5-1 十六歳の秋
× × ×
シュバルツァー・フルスブルクでの滞留はそれから四ヶ月に及んだ。
別に所用があって長引いたわけではなく、ただ単に応接役の方から「雪が解けてから帰ったほうが楽ですよ」と言われたからだ。
私兵を自腹で連れてきているタオンさんは非常に渋い顔をしていたけど、イングリッドおばさんに説得される形で承諾していた。
おばさんとしては、公女とヨハンの接点を少しでも増やしたいのだろう。
結婚式は延期になったけど、お互いに時を過ごせばマリー様も心変わりしてくれるかもしれない。若い男女なんて単純な生き物だわ──そんな花色の企みを察知できないほど、俺は阿呆ではないつもりだ。
そもそも、ヨハンと公女は夕飯時と年末年始・聖誕祭くらいしか会うことがなかった。向こうは大国の新当主として忙しいだろうし、わざわざ公女と顔を合わせる理由もないから当然だった。
公女のほうは他に知り合いがいないので(あとエミリアとなるべく会いたくないのもあって)、滞留中のほとんどを宛がわれた部屋で過ごした。
別に布団でぬくぬくと眠っていたわけではないよ。
ヨハンからキーファー公領政府が作成した魔法関係の資料を借りられたので、ひたすら読みふけっていた。
この資料には、大君同盟に初めて新大陸の魔法使いが導入されてから今に至るまで、各国が保有している・していた魔法使いたちのデータが記されている。
例えば、十五年戦争中にキーファー公がオエステ商人から入手した『袋叩きのベン』という魔法使いならこんな形だ。
『袋叩きのベン』『一六〇三年生まれ』『一六二七年入国』
『新大陸東部の有力部族出身』『男性』『随伴家族三名』
『特筆すべき魔法:金縛り。大麦パン九〇〇個を対価に千メートル先までの人間一名を三時間動けなくする』
『運用方法:敵梯団指揮官の麻痺など。効果大』
『備考:一六三二年、ヘレノポリス近郊にてヒューゲル兵の渡河奇襲を受けた際に射殺される』
ご覧のとおり、能力や来歴が詳細に記されている。
タオンさんの昔話によれば「各地で畑荒らしが起きたせいで慢性的に穀物不足でした」という時代に、約千個のパンを対価にする
他の魔法使いたちもやはりカロリーを魔法に替えていたようだ。
中には『殺戮のフロレンティナ』『見つめた相手を殺す』『対価はパン三つ』なんてバランスブレーカーな記述もあったけど、末尾に『フラッハ宮中伯の宣伝による。虚偽の可能性大』と付け加えられていた。
キーファー以外の魔法使いについては伝聞を元に記述されているみたいで、当然ながら空白・あやふやな内容が多い。もちろん参考になることに変わりはない。
俺は四ヶ月かけて「破滅」の可能性を探ってみた。
能力の組み合わせ次第では世界を消失させられないか。残念ながら結論は出なかった。少なくともデータにある魔法使いたちの能力では小規模すぎて不可能だと思う。そもそも、ほとんどが戦死してしまっているし。
仮に魔法使いが「破滅」を引き起こすとしたら、このデータに記載されていない奴が原因になりそうだ。
きっと途方もない能力の持ち主がこの世界には存在するのだろう。
それにしても……『袋叩きのベン』が先代公に殺されたのが、子孫としては心苦々しいな。連れてくるために奴隷商人に大金を支払っただろうに。
そのわりに(?)キーファー公領の人たちは、公女を手厚くもてなしてくれている。
ヨハンの側近・ヴェストドルフ大臣なんて、わざわざ所領の山荘に俺たちを招待してくれたほどだ。
「マリー様にはずっとシュバルツァー・フルスブルクにいてもらいたいものです」
彼もまたヨハンと公女の結婚を待ち望んでいるようだった。
彼の話によれば、当主となったヨハンが他人の進言を聞き入れたのは、先日の「南方からの撤兵」が初めてだったらしい。
「そうだったのですか」
「はい。わたくしビックリしました。あのヨハン様が、と」
「ご苦労なさってますね……」
「マリー様なら独断専行のヨハン様を諫められます。あなた様はきっと、あの方を良き方向に導くために生まれたのです」
ヴェストドルフ大臣は、まるで夢見る少女のように語ってくれた。
申し訳ないですけど、その役目は大臣のあなたが担ってください……。
× × ×
そうこうしているうちに雪が解けた。
結婚式の延期を成し遂げた俺は、前世の京都競馬場で万馬券を当てて以来の上機嫌ぶりで実家に帰ってきた。
次に、俺は二つの計画を立てた。
一つ目は従前からの「破滅」情報収集活動を発展させたもの。公女は城をなかなか抜け出せないので、代わりに暇そうにしていたティーゲルという武官を使うことにした。彼には各国が現在保有している魔法使いの情報を調べさせている。
二つ目はシャルロッテだ。
知ってのとおり、彼女はシュバルツァー・フルスブルクにおいてエミリアから大金をぼったくろうとした。ただの辞書を高値で売ろうという試みだ。しかし、あまりに売り文句が上手すぎたせいでプレゼンにオーディエンスが出来てしまい、「この辞書はお近くの書店で購入できます」と切り上げざるを得なくなってしまった。
タダでは転ばないシャルロッテは、それから四ヶ月かけて地元の出版工房に『低地式辞書勉強法』という「口からでまかせ」をまとめた冊子を作らせ、例の辞書と並べて販売することで大儲けしようと企んだ。
しかしながら、不運なことにシュバルツァー・フルスブルクの本屋を経営していたのが
彼女は逃げ出すしかなかったという。
そんな商才はあるのに運のない彼女に、俺は城壁沿いの便所で稼いだお金を任せることにした。運がなければウンを付ければいい、なんて阿呆な話ではなく……単に小銭すぎて現状では使い道がないからだ。
だったらイチかバチかで大金にしてもらいたい。
「あなたにわたしの財産を任せてもよろしいですか」
「ああっ。マリー様に頼られてしまいました。光栄の極みです。三年いただければ百倍にして差し上げます。いや三百倍に!」
「減らさないようにしてもらえば大丈夫です。あとシャルロッテ女史は表に出られないでしょうから、窓口役としてティーゲルをお貸します」
「ありがたき幸せ! あいつ単純だから、こき使いやすそうでありがたいです! スパイスセットがあんなに売れたのあいつだけですもの!」
「城の人を変な商法に巻き込むのはほどほどにしてくださいね……」
「何ごとも善処致しますれば!」
シャルロッテはやる気まんまんだった。
ひとまず彼女にはお手製の仮面を被って『アイム・ユア・ダース・ベイダー』という偽名を名乗ってもらい、行商人としてティーゲルに同行する形で同盟各地を回ってもらうことにした。
二つの計画の優先順位は特に決めておらず、二人で相談して進めてもらう。
ちなみにシャルロッテとティーゲルは妙齢の男女なので、そういう方向の進展もあるかな……と我ながら思春期の病を患ったりしたけど──三年間で特に何も起きなかったらしい。ガッカリ。
そんなわけで三年が経った。
マリー・フォン・ヒューゲルが花盛りの十六歳を迎えた一六六六年の秋。
我らがラミーヘルム城は、
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