広間に召集した。

 その中にはタオンさんの姿もある。こういう時には古めかしい軍服に身を包んでいて、いつもより威厳を感じさせる。


「飢饉と反乱で弱まっているところを狙い討ちとは。しかも冬が迫っている状況です。ライム王国のケーヘンデ公も性格のわりにいやらしいことをしてくるものですな」

「アルフレッドはどうするべきだと考える」

「今のヒューゲルには援軍を送るだけの余裕はありません。お断りするべきでしょう」

「ぬるい!」


 カミルは机を叩いた。

 家臣たちはキョトンとしている。あまりに迫力がなかったからだ。

 その不足を補おうとしてか、カミルは叫んだ。


「よいか。今攻め込まれているフラッハ宮中伯は新教派であるぞ。聖書信仰の同志として守らなくてどうするか! ブッシュクリー大尉、我が兵営から送り出せるのは何人だ!」

「現状では五十人以下です」


 五十人といえば一個小隊。

 まともに戦列すら組めない数だ。大国相手の戦力にはならない。


「なぜだ! なぜそんなに少ない!」

「薪・穀物の輸送隊の護衛、新兵の訓練、街道の治安維持、兵士たちの仕事は逼迫しておりますゆえ」


 ブッシュクリー大尉は丸メガネを光らせる。頭の良さそうな壮年将校だ。白毛のオールバックが似合っている。

 彼の答えにカミルは不服そうにしていた。歯ぎしりしながら貧乏ゆすりを繰り返しているものだから、隣に座るエリザベートに慰められている。


「そう怒らないでくださいませ。お腹の子が怖がります」

「おお、そうだった。すまないエリザベート」

「わたしではなく。どうかこの子に」

「すまないな。まだ名前のない余の子よ……」


 カミルはエリザベートのお腹を愛おしげにさする。妊娠七ヶ月だからかなり大きくなっている。こんなところにいて平気なのかな。けっこう冷たい風が吹いているけど。


 そんな夫婦を尻目に、タオンさんやブッシュクリーたちが実務的な会話を始めていた。

 どうも彼らの中では「出兵拒否」は決定済のようで、会話の内容は早くも新兵訓練の件に移りつつある。

 大広間を専門的な意見が飛び交う。


 残念ながら、公女の出る幕ではなさそうだった。

 俺はエリザベートに声をかけて、彼女を暖炉のある控え室に連れていく。


「お姉様、ご心配なさらずともエリザベートは平気です!」

「女の子は身体を冷やしてはいけませんの。流れてしまったら悲しいじゃない。せっかく生まれたのに死んでいたなんて話もよく聞くもの」

「そんなことになったら……カミル様が悲しんじゃうわ……」

「そうそう。だから母体は大切にしなさいね」


 悲しい未来を思い浮かべただけで泣きそうになっているエリザベートを女中さんに任せ、俺は別のことを考えながら廊下に出た。


 生まれていたのに死んでいたといえば、マリー・フォン・ヒューゲルだ。

 もし彼女が死んだまま歴史が進んでいたらヒューゲルはどうなっていたのだろう。自分はどこまでこの『隣の世界』に干渉できているのだろう。

 右手を強く握ってみる。細くて弱々しい。力が足りていない。


 俺は大広間に戻った。


「なんとか五百人を用意できないか! ヒューゲル家の沽券に関わるのだ!」


 カミルがまた机を叩いている。乳繰り合う相手がいなくなったので武官たちの会議に復帰したようだ。

 あのカミルが、少し前まで子供だったあの子が──今はヒューゲルを動かしている。

 まだまだ父の院政は続いているけど。タオンさんの補佐や制止を受けながらだけど。兵営の中心はあの子が担っている。


 本当に、どうしてあっちに転生できなかったのかな。

 マリー・フォン・ヒューゲルではどうあがいてもああなれない。存在自体が力不足だ。

 領民のために良心で何かしてみようと思い立ったけど、薪の調達すら自力ではできなかった。

 食料不足については父があらゆる手を尽くしているようだし。

 外交問題や兵営の話には口を挟むこともできそうにない。仮に挟んだところで聞き入れられないだろうし……ヨハンは聞き入れてくれたな。まあ彼は変わってるから。


 とにかく公女は力不足だ。

 それが悔しいような、悲しいような。心細いような。寂しいような。

 そんな話をイングリッドおばさんにしてみたら、意外な答えが返ってきた。


「実はあなたを摂政に据えようかという話が出ていました」

「え、あの話、続いていたんですか」

「アルフレッドから聞いていましたか。もちろん彼の提案です。カミル様があまりに居丈高なので、抑えられる人に付いてもらいたいと」

「やります。摂政。ぜひやらせてくださいまし!」


 当主の後見人となれば多少の公権力を行使できる!


「あいにく話が出ていただけです。ご隠居からは『アルフレッドがイヤがるほどのわんぱくぶり、むしろ将来が楽しみだから抑えてやるな』と拒絶されました。私としても公女様には公務より大切な仕事があると思っております」


 一筋の光があっさりと消えてしまった。

 くそう。どうすりゃいいんだ。このままあと九年が過ぎてしまったら、ただ未婚の公女として二十五年を過ごしただけになってしまう。

 ため息は白く濁った。まるで自分の魂が抜けていったかのようだった。

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