4-4 エミリア再び


     × × ×     


 耕作地帯を抜けると、馬車は山間部に差し掛かった。

 川の流れに合わせて街道が蛇行している。曲がるたびに座席が揺れた。弟がいたら間違いなく吐いていたはずだ。

 シュバルツァー・フルス(黒い川)の名前は伊達ではなく、川面は暗い色を保っていた。汚れているようには見えない。川底の石のせいかな。


 山間部には所々に兵舎が建っていた。あの死んだような顔をしていた住民たちとは対照的にキーファー兵たちの顔色は明るい。ヨハンの手紙を届けてくれた将校と同種の緑服を身にまとい、呑気に釣りなどしている。

 彼らは馬車の接近に気づくと、礼儀正しく脱帽してくれた。


長梯子ながばしごの紋章! ヒューゲル公爵家の方ですね! 自分が墓所までご案内致します!」


 行列の先頭に若いキーファー兵が付いてくれる。

 彼の案内で馬車は山間部の峡谷を抜けた。


 開けた雪原の向こうに小高い丘が見えてくる。そのふもとには城壁都市が広がっている。

 あれが「北都」シュバルツァー・フルスブルクか。ヘレノポリスより大きい気がする。我らがラミーヘルムとは比べるまでもない。


 街が近づくにつれて、街道沿いには庭付きの居館や旧教派の教会が姿を見せてきた。どれも外見は素朴だ。白い雪に包まれているから余計に味気なく見える。


「二五〇タイクンマルク、三〇〇タイクンマルク……」


 そんな郊外の風景に値札を付けている女がいた。


「おいシャルロッテ。他人の家を値踏みするのはやめないか。失礼だろう」

「あら。別に値踏みなんてしてないわよ。ただの暇つぶし。もし抵当に出してくれたらいくら払ってもいいか考えていただけよ」

「その差が私にはわからん! これだから低地の女は!」


 タオンさんは呆れてしまっている。イングリッドおばさんも呆れ気味。

 何も感じないのは俺だけか……なにせ彼女は三年前に初めて家庭教師としてラミーヘルム城に赴任してきた際、城内の家具や調度品を自主的に査定してくれた人だ。たぶん彼女の習性なのだろう。


「あちらです!」


 若い兵士の案内で、馬車は城門前の四叉路を東に進む。街の中心部ではなく郊外に向かうみたいだ。

 城壁沿いの街道はゆるやかにカーブしていた。

 やがて山の裾野に古びた教会が見えてくる。


「あれはキーファー公爵家の私的な教会ですな。代々の当主が眠っておられます」


 タオンさんが説明してくれる。前に来たことがあるらしい。


「いよいよです。失礼のないように弔問の作法を復習しておきましょう。あとベールも被らなきゃ」


 おばさんはカバンから黒いベールを取り出してくる。

 ちなみに今日はみんな暗い色合いの服を着用している。喪服ではないけどフォーマルな格好だ。


「……三〇〇〇マルク」


 ふわふわブラウンヘア守銭奴お姉さんは目前の教会にも手製の値札を付けていた。

 たしかにこの街にしてはお金がかかってそうな教会だった。ファサードの彫刻やステンドグラスが壮麗だ。旅の目的地を示すシンボルには相応しいように思える。



     × × ×    



 教会前の車溜まりで馬車を降りると、可憐なお嬢さんと目が合った。

 落ち着いた色合いのドレスが大人びた印象を持たせる。

 艶やかな金髪は相変わらず人形のようで、無性に撫でてやりたくなる。

 ほっそりした口元からは「出たわね!」と甲高い声が飛んできた。


「マリー・フォン・くそったれ・ヒューゲル! わざわざ田舎から出向いてきたのはお兄様に超好感を持ってもらうためね! 狡猾にも今月中に結婚式まで持ち込もうとしているなら、あたしが抜本的に許さないから!」


 エミリアは変わりない様子だった。


「この度はお悔やみ申し上げます。お久しぶりですね、エミリアさん」

「お父様の死を利用しようなんて良好な度胸じゃない。さすがは遠慮のない新教徒だわ! というか旧教の教会にぞろぞろ来てるんじゃないわよ! やたらと不潔でしょ!」


 五年ぶりの再会なのにいきなりフルスロットルで突っ込んでくる。兄のヨハンが近くにいないから止まる理由がないみたいだ。

 ヨハンはどこにいるのやら。狂犬を放し飼いにしないでもらいたい。

 イングリッドおばさんが公女おれの前に出た。


「パウル公の妹・イングリッドです。私からもお悔やみ申し上げます。エミリア様はお変わりないようで」

「あなたこそお変わりなく! でも子供の会話に大人がしゃしゃり出てこないでくださるかしら! みっともない!」

「あらあら。エミリア様もマリー様も、お二人とも立派な女性ですよ」

「なっ! …………どうもありがとうございますぅ」


 エミリアはおばさんから目を逸らす。ほっぺを膨らませながらもちょっと嬉しそうだ。

 なるほど。この子は褒めてあげればいいのか。自分に自信がないから他人に当たるタイプだとみた。


「ふふふ。渋い色のドレスが似合っていますよ、エミリアさん」

「ああん!? そんなの至極当たり前じゃない! あんたバカにしてんの!?」


 どうして俺だと逆上されてしまうのだろう。

 背後からは「あの手の娘とは友達になれんな」「アルフレッドは昔から年齢関係なく手を出すわよね」「手とはなんだ」「手でしょ」と益体のない会話が聞こえてくる。いつの間にかみんな馬車を降りていた。


 そんなヒューゲルの一行をエミリアは冷ややかな目で眺める。


「へえ。みんなあんたの側近なの。おじ様はお目付け役かしら。そっちのふわふわした女は何者?」


 何者と問われてもなあ。借金取りから逃亡しているスネル商会の首領ですと答えるわけにもいかないし。

 ラミーヘルム城内では偽装のためにタオンさんの姪でマリー付きの女中という扱いだから、そう伝えておこう。


「彼女はお手伝いさんです」

「ああやっぱり。まるで知性を感じないものね。うちの知的な女中たちとは違って。田舎者にぴったりすぎる女中だわ!」


 エミリアは大げさに高笑いしてみせる。

 シャルロッテもそれに合わせてケラケラと愛想よく笑いだした。満面の営業スマイルが獲物に向けられる。

 ああなると長くなる。


 いつも俺には過剰にへりくだっているし、常に演技めいている彼女だけど、タオンさんとの会話からもわかるとおり一般的な感性を持ち合わせている。だからバカにされたら普通に腹を立てる。

 それに商人というのはどうも居丈高な権力者に歯向かいたくなるものらしい。


「いやはや。全くでございます。わたくしどーにも知性がないと昔から友人親類から言われ続けてきたもので。それゆえに知性を磨くためのコツをよーく知っておりまして。さてバカが少しまともになれるなら、元々頭の良い方ならばどうなりましょう――」


 シャルロッテはカバンの中に入れていた、ごくありふれた百科事典を片手にエミリアにすり寄っていく。

 はたしていくらで買わされるのやら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る