4-5 婚前交渉


     × × ×     


 ヨハン二世は教会の地下で棺に入れられていた。

 地下にはキーファー家代々の棺が並んでおり、彼もまたその列に加わったという図式になっている。いずれはここに次期当主ヨハンも横たわるのだろう。


 俺たちは作法通りに死者を弔った。

 ちなみにエミリアはああ言っていたけど、新教徒でも冠婚葬祭のためなら旧教派の教会に出入りできる(当然例外はある)。

 例えるなら真宗教徒でも日蓮宗のお葬式に参列できるのと同じだ。


 外に出ると、シャルロッテの周りは人だかりになっていた。


「さあさあ、とくとご覧あれ。わたくしの考案いたしました学習法にぴったりの辞典でございます。学習方に合わせて多少の工夫を施してありまして、お子様にもオススメできます。さっそくそちらの若君に試していただきましょうか。失礼ながらお名前を拝借!」

「エ、エーリッヒ・フォン・ヴェストドルフなのだが!」

「おお! キーファー家中の名門! お目にかかれて光栄の至り! ではこちらへ!」


 エミリアに辞典を売りつけるはずが、他の弔問客を巻き込んで、海外旅行にありがちな土産物の大説明会みたいになってしまっている。

 ただの辞典でよくもあれだけ注目を浴びられるもんだ。どれだけ口が上手いのやら。人好きのする容姿の力もあるだろうけど。


「ほう。あれはアウスターカップ辺境伯夫人のラウテ様。あちらはインネル=グルントヘルシャフト伯ですな。あとで挨拶しておきましょう」


 タオンさんの人脈を活かした説明。キーファー家臣のみならず周辺国の大貴族までシャルロッテの話に耳を傾けているらしい。


 うーん。なんかあれだな。

 ひょっとすると俺はシャルロッテの使い方を間違えているかもしれない。

 俺の転生先にあえてマリーが選ばれたのは、管理者曰く「破滅」を止められる可能性があるからだ。おそらく公女の立場でなければ為せないことがあるのだろう。

 それが「タオンさんつながりで歴史的な大商人を使役できる」からだとしたら、ずいぶんな失敗をしていることになる。

 別に大げさな話じゃないよ。なにせシャルロッテは数年前まで本当に大商人だったわけだし。


 ちょんちょんと背中を指先で突かれる。

 振り返ると、イングリッドおばさんが教会の玄関口を見つめていた。

 石造りのアーチの下に軍服姿の青年が立っている。


「……ヨハン様ですよ」


 暗に会いに行くように促された。

 思うところはあるけど、婚約者に挨拶しないのはおかしいのでおばさんに従うことにする。

 足取りは決して軽くない。


「ヨハン様、お久しゅうございます」

「直に会うのは久しぶりだな、マリー」


 五年ぶりのヨハンは、足元の石段も相まって巨人のように見えた。

 父親の血をたっぷり受け継いでいるのが傍目にもわかる。もっとも彼の父がレスラーのような体格だったのに対して、ヨハンはアスリート体型だった。

 引き締まった肉体の頂点には以前より大人びた顔がある。ほっそりしたあごはエミリアに少し似ているな。主張の少ない喉仏は彼の声を低いものに変えていた。

 総評するなら、日本でウケの良かった中性的な美男子ではないものの──別の方向性で男性としての美を体現しているようだった。例えるなら「彫刻系男子」かな。


 そんな彼にうやうやしく頭を下げる。


「この度はお悔やみ申し上げます。お父様にもう一度お会いできなかったのが残念でなりません」

「決まりきった挨拶はいい。それよりあの人だかりはなんだ?」


 ヨハンの注意はシャルロッテに向けられていた。


「あれは……わたしのお手伝いさんが芸を見せております。みなさん気になるようでして」

「そうか。オレはあの手のうるさいのがキライだ。少し場所を変えるぞ」


 力強く手を引かれる。まるでいつぞやのように。



     × × ×     



 ヨハンが向かったのは教会の尖塔だった。

 高さ三十メートルほどのところに吹きさらしの展望台が設けられており、西に広がるシュバルツァー・フルス盆地やフルスブルクの街を見渡すことができた。どこも雪に埋もれている。

 ちなみにエレベーターなど存在しないので登るには階段を使うしかない。すごく辛かった。


「オレはここで未来について考えるのが好きでな。今日もそうしていた」

「はあ……はあ……そ、そうですか」

「なんだ虚弱だな。お前にはいずれたくさん子供を産んでもらわないと困るのだが。もっと体力を付けておくがいい」


 ヨハンは己の身体を誇示するかのように胸を張る。

 そんな未来は来ないから安心してくださいませ……なんていきなり言っちゃうのは不躾だろうな。

 息を整えてから彼の隣に向かうと、なぜか急に両肩を掴まれた。その力強さに思わず「いっ」と声を出してしまった。


「ああ、すまない。本当に弱いのだな」

「まだ十三歳ですから」

「そうだったか」


 まだ俺の両肩には手が添えられたままだ。

 おのずと自分たちは正面から向き合う形になっている。身長差があるので見下されている感じもするけど。

 いったい何をしようというんだろう。


「……マリー。お前の舌を出せ」

「は?」

「いいから出せ」


 いやいやいやいやいや。いきなりかよ。

 まさか二人きりになったのもそのため?

 いやいや、こんな冬風の吹きすさぶ場所で?


 そういえばヨハンは十六歳だった。当然あの頃より成長している。井納おれ自身の経験から考えても「そっち」に興味を抱くのは変ではない。むしろ健全だ。


 なんにせよ相手するのはイヤすぎるので、そっぽを向いたらアゴの下に人差し指を添えられた。くいっと引かれてしまう。

 目の前のヨハンと顔を合わせることを強いられる。


「は、はしたないです! はしたない! いけません!」

「……そうか。たしかにお前の言うとおりだ。女にとっては恥ずかしいはずだな。やめておくとしよう」


 抵抗したら、ヨハンは折れてくれた。

 おお。なんだ少しは大人になっているじゃないか。そうそう。それでいい。いきなり相手にキスを求めるなんてやばいぞ。日本なら訴えられかねない。

 ついでに両肩も放してもらった。やっと自由になれた。


「実は近頃、家臣団の選抜を進めていてな。父の時代からいる家臣たちに舌を見せてもらっている」

「え、家臣たちにですか?」

「ああ。舌が長い奴には嘘つきが多い……などと言いがかりをつけて世代交代を進めさせている。奴らもまだ初陣も飾っていない主君に本心から従いたくないだろう。それでお前の舌も見たくなった」

「嘘つきかもしれないと」

「オレは嘘をつく女がキライだからな」


 ヨハンはぺろっと舌を出す。

 なるほど。そういうことだったのか……よくよく考えてみれば、ヨハンにマリーへの好意は一切なかったはずだ。

 好きな相手に「オレに相応しい女になれるように努力しろ」なんて言ってしまう奴がどこの世界にいるものか。

 キスをせがまれたと思ってしまった自分が恥ずかしい。いかんいかん。少女漫画脳じゃないんだから。公女の身体から影響を受けすぎている。二次性徴って本当に怖い。


 それにしても……ヨハンが新たな当主として自分の国を変えようとしていたとは。昔はお父さんの言いなりだったのに。

 だったら、あの件は伝えておいてもいいかもしれないな。


「どうだマリー。オレの国は雄大だろう。強くて逞しいだろう。いずれはお前のものにもなるぞ」


 外の景色を見つめるヨハン。

 その横顔はまだ十六歳のものだった。


「……はたして本当に強くて逞しいのでしょうか」

「ほう。ヒューゲルが我が国を侮るのか」

「侮ってなどおりません。ヨハン様には五千の兵がおります。まさに北方の巨人です。しかし足元はぬかるんでおられます」

「雪が解ければぬかるむのは当然だろう。いつものことだ。兵たちも慣れている」

「領民が搾取と重税に苦しんでいます」


 俺は国境で見た村の話をさせてもらう。丹念に丁寧に。あんな悲惨な光景は後にも先にも見たことがなかったから忘れられない。

 もちろん俺たちの馬車を攻撃してきた件は伏せておく。討伐作戦なんて起こされたら目も当てられないからね。


 話しながら、この話が「破滅」と関係あるのだろうか、歴史の流れに下手な口出しは避けたほうがいいんじゃないかと思ったりもしたけど……キーファー家が一揆や内紛で衰退するのは、同盟国のヒューゲル家にとって嘆かわしいことだ。

 将来の「破滅」対応のためにも反乱の芽は摘んでもらいたい。

 俺の話を聞き終えたヨハンは目をつぶっていた。力強く腕を組み、どこか不満そうに足元の石を転がしている。


「お前の話は正しい。オレだってその件は知っている」

「でしたら、さっそく是正されるのですね」

「まさか。民には申し訳ないがオレたちだってやりたくてやってるわけじゃない。ああしないと国がもたないだけだ」

「……どういうことですか?」

「お前も知ってのとおり、我が家は大君陛下の弟筋にあたる。父上は力のなき兄を助けるために大君の居城・コンセント城に二千の兵を送っている。加えて五年前から始まった異教徒への逆侵攻にも二千人以上を派兵している。出兵を続けるためには膨大なコストがかかる。だが、もはや我が国庫は底を尽いてしまった。民には堪えてもらうほかないだろう」

「兵を引けばよろしいのでは?」

「女は政治を知らないな。コンセントから兵を引けば、大君陛下は現地のヴィラバ人たちに殺される。あの土地は少数の同盟人が他民族を抑圧しているからな。ただでさえヴィラバ人は新教派だから、大君陛下に反感を持っているというのに」


 ヨハンの反論は理路整然としていた。


「では逆侵攻のほうをお止めになってください。あれで得をしているのはヒンターラントのルドルフ大公だけです」

「よく知ってるじゃないか。ああ、そのとおりだ。だからこそ今は止めるわけにはいかない。せめて城の一つ、村の一つは手に入れなければ。多くの兵を失ったのに、何の成果もないまま終われるものか」


 けれど、根っこの部分では心理的に固執しているだけ。

 遥か遠方にある城や村を一つ手に入れたところで五年間の損失の埋め合わせにならないのは明白だ。むしろ飛び地の支配を継続するのに余計骨が折れてしまうはず。

 それがわからないヨハンではない、ということは数年来の手紙の交換で個人的に証明されている。

 彼は決してアホではない。

 なのに完全に退き時を逸しているのは──周りが出兵継続を訴えているからか?


「ヨハン様、家臣の方々は出兵に反対されていないのですか」

「あいつらの話など聞いてどうする。あいつらはキーファー家のことより自分の家を守ることしか考えていないぞ。だから世代交代を進めさせている。若い世代はオレの話が通じるからな」


 ヨハンは当然のように言ってのける。

 なんかヤバい答えが返ってきたけど気にしないでおく。前世の歴史での「中央集権化」に近い流れかもしれない。国家のリーダーが周りをイエスマンで固めるのはどうかと思うけど……。


 とりあえず彼の家臣団が出兵を推しているわけではないらしい。

 ヨハンがこだわっているだけなら、どうにか説得してみよう。


「……ヨハン様」

「なんだ」

「今のままでは近いうちに内乱が起きます。世代交代を強いられた家臣たちが一揆と結びつけば内戦です」

「制圧すればいい話だ。バカにするな」

「あなたの兵は南方にいますのに?」

「……うるさい女だ。政治に口出しするのは、はしたなくないのか」

「話をすり替えるなんて恥ずかしくありませんの」

「恥ずかしいに決まっている!」


 ヨハンは声を荒げる。


「だから兵を引くに引けない。南方の前線ではまだ異教徒との戦いが続いているのだ。教皇猊下の支持を受けた聖戦だぞ。理由もなく味方を見捨てて逃げるのは我が家の恥だろうが! 父上に申し訳が立たなくなる!」

「正当な撤兵の理由があればよろしいのですね」

「ああ!」


 外から粉雪が吹き込んできた。

 風が強くなりつつある。


 やばい。せっかく良い感じに会話を運んできたのに肝心の「正当な理由」が思い浮かばない。

 内乱の危機を煽るだけで納得してくれたらよかったのに。やっぱりヨハンも過去の時代の人だから一筋縄ではいかないな。俺たち現代人より面目や面子を大切にしている印象を受ける。

 面目や面子──国際的に恥をかかないで済む理由。

 思いついたのは正午を告げる鐘が鳴った時だった。展望台より上の階で鳴っているはずなのに非常にうるさい。両手で耳を抑えないと鼓膜が破れてしまいそうだ。

 街中に時間を知らせるためのものだから当然ではあるけど。


 反響が収まってから、俺は目の前の男性に話しかけた。


「ヨハン様。正当な理由でお父様にも喜んでもらえる、たった一つの冴えたやり方があります」

「ほう。もしそれが本当なら褒美をくれてやるぞ」

「でしたら一つだけわたしの言うことを聞いてもらえますか」

「その前にやり方とやらを話せ。オレは待たされるのがキライだ。知ってるだろ」

「カンタンなことです。ヨハン様の兵たちには……お墓参りをしてもらいます」


 なるべく満面の笑みを浮かべるように努力していたら、なぜかヨハンに思いっきり抱きしめられてしまった。

 ゴツゴツしているし、顔に服のボタンが当たって痛いし、何より汗臭い。

 思わず相手の足を蹴ってやったら、解放してくれた。


「そうだ。そのとおりだ! オレの兵はまだ父上に別れの挨拶をしていなかった。南方の兵を率いているフルスベルク少将も寂しく思っていることだろう。そうと決まれば連絡させよう。すまんが先に降りるぞ! いやお前も来い!」


 またもやヨハンに手を引かれる。二人で階段を降りる。

 さすがに下りともなると、公女の実用性を顧みていない靴では転んでしまいそうだ。

 するとヨハンはこちらの身体を両手で担ぎ上げてきた。さながらお姫様抱っこ……いや、まさしくお姫様抱っこだった。公女だし。

 これが思春期の肉体には地味に効いてくる。くそったれ。恥ずかしい。目を向けられない。


「おいマリー! さっきの件だが! 褒美には何が欲しい!」

「ひ、一つだけわたしの言うことを聞いてもらいたいです」

「なんだ!」

「結婚式を先延ばしにしてください!」

「今じゃないならいつがいい! 特別にお前に決めさせてやろう!」

「わたしが二十六になるまで待っていただけますか!」


 ヨハンは足を踏み外した。

 危うく階段の途中で転ぶところだったけど、何とか持ちこたえてくれた。自分は反射的にヨハンの首を抱きしめてしまい、今のところお互いの身体がとんでもなく接近している。顔が熱くなる。心理的に非常に良くない。


「二十六……ずいぶん先だな。十三年後だぞ。なにか理由でもあるのか」

「お、男に二言はないはずですが」

「……わかった。特別に認めてやろう。こちらとしても然したる問題はないからな。お前が望むならそれでいいだろう」


 ヨハンは公女を踊り場に降ろす。

 気がつけば、あと少しで地上だった。

 先に下りていくヨハンに続いて、自分も残りの階段を下りる。脳内から吊り橋効果を取り除いてしまえば、全ての交渉が上手くいったことの充実感が胸を満たしてくれた。本当に良かった。

 だって俺は二十五年契約。原理的に二十六歳になることはありえないのだから。

 これで安心して「破滅」対策に乗り出せる!

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