5-2 ブルネンの乱


     × × ×     


 折しも歴史的な凶作が大君同盟全土を苦しめていた。

 廷臣たちの話では、春蒔き小麦の収穫量は前年比で半分以下。他の野菜類も壊滅状態。旱魃と小規模な蝗害が原因だった。


 領内の惨状に我が父・パウル公は租税の半減を命じた。また飢餓に陥っている地域には社倉と呼ばれる非常用の倉庫から穀物を提供した。神経質で心配性な父ならではの用意が功を奏した形だった。

 父の迅速な対応によりヒューゲル領民は救われた……はずだった。ところがどっこい、政策というのは実施する者のモラルにより成否が大きく変わってしまうものらしい。そしてモラルは往々にして収入が少なくなると崩れてしまう。


 租税の半減はたしかに行われた。しかし多くの徴税官は減税分を独自に取り立て、私腹に入れてしまった。

 ボルン家、ベルゲブーク家など領内貴族の私領では、そもそも減税令が実施されなかった。

 社倉から貧民に提供されたはずの穀物は、一部の廷臣の手により市場に売り払われた。

 結果、困窮した農民たちは武装蜂起した。


 これに対してボルン家とベルゲブーク家は私兵隊を用いて初期段階で鎮圧しようとした。しかし両家とも当主が代替わりしたばかりでまだ若いこともあり、威圧的になりすぎて逆に一揆勢の闘志に火を付けてしまったらしい。

 両家の兵士は合わせて三百人以下。数に勝る一揆勢には勝てず、散々に打ち破られた挙句に武器類まで取り上げられてしまった。


 わずかな手勢と共にラミーヘルム城に逃げてきたボルン・ベルゲブークの両当主は、今のところ城内の食糧保管庫で謹慎処分を受けている。父親が怒鳴り散らすところを見たのは、おそらく生まれて初めてだった。


 一揆勢は彼らを追いかけてくる形で、ラミーヘルム城の南北に布陣していた。

 城内の尖塔から眺めているかぎりでは、なかなか自主的には撤退してくれそうにない。むしろ日が経つにつれて人数が増えている気がする。


 三年前、反乱が起きるから民を大切にしたほうがいい、とヨハンを説得した思い出が恥ずかしくなってきた。明日は我が身だったなんて。


「ええい! あいつら、いつまで布陣しているつもりなのだ! アルフレッド、お前の私兵隊でやっつけてしまえ!」


 近くで少年の居丈高な声が飛ぶ。

 尖塔の窓から一揆勢を憎々しげに見つめている彼の名はカミル。半年前に十三歳になった弟は、父から当主の座をプレゼントされていた。あくまで形式的なものであって、実際は父の院政が続いているけど、本人はすっかりその気になっている。

 少し前まで甘えん坊の可愛い子供だったのに、今やタオンさんに命令を下してしまうんだからね。


「お言葉ですが、我が兵だけでは打ち破れません」

「ならば城の兵たちを連れていくがいい。何のために禄をんでいるのか、今こそ余に見せてもらおう」

「いずれにせよ、寡兵で野戦を仕掛けるのは無謀です。カミル様にはヒューゲル家に受け継がれてきた天下の堅城があります。ご先祖様に守ってもらいましょう」

「消極的すぎる! なぜ守りに入る! 戦列歩兵の一斉射撃をぶちまかしてやれば、あんな者ども逃げ出すだろうに!」

「お戯れを……」


 タオンさんは弟にバレないように、老いた顔を背けて、ため息をついていた。

 おのずと公女おれと目が合う形となり、お互いに苦笑いを見せ合う。


 当の弟はまだ「ぐぬぬ」と歯ぎしりしていた。昔はあんなにわかりやすくイライラしなかったのに。

 立場は人間を変えてしまう。明日は我が身とならないために気をつけよう──もっとも弟を変えたのは、必ずしも当主の地位だけではないけど。


「カミル様。わたし怖くてたまりませんわ。あの百姓たちはなぜ家に戻りませんの? 早くこらしめてくださいまし」

「わかっている。安心しろエリザベート。余が何とかしてみせる。我らに歯向かう者は叩きのめしてやるさ」

「頼もしいですわ!」


 わざわざ尖塔まで登ってきて、カミルに抱きついているのは彼の結婚相手・エリザベートだ。弟より二歳年上だから見た目はお姉さんみたい。

 彼らのおかげで自分はおねショタという概念を思い出すことができた。別にありがたくも何ともない。


 ちなみにエリザベートは妊娠四ヶ月。すでに結婚を済ませているとはいえ、カミルの手の早さには恐れ入る。今も見せつけるようにラブラブしてくれちゃって。


「……えいっ」

「ぎゃっ! 何をするのですか、マリーお姉様!」

「そうよそうよ! 暴力はいけないわ!」


 何となく弟の尻を蹴り上げてやったら、弟だけでなくエリザベートからも非難の声を上げられてしまった。

 ここはひとつ、正論から屁理屈を捻りだしてやろう。


「たしかに蹴るのは良くないわね。でも歩兵部隊で民衆を殺すのは良いことなの?」

「それとこれでは話が違うじゃない! お姉様はローセ人より野蛮だわ!」

「マリーお姉様は僕のことがキライになったのですか!?」


 弟の問いにはあえて答えないことにする。

 そのまま尖塔の階段を降りてやると、タオンさんがニヤニヤしながらついてきた。老けた目元にシワが出来ている。


「いやはや。自分も若君と奥様には困らされております。今のは良い薬になったでしょう」

「タオン卿はカミルの後見人ですものね」

「なぜ私なのでしょうな。パウル公も老体をこき使ってくださる」

「代わりがいないからでしょう」

「我が息子もまだまだ若造ですからなあ。せめてボルン家とベルゲブーク家の先代が生きておれば」


 尖塔の階段を降りると、ちょうど廊下でその両家の当主と出くわした。二十代半ばの若者たちだ。

 厨房の奥から出てこられている理由は水浴びだろう。手拭いや衣服を従者に持たせている。謹慎中でもそれくらいは許されるらしい。

 彼らから礼を受けたので、適切に返礼しておく。

 たしかチャラチャラしているほうがベルゲブーク卿、猫背で大人しそうなのがボルン卿だったはず。


「……マリー様、やっぱ美人だな」

「乳がでかいよね」

「それな! 絶対にエヴリナ様の血だよな!」


 お前ら、そういう話は見えないところで小声でするのがマナーだろうに。別に言うほどでかくないし。いつかあいつらも尻を蹴り上げてやる。

 なんて思っていたらタオンさんが代行してくれた。ありがとうございます。自分で想定していたより倍くらい威力がありそうだった。


「全く。公女様に失礼にも程がある。ボルン家とベルゲブーク家ではどんな教育をしているのやら」

「それについては、わたしの家も同じですから何も言えませんね」

「……おっと。ここに一人、適任者がいらっしゃるではありませんか」


 タオンさんは公女に柔和な笑みを向けてくる。何の話だろう。


「わたしがどうかしましたか?」

「若君の後見人です。公女様が摂政せっしょうになればよろしいのでは。若君も公女様の忠告には従いましょう」

「……ふふ。お世辞として受け取っておきますね」


 そのように話をかわしつつも、俺は内心で目の覚めるような拍手をしていた。その手があったとは。


 摂政なら、女性の身体でもカミルの後ろで糸を引いて国政を担える。

 いずれ「破滅」を迎える際に対応しやすくなるし、何なら今からでも……いや。やめておこう。

 民衆の返り血を浴びて公女の名前を汚したくない。

 我ながら悪役みたいな考え方だなあ。でも紛れもない本音だった。


 本当は領民たちと戦わずに済むのがベストなんだけどさ。

 でも、あの調子のカミルではイキりまくった挙句に兵を率いて突撃してしまいそうだし。

 そうでなくても、わずかな兵糧しか持たないであろう一揆勢はいずれ城に突っ込んでくるだろうし。

 ラミーヘルム城なら返り討ちにできるはずだけど、血は流れてしまう。おそらく姉川の戦いみたく三日月湖やクルヴェ川が赤く染まる。

 この流れを止める術は今のところない。おそらく。


「タオン卿。一揆勢、何とかなりませんか」

「なりませんな。城の牧師を寄越して交渉させましたが、ボルン・ベルゲブーク両当主に加えてパウル公の首まで差し出せと要求されたそうですから」

「なんとまあ……」


 ヒューゲル家としては絶対に受け入れられない要求だ。お互いに交渉の余地はないということなのか。

 いつかタオンさんの私兵が「時には躊躇せずに殺すことも大切ですぞ」と話していたのを思い出す。

 あの時はそんな考え方を受け入れたくなかった。今でもそうだ。


 しかしながら、全く汚れずに生きていけるとも思えない。

 この世界は現代と比べればまだまだ野蛮だ。金や言論ではなく剣を使わなければ、実力行使でなければ、相手を納得させられない・納得できない人が多い。十六年も生きていたら人々の考え方は身に染みてくる。歴史の本を読んできたから尚のこと。

 互いに血を流さなければ終われないのなら、変にちょっかいをかけて後々「責任がある」などと槍玉に挙げられてしまうよりは、城の奥で静観しておくのが政治的に正しいはずだ。


 極端な話、たとえ明日にも何千人の民衆が死のうが、一人でも多くを救えようが――九年後の「破滅」を止められなければ、みんな死んでしまうわけだし。


「……公女様、何やらお辛そうな様子ですな。部屋に戻られますか」


 タオンさんが心配そうに顔を覗き込んでくる。

 気づけば、公女はずっと廊下に立ち尽くしていた。


「あ……いえ。大丈夫です。体内に矛盾を抱えているだけなので」

「矛盾とは?」

「殺人トロッコの行き先みたいな……」

「はあ。摂政の座を推しておいて何ですが、あまり気負わないでくださいませ」

「ありがとうございます。タオン卿」


 お互いに笑みを向けあってから、そこでお別れする。タオンさんにはカミルのお守りという役目がある。

 公女は嵐が過ぎるのを待つことにした。


「……トロッコ問題に正答はあったかな」


 思い出せない。思い出せたら少しは楽になれそうなのに。



     × × ×     



 一揆勢を率いていたのは、ブルネンという腫れぼったい目をした老商人だった。

 半世紀以上前からラミーヘルムの城下町で武器商をしている彼は、ヒューゲルの役人たちが凶作対策を怠っていることを知り、とてつもない怒りを覚えたそうだ。


 彼は店の商品を持参して一揆勢に合流すると、十五年戦争時の従軍経験を生かした巧みな指揮ぶりでボルン家の部隊を粉砕。

 勢いそのままに隣接するベルゲブーク領に乗り込み、地元の民衆と協力して、古くから武門で知られるベルゲブーク兵まで壊滅に追い込んだ。


 ブルネンは両家が残していった小銃や大砲の使い方を民衆に伝授。覚えの良い若者たちを『改革中隊』として一揆勢の中核とした。


「君たちがヒューゲルを変える改革の旗手となるのだ。私たちの先頭に立つのは常に君たちだ」


 中隊発足当時のブルネンの台詞だという。

 その後、彼は各地で徴税官を打ち倒していた一揆勢と連絡を取り合い、ラミーヘルム城を南北から包囲する作戦の実施を取りつけるに至る。


 わずか三週間でブルネンは商人から兵力三千人の長となった。

 そして一週間で死刑囚になった。


 ラミーヘルム城に突入をかけてきた一揆勢は散々に打ち破られた。一度目の突撃が失敗した時点で半数以上の民衆が逃げ出していた。

 二度目の突撃は『改革中隊』と士気の高い者だけで行われた。

 ブルネンは一度目の突撃が失敗したらヒューゲル兵は必ず城を出て追いかけてくると踏んでいたらしい。

 曰く「追いはぎは兵の役得ですからな」とのこと。


 そうして城の守りが手薄になったところを有力な中核部隊で叩く。城内の街では商売仲間たちが決起を起こす計画だったそうだ。もちろん城門前で敗れたので決起は発生しなかった。

 タオンさんの忠告を無視できるほど悪い子ではなかったカミルは、ヒューゲル兵を頑ななまでに南北の防塁に留めさせていた。これが決定的な勝因となった。二度目の突撃も完膚なきまでに打ち破られた。


 ブルネンは捕縛されて、パウル公とカミルの前に突き出された。

 兵たちに殴られていたので外見はボロボロだったけど、老商人は余裕を持った笑みを浮かべていた。


 命乞いなどせず、気丈にふるまい、己の立てた作戦を説明してみせた。ボルン家やベルゲブーク家の対応のまずさも批判した。

 そしてパウル公に「閣下、家臣たちの教育がなっておりませんぞ」と吐いてみせた。


「そうか。すまないな老人」

「わかってくだされば、けっこうです」


 パウル公の返答にブルネンは深々と頭を下げた。死刑執行は翌日だった。

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